新古今和歌集。卷第一春歌上。原文。(窪田空穗ニ依ル戦前ノ校本)


新古今和歌集

底本ハ窪田空穗挍訂。校註新古今和歌集。是昭和十二年一月二十日印刷。同年同月二十五日發行。東京武藏野書院發行。已上奧書。凡例ニ曰ク≪流布本を底本とし、隱岐本、及び烏丸本新古今集と校合≫セリト。



新古今和歌集巻第一

 春哥上

  春たつこころをよみ侍りける

  攝政太政大臣

みよし野は山もかすみて白雪のふりにし里に春は來にけり

  春のはじめの歌

  太上天皇

ほのぼのと春こそ空に來にけらし天の香具山かすみたなびく

  百首歌たてまつりし時、春の歌

  式子内親王

山ふかみ春とも知らぬ松の戶にたえだえかかる雪の玉水

  五十首歌たてまつりし時

  宮内卿

かきくらし猶ふる里の雪のうちに跡こそ見えね春は來にけり

  入道前關白太政大臣、右大臣に侍りける時、百首歌よませ侍りけるに、立春のこころを

  皇太后宮大夫俊成

今日といへば唐土[※もろこし]までも行く春を都にのみと思ひけるかな

  題しらず

  俊惠法師

春といへば霞みにけりな昨日まで波間に見えし淡路島山

  西行法師

岩間とぢし氷も今朝は解けそめて苔のした水道もとむらむ

  よみ人しらす

風まぜに雪は降りつつしかすがに霞たなびき春は來にけり

時はいまは春になりぬとみ雪ふる遠き山べにかすみたなびく

  堀河院御時、百首歌奉りけるに、殘りの雪のこころをよみ侍りける

  權中納言國信

春日野の下萠えわたる草のうへにつれなく見ゆる春のあわ[※は]雪

  題しらず

  山部[※邊]赤人

明日からは若菜摘まむとしめし野に昨日も今日も雪は降りつつ

  天曆御時、屏風の歌

  壬生忠見

春日野の草はみどりになりにけり若菜摘まむと誰かしめけん

  崇德院に百首歌奉りける時、春の歌

  前參議敎長

若菜摘む袖とぞ見ゆるかすが野の飛火の野邊の雪のむらぎえ

  延喜御時の屏風に

  紀貫之

行きて見ぬ人も忍べと春の野のかたみにつめる若菜なりけり

  述懷百首歌よみ侍けるに、若菜

  皇太后宮大夫俊成

澤に生[※お]ふる若菜ならねど徒らに年をつむにも袖は濡れけり

  日吉社によみて奉りける、子日の歌

さざ波や志賀の濱松ふりにけり誰が世に引ける子日[※ねのひ]なるらむ

  百首奉りし時

  藤原家隆朝臣

谷河のうち出づる波も聲たてつうぐいすさそへ春の山かぜ

和歌所にて、關路鶯といふことを

  太上天皇

鶯の鳴けどもいまだ降る雪に杉の葉しろきあふさかの山

  堀河院に百首歌奉りける時、殘雪[※のこりのゆき]のこころをよみ侍りける

  藤原仲實朝臣

春來ては花とも見よと片岡の松のうは葉にあわ[※は]雪ぞ降る

  題しらず

  中納言家持

まきむく[※卷向]の檜原[※ひのはら]いまだくもらねば小松が原にあは雪ぞ降る

  よみ人しらず

今さらに雪降らめやも陽炎[※かけろふ]のもゆる春日となりにしものを

  凡河内躬恒

いづれをか花とは分かむふるさとの春日の原にまだ消えぬ雪

  家の百首歌合に、餘寒のこころを

  攝政太政大臣

空はなほ[※を]かすみもやらず風冴えて雪げにくもる春の夜の月

  和歌所にて、春山月といふこころをよめる

  越前

山ふかみなほ[※を]かげさむし春の月空かきくもり雪は降りつゝ

  詩をつくらせて歌にあはせ侍しに、水鄕春望といふことを

  左衞門督通光

みしま江や霜もまだひぬ蘆の葉につの〲むほどの春風ぞ吹く

  藤原秀能

夕月夜[※ゆふつくよ]しほ滿ちくらし難波江のあしの若葉を越ゆるしらなみ

  春の歌とて

  西行法師

降りつみし高嶺[※たかね]のみ雪解けにけり淸瀧[※きよたき]川の水のしらなみ

  源重之

梅が枝にものうきほどに散る雪を花ともいはじ春の名たてに

  山部[※邊]赤人

梓弓はる山近く家居して絕えず聞きつるうぐひすの聲

  よみ人しらず

梅が枝に鳴きてうつろふ鶯のはね白たへにあわ[※は]雪ぞ降る

  百首歌奉りし時

  惟明親王

鶯のなみだのつららうちとけてふる巢ながらや春を知るらん

  題しらず

  志貴皇子

岩そそぐたるひの上のさ蕨の萠えいづる春になりにけるかな

  百首歌奉りし時

  前大僧正慈圓

あまのはら富士の煙の春のいとの霞になびくあけぼののそら

  崇德院に、百首歌奉りける時

  藤原淸輔朝臣

朝がすみふかく見ゆるや煙たつ室[※むろ]のやしまのわたりなるらん

  晩霞といふことをよめる

  後德大寺左大臣

なごの海の霞の間よりながむれば入日をあらふおきつしら浪

  をのこども、詩をつくりて歌に合せ侍しに、水鄕春望といふことを

  太上天皇

見わたせば山もとかすむ水瀨川夕べは秋となにおもひけん

  攝政太政大臣家百首歌合に、春曙といふこころをよみ侍りける

  藤原家隆朝臣

霞立つすゑのまつやま[※松山]ほのぼのと波にはなるるよこぐも[※雲]の空

  守覺法親王五十首歌よませ侍けるに

  藤原定家朝臣

春の夜の夢のうき橋とだえして峯にわかるるよこぐもの空

  二月まで梅の花さき侍らざりける年、よみ侍りける

  中務

知るらめやかすみの空をながめつつ花もにほはぬ春を歎けくと

  守覺法親王、五十首歌に

  藤原定家朝臣

大空は梅のにほひにかすみつつ曇りもはてぬ春の夜の月

  題しらず

  宇治前關白太政大臣

折られけりくれなゐ匂ふ梅の花今朝しろたへに雪は降れれど

  垣根の梅をよみ侍りける

  藤原敦家朝臣

あるじをば誰ともわかず春はただ垣根の梅をたづねてぞ見る

  梅花遠薰といへるこころをよみ侍りける

  源俊賴朝臣

心あらばとはましものを梅が香にたが里よりか匂ひきつらむ

  百首歌奉りし時

  藤原定家朝臣

梅の花にほひをうつす袖のうへに軒漏る月のかげぞあらそふ

  藤原家隆朝臣

梅が香にむかしをとへば春の月こたへぬかげぞ袖にうつれる

  千五百番歌合に

  右衞門督通具

梅のはな誰が袖ふれしにほひぞと春や昔の月にとはばや

  皇太后宮大夫俊成女

梅の花あかぬ色香もむかしにておなじかたみの春の夜の月

  梅花に添へて大貮三位に遣はしける

  權中納言定賴

來ぬ人によそへて見つる梅の花散りなむ後のなぐさめぞなき

  返し

  大貮三位

春ごとに心をしむる花の枝に誰かなほ[※を]ざりの袖か觸れつる

  二月雪落衣といふことをよみ侍りける

  康資王母

梅散らす風も越えてや吹きつらむかを[※ほ]れる雪の袖にみだるる

  題しらず

  西行法師

とめこかし梅さかりなるわが宿を疎きも人はをりにこそよれ

百首歌奉りしに、春の歌

  式子内親王

ながめつる今日は昔になりぬとも軒端の梅はわれを忘るな

  土御門内大臣の家にて、梅香留袖といふことをよみ侍けるに

  藤原有家朝臣

散りぬればにほひばかりを梅の花ありとや袖に春風の吹く

  題しらず

  八条院高倉

ひとりのみながめて散りぬ梅の花知るばかりなる人はとひこで

  文集嘉陵春夜詩「不(レ)明不(レ)暗朧朧月」といへることをよみ侍りけるに

  大江千里

照りもせず曇りもはてぬ春の夜の朧月夜にしくものぞなき

  祐子内親王藤壺に住みはべりけるに、女房うへ人など、さるべきかぎり物語して、「春秋のあはれいづれにか心ひく」などあらそひ侍りけるに人人多く秋に心を寄せ侍りければ

  菅原孝標女

淺みどり花もひとつにかすみつつおぼろに見ゆる春の夜の月

  百首歌奉りし時

  源具親

難波潟かすまぬ浪もかすみけりうつるもくもるおぼろ月夜に

  攝政太政大臣家、百首歌合に

  寂蓮法師

今はとてたのむの雁もうちわびぬおぼろ月夜のあけぼのの空

  刑部卿賴輔、歌合し侍りけるによみて遣はしける

  皇太后宮大夫俊成

聞く人ぞ淚は落つるかへる雁なきて行くなるあけぼのの空

  題しらず

  よみ人しらず

故鄕にかへるかりがねさ夜ふけて雲路にまよふ聲きこゆなり

  歸雁を

  攝政太政大臣

忘るなよたのむの澤をたつ雁も稻葉の風のあきのゆふぐれ

  百首歌奉りし時

歸る雁いまはのこころありあけに月と花との名こそ惜しけれ

  守覺法親王の五十首歌に

  藤原定家朝臣

霜まよふ空にしをれし雁がねのかへるつばさに春雨ぞ降る

  閑中春雨といふことを

  大僧正行慶

つくづくと春のながめの寂しきはしのぶにつたふ軒の玉水

  寛平御時、きさいの宮の歌合の歌

  伊勢

水の面にあや織りみだる春雨や山の綠をなべて染むらん

  百首歌奉りし時

  攝政太政大臣

ときはなる山の岩根にむす苔の染めぬ綠に春雨ぞ降ふる

  淸輔朝臣の許にて、雨中苗代といふことをよめる

  勝命法師

雨降れば小田のますらをいとまあれや苗代[※なはしろ]水を空にまかせて

  延喜御時屏風に

  凡河内躬恒

春雨の降りそめしよりあをやぎ[※靑柳]の絲のみどりぞ色まさりける

  題しらす

  大宰大貮高遠

うちなびき春は來にけり靑柳のかげふむ道に人のやすらふ

  輔仁親王

みよし野のおほ川のべの古柳かげこそ見えね春めきにけり

  五[※恐誤百]首歌の中に

  崇徳院御歌

嵐吹く岸のやなぎのいなむしろ折りしく波にまかせてぞ見る

  建仁元年三月、歌合に霞隔(二)遠樹(一)といふことを

  權中納言公經

高瀨さす六田の淀のやなぎ原みどりもふかくかすむ春かな

  百首歌よみ侍ける時、春歌とてよめる

  殷富門院大輔

春風のかすみ吹きとくたえまよりみだれてなびく靑柳のいと

  千五百番歌合に春の歌

  藤原雅經

白雲のたえまになびく靑柳の葛城山に春風ぞ吹く

  藤原有家朝臣

靑柳の絲に玉ぬく白露の知らずいく世の春か經ぬらむ

  宮内卿

薄く濃き野邊のみどりの若草にあとまで見ゆる雪のむらぎえ

  題しらず

  曾禰好忠

荒小田の去年の古根のふる蓬[※よもぎ]いまは春べとひこばえにけり

  壬生忠見

燒かずとも草はもえなん春日野をただ春の日に任せたらなむ

  西行法師

よし野山さくらが枝に雪散りて花お[※を]そげなる年にもあるかな

  白河院鳥羽におはしましける時、人々、山家[待※原書左字缺]花といへるこころをよみ侍りけるに

  藤原隆時朝臣

さくら花咲かばまづ見むと思ふまに日かず經にけり春の山里

  亭子院歌合に

  紀貫之

わが心春の山邊にあくがれてながながし日を今日も暮らしつ

  攝政太政大臣家百首歌合に、野遊のこころを

  藤原家隆朝臣

思ふどちそことも知らず行き暮れぬ花のやどかせ野べの鶯

  百首歌奉りして[※に]

  式子内親王

いま櫻咲きぬと見えてうすぐもり春に霞める世のけしきかな

  題しらず

よみ人しらず

臥して思ひ起きてながむる春雨に花の下紐いかに解くらん

  中納言家持

行かむ人來む人しのべ春がすみ立田の山のはつざくら花

  花の歌とてよみ侍りける

  西行法師

吉野山去年のしを[※ほ]りの道かへてまだ見ぬかたの花を尋ねむ

  和歌所にて歌つかうまつりしに、春の歌とてよめる

  寂蓮法師

葛城や高間のさくら咲きにけり立田のおくにかかるしら雲

  題しらず

  よみ人知らず

いそのかみ古き都を來て見ればむかしかざしし花咲きにけり

  源公忠朝臣

春にのみ年はあらなむ荒小田をかへすがへすも花を見るべく

  八重[※やへ]櫻を折りて、人の遣はして侍りければ

  道命法師

白雲のたつたの山の八重ざくらいづれを花とわきて折りけむ

百首歌たてまつりし時

  藤原定家朝臣

白雲の春は重ねてたつた山をぐらのみねに花にほふらし

  題しらず

藤原家衡朝臣

吉野山はなやさかりに匂ふらんふるさとさえぬ嶺のしら雪

  和歌所の歌合に羇旅花といふ事を

  藤原雅經

岩根ふみかさなる山を分けすてて花もいくへのあとのしら雲

  五十首歌たてまつりし時

尋ね來て花に暮らせる木の間より待つとしもなき山の端の月

  故鄕花といへる心を

  前大僧正慈圓

散り散らす人もたづねぬふるさとの露けき花に春風ぞ吹く

  千五百番歌合に

  右衞門督通具

いそのかみふる野のさくら誰植ゑて春は忘れぬ形見なるらん

  正三位季能

花ぞ見る道のしばくさふみわけて吉野の宮の春のあけぼの

  藤原有家朝臣

朝日かげにほへる山のさくら花つれなく消えぬ雪かとぞ見る








Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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