新古今和歌集。卷第六冬歌。原文。(窪田空穗ニ依ル戦前ノ校本)


新古今和歌集

底本ハ窪田空穗挍訂。校註新古今和歌集。是昭和十二年一月二十日印刷。同年同月二十五日發行。東京武藏野書院發行。已上奧書。凡例ニ曰ク≪流布本を底本とし、隱岐本、及び烏丸本新古今集と校合≫セリト。



新古今和歌集卷第六

 冬哥

  千五百番哥合に、初冬のこころをよめる

  皇太后宮大夫俊成

おきあかす秋のわかれの袖の露霜こそむすべ冬や來ぬらむ

  天曆の御時、神無月といふことを上[※かみ]におきて、歌つかうまつりけるに

  藤原高光

神無月風にもみぢの散るときはそこはかとなくものぞ悲しき

  題しらず

  源重之

名取川[※なとりがは]やなせの浪も騒ぐなり紅葉やいとどよりてせくらむ

  後冷泉院御時、うへのをのこども大堰[※おほゐ]河に罷りて、紅葉浮水といへるこころをよみ侍りける

  藤原資宗朝臣

いかだ士よ待てこと問はむ水上[※みなかみ]はいかばかり吹く山の嵐ぞ

  大納言經信

散りかかる紅葉流れぬ大堰川いづれゐぜきの水のしがらみ

  大堰河に罷りて、落葉滿(レ)水といへるこころをよみ侍りける

  藤原家經朝臣

高瀨舟しぶくばかりにもみぢ葉の流れてくだる大堰河かな

  深山落葉といへるこころを

  俊賴朝臣

日暮るれば逢ふ人もなしまさき散る峯の嵐の音[※おと]ばかりして

  題しらず

  淸輔朝臣

おのづから音[※おと]するものは庭の面[※おも]に木の葉吹きまく谷の夕風

  春日社歌合に、落葉といふことをよみて奉りし

  前大僧正慈圓

木の葉散る宿に片敷[※かたし]く袖の色をありとも知らでゆく嵐かな

  右衞門督通具

木の葉散るしぐれやまがふわが袖にもろき淚の色と見るまで

  藤原雅經

移りゆく雲にあらしの聲すなり散るか正木[※まさき]のかつらぎの山

  七條院大納言

初時雨信夫[※しのぶ]の山のもみぢ葉を嵐吹けとは染めずやあるらむ

  信濃

しぐれつつ袖もほしあへずあしびきの山の木の葉に嵐吹く頃

  藤原秀能

山里の風すさまじきゆふぐれに木の葉みだれてものぞ悲しき

  祝部成茂

冬の來て山もあらはに木の葉降りのこる松さへ峯にさびしき

  五十首歌奉りし時

  宮内卿

唐錦秋のかたみやたつた山散りあへぬ枝[※えだ]に嵐吹くなり

  賴輔卿家歌合に、落葉のこころを

  藤原資隆朝臣

時雨かと聞けば木の葉の降るものをそれにも濡るるわが袂かな

  題しらず

  法眼慶算

時しもあれ冬は葉守[※はもり]の神無月まばらになりぬ森の柏[※かしは]木

  津守國基

いつのまに空のけしきの變るらむはげしき今朝の木枯[※こがらし]の風

  西行法師

月を待つたかねの雲は晴れにけりこころあるべき初時雨かな

  前大僧正覺忠

神無月木木の木の葉は散りはてて庭にぞ風のおと[※音]は聞ゆる

  淸輔朝臣

柴の戶に入日の影はさしながらいかにしぐるる山邊なるらむ

  山家時雨といへるこころを

  藤原隆信朝臣

雲晴れてのちもしぐるる柴の戶や山風はらふ松のしたつゆ

  寛平の御時、后[※きさい]の宮の歌合に

  よみ人しらず

神無月しぐれふるらし佐保山のまさきのかづら色まさりゆく

  題しらず

中務卿具平親王

こがらしの音[※おと]に時雨を聞きわかで紅葉にぬるる袂とぞ見る

  中納言兼輔

時雨降る音[※おと]はすれども呉竹[※くれたけ]のなどよとともに色もかはらぬ

  十月ばかり、ときは[※常磐]の森を過ぐとて

  能因法師

時雨の雨染めかねてけり山城のときはの杜のまき[※槇]の下葉は

  題しらず

  淸原元輔

冬を淺みまだき時雨とおもひしを堪[※た]へざりけりな老の淚も

  鳥羽殿にて、旅宿時雨といふことを

  後白河院御歌

まばらなる柴のいほりに旅寢して時雨に濡るるさ夜衣かな

  時雨を

前大僧正慈圓

やよ時雨もの思ふ袖のなかりせば木の葉の後に何を染めまし

  冬の歌の中に

  太上天皇

深綠あらそひかねていかならむ間[※ま]なくしぐれのふるの神杉

  題しらず

  人麿

時雨の雨まなくし降ればまき[※槇]の葉も爭[※あらそ]ひかねて色づきにけり

  和泉式部

世中に猶もふるかなしぐれつつ雲間の月のいでやと思へど

  百首歌奉りしに

  二條院讚岐

折こそあれながめにかかる浮雲の袖も一つにうちしぐれつつ

  題しらず

  西行法師

秋篠[しの]やとやま[※外山]の里やしぐるらむ生駒[※いこま]の嶺に雲のかかれる

  道因法師

晴れ曇り時雨は定めなき物をふりはてぬるはわが身なりけり

  千五百番歌合に、冬の歌

  源具親

今はまた散らでもまがふ時雨かなひとりふりゆく庭の松風

  題しらず

  俊惠法師

み吉野の山かき曇り雪ふればふもとの里はうちしぐれつつ

  百首歌奉りし時

  入道左大臣

まきの屋に時雨の音[※おと]のかはるかな[※變哉]紅葉や深く散り積るらむ

  千五百番歌合に、冬の歌

  二條院讚岐

世に經[※ふ]るは苦しきものをまきの屋にやすくも過ぐる初時雨かな

  題しらず

  源信明朝臣

ほのぼのと有明の月の月影に紅葉吹きおろす山おろしの風

  中務卿具平親王

もみぢ葉をなに惜しみけむ木の間より漏りくる月は今宵こそ見れ

  宜秋門院丹後

吹きはらふ嵐の後の高峰[※たかね]より木の葉ぐもらで月や出づらむ

  春日歌合に、曉といふことを

  右衞門督通具

霜こほる[※氷る]袖にもかげは殘りけり露より馴れしありあけの月

  和歌所にて六首歌奉りしに冬月

  藤原家隆朝臣

ながめつついくたび袖にくもるらむ時雨にふくる有明の月

  題しらず

  源泰光

さだめなくしぐるるそらのむら雲にいくたび同じ月を待つらむ

  千五百番歌合に

  源具親

今よりは木の葉がくれもなけれども時雨に殘るむら雲の月

  題しらず

晴れ曇る影をみやこにさきだててしぐると告ぐる山の端の月

  五十首歌奉りし時

  寂蓮法師

たえだえに里わく月のひかりかな時雨をおくる夜半[よは]のむら雲

  雨後冬月といふこころを

  良暹法師

今はとて寐なましものをしぐれつる空とも見えず澄める月かな

  題しらず

  曾禰好忠

露霜の夜半におきゐて冬の夜の月見るほどに袖はこほりぬ

  前大僧正慈圓

もみぢ葉はおのが染めたる色ぞかしよそげに置ける今朝[※けさ]の霜かな

  西行法師

をぐら山ふもとの里に木の葉散れば梢に晴るる月を見るかな

  五十首歌奉りしに

  雅經

秋の色をはらひはててやひさかたの月の桂[※かつら]に木がらしの風

  題しらず

  式子内親王

風さむみ木の葉晴れゆく夜な夜なにのこる隈なき庭の月影

  殷富門院大輔

我が門[※かど]の刈田[※かりた]のおもにふす鴫[※しぎ]の床[※とこ]あらはなる冬の夜のつき

  淸輔朝臣

冬枯[※ふゆがれ]の森の朽葉の霜のうへに落ちたる月のかげのさむけさ

  千五百番歌合に

  皇太后宮大夫俊成女

冴えわびてさむる枕[※まくら]に影見れば霜ふかき夜のありあけの月

  右衞門督通具

霜むすぶ袖のかたしき[※片敷]うち解けて寝ぬ夜の月の影ぞ寒けき

※かたしきハ片方ヲ敷ク卽チ獨寝

  五十首歌奉りし時

  雅經

影とめし露のやどりを思ひ出でて霜にあととふ淺茅生[※あさぢふ]の月

  橋上霜といへることをよみ侍りける

  法印幸淸

片敷きの袖をや霜にかさぬらむ月に夜がるる宇治の橋姬

※宇治川宇治橋ニ祀ル橋之守神。異説有。平家物語ニ嫉妬之鬼神。

  題しらず

  源重之

夏刈[※なつかり]の荻の古枝[※ふるえ]は枯れにけり群れ居し鳥は空にやあるらむ

  藤原道信朝臣

さ夜ふけて聲さへ寒きあしたづは幾重[※いくへ]の霜か置きまさるらむ

※あしたづハ葦生フ水邊ノ鶴卽チ鶴。

  冬の歌の中に

  太上天皇

冬の夜の長きを送る袖ぬれぬあかつきがた[曉方]の四方[※よも]のあらしに

  百首歌奉りし時

  攝政太政大臣

笹の葉はみ山もさやにうちそよぎ氷れる霜を吹くあらしかな

  崇德院御時、百首歌奉りけるに

  淸輔朝臣

君來ずば一人[※ひとり]や寝なむささの葉のみ山もそよにさやぐ霜夜を

  題しらず

  皇太后宮大夫俊成女

霜がれはそことも見えぬ草の原たれに問はまし秋のなごりを

  百首歌の中に

  前大僧正慈圓

霜さゆる山田のくろのむら薄[※すゝき]刈る人なしみのこるころかな

  題しらず

  曾禰好忠

草のうへにここら玉ゐし白露を下葉[※したば]の霜とむすぶ冬かな

※ここらハ幾許。多量ナル、

  中納言家持

鵲[※かさゝぎ]のわたせる橋に置く霜のしろきを見れば夜ぞ更けにける

  うへのをのこども、菊合[※きくあはせ]し侍りけるついでに

  延喜御歌

しぐれつつ枯れゆく野邊の花なれど霜のまがきに匂ふ色かな

  延喜十四年、尚侍藤原滿子に菊の宴給はせける時

  中納言兼輔

菊の花手折[※たお]りては見じ初霜の置きながらこそ色まさりけれ

  同じ御時、大堰川に行幸侍りける日

  坂上是則

影さへに今はと菊のうつろふは波のそこ[※底]にも霜や置くらむ

  題しらず

  和泉式部

野べ見れば尾花がもとの思ひ草かれゆく冬になりぞしにける

  西行法師

津の國の難波の春はゆめ[※夢]なれや蘆[※あし]のかれ葉に風わたるなり

  崇德院に、十首歌奉りける時

  大納言成通

冬深くなりにけらしな難波江[※なにはえ]の靑葉まじらぬ蘆のむらだち[※群生]

  題しらず

  西行法師

寂しさに堪[※た]へたる人のまたもあれな庵[※いほり]をならべむ冬の山里

  あづまに侍りける時、都の人に遣はしける

  康資王母

あづま路[※ぢ]の道の冬草繁[※しげ]りあひて跡だに見えぬわすれ水かな

  冬の歌とてよみ侍りける

  守覺法親王

むかし思ふさ夜の寝覺[※ねざめ]の床さえて淚もこほる袖のうへかな

  百首歌奉りし時

立ちぬるる山のしづくも音[※おと]絕えて槇の下葉に垂氷[※たるひ]しにけり

  題しらず

  皇太后宮大夫俊成

かつ氷りかつはくだくる山河の岩間[※いはま]にむせぶあかつき[※暁]の聲

  攝政太政大臣

消[※き]えかへり岩間にまよふ水の泡[※あわ]のしばし宿かる薄氷かな

枕[※まくら]にも袖にも淚つららゐてむすばぬ夢をとふ[※訪ふ]あらし[※嵐]かな

  五十首歌奉りし時

水上[※みなかみ]やたえだえこほる岩間よりきよたき[※淸瀧]川にのこるしら[※白]浪

  百首歌奉りし時

かたしき[※片敷]の袖の氷もむすほぼれとけて寝ぬ夜の夢ぞみじかき

  最勝四天王院の障子に、宇治川かきたる所

  太上天皇

橋姬のかたしき衣さむしろに待つ夜むなしき宇治の曙[※あけぼの]

  前大僧正慈圓

網代木[※あじろぎ]にいざよふ浪の音[※おと]ふけてひとりや寝ぬる宇治の橋姬

※網代[あじろ]ハ是≪漁具の一つ。川の流れの中に杭(くい)を立て並べ、竹・木などを細かく編んで魚を通れなくし、その端に、水面に簀(す)を置いて魚がかかるようにしたもの。宇治川などで、冬期、氷魚(ひお)(=鮎(あゆ)の稚魚)を取るのに用いたのが有名。季語冬。和歌で「宇治」「寄る」の縁語として用いることが多い。②檜皮(ひわだ)・竹・葦(あし)などを薄く削って斜めに編んだもの。垣根・屛風(びようぶ)・天井・車の屋形・笠(かさ)などに用いる。③「あじろぐるま」に同じ。(学研全訳古語辞典。閲覧10.30.2019.)≫

  百首歌の中に

  式子内親王

見るままに冬は來にけり鴨のゐる入江[※いりえ]のみぎは[※汀]薄氷りつつ

  攝政太政大臣家歌合に、湖上冬月

  藤原家隆朝臣

志賀の浦や遠ざかりゆく波間より氷りて出づるありあけの月

  守覺法親王、五十首歌よませ侍りけるに

  皇太后宮大夫俊成

ひとり見る池の氷に澄む月のやがて袖にもうつりぬるかな

  題しらず

  山部赤人

うばたまの夜のふけ行けば楸[※ひさぎ]おふる淸き川原に千鳥[※ちぢり]鳴くなり

  佐保の河原に、千鳥の鳴きけるをよみ侍りける

  伊勢大輔

行く先はさ夜ふけぬれど千鳥鳴く佐保の河原は過ぎうかりけり

  みちのくにに[※儘]罷りける時、よみ侍りける

  能因法師

夕されば汐風[※しほかぜ]越してみちのくの野田の玉川[※たまがは]ちどり鳴くなり

  題しらず

  重之

白浪にはねうちかはし濱千鳥[※はまちどり]かなしきものはよは[※夜半]の一聲

  後德大寺左大臣

夕なぎにとわたる千鳥波間[※なみま]より見ゆるこじまの雲に消[※き]えぬる

  堀河院に百首歌奉りけるに

  祐子内親王家紀伊

浦風に吹上[※ふきあげ]のはま[※濱]のはま千鳥波立ち來らし夜半[※よは]に鳴くなり

  五十首歌奉りし時

  攝政太政大臣

月ぞ澄む誰[※た]れかはここにきの國[※くに]や吹上の千鳥ひとり鳴くなり

  千五百番歌合に

  正三位季能

さ夜千鳥聲こそ近くなるみ[成る‐鳴海]潟かたぶ[※傾]く月に汐[※しほ]や滿つらむ

  最勝四天王院の障子に、鳴海の浦かきたるところ

  藤原秀能

風吹けばよそになるみのかた思ひ思はぬ浪に鳴く千鳥かな

  同じところ

  權大納言通光

浦人の日も夕暮になるみ潟かへる袖より千鳥鳴くなり

  文治六年女御入内屏風に

  正三位季經

風さゆるとしまが磯のむらちどり[※群ら千鳥]立ち居は浪の心なりけり

  五十首歌奉りし時

  雅經

はかなしやさても幾夜[※いくよ]か行く水に數かきわぶる鴛[※をし]のひとりね

※鴛ハ鴛鴦[※おしどり]。鴨科水鳥。鴛ハ雄鳥。鴦ハ雌鳥。合セ鴛鴦。えんおう。

  堀河院に、百首歌奉りけるに

  河内

水鳥のかもの浮寐[※うきね]のうきながら浪のまくらにいく夜經[※へ]ぬらむ

題しらず

  湯原王

吉野なるなつみの川の川淀[※かはよど]に鴨ぞ鳴くなる山かげにして

※川淀ハ字義儘

  能因法師

閨[※ねや]のうへに片枝[※かたえ]さしおほひそともなる葉廣柏[※はひろかしは]に霰[※あられ]降るなり

  法性寺入道前關太政大臣

さざなみや志賀のから[※唐]崎風さえて比良[※ひら]の高嶺[※たかね]に霰降るなり

  人麿

矢田の野に淺茅[※あさぢ]色づくあらち山[※愛発山、有乳山、荒血山]嶺のあわ雪寒くぞあるらし

  雪あした[※朝]、基俊がもとへ申し遣はし侍りける

  瞻西聖人

常よりも篠屋[※しのや]の軒ぞうづもるる今日はみやこに初雪や降る

  返し

  藤原基俊

降る雪にまことに篠屋いかならん今日は都にあとだにもなし

  冬の歌あまたよみ侍りけるに

  權中納言長方

初雪のふる[※降る‐布留]の神杉うづもれてしめゆふ野邊は冬ごもりけり

  思ふこと侍ける頃、初雪ふり侍りける日

  紫式部

ふればかくうさ[※憂さ]のみまさる[※勝る]世を知らで荒れたる庭に積る初雪

  百首歌に

  式子内親王

さむしろの夜半[※よは]のころも[※衣]手さえさえて初雪しろし岡のべの松

  入道前關白右大臣に侍ける時、家の歌合に雪をよめる

  寂蓮法師

降り初[※そ]むる今朝[※けさ]だに人の待たれつるみ山の里の雪の夕暮

  雪のあした[※朝]、後德大寺左大臣許に遣はしける

  皇太后宮大夫俊成

今日[※けふ]はもし君もや訪[※と]ふとながむれどまだ跡もなき庭の雪かな

  返し

  後德大寺左大臣

今ぞ聞くおころは跡もなかりけり雪かきわけて思ひやれども

  題しらず

  前大納言公任

しら山にとしふる雪やつもるらむ夜半[※よは]にかたしく袂さゆなり

  夜深聞(レ)雪といふことを

  刑部卿範兼

明けやらぬねざめの床に聞ゆなりまがきの竹の雪の下をれ

  うへのをのこども、曉望(二)山雪(一)といへるこころをつかうまつりけるに

  高倉院御歌

音羽山さやかにみ[※見]ゆる白雪を明けぬとつ[※告]ぐる鳥のこゑかな

  紅葉の散れりける上に、初雪の降りかかりて侍けるを見て、上東門院に侍ける女房に遣はしける

  藤原家經朝臣

山里は道もや見えずなりぬらむ紅葉とともに雪の降りぬる

  野亭雪をよみ侍りける

  藤原國房

寂しさをいかにせよとて岡べなる楢の葉しだり雪の降るらん

  百首歌奉りし時

  定家朝臣

駒とめて袖うち拂ふかげもなし佐野のわたりの雪のゆふぐれ

  攝政太政大臣、大納言に侍りける時、山家雪といふことをよませ侍りけるに

待つ人のふもとの道は絕えぬらむ軒端の杉に雪おもるなり

  同じ家にて、所の名を探りて冬の歌よませ侍りけるに、伏見の里の雪を

  有家朝臣

夢かよふ道さへ絕えぬくれたけ[※呉竹]の伏見の里の雪のしたをれ

  家に百首歌よませ侍りけるに

  入道前關白太政大臣

降る雪にたく藻の煙[※けふり]かき絕えてさびしくもあるか鹽釜[※しほかま]の浦

題しらず

  赤人

田子の浦にうち出でて見れば白たへの富士の高嶺に雪は降りつつ

  延喜御時哥たてまつれとおほせられけれは

  紀貫之

雪のみやふりぬと思ふ山里にわれも多くの年ぞつもれる

  守覺法親王、五十首歌よませ侍りけるに

  皇太后宮大夫俊成

雪降れば峰の眞榊[※まさかき]うづもれて月にみがける天の香具山

  題しらず

  小侍從

かき曇りあまぎる雪のふる里を積らぬ先に訪[※と]ふ人もがな

  前大僧正慈圓

庭の雪にわが跡つけて出でつるを訪[※と]はれにけりと人や見るらむ

ながむればわが山の端に雪しろし都の人よあはれ[※哀れ]とも見よ

  曾禰好忠

冬草のかれにし人のいまさらに雪ふみわけて見えむものかは

  雪のあした[※朝]、大原にてよみ侍りける

  寂然法師

尋ね來て道わけわぶる人もあらじ幾重[※いくへ]もつもれ庭のしら雪

  百首歌の中に

  太上天皇

このごろは花も紅葉も枝[※えだ]になししばしな消えそ松のしら雪

  千五百番歌合に

  右衞門督通具

草も木も降りまがへたる雪もよに春待つ梅の花の香[※か]ぞする

  百首歌めしける時

  崇德院御歌御狩[※みかり]する交野[かたの]のみ野に降る霰あなかままだき鳥もこそ立て

※まだきハ早くも

  内大臣に侍ける時、家歌合に

  法性寺入道前關白太政大臣

御狩[※みかり]すと鳥[※と]だちの原をあさりつつ交野の野邊に今日も暮しつ

  京極關白前太政大臣、高陽院歌合に

  前中納言匡房

御狩野[※みかりの]はかつ降る雪にうづもれて鳥[※と]だちも見えず草がくれつつ

  鷹狩のこころをよみ侍りける

  左近中將公衡

狩りくらし交野の眞柴[※ましば]折りしきて淀の川瀨の月を見るかな

  埋火をよみ侍りける

  権僧正永縁

中中に消[※き]えは消えなで埋火[※うづみひ]の生きてかひなき世にもあるかな

  百首歌奉りしに

  式子内親王

日數[※ひかず]ふ[※經‐降]る雪げにまさる炭竈[※すみかま]のけぶり[※煙]もさびしおほはら[※大原]の里

  歳の暮に人に遣はしける

  西行法師

をのづからいはぬを慕ふ人やあるとやすらふほどに年の暮れぬる

  年の暮によみ侍りける

  上西門院兵衞

かへりては身に添ふものと知りながら暮れ行く年を何慕ふらむ

  皇太后宮大夫俊成女

へだてゆく世世の面影かきくらし雪とふりぬる年の暮かな

  大納言隆季

あたらしき年やわが身をとめくらむ隙[※ひま]行く駒に道を任せて

  俊成卿家に、十首歌よみ侍けるに、歳暮のこころを

  俊惠法師

歎きつつ今年[※ことし]も暮れぬ露の命いけるばかりをおもひ出にして

  百首歌奉りし時

  小侍從

思ひやれ八十[※やそ]ぢの年の暮なればいかばかりかはものはは悲しき

  題しらず

  西行法師

昔おもふ庭にうき木を積み置きて見し世にも似ぬ年の暮かな

  攝政太政大臣

いそのかみ布留野[※ふるの]のをざさ霜を經[※へ]て一[※ひと]よばかりに殘る年かな

  前大僧正慈圓

年の明けてうき世の夢の醒むべくは暮るとも今日[※けふ]は厭はざらまし

  權律師隆聖

朝[※あさ]每のあか井の水に年暮れてわが世のほどのくまれぬるかな

  百首歌奉りし時

  入道左大臣

いそがれぬ年の暮こそあはれなれ昔はよそに聞きし春かは

年の暮に、身の老いぬることを歎きてよみ侍りける

和泉式部

かぞふれば年殘りもなかりけり老いぬるばかり悲しきはなし

  入道前關白、百首歌よませ侍りける時、歳暮のこころをよみて遣はしける

  後德大寺左大臣

いはばしる初瀨の川のなみ枕はやくも年の暮れにけるかな

  土御門内大臣家にて、海邊歳暮といへるこころをよめる

  有家朝臣

行く年ををしまの海女のぬれ衣かさねて袖に波やかくらむ

  寂蓮法師

老[※おい]の波越えける身こそあはれなれことしも今はすゑの松山

千五百番歌合に

  皇太后宮大夫俊成

今日ごとに今日や限りと惜しめども又も今年[※ことし]に逢ひにけるかな








Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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