新古今和歌集。卷第八哀傷歌。原文。(窪田空穗ニ依ル戦前ノ校本)
新古今和歌集
底本ハ窪田空穗挍訂。校註新古今和歌集。是昭和十二年一月二十日印刷。同年同月二十五日發行。東京武藏野書院發行。已上奧書。凡例ニ曰ク≪流布本を底本とし、隱岐本、及び烏丸本新古今集と校合≫セリト。
新古今和歌集卷第八
哀傷哥
題しらず
僧正遍昭
末[※すゑ]の露もとの雫[※しづく]や世の中のおくれさきだつためしなるらむ
小野小町
あはれなりわが身のはてやあさ綠[※みどり]つひには野邊の霞と思へば
醍醐のみかどかくれ給ひて後、彌生[※やよひ]のつごもりに三條右大臣に遣はしける
中納言兼輔
櫻散る春の末[※すゑ]にはなりにけりあままも知らぬながめ[※長雨‐眺め]せしまに
正曆二年、諒闇の春、櫻の枝[※えだ]につけて道信朝臣に遣はしける
實方朝臣
墨染の衣[※ころも]うき世の花盛りをり忘れても折りてけるかな
返し
道信朝臣
あかざりし花をや春も戀ひつらむありし昔をおもひ出でつつ
彌生の頃、人におくれて歎きける人のもとへ遣はしける
成尋法師
花ざくらまだ盛りにて散りにけむなげきのもとを思ひこそやれ
人の、櫻を植ゑ置きて、その年の四月になくなりにける又の年、初めて花咲きたるを見て
大江嘉言
花見むと植ゑけむ人もなき宿のさくらは去年[※こぞ]の春ぞ咲かまし
年頃住み侍りける女の、身まかりにける四十九日はてて、猶山里に籠り居てよみ侍りける
左京大夫顕輔
誰[※だれ]もみな花のみやこに散りはててひとりしぐるる秋のやま里
公守朝臣母身まかりて後の春、法金剛院の花を見て
後德大寺左大臣
花見てはいとど家路[※いへぢ]ぞ急がれぬ待つらむと思ふ人しなければ
定家朝臣、母のおもひに侍りける春の暮に遣はしける
攝政太政大臣
春霞かすみし空のなごりさへ今日[※けふ]をかぎりの別れなりけり
前大納言光賴、春身まかりけるを、桂[※かつら]なる所にてとかくして歸り侍りけるに
前左兵衞督惟方
立ちのぼる煙[※けぶり]をだにも見るべきに霞にまがふ春のあけぼの
六條攝政かくれ侍りて後、植ゑ置きて侍りける牡丹の咲きて侍りけるを折りて、女房のもとより遣はして侍りければ
大宰大貮重家
形見とて見れば歎きのふかみ草何なかなかのにほひなるらむ
稚[※おさな]き子の失せにけるが植ゑ置きたりける菖蒲を見てよみ侍りける
高陽院木綿四手
あやめ草たれ忍べとか植ゑおきて蓬[※よもぎ]がもとの露と消[※き]えけむ
歎くこと侍りける五月五日、人のもとへ申し遣はしける
上西門院兵衞
今日くれどあやめも知らぬ袂かな昔を戀ふるねのみかかりて
近衞院かくれ給ひにければ、世を背きて後、五月五日、皇嘉門院に奉られける
九條院
菖蒲草[※あやめくさ]引きたがへたる袂にはむかしを戀ふるねぞかかりける
御返し
皇嘉門院
さもこそはおなじ袂の色ならめ變らぬねをもかけてけるかな
すみ侍りける女なくなりにける頃、藤原爲賴朝臣妻身まかりにけるに遣はしける
小野宮右大臣
よそなれど同じ心ぞ通ふべきたれもおもひの一つならねば
返し
藤原爲賴朝臣
一人[※ひとり]にもあらぬおもひはなき人も旅の空にや悲しかるらむ
小式部内侍、露置きたる萩織りたる唐衣を着て侍りけるを、身まかりて後、上東門院より尋ねさせ給ひけるに奉るとて
和泉式部
置くと見し露もありけりはかなくて消えにし人を何に譬[※たと]へむ
御返し
上東門院
思ひきやはかなく置きし袖の上の露を形見にかけむものとは
白河院の御時、中宮おはしまさで後、その御方は草のみ茂りて侍りけるに、七月七日わらはべの露とり侍りけるを見て
周防内侍
淺茅原[※あさぢはら]はかなく置きし草の上の露をかたみと思ひかけきや
一品資子内親王に逢ひて、昔の事ども申し出してよみ侍りける
女御徽子女王
袖にさへ秋のゆふべは知られけり消えし淺茅[※あさぢ]が露をかけつつ
例[※れい]ならぬこと重くなりて、御ぐしおろし給ひける日、上東門院、中宮と申ける時遣はしける
一条院御歌
秋風の露のやどりに君を置きて塵[※ちり]を出でぬることぞかなしき
秋の頃、をさなき子におくれたる人に
大貮三位
別れけむなごりの袖もかはかぬに置きや添ふらむ秋の夕露
返し
よみ人しらず
置き添ふる露とともには消えもせで淚にのみも浮き沈[※しづ]むかな
廉義公の母なくなりて後、女郎花[※をみなへし]を見て
淸愼公
女郎花見るに心はなぐさまでいとどむかしの秋ぞこひしき
弾正尹爲尊親王にをくれて歎き侍りける頃
和泉式部
ねざめする身を吹きとほす風の音を昔は袖のよそに聞きけむ
從一位源師子かくれ侍りて、宇治より新少將がもとに遣はしける
知足院入道前關白太政大臣
袖ぬらす萩の上葉[※うはゝ]の露ばかりむかしわすれぬ蟲の音ぞする
法輪寺に詣で侍るとて、嵯峨野[※さがの]に大納言忠家が墓の侍りけるもとにまかりてよみ侍りける
權中納言俊忠
さらでだに露けき嵯峨の野邊に來て昔の跡にしをれぬるかな
公時卿の母身まかりて歎き侍りける頃、大納言實國のもとに申し遣はしける
後德大寺左大臣
悲しさは秋のさが野のきりぎりすなほ古里[※ふるさと]に音をやなくらむ
母の身まかりにけるを、嵯峨の邊にをさめ侍りける夜、よみける
皇太后宮大夫俊成女
今はさはうき世のさがの野邊をこそ露消えはてし跡と忍ばめ
母身まかりにける秋、野分しける日、もと住み侍りける所に罷りて
藤原定家朝臣
玉ゆらの露も淚もとどまらず亡き人戀ふるやどの秋風
父秀宗身まかりての秋、寄(レ)風懷舊といふことをよみ侍りける
藤原秀能
露をだに今はかたみの藤ごろもあだにも袖を吹くあらしかな
久我内大臣、春の頃失せて侍りける年の秋、土御門内大臣中將に侍りける時、遣はしける
殷富門院大輔
秋深き寐覺[※ねざめ]にいかがおもひ出づるはかなく見えし春の夜の夢
返し
土御門内大臣
見し夢を忘るる時はなけれども秋の寐覺はげ[※實]にぞかなしき
忍びて物申ける女身まかりて後、その家にとまりてよみ侍りける
大納言實家
馴れし秋のふけし夜床はそれながら心の底の夢ぞかなしき
陸奥[※みちのく]へまかれりける野中に、目にたつ樣[※さま]なる塚[※つか]の侍りけるを問はせ侍りければ、これなむ中將の塚と申すと答へければ、中將とはいづれの人ぞと問ひ侍りければ、實方朝臣のこととなむ申しけるに、冬の事にて、霜枯の薄[※すゝき]ほのぼの見えわたりて、折ふし物悲しく覺え侍りければよめる
西行法師
朽ちもせぬその名ばかりをとどめ置きて枯野の薄[※すゝき]形見にぞ見る
同行なりける人、うちつづきはかなくなりにければ、思ひ出でてよめる
前大僧正慈圓
ふるさとを戀ふる淚やひとり行く友なき山のみちしばの露
母のおもひに侍りける秋、法輪寺に籠りて嵐のいたく吹きければ
皇太后宮大夫俊成
うき世には今はあらしの山風にこれや馴れ行くはじめなるらむ
定家朝臣の母身まかりて後、秋の頃、墓所近き堂にとまりてよみ侍りける
稀に來る夜半[※よは]もかなしき松風を絕えずや苔のしたに聞くらむ
堀河院かくれ給ひて後、神無月風の音[※おと]あはれに聞えければ
久我太政大臣
物思へば色なき風もなかりけり身にしむ秋のこころならひに
藤原定通身まかりて後、月あかき夜、人の夢に、殿上になん侍るとてよみける歌
故鄕[※ふるさと]をわかれし秋をかぞふれば八[※や]とせになりぬありあけの月
源爲善朝臣身まかりにける又の年、月を見て
能因法師
命あればことしの秋も月は見つわかれし人に逢ふよなきかな
世中はかなく、人人多くなくなり侍りける頃、中將宣方朝臣身まかりて、十月ばかり白川の家にまかれりけるに、紅葉の一葉[※ひとは]殘れるを見つけて
前大納言公任
今日來ずば見でややままし山里の紅葉も人も常ならぬ世に
十月ばかり水無瀨[※みなせ]に侍りしころ、前大僧正慈圓のもとへ、「ぬれてしぐれの」など申し遣はして、次の年の神無月、無常の歌あまたよみて遣はし侍りし中に
太上天皇
思ひ出づる折り焚く柴の夕煙[※ゆふけぶり]むせぶもうれし忘れがたみに
返し
前大僧正慈圓
思ひ出づる折り焚く柴と聞くからにたぐひ知られぬ夕煙かな
雨中無常といふことを
太上天皇
亡き人のかたみの雲やしぐるらむゆふべの雨に袖は見えねど
枇杷皇太后宮かくれて後、十月ばかり、彼[※か]の宮の人人の中に、誰ともなくてさし置かせける
相模
神無月しぐるる頃もいかなれや空に過ぎにし秋のみや[※宮]人
右大將通房身まかりて後、手習ひすさびて侍ける扇[※あふぎ]を見出[※みいだ]してよみ侍りける
土御門右大臣女
手すさびのはかなき跡と見しかども長き形見になりにけるかな
齊宮の女御のもとにて、先帝の書かせ給へりける草子[※さうし]を見はべりて
馬内侍
尋ねても跡はかくてもみづぐきのゆくへも知らぬ昔なりけり
返し
女御徽子女王
古[※いにし]へのなきに流るるみづぐき[※水莖]は跡こそ袖のうらによりけれ
恒德公かくれて後、女のもとに月明き夜忍びてまかりてよみ侍りける
道信朝臣
ほしもあへぬ衣[※ころも]の闇にくらされて月ともいはずまどひぬるかな
入道攝政のために、萬燈會行はれ侍りけるに
東三條院
みな[※水]底に千千[※ちゝ]の光はうつれども昔のかげは見えずぞありける
公忠朝臣身まかりにける頃よみ侍りける
源信明朝臣
物をのみ思ひ寐覺のまくらには淚かからぬあかつきぞなき
一條院かくれ給ひにければ、その御事をのみ戀ひ歎き給ひて、夢にほのかに見え給ひければ
上東門院
逢ふ事も今はなきねの夢ならでいつかは君をまたは見るべき
後朱雀院かくれ給ひて、上東門院白川にこもり給ひにけるを聞きて
女御藤原生子
憂しとては出でにし家を出でぬなりなど故鄕[※ふるさと]にわが歸りけむ
幼かりける子の身まかりにけるに
源道濟
はかなしといふにもいとど淚のみかかるこの世を賴みけるかな
後一條院の中宮かくれ給ひて後、人の夢に
故鄕[※ふるさと]に行く人もがな告げやらむ知らぬ山路[※やまぢ]にひとりまどふと
醍醐の御門かくれ給ひてのころ、人のもとにつかはしける
盛明親王
世の中のはかなきことを見るころはねなくに夢のここちこそすれ
小野宮右大臣身まかりぬと聞きてよめる
權大納言長家
玉の緒の長きためしにひく人も消ゆれば露にことならぬかな
小式部内侍身まかりて後、常に持ちて侍りける手箱[※てばこ]を誦經にせさすとてよみ侍りける
和泉式部
戀ひわぶと聞きにだに聞け鐘の音にうち忘らるる時の間ぞなき
上東門院小少將身まかりて後、常にうち解けて書きかはしける文の、物の中に侍りけるを見出でて、加賀少納言がもとに遣はしける
紫式部
誰[※だれ]か世にながらへて見む書きとめし跡は消えせぬ形見なれども
返し
加賀少納言
亡き人を忍ぶることもいつまでぞ今日の哀れは明日[※あす]のわが身を
僧正明尊かくれて後、久しくなりて、房なとども岩倉[※いはくら]に取りわたして、草生[※お]ひ茂りてことざまになりにけるを見て
律師慶暹
亡き人の跡をだにとて來て見ればあらぬ里にもなりにけるかな
世のはかなき事を歎く頃、陸奥の國に名ある所所かきたる繪を見侍りて
紫式部
見し人の煙になりしゆふべより名ぞむつまじき鹽竈[※しほかま]のうら
後朱雀院かくれ給ひて後、源三位がもとに遣はしける
辨乳母
あはれ君いかなる野邊の煙にてむなしき空の雲となりけん
返し
源三位
思へ君燃えしけぶりにまがひなで立ちをおくれたる春の霞を
大江嘉言、對馬[※つしま]守になりて下るとて、「難波堀江[※ほりえ]の葦のうら葉に」とよみて下り侍りにける程に、國にて亡くなりにけりと聞きて
能因法師
あはれ人今日のいのちを知らませば難波の葦に契らざらまし
題しらず
大江匡衡朝臣
夜もすがら昔のことを見つるかな語るやうつつ[※現]ありし世や夢
俊頼朝臣身まかりて後、常に見ける鏡を佛に作らせ侍るとてよめる
新少將
うつりけむ昔の影やのこるとて見るにおもひのます鏡かな
通ひける女のはかなくなり侍りにける頃、書きおきたる文ども、經の料紙[※れうし]になさむとて取り出でて見侍りけるに
按察使公通
書きとむる言の葉のみぞみづぐきの流れてとまる形見なりける
禎子内親王かくれ侍りて後、悰子内親王かはりゐ侍りぬと聞きて、罷りて見ければ、何事も變らぬやうに侍りけるも、いとど昔思ひ出でられて、女房に申し侍りける
中院右大臣
有栖川おなじながれはかはらねど見しや昔の影ぞ忘れぬ
權中納言通家母かくれ侍りにける秋、攝政太政大臣のもとに遣はしける
皇太后宮大夫俊成
限りなき思ひのほどの夢のうちはおどろかさじと歎きこしかな
返し
攝政太政大臣
見し夢にやがて紛れぬわが身こそとはるる今日もまづ悲しけれ
母のおもひに侍りける頃、又なくなりにける人のあたりより問ひて侍りければ、遣はしける
淸輔朝臣
世の中は見しも聞きしもはかなくてむなしき空の煙なりけり
無常のこころを
西行法師
いつ歎きいつ思ふべきことなれば後の世知らで人の過ぐらむ
前大僧正慈圓
みな人の知りがほにして知らぬかな必ず死ぬるならひありとは
昨日[※きのふ]見し人はいかにと驚けばなほながき夜の夢にぞありける
蓬生[※よもぎふ]にいつか置くべき露の身は今日のゆふぐれ明日[※あす]のあけぼの
われもいつぞあらましかばと見し人を忍ぶとすればいとど添ひ行く
前參議敎長、高野に籠り居て侍りけるが、病限りになりぬと聞きて、賴輔卿まかりける程に、身まかりぬと聞きて遣はしける
寂蓮法師
尋ね來ていかにあはれとながむらむ跡なき山の峯のしら雲
人におくれて歎きける人に遣はしける
西行法師
亡き跡の面影をのみ身に添へてさこそは人の戀しかるらめ
歎く言侍りける人、問はずと恨み侍りければ
あはれとも心に思ふほどばかりいはれぬべくは問ひこそはせめ
無常のこころを
入道左大臣
つくづくと思へば悲しいつまでか人の哀れをよそに聞くべき
左近中將通宗が墓所に罷りてよみ侍りける
土御門内大臣
おくれゐて見るぞ悲しきはかなさをうき身の跡となに賴みけむ
覺快法親王かくれ侍りて、周忌のはてに墓所にまかりてよみ侍りける
前大僧正慈圓
そこはかと思ひつづけて來てみれば今年の今日も袖は濡れけり
母のために、粟田口[※あはたぐち]の家にて佛供養し侍りける時、はらから皆まうで來あひて、古き面影など更に忍び侍りける折しも、雨かきくらし降り侍りければ、歸るとて、彼[※か]の堂の障子に書きつけ侍りける
右大將忠經
たれもみな淚の雨にせきかねぬ空もいかがはつれなかるべき
亡くなりたる人の數を、卒塔婆に書きて歌よみ侍りけるに
法橋行遍
子の身まかりにける次の年の夏、彼[※か]の家に罷りたりけるに、花橘の薰りければよめる
祝部成仲
あらざらむ後忍べとや袖の香[※か]を花たちばなにとどめ置きけむ
能因法師身まかりて後、よみ侍りける
藤原兼房朝臣
ありし世に暫しも見ではなかりしをあはれとばかりいひて止みぬる
妻なくなりて又の年の秋の頃、周防内侍がもとへ遣はしける
權中納言通俊
とへかしな片しく[※敷く]藤の衣手になみだのかかる秋の寢覺を
堀河院かくれ給ひて後よめる
權中納言國信
君なくてよるかたもなき靑柳[※あをやぎ]のいとどうき世ぞおもひ亂るる
通ひける女、山里にてはかなくなりにければ、つれづれと籠り居て侍りけるが、あからさまに京へ罷りて、曉歸るに、とり鳴きぬと人人急がし侍りければ
左京大夫顯輔
いつのまに身を山がつになしはてて都を旅と思ふなるらむ
奈良の御門ををさめ奉りけるを見
人麿
久方のあめにしをるる君ゆゑに月日も知らで戀ひわたるらむ
題しらず
小野小町
あるはなくなきは數添ふ世の中にあはれいづれの日まで歎かむ
業平朝臣
白玉か何ぞと人の問ひしとき露とこたへて消[※け]なましものを
更衣の服にて參れりけるを見給ひて
延喜御歌
年經ればかくもありけり墨染のこは思ふてふそれかあらぬか
おもひにて人の家に宿れりけるを、その家に忘草の多く侍りければ、主に遣はしける
中納言兼輔
亡き人をしのびかねては忘草おほかる宿にやどりをぞする
病に沈みて久しく籠り居るて侍りけるが、たまたまよろしうなりて、内に參りて、右大辨公忠藏人に侍りけるに逢ひて、又あさて[※あさで]ばかり參るべきよ由申してまかり出でにけるままに、病重くなりて限りに侍りければ、公忠朝臣に公忠朝臣に遣かはしける
藤原季繩
悔しくぞ後に逢はむと契りける今日を限りといはましものを
母の女御かくれ侍りて、七月七日よみ侍りける
中務卿具平親王
墨染のそでは空にもかさなくにしぼりもあへず露ぞこぼるる
失せにける人の文の、物の中なるを見出でて、そのゆかりなる人のもとに遣はしける
紫式部
暮れぬまの身をば思はで人の世の哀れを知るぞつははかなき
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