新古今和歌集。卷第七賀歌。原文。(窪田空穗ニ依ル戦前ノ校本)


新古今和歌集

底本ハ窪田空穗挍訂。校註新古今和歌集。是昭和十二年一月二十日印刷。同年同月二十五日發行。東京武藏野書院發行。已上奧書。凡例ニ曰ク≪流布本を底本とし、隱岐本、及び烏丸本新古今集と校合≫セリト。



新古今和歌集卷第七

 賀哥

  貢物[※みつぎもの]許されて國富めるを御覧じて

  仁德天皇御歌

高き屋にのぼりて見れば煙[※けぶり]たつ民のかまどはにぎはひにけり

  題しらず

  よみ人しらず

はつ春のはつねの今日[※けふ]の玉箒[※たまはゝき]手にとるからにゆらぐ玉の緒

※初子。≪十二支の子にあたる日。特に、正月の最初の子の日をいうことが多い。この日、野に出て小松を引き若菜を摘み、遊宴して千代を祝う。(精選版日本国語大辞典。閲覧10.31.2019.)≫

  子日をよめる

  藤原淸正

子の日してしめつる野邊の姬小松ひかでや千代のかげを待たまし

  題しらず

  貫之

君が世の年のかずをばしろたへの濱の眞砂[※まさごと]たれかしきけむ

  享子院の六十御賀屏風に、若菜摘める所をよみ侍りける

若菜生[※お]ふる野邊といふ野邊を君がため萬代[※よろづよ]しめて摘まむとぞ思ふ

  延喜御時、屏風の歌

木綿[※ゆふ]だすき[※襷]千年[※ちとせ]をかけてあしびきの山藍[※あゐ]の色はかはざりけり

  祐子内親王家にて、櫻を

  土御門右大臣

君が世に逢ふべき春の多ければ散るとも櫻あくまでぞ見む

  七條の后[※きさい]の宮、五十賀の屏風に

  伊勢

住の江の濱の眞砂をふむたづ[※つる]は久しきあとをとむるなりけり

  延喜御時、屏風の歌

  貫之

年ごとに生[※お]いそふ竹のよよを經てかはらぬ色を誰[※だれ]とかは見む

  題しらず

  躬恒

千歳[※ちとせ]經[※ふ]るをのへ[※尾上]の松は秋風のこゑこそかはれ色はかはらず

  藤原興風

山川の菊のしたみづ[※下水]いかなればながれて人の老をせくらむ

  延喜御時、屏風の歌

  貫之

祈りつつなほなが[※長]月の菊の花いづれの秋か植ゑて見ざらむ

  文治六年、女御入内屏風に

  皇太后宮大夫俊成

やまびと[※山人]の折る袖匂ふ菊の露うちはらふにも千世[※ちよ]は經[※へ]ぬべし

  貞信公家の屏風に

  淸原元輔

神無月もみぢも知らぬ常磐木によろづ代かかれ峰の白雲

  題しらず

  伊勢

山風は吹けど吹かねどしら波の寄する岩ね[※根]は久しかりけり

  後一条院生れさせ給へりける九月、月くまなかりける夜大二條關白、中將に侍りけるに、若き人人誘ひ出でて、池の舟に乗せて、中島[※なかしま]の松陰[※まつかげ]さし廻すほど、をかしく見え侍りければ

  紫式部

曇りなく千年[※ちとせ]にすめる水の面[※おも]にやどれる月の影ものどけし

  永承四年内裏歌合に、池の水といふこころを

  伊勢大輔

池水のよよに久しく澄みぬればそこ[※底]の玉藻もひかり見えけり

  堀河院の大嘗會御禊、日頃雨降りて、その日になりて空晴れて侍りければ、紀伊典侍に申しける

  六條右大臣

君が代の千歳[※ちとせ]のかずもかくれなく曇らぬ空の光にぞ見る

  天喜四年皇后宮の歌合に、祝のこころをよみ侍りける

  前大納言隆國

住の江に生[※お]ひそふ松の枝[※えだ]ごとに君が千歳[※ちとせ]の數ぞこもれる

  寛治八年關白前太政大臣高陽院歌合に、祝[※いはひ]のこころを

  康資王母

萬代[※よろづよ]をまつ[※松]の尾山のかげしげみ君をぞ祈るときはかきは[※常磐垣葉]に

  後冷泉院をさなくおはしましける時、卯杖の松を人の子にたまはせけるによみ侍りける

  大貮三位

相生[※あひおひ]の小鹽[※をしほ]の山の小松原いまより千代のかけを待たなむ

  永保四年、内裏子の日に

  大納言經信

子の日する御垣[※みかき]の内[※うち]の小松ばら千代をばほかの物とやは見る

  權中納言通俊

子の日する野邊の小松を移し植ゑて年のを長く君ぞ引くべき

  承曆二年、内裏歌合に、祝のこころをよみ侍りける

  前中納言匡房

君が代は久しかるべしわたらひや五十鈴[※いすゞ]の川の流絕えせで

※五十鈴の云々、卽チ皇統。

  題しらず

  よみ人しらず

常磐なる松にかかれる苔なれば年の緒ながきしるべとぞ思ふ

  二條院御時、花有(二)喜色(一)といふこころを人人仕うまつりけるに

  刑部卿範兼

君が世に逢へるは誰[※だれ]も嬉しきを花は色にも出でにけるかな

  同じ御時、南殿の花の盛に歌よめと仰せられければ

  三河内侍

身にかへて花も惜しまじ君が代に見るべき春の限りなければ

  百首歌奉りし時

  式子内親王

天の下めぐむ[※惠む]草木の目もはるに[※春‐遙に]限りも知らぬ御世の末[※すゑ]末

  京極殿にて、初めて人人歌つかうまつりしに、松有(二)春色(一)といふことをよみ侍りし

  攝政太政大臣

おしなべてこ[※木]の芽もはる[※春‐張る]の淺綠[※あさみどり]松にぞ千世[※ちよ]の色はこもれる

  百首歌奉りし時

敷島や大和島根[※しまね]も神代[※かむよ]より君がためとやかため置きけむ

  千五百番歌合に

濡れてほす玉ぐし[※櫛]の葉の露霜に天照る光幾世經[※へ]ぬらむ

  祝[※いはひ]のこころをよみ侍りける

  皇太后宮大夫俊成

君が代は千代ともささじ天の戶やいづる月日の限りなければ

  千五百番歌合に

  定家朝臣

わが道[※みち]を守らば君を守るらむよはひはゆづれ住吉の松

  八月十五夜、和歌所歌合に、月多秋友といふことをよみ侍りし

  寂蓮法師

高砂[※たかさご]の松も昔になりぬべしなほゆく末[※すゑ]は秋の夜の月

  和歌所の開闔[※かいこ(ご)う]になりて、初めてまゐりし日、奏し侍りし

  源家長

もしほ草かくとも盡きじ君が代の數によみ置く和歌の浦波[※うらなみ]

  建久七年、入道前關白太政大臣、宇治にて人人に歌よませ侍りけるに

  前大納言隆房

嬉しさや片敷[※かたし]く袖につつむらむ今日待ちえたる宇治の橋姬

  嘉應元年、入道前關白太政大臣、宇治にて人人に歌よませり侍けるに

  淸輔朝臣

年經[※へ]たる宇治の橋守[※はしもり]こととはむ幾代[※いくよ]になりぬ水のみなかみ

  日吉の禰宜成仲、七十賀し侍りけるに遣はしける

七十[※なゝそぢ]にみつの濱松老いぬれど千代の殘りはなほぞはるけき

  百首歌よみ侍りけるに

  後德大寺左大臣

八百日[※やほか]ゆく濱の眞砂[※まさご]を君が代のかずにとらなむ沖つ島もり

  家に歌合し侍りけるに、春の祝のこころをよみ侍りける

  攝政太政大臣

春日山みやこの南しかぞおもふ北の藤波[※ふぢなみ]春にあへとは

  天曆御時、大嘗會主基、備中の國中山

  よみ人しらず

常磐なる吉備の中山おしなべて千歳[※ちとせ]をまつ[※待つ‐松]のふかき色かな

  長和五年、大嘗會悠紀方風俗歌、近江の國朝日の鄕

  祭主輔親

あかねさす朝日のさとの日影草豐[※とよ]のあかりのかざしなるべし

  永承元年、大嘗會悠紀方屏風、近江の國守山をよめる

  式部大輔資業

すべらぎ[※天皇]を常磐かきはにもる山のやま人ならし山かづらせり

  寛治二年、大嘗會屏風に、鷹の尾山をよめる

  前中納言匡房

とやかへる鷹の尾山の玉椿[※たまつばき]霜をば經[※ふ]とも色はかはらじ

  久壽二年、大嘗會悠紀屏風に、近江の國鏡山をよめる

  宮内卿永範

曇りなきかがみの山の月を見て明らけき世を空に知るかな

  平治元年、大嘗會主基方、辰日參入音聲、生野をよめる

  刑部卿範兼

大江山越えていく野の末[※すゑ]とほみ道[※みち]ある世にも逢ひにけるかな

  仁安元年、大嘗會悠紀歌奉りけるに、稻舂歌[※いねつきうた]

  皇太后宮大夫俊成

近江のや坂田の稻をかけ積みて道[※みち]ある御世のはじめにぞつく

※稻舂歌ハ是≪大嘗会(だいじょうえ)に神前に供える稲をつく時にうたう歌。多く悠紀(ゆき)、主基(すき)の地名をよみ入れた。いなつきうた。(精選版日本国語大辞典精選版。閲覧仝上)≫

  壽永元年、大嘗會主基方稻舂歌、丹波國長田村をよめる

  權中納言兼光

神代より今日のためとや八束穗[※やつかほ]に長田[※ながた]の稻のしなひそめけむ

  元曆元年、大嘗會悠紀の歌、青羽山

  式部大輔光範

立ちよれば凉しかりけり水鳥の靑羽[※あをば]の山の松のゆふかぜ

  建久九年、大嘗會主基屏風に、松井

  權中納言資實

常盤なる松井の水をむすぶ手の雫[※しづく]ごとにぞ千代は見えける







Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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