新古今和歌集。卷第五秋歌下。原文。(窪田空穗ニ依ル戦前ノ校本)
新古今和歌集
底本ハ窪田空穗挍訂。校註新古今和歌集。是昭和十二年一月二十日印刷。同年同月二十五日發行。東京武藏野書院發行。已上奧書。凡例ニ曰ク≪流布本を底本とし、隱岐本、及び烏丸本新古今集と校合≫セリト。
新古今和歌集卷第五
秋哥下
和歌所にて、をのこども歌よみ侍りしに、夕べの鹿といふことを
藤原家隆朝臣
下紅葉[※したもみぢ]かつ散る山の夕時雨濡れてやひとり鹿の鳴くらむ
百首歌奉りし時
入道左大臣
山おろしに鹿の音[※ね]高く聞ゆなり尾上[※おのへ]の月にさ夜や更けぬる
寂蓮法師
野分[※のわき]せし小野の草ぶし荒れはててみ山に深きさをしかの聲
題しらず
俊惠法師
嵐吹く眞葛[※まくず]が原に鳴く鹿はうらみてのみや妻を戀ふらむ
前中納言匡房
妻戀ふる鹿のたちどを尋ぬればさやまが裾に秋かぜぞ吹く
惠慶法師
たかまどの尾上にたてる鹿の音にことのほかにもぬるる袖かな
百首歌奉りし時、秋の歌
惟明親王
み山べの松のこずゑをわたるなり嵐にやどすさをしかの聲
晩聞鹿といふことをよみ侍りし
土御門内大臣
われならぬ人もあはれやまさるらむ鹿なく山の秋のゆふぐれ
百首歌よみ侍りけるに
攝政太政大臣
たぐへくる松の嵐やたゆむらむ尾上にかへるさを鹿の聲
千五百番歌合に
前大僧正慈圓
鳴く鹿の聲に目ざめてしのぶかな見はてぬ夢の秋の思ひを
家に歌合し侍りけるに、鹿をよめる
權中納言俊忠
夜もすがらつまどふ鹿の鳴くなべに小萩[※こはぎ]が原の露ぞこぼるる
題しらず
源道濟
寐覺めして久しくなりぬ秋の夜は明けやしぬらむ鹿ぞ鳴くなる
西行法師
小山田の庵[※いほ]ちかく鳴く鹿の音におどろかされて驚かすかな
白河院鳥羽におはしましけるに、田家秋興といへることを人人よみ侍りけるに
中宮大夫師忠
やまざとの稻葉の風に寐覺めして夜ふかく鹿の聲を聞くかな
郁芳門院の前栽合せによみ侍りける
藤原顯綱朝臣
ひとり寐やいとど寂しきさを鹿の朝臥す小野の葛のうら風
題しらず
俊惠法師
立田山梢まばらになるままに深くも鹿のそよぐなるかな
祐子内親王家歌合の後、鹿の歌よみ侍りけるに
權大納言長家
過ぎて行く秋の形見にさを鹿のおのが鳴く音も惜しくやあるらむ
攝政太政大臣家の、百首歌合に
前大僧正慈圓
わきてなど庵[※いほ]もる袖のしをるらむ稻葉にかぎる秋の風かは
題しらず
よみ人しらず
秋田もる假庵[※かりいほ]つくりわがをればころもて[※衣手]さむし露ぞ置きける
前中納言匡房
秋來ればあさけの風の手をさむみ山田の引板[※ひた]を任[※まか]せてぞ聞く
善滋爲政朝臣
時鳥鳴くさみだれに植ゑし田をかりがねさむみ秋ぞ暮れぬる
中納言家持
今よりは秋風寒くなりぬべしいかでかひとり長き夜を寐む
人麿
秋されば雁の羽風[※はかぜ]に霜降りて寒き夜な夜な時雨さへふる
さを鹿のつまどふ山の岡べなる早稻田[※わさだ]は刈らじ霜は置くとも
貫之
刈りてほす山田の稻は袖ひぢて植ゑしさ苗と見えずもあるかな
菅贈太政大臣
草葉には玉と見えつつわび人の袖のなみだの秋のしらつゆ
中納言家持
わが宿の尾花[※をばな]がすゑにしら露の置きし日よりぞ秋風も吹く
惠慶法師
秋といへば契り置きてや結ぶらむ淺茅[※あさぢ]が原の今朝のしら露
人麿
秋されば置くしら露にわがやどの淺茅[※あさぢ]が上葉[うはば]色づきにけり
天曆御歌
おぼつかな野にも山にも白露のなにごとをかは思ひおくらむ
後冷泉院、みこの宮と申しける時、尋(二)野花(一)といへるこころを
堀河右大臣
露繁み野邊を分けつつから衣濡れてぞかへる花のしづくに
閑庭露滋といふことを
基俊
庭のおもにしげる蓬[※よもぎ]にことよせて心のままに置ける露かな
白川院にて、野草露滋といへるこころを、をのこどもつかうまつりけるに
贈左大臣長實
秋の野の草葉おしなみ置く露に濡れてや人の尋ね行くらむ
百首歌奉りし時
寂蓮法師
物思ふそでより露やならひけむ秋風吹けば堪へぬものとは
秋の歌の中に
太上天皇
露は袖に物思ふ頃はさぞな置くかならず秋のならひならねど
野原より露のゆかりをたづね來てわが衣手に秋かぜぞ吹く
題しらず
西行法師
きりぎりす夜寒[※よさむ]に秋のなるままに弱るか聲の遠ざかり行く
守覺法親王五十首の歌の中に
藤原家隆朝臣
蟲の音もながき夜飽かぬふるさとになほ思ひそふ松風ぞ吹く
百首歌の中に
式子内親王
跡もなき庭の淺茅[※あさぢ]にむすぼほれ露のそこなる松蟲のこゑ
題しらず
藤原輔尹朝臣
秋風は身にしむばかり吹きにけり今や打つらむ妹[※いも]がさごろも
前大僧正慈圓
衣うつおとは枕にすがはらやふしみの夢をいく夜のこしつ
千五百番歌合に、秋の歌
權中納言公經
衣うつは山の庵[※いほ]のしばしばも知らぬゆめ路[※ぢ]にむすぶ手枕[※たまくら]
和歌所歌合に、月の下[※もと]に衣を搏[※う]つといふことを
攝政太政大臣
里は荒れて月やあらぬと恨みてもたれ淺茅生[※あさぢふ]に衣打つらむ
宮内卿
まどろまで眺めよとてのすさびかな麻のさ衣月にうつ聲
千五百番歌合に
藤原定家朝臣
秋とだにわすれむと思ふ月影をさもあやにくにうつ衣かな
擣衣をよみ侍ける
大納言經信
故里[※ふるさと]に衣うつとは行く雁や旅のそらにも鳴きて告ぐらむ
中納言兼輔の家の屏風の歌
貫之
雁なきて吹く風さむみ唐衣君待ちがてにうたぬ夜ぞなき
擣衣のこころを
藤原雅經
みよし野の山の秋風さ夜ふけてふるさと寒くころもうつなり
式子内親王
千[※ち]たびうつ砧[※きぬた]のおとに夢さめて物おもふ袖の露ぞくだくる
百首歌奉りし時
ふけにけり山の端ちかく月さえてとをち[※十市]の里に衣うつこゑ
九月十五夜、月隈なく侍りけるをながめあかして詠みける
道信朝臣
秋果つるさ夜ふけがたの月見れば袖ものこらず露ぞ置きける
百首歌奉りし時
藤原定家朝臣
ひとりぬる山鳥の尾のしだり尾に霜おきまよ床の月かげ
攝政太政大臣大將に侍ける時、月の歌五十首よませ侍りけるに
寂蓮法師
人目見し野邊のけしきはうらがれて露のよすがに宿る月かな
月の歌とてよみ侍りける
大納言經信
秋の夜はころもさむしろかさねても月の光にしく物ぞなき
九月ついたちがたに
花山院御歌
秋の夜ははや長月になりにけりことはりなれや寐覺せらるる
五十首歌奉りし時
寂蓮法師
村雨[※むらさめ]の露もまだひぬまきの葉に霧たちのぼる秋のゆふぐれ
秋の歌とて
太上天皇
さびしさはみ山の秋の朝ぐもり霧にしをるるまきの下露
河霧といふことを
左衞門督通光
あけぼのや川瀨の波の高瀨舟くだすか人の袖のあきぎり
堀河院の御時、百首歌奉りけるに、霧をよめる
權大納言公實
ふもとをば宇治の川霧たち籠めて雲居に見ゆる朝日山かな
題しらず
曾禰好忠
やま里に霧のまがきのへだてずばをち方人の袖も見てまし
淸原深養父
鳴く雁の音[※ね]をのみぞ聞く小倉[※をぐら]山霧たち晴るる時しなければ
人麿
垣ほ[※穗]なる荻の葉そよぎ秋風の吹くなるなべに雁ぞ鳴くなる
秋風に山飛び越ゆるかりがねのいや遠ざかり雲かくれつつ
凡河内躬恒
はつ雁の羽かぜすずしくなるなべにたれか旅寐[※たびね]の衣かへさぬ
よみ人しらず
雁がねは風にきほひて過ぐれどもわが待つ人のことづてもなし
西行法師
横雲の風にわかるるしののめに山飛びこゆる初雁のこゑ
白雲をつばさにかけて行く雁の門田[※かどた]のおもの友したふなる
五十首歌奉りし時、月前聞雁といふことを
前大僧正慈圓
大江山傾[※かたぶ]く月のかげさえて鳥羽田[※とばた]の面[※おも]に落つるかりがね
題しらず
朝惠法師
むら雲や雁の羽風[※はかぜ]に晴れぬらむ聲聞く空に澄める月かげ
皇太后宮大夫俊成女
吹きまよふ雲ゐをわたる初雁のつばさに馴らす四方[※よも]の秋風
詩に合せし歌の中に、山路秋行といふことを
家隆朝臣
秋風の袖に吹きまく峯の雲をつばさにかけて雁も鳴くなり
五十首歌奉りし時、菊籬月といへるこころを
宮内卿
霜を待つ籬[※まがき]の菊のよひの間に置きまよふいろ[※色]は山の端の月
鳥羽院御時、内裏より菊を召しけるに、奉るとて結びつけ侍りける
花園左大臣室
九重[※こゝのへ]にうつろひぬとも菊の花もとのまがきを思ひわするな
題しらず
權中納言定賴
今よりは又咲く花もなきものをいたくな置きそ菊の上の露
枯れ行く野邊のきりぎりすを
中務卿具平親王
秋風にしをるる野邊の花よりも蟲の音[※ね]いたくかれにけるかな
題しらず
大江嘉言
寐覺する袖さへさむく秋の夜のあらし吹くなり松蟲のこゑ
千五百番歌合に
前大僧正慈圓
秋を經てあはれも露も深草の里とふものは鶉[※うづら]なりけり
左衞門督通光
いり日さすふもとの尾花[※おばな]うちなびきたが秋風に鶉啼くらむ
題しらず
皇太后宮大夫俊成女
あだに散る露のまくらに臥しわびて鶉鳴くなり床の山かぜ
千五百番歌合に
とふ人もあらし吹きそふ秋は來て木の葉に埋む[※うづむ]宿の道しば[※柴]
色かはる露をば袖に置き迷ひうらがれてゆく野邊の秋かな
秋の歌とて
太上天皇
秋ふけぬ鳴けや霜夜[※しもよ]のきりぎりすやや影さむしよもぎふ[※蓬生]の月
百首歌奉りし時
攝政太政大臣
きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに衣かたしきひとりかも寐む
千五百番歌合に
春宮權大夫公繼
寐覺めする長月の夜の床さむみ今朝吹くかぜに霜や置くらんむ
和歌所にて、六首歌つかうまつりし時、秋の歌
前大僧正慈圓
秋ふかき淡路[※あはぢ]の島のありあけにかたぶく月をおくる浦かぜ
暮秋のこころを
長月もいくありあけになりぬらむ淺茅[※あさぢ]の月のいとどさびゆく
攝政太政大臣、大將に侍りける時、百首歌よませ侍りけるに
寂蓮法師
鵲[※かささぎ]の雲のかけはし秋暮て夜半には霜や冴えわたるらん
中務卿具平親王
櫻の紅葉はじめたるを見て
いつの間に紅葉しぬらむ山ざくら昨日が花の散るを惜しみし
紅葉透(レ)霧といふことを
高倉院御歌
薄霧のたちまふ山のもみぢ葉はさやかならねどそれと見えけり
秋の歌とてよめる
八條院高倉
神なびのみむろの梢いかならむなべての山も時雨する頃
最勝四天王院の障子に、鈴鹿川[※すゞかゞは]かきたる所
太上天皇
鈴鹿川ふかき木の葉に日かずへて山田の原の時雨をぞ聞く
入道前關白太政大臣家に、百首歌よみ侍けるに、紅葉を
皇太后宮大夫俊成
心とや紅葉はすらむたつた山松は時雨に濡れぬものかは
大井河に罷りて、紅葉見侍りけるに
藤原輔尹朝臣
思ふ事なくてぞ見ましもみぢ葉をあらしの山の麓ならずば
題しらず
曾禰好忠
入日さす佐保[※さほ]の山べのははそ原[※柞原]曇らぬ雨と木の葉降りつつ
※柞ハ樹木名。楢、橡抔。
百首歌奉りし時
宮内卿
立田山あらしや峯によわるらん渡らぬ水も錦絕えけり
左大將に侍りける時、家に百首歌合し侍りけるに、柞をよみ侍りける
攝政太政大臣
柞原しづくも色やかはるらん森のしたくさ[※下草]秋ふけにけり
定家朝臣
時わかぬ浪さへ色にいづみ川ははその森にあらし吹くらし
障子の繪に、荒れたる宿に紅葉散りたる所をよめる
俊賴朝臣
故鄕[※ふるさと]は散るもみぢ葉にうづもれて軒のしのぶに秋風ぞ吹く
百首歌奉りし時、秋の歌
式子内親王
桐の葉もふみ分けがたくなりにけり必ず人を待つとなけれど
題しらず
曾禰好忠
人は來ず風に木の葉は散りはてて夜な夜な蟲は聲よわるなり
守覺法親王、五十首歌によみ侍りける
春宮大夫公繼
もみぢ葉の色にまかせて常磐木も風にうつろふ秋の山かな
千五百番歌合に
家隆朝臣
露時雨もる山かげのした紅葉濡るとも折らむ秋のかたみに
題しらず
西行法師
松にはふ正木[※まさき]のはかづら散りにけり外山[※とやま]の秋は風すさぶらむ
法性寺入道前關白太政大臣家歌合に
前參議親隆
鶉鳴く交野[※かたの]に立てる櫨紅葉[はじもみぢ]散らぬばかりに秋かぜぞ吹く
※櫨ハはぜのき。櫨[黄櫨]ノ木。
百首歌奉りし時
二條院讚岐
散りかかる紅葉の色は深けれど渡れば濁るやまがは[※山川]の水
題しらず
柿本人麿
飛鳥川もみぢ葉ながる葛城の山の秋かぜ吹きぞしぬらし
權中納言長方
あすか川瀨瀨に波よるくれなゐや葛城山のこからしのかぜ
長月の頃、水無瀨[※みなせ]に日頃侍りけるに、嵐の山の紅葉淚にたぐふよし申し遣はして侍りける人の返事[※かへしこと]に
權中納言公經
もみぢ葉をさこそあらしの拂ふらめこの山もとも雨と降るなり
家に百首歌合し侍りける時
攝政太政大臣
立田姬[※たつたひめ]いまはのころのあき風に時雨をいそく人の袖かな
※龍田比賣神。記紀神話外。秋ノ神也。
千五百番歌合に
權中納言兼宗
行く秋の形見なるべきもみぢ葉は明日[※あす]は時雨と降りやまがはむ
紅葉見にまかりてよみ侍りける
前大納言公任
うち群れて散るもみぢ葉を尋ぬれば山路[※やまぢ]よりこそ秋はゆきけれ
津の國に侍りける頃、道濟が許に遣はしける
能因法師
夏草のかりそめにとて來しかども難波のうらに秋ぞ暮れぬる
暮の秋、思ふこと侍りける頃
かくしつつ暮れぬる秋と老いぬれどしかすがになほ物ぞ悲しき
五十首歌よませ侍りけるに
守覺法親王
身にかへていざさは秋を惜しみ見むさらでももろき露の命を
閏九月盡のこころを
前太政大臣
なべて世の惜しさにそへて惜しむかな秋より後の秋の限りを
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