新古今和歌集。卷第二春歌下。原文。(窪田空穗ニ依ル戦前ノ校本)
新古今和歌集
底本ハ窪田空穗挍訂。校註新古今和歌集。是昭和十二年一月二十日印刷。同年同月二十五日發行。東京武藏野書院發行。已上奧書。凡例ニ曰ク≪流布本を底本とし、隱岐本、及び烏丸本新古今集と校合≫セリト。
新古今和歌集卷第二
春哥下
釋阿和歌所にて九十の賀し侍りしをり、屏風に、山に櫻咲きたるところを
太上天皇
さくら咲く遠山鳥[※とをやまどり]のしだり尾のながながし日もあかぬ色かな
千五百番歌合に、春歌
皇太后宮大夫俊成
いくとせの春に心をつくし來ぬあはれと思へみよし野の花
百首歌に
式子内親王
はかなくて過ぎにしかたを數ふれば花に物思ふ春ぞ經にける
内大臣に侍ける時、望(二)山花(一)といへるこころをよみ侍ける
京極前關白太政大臣
白雲のたなびく山の八重ざくらいづれを花と行きて折らまし
祐子内親王家にて人々花の歌よみ侍けるに
權大納言長家
花の色にあまぎるかすみたちまよひ空さへ匂ふ山ざくらかな
題しらず
赤人
ももしき[※百敷]の大宮人はいとまあれや櫻かざして今日[※けふ]もくらしつ
在原業平朝臣
花にあかぬ歎きはいつもせしかども今日の今宵に似る時は無し
凡河内躬恒
いもやすくねられざりけり春の夜は花の散るのみ夢に見えつつ
伊勢
山ざくら散りてみ雪にまがひなばいづれか花と春にとはなん
貫之
わが宿の物なりながら櫻花散るをばえこそとどめざりけれ
寛平御時、きさいの宮の歌合に
よみ人しらず
霞たつ春の山邊にさくら花あかず散るとやうぐひすの鳴く
題しらず
赤人
春雨はいたくな降りそさくら花まだ見ぬ人に散らまくも惜し
中納言家持
ふるさとに花は散りつつみ吉野の山の櫻はまだ咲かぬなり
貫之
花の香にころもはふかくなりにけり木の下[※した]かげの風のまにまに
千五百番歌合に
皇太后宮大夫俊成女
風かよふ寐ざめの袖の花の香[※か]にかをるまくらの春の夜の夢
守覺法親王、五十首歌よませ侍ける時
藤原家隆朝臣
この程は知るも知らぬも玉鉾[※たまほこ]の行きかふ袖は花の香ぞする
攝政太政大臣家に、五首歌よみ侍けるに
皇太后宮大夫俊成
またや見む交野[※かたの]のみ野のさくらがり[※櫻狩り]花の雪散る春のあけぼの
花歌よみ侍けるに
祝部成仲
散り散らずおぼつかなきは春霞たつたの山のさくらなりけり
山里にまかりてよみ侍ける
能因法師
山里の春の夕ぐれ來て見ればいりあひのかねに花ぞ散りける
題しらず
惠慶法師
櫻散る春の山べは憂[※う]かりけり世をのがれにと來しかひもなく
花見侍ける人に誘はれてよみ侍ける
康資王母
山ざくら花のした風吹きにけり木のもとごとの雪のむらぎえ
題しらず
源重之
はるさめのそぼふる空のをやみせず落つる淚に花ぞ散りける
雁がねのかへる羽風[※はかぜ]やさそふらん過ぎ行くみね[※峯]の花も殘らぬ
百首歌めしし時、春の歌
源具親
時しもあれたのむの雁のわかれさへ花散るころのみ吉野の里
見(二)山花(一)といへるこころを
大納言經信
山ふかみ杉のむらだち見えぬまでをのへ[※尾上]の風に花の散るかな
堀河院の御時、百首歌奉りけるに、花の歌
大納言師賴
木のもとの苔の綠も見えぬまで八重散りしける山ざくらかな
花十首歌よみ侍けるに
左京大夫顯輔
ふもとまで尾上[※おのへ]の桜散り來ずばたなびく雲と見てや過ぎまし
花落客稀といふことを
刑部卿範兼
花散ればとふ人まれになりはてていとひし風の音[※おと]のみぞする
題しらず
西行法師
ながむとて花にもいたく馴れぬれば散る別れこそ悲しかりけれ
越前
山里の庭よりほかの道もがな花ちりぬやと人もこそ訪[※と]へ
五十首歌奉りし中に、湖上花を
宮内卿
花さそふ比良[※ひら]の山風吹きにけり漕ぎ行く舟のあと見ゆるまで
關路花を
逢坂[※あふさか]やこずゑの花を吹くからに嵐ぞかすむ關の杉むら
百首歌奉りし時、春の歌
二條院讚岐
山たかみ峯の嵐に散る花の月にあまぎるあけがたのそら
百首歌召しける時、春の歌
崇德院御歌
山たかみ岩根の櫻散る時はあまの羽ごろも撫づるとぞ見る
春日社歌合とて、人人歌よみ侍りけるに
刑部卿賴輔
散りまがふ花のよそめはよし野山あらしにさわぐみねの白雲
最勝四天王院障子に、吉野山かきたる所
太上天皇
みよし野の高嶺のさくら散りにけり嵐もしろき春のあけぼの
千五百番歌合に
藤原定家朝臣
櫻色の庭のはるかぜあともなし訪[※と]はばぞ人の雪とだに見む
ひととせ、忍びて大内の花見にまかりて侍りしに、庭に散りて侍りし花を硯[※すゞり]の盖[※ふた]に入れて、攝政のもとにつかはし侍りし
太上天皇
今日だにも庭を盛りとうつる花消えずはありとも雪かとも見よ
返し
攝政太政大臣
さそはれぬ人のためとやのこりけむ明日[※あす]よりさきの花の白雪
家の八重櫻を折らせて、惟明親王のもとにつかはしける
式子内親王
八重にほふ軒端の櫻うつろひぬ風よりさきに訪[※と]ふ人もがな
返し
惟明親王
つらきかなうつろふまでに八重櫻とへともいはで過ぐる心は
五十首歌奉りし時
藤原家隆朝臣
さくら花夢か現[※うつゝ]か白雲の絕えてつねなきみねの春かぜ
題しらず
皇太后宮大夫俊成女
恨みずやうき世を花のいとひつつ誘ふ風あらばと思ひけるをば
後德大寺左大臣
はかなさをほかにもいはじ櫻花咲ては散りぬあはれ世の中
入道前關白太政大臣家に、百首歌よませ侍りける時
俊惠法師
ながむべき殘りの春をかぞふれば花とともにも散るなみだかな
花の歌とてよめる
殷富門院大輔
花もまたわかれむ春は思ひ出でよ咲き散るたびの心づくしを
千五百番歌合に
左近中將良平
散るはなの忘れがたみの峰の雲そをだにのこせ春のやまかぜ
落花といふことを
藤原雅經
花さそふなごりを雲に吹きとめてしばしはにほへ春の山風
題しらず
後白河院御歌
惜しめども散りはてぬれば櫻花いまはこずゑを眺むばかりぞ
太神宮に、百首歌たてまつりし中に
太上天皇
いかにせば世にふるなかは柴の戶にうつらふ花の春の暮がた
残春のこころを
攝政太政大臣
吉野山花のふるさとあと絕えてむなしき枝[※えだ]にはるかぜぞ吹く
題しらず
大納言經信
ふるさとの花の盛りは過ぎぬれどおもかげさらぬ春の空かな
百首歌の中に
式子内親王
花は散りその色となく眺むればむなしき空にはるさめぞ降る
小野宮のおほきおほいまうちぎみ、月輪寺に花見侍りける日よめる
淸原元輔
誰[※た]がために明日[※あす]は殘さむ山ざくらこぼれて匂へ今日の形見に
曲水宴をよめる
中納言家持
からびと[※唐人]の舟を浮べて遊ぶてふ今日ぞわがせこ[※背子]花かづらせよ
※曲水[※きょくすい/ごくすい]の宴[えん/うたげ/等]。是≪平安時代に朝廷や公家の間で行なわれた年中行事の一つ。「ごくすいのえん」「めぐりみずのとよのあかり」ともいう。曲水は、山麓、樹林、庭園を曲がりくねって流れる水。3月上巳または3月3日の桃の節供に、参加者各自が曲水に臨んで着座し、上流から流される杯が自分の前を通り過ぎる前に詩歌を詠じ、杯を取り上げて酒を飲み、別堂で宴を開いて詠んだ詩歌を披講した。『日本書紀』のなかで顕宗天皇1(485)年3月上巳の条に後苑で行なわれたと記されているのが初見。宮廷行事としては、平城天皇の大同3(808)年に一時停止されたあと、村上天皇の康保3(966)年に復活し、貴族の邸宅でも開かれるようになったが、戦国時代には行なわれなくなった。今日では、京都府京都市伏見区の城南宮で4月29日と11月3日に、江戸時代に描かれた京都御所の江戸時代の杉戸絵をもとに再現されているほか、福岡県太宰府市の太宰府天満宮で 3月第1日曜日に、天徳2(958)年に太宰大弐の小野好古によって始められたと伝えられる曲水の宴があり、岩手県平泉町の毛越寺(5月第4日曜日)などでも催されている。(ブリタニカ国際大百科事典小項目事典。閲覧10.28.2019.)≫
紀貫之、曲水宴し侍ける時、月入(二)花灘(一)暗といふことをよみ侍ける
坂上是則
花流す瀬をも見るべき三日月のわれて入りぬる山のをちかた
雲林院の櫻見にまかりけるに、皆散りはてて、はつか[※僅か]に片枝[※かたえだ]に殘りて侍りければ
良暹法師
尋ねつる花もわが身もおとろへて後の春ともえこそ契らね
千五百番歌合に
寂蓮法師
思ひ立つ鳥はふる巢もたのむらむ馴れぬる花のあとの夕暮[※ゆふくれ]
散りにけりあはれうらみの誰れなれば花のあととふ春の山風
權中納言公經
春ふかくたづねいるさの山の端[※は/乃至葉]にほの見し雲の色ぞのこれる
百首歌奉りし時
攝政太政大臣
初瀨[※はつせ]山うつろふ花に春暮れてまがひし雲ぞ峯にのこれる
藤原家隆朝臣
吉野川岸のやまぶき[※山吹]咲きにけり嶺のさくらは散りはてぬらむ
皇太后宮大夫俊成
駒[※こま]とめてなほ水かはむ山吹のはなの露そふ井出[ゐで]の玉川
堀河院御時、百首歌奉りけるに
權中納言國信
岩根[※いはね]越[※こ]すきよたき川[※淸瀧川]のはやければ波をりかくるきしの山吹
題しらず
厚見王
かはづ[※河鹿蛙]なく神なび川に影見えていまか咲くらむ山吹のはな
延喜十三年 亭子院歌合の歌
藤原興風
あしびきの山吹の花散りにけり井手のかはづは今や鳴くらむ
題しらず
赤人
こひしくばかたみにせんと我が宿にうゑし藤なみいまさかりなり
飛香舎にて、藤花宴侍けるに
延喜御歌
かくてこそ見まくほしけれよろづ代[※萬‐よ]をかけて忍べる藤波の花
※飛香舎[ひぎょうしゃ]。是≪平安京の内裏 (だいり) 五舎の一つ。「ひぎょうさ」「ひこうしゃ」とも読み、庭に藤が植えられていたため藤壺ともいう。女御の住居であるとともに、女御入内の儀が行われたことで名高く、内裏五舎のうちこの建物だけは現在京都御所内に保存されている。(出典閲覧上記ニ仝)≫
天曆四年三月十四日、藤壺にわたらせ給ひて、花惜しませ給ひけるに
天暦御歌
圓居[※まとゐ]して見れどもあかぬ藤浪のたたまく惜しき今日にもある哉
※圓居ハ圓ニ成リ寛グ。たたむハ連ナル
淸愼公家の屏風に
貫之
暮れぬとは思ふものから藤の花咲けるやどには春ぞひさしき
藤の松にかかれるをよめる
みどりなる松にかかれる藤なれどおのが頃とぞ花は咲きける
春の暮方[※くれつかた]實方朝臣のもとに遣はしける
藤原道信朝臣
散り殘る花もやあるとうちむれてみ山がくれを尋ねてしがな
修業し侍けるころ、春の暮によみける
大僧正行尊
木の下[※もと]のすみかも今は荒れぬべし春し暮れなば誰[※だれ]か訪[※と]ひこむ
五十首歌奉りし時
寂蓮法師
暮れて行く春の湊[※みなと]は知らねども霞に落つる宇治の柴舟[※しばふね]
山家三月盡をよみ侍りける
藤原伊綱
來ぬまでも花ゆゑ人の待たれつる春も暮れぬるみ山邊の里
題しらず
皇太后宮大夫俊成女
いそのかみ布留[※ふる]のわさ田をうち返し恨みかねたる春の暮かな
寛平御時、后[※きさい]の宮の歌合の歌
よみ人しらず
待てといふに留[※と]まらぬ物と知りながら强[※し]ひてぞ惜しき春の別れは
山家暮春といへるこころを
宮内卿
柴の戶にさすや日かげのなごりなく春暮れかかる山の端[※は]の雲
百首歌奉りし時
攝政太政大臣
明日[※あす]よりは志賀の花園[※はなその]まれにだに誰[※だれ]かは訪はむ春のふるさと
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