新古今和歌集。卷第三夏歌。原文。(窪田空穗ニ依ル戦前ノ校本)
新古今和歌集
底本ハ窪田空穗挍訂。校註新古今和歌集。是昭和十二年一月二十日印刷。同年同月二十五日發行。東京武藏野書院發行。已上奧書。凡例ニ曰ク≪流布本を底本とし、隱岐本、及び烏丸本新古今集と校合≫セリト。
新古今和歌集卷第三
夏哥
題しらず
持統天皇御歌
春過ぎて夏來にけらししろたへの衣ほすてふあまのかぐ山
素性法師
惜しめどもとまらぬ春もあるものをいはぬにきたる夏衣かな
更衣をよみ侍りける
前大僧正慈圓
散りはてて花のかげなき木のもとにたつことやすき夏衣かな
春を送りて昨日[※きのふ]の如し、といふことを
源道濟
夏衣[※なつころも]きていくかにかなりぬらむ殘れる花は今日も散りつつ
夏の始の歌とてよみ侍りける
皇太后宮大夫俊成女
折[※をり]ふしもうつればかへつ世のなかの人のこころの花染[※はなぞめ]の袖
卯花如(レ)月といへるこころをよませ給ひける
白河院御歌
卯の花のむらむら咲ける垣根をば雲間の月のかげかとぞ見る
題しらず
大宰大貮重家
卯の花の咲きぬる時はしろたへの波もてゆへる垣根とぞ見る
齊院に侍りける時、神だちにて
式子内親王
忘れめやあふひを草にひき結びかりねの野邊の露のあけぼの
※神だちハ神館[かむだち]。齊館[いみだち]。茲ニ物忌ス。
葵[※あふひ]をよめる
小侍從
いかなればそのかみ山のあふひ草年は經[※ふ]れども二葉[※ふたば]なるらむ
最勝四天王院の障子に、淺香[※あさか]の沼かきたる所
藤原雅經朝臣
野邊はいまだ淺香の沼に刈る草のかつみるままに茂る頃かな
崇德院に、百首歌奉りける時、夏歌
待賢門院安藝
櫻あさのをふの下草[※したくさ]しげれただあかで別れし花の名なれば
題しらず
曾禰好忠
花散りし庭の木の葉もしげりあひてあまてる月の影ぞ稀なる
かりにくと恨みし人の絕えにしを草葉につけてしのぶ頃かな
藤原元眞
夏草は茂りにけりなたまぼこ[※玉鉾]の道行き人もむすぶばかりに
延喜御歌
夏草は茂りにけれどほととぎすなどわがやどに一聲もせぬ
人麿
なく聲をえやは忍ばぬほととぎす初卯[※はつう]の花のかげにかくれて
賀茂に詣でて侍りけるに、人の時鳥鳴かなむと申しけるあけぼの、片岡の梢[※こすゑ]をかしく見え侍りければ
紫式部
郭公こゑ待つほどはかた岡の森のしづくに立ちや濡れまし
賀茂にこもりたりける曉、郭公の鳴きければ
辨乳母
郭公み山出づなるはつこゑをいづれの里のたれか聞くらむ
題しらず
よみ人しらず
五月山[※さつきやま]卯の花月夜ほととぎす聞けども飽かずまた鳴かむかも
おのがつま戀ひつつ鳴くや五月[※さつき]やみ神南備[※かむなび]山のやまほととぎす
中納言家持
時鳥一[※ひと]こゑ鳴きていぬる夜はいかでか人のいをやすくぬる
大中臣能宣朝臣
時鳥鳴きつつ出づるあしびきのやまと撫子咲きにけらしも
大納言經信
二聲[※ふたこゑ]と鳴きつと聞かば時鳥ころもかたしきうたた寐はせむ
待(レ)客聞(二)郭公(一)といへるこころを
白河院御歌
時鳥まだうちとけぬしのびねは來ぬ人を待つわれのみぞ聞く
題しらず
花園左大臣
聞きてしも猶ぞ寐られぬほととぎす待ちし夜頃の心ならひに
神だち[※神館]にて時鳥を聞きて
前中納言匡房
卯の花のかきねならねど時鳥月の桂[※かつら]のかげになくなり
入道前關白、右大臣に侍りける時、百首歌よませ侍りける時、ほととぎすの歌
皇太后宮大夫俊成
むかし思ふ草のいほりのよるの雨に淚な添へそ山ほととぎす
雨そそぐ花たちばな[※橘]に風すぎてやまほととぎす[※山時鳥]雲に鳴くなり
題しらず
相模
聞かでただ寐なましものを時鳥なかなかなりや夜半[※よは]の一聲
紫式部
誰[※た]が里も訪[※と]ひもや來ると時鳥こころのかぎり待つぞわびしき
寛治八年、前太政大臣高陽院歌合に、郭公を
周防内侍
夜をかさね待ちかね山のほととぎす雲居のよそに一聲[※ひとこゑ]ぞ聞く
海邊時鳥といふことをよみ侍りける
按察使公通
二聲[※ふたこゑ]と聞かずば出でじ郭公いく夜あかしの泊[※とまり]なりとも
百首歌奉りし時、夏の歌の中に
民部卿範光
郭公なほ一聲[※ひとこゑ]はおもひ出でよ老曾[※おいそ]の森の夜半のむかしを
時鳥をよめる
八條院高倉
ひとこゑはおもひぞあへぬ郭公たそがれどきの雲のまよひに
千五百番歌合に
攝政太政大臣
有明[※ありあけ]のつれなく見えし月は出でぬ山時鳥待つ夜ながらに
顯昭法師
時鳥昔をかけてしのべとや老いの寐覺に一聲ぞする
後德大寺左大臣家に、十首歌よみ侍けるに、よみて遣はしける
皇太后宮大夫俊成
わが心いかにせよとてほととぎす雲間の月の影に鳴くらむ
郭公のこころをよみ侍りける
前太政大臣
時鳥鳴きているさの山の端[※は]は月ゆゑよりもうらめしきかな
權中納言親宗
有明の月は待たぬに出でぬれどなほ山ふかきほととぎすかな
杜間郭公といふことを
藤原保季朝臣
過ぎにけり信太[※しのた]の森の時鳥絕えぬしづくを袖にのこして
題しらず
藤原家隆朝臣
いかにせむ來ぬ夜あまたの郭公またじと思へばむらさめの空
百首歌奉りしに
式子内親王
聲はして雲路[※くもぢ]にむせぶほととぎす淚やそそぐ宵のむらさめ
千五百番歌合に
權中納言公經
ほととぎす猶疎まれぬ心かな汝[※な]がなく里のよその夕ぐれ
題しらず
西行法師
聞かずともここをせにせむほととぎす山田の原の杉のむらだち
郭公ふかき峰より出でにけり外山[※とやま]のすそに聲の落ち來る
山家暁郭公といへるこころを
後德大寺左大臣
をざさふく賤[※しづ]のまろ屋のかりの戶をあけがたに鳴く時鳥かな
五首歌人人によませ侍りける時、夏の歌とてよみ侍りける
攝政太政大臣
うちしめりあやめぞかをる時鳥なくやさつき[※皐月]の雨のゆふぐれ
述懷によせて百首歌よみ侍りける時
皇太后宮大夫俊成
今日はまた菖蒲[※あやめ]のねさへかけ添へて亂れぞまさる袖のしら玉
五月五日藥玉[※くすたま]つかはして侍りける人に
大納言經信
あかなくに散りにし花のいろいろは殘りにけりな君が袂に
局[※つぼね]ならびに住みはべりける頃、五月六日、もろともにながめあかして、朝[※あした]に長き根をつつみて紫式部に遣はしける
上東門院小少將
なべて世のうきになかるる菖蒲草[※あやめくさ]今日までかかるねはいかが見る
返し
紫式部
何ごととあやめはわかで今日もなほ袂に餘るねこそ絕えせね
山畦早苗といへる心を
大納言經信
さ苗とる山田のかけひ漏りにけりひくしめ繩に露ぞこぼるる
釋阿に九十賀給はせ侍りし時、屏風に、五月雨
攝政太政大臣
小山田[をやまだ]にひくしめ繩のうちはへて朽ちやしぬらむ五月雨の頃
題しらず
伊勢大輔
いかばかり田子の藻裾[※もすそ]もそぼつらむ雲間も見えぬ頃の五月雨
大納言經信
みしま江の入江の眞菰[※まこも]雨降ればいとどしをれて刈る人もなし
前中納言匡房
眞菰かる淀の澤水[※さはみづ]ふかけれどそこまで月のかげはすみけり
雨中木繁といふこころを
藤原基俊
玉がしは茂りにけりなさみだれに葉守[※はもり]の神のしめはふるまで
百首歌よませ侍りけるに
入道前關白太政大臣
さみだれはをふの河原の眞菰草[※まこもくさ]からでや波のしたに朽ちなむ
五月雨のこころを
藤原定家朝臣
たまぼこ[※玉鉾]の道ゆき人のことづても絕えてほどふるさみだれの空
荒木田氏良
さみだれの雲のたえまをながめつつ窓より西に月を待つかな
百首歌奉りし時
前大納言忠良
あふち咲くそともの木䕃つゆをちて五月雨晴るる風わたるなり
五十首歌奉りし時
藤原定家朝臣
さみだれの月はつれなきみ山よりひとりも出づる時鳥かな
大神宮に奉りし夏の歌の中に
太上天皇
郭公くもゐのよそに過ぎぬなり晴れぬおもひのさみだれの頃
建仁元年三月歌合に、雨後時鳥といへるこころを
二條院讚岐
五月雨の雲間の月の晴れゆくをしばし待ちけるほととぎすかな
題しらず
皇太后宮大夫俊成
たれかまた花橘におもひ出でむわれもむかしの人となりなば
右衞門督通具
行くすゑをたれしのべとて夕風に契りかおかむ宿のたちばな
百首歌奉りし時、夏の歌
式子内親王
かへり來ぬむかしを今とおもひ寐の夢の枕に匂ふたちばな
前大納言忠良
たちばなの花散る軒のしのぶ草むかしをかけて露ぞこぼるる
五十首歌奉りし時
前大僧正慈圓
さつき[※皐月]やみみじかき夜半[※よは]のうたたねに花橘のそでに涼しき
題しらず
よみ人しらず
尋ねべき人は軒端[※のきば]のふるさとにそれかとかをる庭のたちばな
時鳥はなたちばなの香[※か]をとめて鳴くはむかしの人や戀しき
皇太后宮大夫俊成女
橘のにほふあたりのうたたねは夢もむかしの袖の香[※か]ぞする
藤原家隆朝臣
ことしより花咲き初むる橘のいかでむかしの香に匂ふらむ
守覺法親王、五十首歌よませ侍りける時
藤原定家朝臣
夕ぐれはいづれの雲のなごりとて花たちばなに風の吹くらむ
橘に郭公の鳴ければよめる
増基法師
ほととぎす花橘の香ばかりに鳴くや昔の名殘なるらむ
堀河院御時、きさいの宮にて、閏五月時鳥といふことを、をのこども仕うまつりけるに
權中納言國信
時鳥さつき[※皐月]みなづき[※水無月]わき[※分き]かねてやすらふ聲ぞそらに聞こゆる
題しらず
白河院御歌
庭のおもは月漏らぬまでなりにけり梢[※こずゑ]に夏のかげしげりつつ
惠慶法師
わが宿のそともに立てる楢[※なら]の葉のしげみに凉[※すゞ]む夏は來にけり
攝政太政大臣家百首歌合に、鵜河をよみ侍りける
前大僧正慈圓
鵜[※う]飼[※かひ]舟[※ぶね]あはれとぞ見るもののふのやそ宇治川の夕闇[※ゆふやみ]のそら
寂蓮法師
鵜飼舟高瀨[※たかせ]さし越す程なれやむすぼほれゆくかがり火の影
千五百番歌合に
皇太后宮大夫俊成
大井川かがりさし行く鵜飼舟いく瀨に夏の夜を明かすらむ
藤原定家朝臣
ひさかたの中[※なか]なる川の鵜飼舟いかに契りてやみを待つらん
百首歌奉りし時
攝政太政大臣
いさり火の昔の光ほの見えて蘆屋[※あしや]の里に飛ぶほたるかな
式子内親王
窓近き竹の葉すさぶ風の音[※ね]にいとどみじかきうたたねの夢
鳥羽にて、竹風夜凉といふことを、人人つかうまつりしに
春宮權大夫公繼
窓ちかきいささ群竹[※むらたけ]風吹けば秋におどろく夏の夜の夢
五十首歌奉りし時
前大僧正慈圓
むすぶ手にかげみだれゆく山の井のあかでも月の傾[※かたぶ]きにけり
最勝四天王院の障子に、淸見關[※きよみがせき]かきたる所
權大納言通光
淸見潟[※きよみがた]月はつれなき天[※あま]の戶を待たでもしらむ波の上かな
家百首歌合に
攝政太政大臣
かさねても凉しかりけり夏衣うすきたもとにやどる月かげ
攝政太政大臣家にて詩歌を合せけるに、水邊秋自凉といふことをよみける
有家朝臣
凉しさは秋やかへりてはつせ川ふる川の邊の杉の下[※した]かげ
題しらず
西行法師
道の邊に淸水流るる柳かげしばしとてこそ立ちとまりつれ
よられつる野もせの草のかげろひてすずしく曇る夕立の空
崇德院に、百首歌奉りける時
藤原淸輔朝臣
おのづから凉しくもあるか夏衣ひ[※日]もゆふぐれの雨のなごりに
千五百番歌合に
權中納言公經
露すがる庭の玉笹[※たまさゝ]うち靡びきひとむら過ぎぬ夕立の雲
雲隔(二)遠望(一)といへるこころをよみ侍ける
源俊賴朝臣
十市[※とをち]には夕立すらしひさかたの天の香具山雲がくれ行く
夏月をよめる
從三位賴政
庭の面[※おも]はまだかはかぬに夕立の空さりげなく澄める月かな
百首歌の中に
式子内親王
ゆふだちの雲もとまらぬ夏の日のかたぶく山に日ぐらしの聲
千五百番歌合に
前大納言忠良
夕づく日さすや庵[いほり]の柴の戶にさびしくもあるかひぐらしの聲
百首歌奉りし時
攝政太政大臣
秋近きけしきの森に鳴く蟬のなみだの露や下葉染むらむ
二条院讚岐
鳴く蟬のこゑも凉しきゆふぐれに秋をかけたる森のした露
螢の飛びのぼるを見てよみ侍りける
壬生忠見
いづちとかよるは螢ののぼるらむ行く方知らぬ草のまくらに
五十首歌奉りし時
攝政太政大臣
螢飛ぶ野澤にしげるあしの根の夜な夜なしたにかよふ秋風
刑部卿賴輔歌合し侍りけるに、納凉をよみ侍りける
俊惠法師
ひさぎおふる片山䕃にしのびつつ吹きけるものを秋の夕風
瞿麥露滋といふことを
高倉院御歌
白露の玉もて結へるませのうちに光さへ添ふとこなつ[※常夏]の花
夕顏をよめる
前太政大臣
白露のなさけ置きける言の葉やほのぼの見えし夕顏の花
百首歌よみ侍りける中に
式子内親王
たそがれの軒端の荻[※おぎ]にともすればほに出でぬ秋ぞ下[※した]にこととふ
夏の歌とてよみ侍りける
前大僧正慈圓
雲まよふ夕べに秋をこめながら風も穗に出でぬ荻のうへかな
太神宮に奉りし夏の歌の中に
太上天皇
山里のみねのあまぐもとだえしてゆふべ凉しきまきのした露
文治六年、女御入内屏風に
入道前關白太政大臣
岩井汲むあたりの小笹[※をさゝ]たま越えてかつがつ結ぶ秋のゆふ露
千五百番歌合に
宮内卿
片枝[※かたえ]さす麻生[※をふ]の浦梨[※うらなし]はつ秋になりもならずも風ぞ身にしむ
百首歌奉りし時
前大僧正慈圓
夏衣かたへ凉しくなりぬなり夜や更けぬらむゆきあひの空
延喜御時月次屏風に
壬生忠岑
夏はつる扇[※あふぎ]と秋のしら露といづれかまづはおかんとすらむ
貫之
みそぎする河の瀨見れば唐衣[※からころも]ひ[※日]もゆふぐれに波ぞたちける
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