新古今和歌集。卷第四秋歌上。原文。(窪田空穗ニ依ル戦前ノ校本)
新古今和歌集
底本ハ窪田空穗挍訂。校註新古今和歌集。是昭和十二年一月二十日印刷。同年同月二十五日發行。東京武藏野書院發行。已上奧書。凡例ニ曰ク≪流布本を底本とし、隱岐本、及び烏丸本新古今集と校合≫セリト。
新古今和歌集卷第四
秋哥上
題しらず
中納言家持
神なびのみむろの山の葛[※くず]かづらうら吹きかへす秋は來にけり
百首歌に、初秋のこころを
崇德院御歌
いつしかと荻[※おぎ]の葉むけの片[※かた]よりにそそや秋とぞ風も聞こゆる
藤原季通朝臣
この寝ぬる夜[※よ]の間に秋は來にけらし朝けの風の昨日[※きのふ]にも似ぬ
文治六年女御入内屏風に
後德大寺左大臣
いつも聞く麓の里とおもへども昨日にかはる山おろしの風
百首歌よみ侍りける中に
藤原家隆朝臣
昨日だに訪[※と]はんと思ひし津の國の生田[※いくた]のもりに秋は來にけり
最勝四天王院の障子に、高砂[※たかさこ]書きたるところ
藤原秀能
吹く風の色こそ見えね高砂の尾の上[※へ]の松に秋は來にけり
※高砂。是≪ 能の一。脇能物。世阿弥作。古今集仮名序の俗解に基づく。阿蘇の神主友成が、播磨国高砂の浦で、老夫婦に会って高砂の松と住吉すみのえの松が相生あいおいである故事を聞き、二人に誘われて津の国住吉に至り、住吉明神の来現を仰ぐという筋。和歌の徳をたたえ、かつ常磐の松に象徴される国と民の繁栄を主題とする。その一部は婚礼などの祝儀で謡われる。(大辞林第三版。閲覧10.29.2019.)≫
百首歌奉りし時
皇太后宮大夫俊成
伏見山松のかげより見わたせばあくる田のもに秋風ぞふく
守覺法親王、五十首歌よませ侍りける時
家隆朝臣
明けぬるか衣手寒しすがはらや伏見の里の秋の初風
千五百番歌合に
攝政太政大臣
深草[※ふかくさ]の露のよすがをちぎりにて里をばか[※離]れず秋は來にけり
右衞門督通具
あはれまたいかに忍ばむ袖のつゆ野原の風に秋は來にけり
源具親
しきたへの枕のうへに過ぎぬなり露を尋ぬる秋のはつかぜ
顯昭法師
みづぐきの岡の葛葉も色づきて今朝うらがなし秋のはつ風
越前
秋はただこころより置くゆふ露を袖のほかとも思ひけるかな
五十首歌奉りし時、秋の歌
藤原雅經
昨日までよそにしのびし下荻[※したおぎ]のすゑ葉の露にあき風ぞ吹く
太神宮に奉りし五首歌中に
太上天皇
あさ露のをかのかやはら[※茅原]山風にみだれてものは秋ぞかなしき
※上一首據烏丸本
題しらず
西行法師
おしなべて物をおもはぬ人にさへ心をつくる秋のはつかぜ
あはれいかに草葉の露のこぼるらん秋風立ちぬ宮城野の原
崇德院に、百首歌奉りし時
皇太后宮大夫俊成
みしぶつき植ゑし山田に引板[ひた]はへて又袖ぬらす秋は來にけり
※引板—鳴子[※底本頭註]
中納言中將に侍りける時、家に、山家早秋といへる心をよませ侍りけるに
法性寺入道前關白太政大臣
朝霧や立田の山の里ならで秋來にけりとたれか知らまし
題しらず
中務卿具平親王
夕暮は荻吹く風のおとまさる今はたいかに寐覺せられむ
後德大寺左大臣
夕されば荻の葉むけを吹く風にことぞともなく淚落ちけり
崇德院に、百首歌奉りける時
皇太后宮大夫俊成
荻の葉も契ありてや秋風のをとづれそむるつまとなるらむ
題しらず
七條院權大夫
秋來ぬと松吹く風も知らせけりかならず荻のうは葉ならねど
題を探りて、これかれ歌よみけるに、信太[※しのた]の杜の秋風をよめる
藤原經衡
日を經[※へ]つつ音[※おと]こそまされいづみなる信太の森の千枝[※ちえ]の秋かぜ
百首歌に
式子内親王
うたたねの朝けの袖にかはるなりならすあふぎの秋の初風
題しらず
相模
手もたゆくならす扇[※あふぎ]のおきどころわするばかりに秋風ぞ吹く
大貮三位
秋風は吹きむすべども白露のみだれて置かぬ草の葉ぞなき
曾禰好忠
朝ぼらけ荻のうは葉の露みればややはださむし秋のはつかぜ
小野小町
吹きむすぶ風はむかしの秋ながらありしにも似ぬ袖の露かな
延喜御時、月次屏風に
紀貫之
大空をわれもながめて彥星の妻待つ夜さへひとりかも寝む
題しらず
山部赤人
この夕べ降りつる雨は彥星のと渡るふねのかい[※櫂]のしづくか
權大納言長家
年を經てすむべき宿のいけ水は星合のかげも面馴[※おもな]れやせむ
花山院御時、七夕の歌つかうまつりけるに
藤原長能
袖ひぢてわが手に結[むす]ぶ水のおも[※面]にあまつ星合の空を見るかな
※ひぢて、濡らして。むすぶ、掬う。參照古今春歌。
七月七日、七夕祭する所にてよみける
祭主輔親
雲間よりほしあひの空を見渡せばしづごころなき天の川波
七夕の歌とてよみ侍りける
大宰大貮高遠
たなばたの天の羽衣うちかさね寝る夜すずしき秋風ぞ吹く
小辨
たなばたの衣のつまはこころして吹きなかへしそ秋の初風
皇太后宮大夫俊成
たなばたのと渡る舟の梶[※かぢ]の葉にいく秋かきつ露の玉づさ
百首歌の中に
式子内親王
ながむれば衣手凉しひさかたの天の河原の秋の夕ぐれ
家に百首歌よみ侍りける時
入道前關白太政大臣
いかばかり身にしみぬらむたなばたのつま待つ宵の天の川風
七夕のこころを
權中納言公經
星あひの夕べすずしきあまの河もみぢの橋をわたる秋かぜ
待賢門院堀川
たなばたのあふ瀨絕えせぬ天の河いかなる秋か渡り初めけむ
女御徽子女王
わくらばに天の川浪よるながら明くる空にはまかせずもがな
大中臣能宣朝臣
いとどしく思ひ消[※け]ぬべしたなばたの別れのそでにおける白露
中納言兼輔家屏風に
貫之
たなばたは今やわかるるあまの河かは霧立ちて千鳥鳴くなり
堀河院御時、百首歌の中に、萩[※はぎ]をよみ侍りける
前中納言匡房
河水[※かはみづ]に鹿のしがらみかけてけり浮てながれぬ秋萩のはな
題しらず
從三位賴政
狩衣われとは摺[※す]らじ露しげき野原の萩のはなにまかせて
權僧正永緣
秋萩を折らでは過ぎじ月くさの花ずりごろも露に濡るとも
守覺法親王、五十首歌よませ侍りけるに
顯昭法師
萩が花まそでにかけて高圓[※たかまど]の尾のへの宮に領布[※ひれ]ふるやたれ
※領布[ひれ]ハ是≪比礼とも書く。大化改新前から奈良時代にかけて用いられた女性装身具の一つ。両肩に掛けて左右へ垂らした長い帯状の布帛 (ふはく) 。奈良時代以来、装飾として礼服、朝服に使用され、平安時代に入って、一般には用いられなくなったが、女房装束として晴れ着には裙帯 (くんたい) と合せて着用された。地は紗、綾で、色は白や櫨 (はじ) だん、楝 (おうち) だんが多い。(ブリタニカ国際大百科事典小項目事典。閲覧10.29.2019)≫
題しらず
祐子内親王家紀伊
置く露もしづ心なく秋風にみだれて咲ける眞野[※まの]の萩原[※はぎはら]
人麿
秋萩の咲き散る野邊の夕露に濡れつつ來ませ夜は更けぬとも
中納言家持
さを鹿の朝たつ野邊の秋萩に玉[※たま]と見るまで置けるしらつゆ
凡河内躬恒
秋の野を分け行く露にうつりつつわが衣手は花の香[※か]ぞする
小野小町
たれをかもまつちの山の女郎花[※をみなへし]秋とちぎれる人ぞあるらし
藤原元眞
女郎花野邊のふるさとおもひ出でて宿りし蟲の聲や戀しき
千五百番歌合に
左近中將良平
夕さればたま[※玉]散る野邊の女郎花枕[※まくら]さだめぬ秋風ぞ吹く
藤袴をよめる
公猷法師
ふぢばかまぬし[※主]はたれともしら露のこぼれて匂ふ野べの秋風
崇德院に、百首歌奉りける時
淸輔朝臣
薄霧のまがきの花の朝しめり秋は夕べとたれかいひけん
入道前關白太政大臣、右大臣に侍りける時、百首歌よませ侍りけるに
皇太后宮大夫俊成
いとかくや袖はしをれし野邊に出でて昔も秋の花は見しかど
筑紫に侍りける時、秋の野を見てよみ侍りける
大納言經信
花見にと人やりならぬ野邊に來て心のかぎりつくしつるかな
題しらず
曾禰好忠
おきてみ[※見]むと思ひし程に枯れにけり露よりけなる朝顏[※あさかほ]の花
貫之
山がつの垣ほに咲ける朝顏はしののめ[※東雲。曉]ならで逢ふよしもなし
坂上是則
うらがるる淺茅[※あさぢ]が原のかるかやの亂れて物を思ふころかな
人麿
さを鹿のいる野のすすき初尾花[※はつをばな]いつしか妹[※いも]が手枕[※たまくら]にせむ
よみ人しらず
をぐら山ふもとの野邊の花薄[※はなすゝき]ほのかに見ゆる秋のゆふぐれ
女御徽子女王
ほのかにも風は吹かなむ花薄むすぼほれつつ露にぬるとも
百首歌に
式子内親王
花薄まだ露ふかし穗に出でてながめじとおもふ秋の盛りを
攝政太政大臣家、百首歌よませ侍りけるに
八條院六條
野邊ごとにおとづれわたる秋風をあだにもなびく花薄かな
和歌所歌合に、朝草花といふことを
左衞門督通光
明けぬとて野邊より山に入[※い]る鹿のあと吹きおくる萩の下風
題しらず
前大僧正慈圓
身にとまる思ひを荻のうは葉にてこのごろかなし夕ぐれの空
崇德院御時、百首歌召しけるに、荻を
大藏卿行宗
身のほどをおもひつづくる夕ぐれの荻の上葉に風わたるなり
秋の歌よみ侍りけるに
源重之女
秋はただものをこそ思へ露かかる荻のうへ吹く風につけても
堀河院に、百首歌奉りける時
藤原基俊
秋風のややはださむく吹くなべに荻の上葉のおとぞかなしき
百首歌奉りし時
攝政太政大臣
荻の葉に吹けば嵐の秋なるを待ちける夜半[※よは]のさをしか[※鹿]の聲
おしなべて思ひしことのかずかずになほ色まさる秋の夕暮
題しらず
暮れかかるむなしき空の秋を見ておぼえずたまる袖の露かな
家に百首歌合し侍りけるに
物おもはでかかる露やは袖に置くながめてけりな秋の夕暮
をのこ[※男]ども、詩を作りて歌に合せ侍りしに山路秋行といふことを
前大僧正慈圓
み山路[やまぢ]やいつより秋の色ならむ見ざりし雲のゆふぐれの空
題しらず
寂蓮法師
さびしさはその色としもなかりけりまき立つ山の秋の夕暮
西行法師
心なき身にもあはれ[※哀れ]は知られけりしぎたつ澤の秋の夕ぐれ
西行法師、すすめて、百首歌よませ侍りけるに
藤原定家朝臣
見わたせば花も紅葉もなかりけり浦のとまやの秋の夕ぐれ
五十首歌奉りし時
藤原雅經
たへてやは思ひありともいかがせむ葎[※むぐら]のやどの秋のゆふぐれ
※葎ハ是野邊ノ蔓草八重葎やえむぐら。神葎かなむぐら抔。
秋の歌とてよみ侍りける
宮内卿
思ふことさしてそれとはなきものを秋の夕べを心にぞとふ
鴨長明
秋風の到[※いた]り到[※いた]らぬ袖はあらじただわれからの露の夕暮
西行法師
おぼつかな秋はいかなる故のあればすずろに物の悲しかるらむ
式子内親王
それながら昔にもあらぬ秋風にいとどながめをしづの苧環[※をだまき]
題しらず
藤原長能
ひぐらしのなく夕暮ぞ憂かりけるいつもつきせぬ思ひなれども
和泉式部
秋來れば常盤の山の松風もうつるばかりに身にぞしみける
曾禰好忠
秋風の四方[※よも]に吹き來る音羽[※おとは]山なにの草木かのどけかるべき
相模
あかつき[※暁]の露は淚もとどまらで恨むる風の聲ぞのこれる
法性寺入道前關白太政大臣家の歌合に、野風
藤原基俊
高圓[※たかまど]の野路[※のぢ]のしの[※篠]原末[※すゑ]さわぎそそや木がらし今日吹きぬなり
千五百番歌合に
右衞門督通具
深草の里の月かげさびしさもすみこしままの野邊の秋風
五十首歌奉りし時、杜間月といふことを
皇太后宮大夫俊成女
大荒木[※おほあらき]の森の木の間をもりかねて人だのめなる秋の夜の月
守覺法親王、五十首歌よませ侍りけるに
藤原家隆朝臣
有明の月待つやどの袖のうへに人だのめなる宵のいなづま
攝政太政大臣家、百首歌合に
藤原有家朝臣
風わたる淺茅[※あさぢ]がすゑの露にだにやどりもはてぬ宵のいなづま
水無瀨[※みなせ]にて、十首歌奉りし時
左衞門督通光
武藏野や行けども秋のはてぞなきいかなる風の末[※すゑ]に吹くらむ
百首歌奉りし時、月の歌に
前大僧正慈圓
いつまでかなみだくもらで月は見し秋待ちえても秋ぞ戀しき
式子内親王
ながめわびぬ秋より外[※ほか]の宿もがな野にも山にも月やすむらむ
題しらず
圓融院御歌
月影の初秋風と吹けゆけばこころづくしにものをこそ思へ
三条院御歌
あしびきの山のあなたに住む人は待たでや秋の月を見るらむ
雲間微月といふことを
堀河院御歌
しきしまや高圓[※たかまど]山の雲間よりひかりさしそふゆみはりの月
題しらず
堀河右大臣
人よりも心のかぎりながめつる月はたれともわかじものゆゑ
橘爲仲朝臣
あやなくも曇らぬ宵をいとふかなしのぶの里の秋の夜の月
法性寺入道前關白太政大臣
風吹けば玉散[※たまち]る萩のした露にはかなくやどる野邊の月かな
從三位賴政
今宵たれすず吹く風を身にしめて吉野の嶽[※たけ]の月を見るらむ
法性寺入道前關白太政大臣家に、月の歌あまたよみ侍りけるに
大宰大貮重家
月見れば思ひぞあへぬ山高みいづれの年の雪にかあるらむ
和歌所歌合に、湖邊月といふことを
藤原家隆朝臣
鳰[※にほ]の海や月のひかりのうつろへば浪の花にも秋は見えけり
※鳰[にお]ハ是水鳥ノ名。かいつぶり。
百首歌奉りし時、秋の歌の中に
前大僧正慈圓
ふけゆかば煙[※けふり]もあらじしほがまのうら[※鹽竈の浦]みなはてそ秋の夜の月
題しらず
皇太后宮大夫俊成女
ことわりの秋にはあへぬ淚かな月の桂[※かつら]もかはる光に
藤原家隆朝臣
ながめつつ思ふも寂しひさかたの月のみやこの明けがたの空
五十首歌奉りし時、月前草花
攝政太政大臣
故鄕[※ふるさと]のもとあらのこ萩咲きしより夜な夜な庭の月ぞうつろふ
建仁元年三月歌合に、山家秋月といふことをよみ侍りし
時しもあれふるさと人はおともせでみ山の月に秋風ぞ吹く
八月十五夜、和歌所歌合に、深山月といふことを
深からぬ外山[※とやま]の庵[※いほ]のねざめだにさぞな木の間の月はさびしき
月前松風
寂蓮法師
月は猶もらぬ木の間も住吉の松をつくして秋風ぞ吹く
鴨長明
ながむればちぢにもの思ふ月にまたわが身一つの嶺の松かぜ
山月といふことをよみ侍りける
藤原秀能
あしびきの山路[※やまぢ]の苔の露のうへにねざめ夜深き月を見るかな
八月十五夜、和歌所歌合に、海邊秋月といふことを
宮内卿
心ある雄島[※をしま]の海士[※あま]のたもとかな月宿れとは濡れぬものから
宜秋門院丹後
わすれじな難波の秋の夜半[※よは]の空こと浦にすむ月は見るとも
鴨長明
松島やしほ汲む海士[※あま]の秋の袖月はもの思ふならひのみかは
題しらず
七條院大納言
こと問はむ野島が崎のあまごろも波と月とにいかがしをるる
和歌所の歌合に、海邊月を
藤原家隆朝臣
秋の夜の月やをじまのあまのはら明けがたちかき沖の釣舟
題しらず
前大僧正慈圓
憂き身にはながむるかひもなかりけり心に曇る秋の夜の月
大江千里
いづくにか今宵の月の曇るべきをぐらの山も名をやかふらむ
源道濟
心こそあくがれにけれ秋の夜のよふかき[※夜深き]月をひとり見しより
上東門院小少將
かはらじな知るも知らぬも秋の夜の月待つほどの心ばかりは
和泉式部
たのめたる人はなけれど秋の夜は月見てぬべきここちこそせね
月を見て遣はしける
藤原範永朝臣
見る人の袖をぞしぼる秋の夜は月にいかなるかげか添ふらむ
返し
相模
身に添へるかげとこそ見れ秋の月袖にうつらぬ折しなければ
永承四年、内裏歌合に
大納言經信
月影の澄みわたるかな天の原雲吹きはらふ夜半のあらしに
題しらず
左衞門督通光
たつた山夜半にあらしの松吹けば雲にはうときみねの月かげ
崇德院に、百首歌奉りけるに
左京大夫顯輔
秋風にたなびく雲のたえまよりもれ[※洩れ]出づる月の影のさやけさ
題しらず
道因法師
山の端に雲のよこぎる宵の間は出でても月ぞなを待たれける
殷富門院大輔
眺めつつ思ふに濡るるたもとかないくよかは見む秋の夜の月
式子内親王
宵の間にさてもねぬべき月ならば山の端近きものは思うはじ
ふくるまでながむればこそ悲しけれ思ひもいれじ秋の夜の月
五十首歌奉りし時
攝政太政大臣
雲はみなはらひはてたる秋風を松にのこして月を見るかな
家に月五十首歌よませ侍りける時
月だにもなぐさめがたき秋の夜のこころも知らぬ松の風かな
藤原定家朝臣
さむしろや待つ夜の秋の風ふけて月をかたしく宇治の橋姬
題しらず
右大將忠經
秋の夜のながきかひこそなかりけれ待つにふけぬる有明の月
五十首歌奉りし時、野徑月
攝政太政大臣
行くすゑは空もひとつのむさし野に草の原より出づる月かげ
雨後月
宮内卿
月をなほ待つらむものかむらさめの晴れゆく雲のすゑの里人
題しらず
右衞門督通具
秋の夜は宿かる月も露ながら袖に吹きこす荻のうはかぜ
源家長
秋の月しのに宿かる影たけて小笹[※をさゝ]が原に露ふけにけり
元久元年八月十五夜、和歌所にて、田家見月といふ事を
前太政大臣
風わたる山田のいほをもる月や穗浪[※ほなみ]にむすぶ氷りなるらむ
和歌所歌合に、田家月を
前大僧正慈圓
雁の來る伏見の小田に夢覺めて寝ぬ夜の庵[※いほ]に月を見るかな
皇太后宮大夫俊成女
稻葉[※いなば]吹く風にまかせて住む庵[※いほ]は月ぞまことにもりあかしける
題しらず
あくがれて寝ぬ夜の塵のつもるまで月にはらはぬ床のさむしろ
大中臣定雅
秋の田のかりねの床のいなむしろ月やどれともしける露かな
崇德院御時、百首歌召しけるに
左京大夫顯輔
秋の田に庵[※いほ]さす賤[※しづ]の苫[※とま]をあらみ月とともにやもり明かすらむ
百首歌奉りし時、秋の歌に
式子内親王
秋の色はまがきにうとくなりゆけど手枕[※たまくら]馴るるねやの月かげ
秋の歌の中に
太上天皇
秋の露やたもとにいたく結ふらむ長き夜飽かずやどる月かな
千五百番歌合に
左衞門督通光
さらにまた暮をたのめと明けにけり月はつれなき秋の夜の空
經房卿家歌合に、曉月のこころをよめる
二條院讚岐
おほかたの秋のねざめの露けくばまた誰[※た]が袖にありあけの月
五十首歌奉りし時
藤原雅經
拂ひかねさこそは露のしげからめ宿るか月の袖のせばきに
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