新古今和歌集。序(仮名序/真名序)。原文。(窪田空穗ニ依ル戦前ノ校本)
新古今和歌集
底本ハ窪田空穗挍訂。校註新古今和歌集。是昭和十二年一月二十日印刷。同年同月二十五日發行。東京武藏野書院發行。已上奧書。凡例ニ曰ク≪流布本を底本とし、隱岐本、及び烏丸本新古今集と校合≫セリト。
已下所謂眞名序。
新古今和歌集序
夫和歌者、群德之祖、百福之宗也。玄象天成、五際六情之義未著、素鵞地靜、三十一字之詠甫興。爾來源流寔繁、長短雖異、或舒下情而達聞、或宣上德而致化。或屬遊宴而書懷、或採艶色而寄言。誠是埋世撫民之鴻徽、賞心樂事之龜鑑者也。是以 聖代明時、集而錄之。各窮精微、何以漏脫。然猶崑嶺之玉、採之有餘、鄧林之材、伐之無盡。物旣如比、歌亦宜然。仍、詔參議右衞門督源朝臣通具、大藏卿藤原朝臣有家、左近衞權中將藤原朝臣定家、前上總介藤原朝臣家隆、左近衞權権少將藤原雅經等、不擇貴賤髙下、令摭錦句玉章。神明之詞、佛陀之作、爲表希夷、雜而同隷。始於曩昔、迄于當時、彼此總編、各俾呈進。每至玄圃花芳之朝、璅砌風凉之夕、斟難波津之遺流、尋淺香山之芳躅。或吟或詠拔犀象之牙角、無黨無偏、採翡翠之羽毛。裁成而得二千首、類聚而爲二十卷、名曰新古今和歌集矣。時令節物之篇屬四序而星羅、衆作雜詠之什、並群品而雲布。綜緝之致、盖云備矣。伏惟、來自代邸、而踐 天子之位、謝於漢宮、而追汾陽之蹤。 今上陛下之嚴親也、雖無隙帝道之諮謁、日域 朝廷之本主也。爭不賞我國之習俗。方今荃宰合體、華夷詠仁。風化之樂萬春、春日野之草悉靡、月宴之契千秋、秋津洲之塵惟靜。誠膺無爲有截之時、可頤染毫採牋之志。故撰此一集、永欲傳百王。彼上古之萬葉集者、盖是倭歌之源也。編次之起、因准之儀、星序惟邈、煙鬱難披。延喜有古今集。四人含綸命而成之。天曆有後撰集。五人奉絲言而成之。其後有拾遺、後拾遺、金葉、詞華、千載等集。雖出於聖王數代之勅、殊恨爲撰者一身之最。因茲訪延喜天曆二朝之遺美、定法河渉虛、五輩之英豪、排神仙之居、展刊修之席而已。斯集之爲體也、先抽萬葉集之中、更拾七代集之外。探索而微長無遺、廣求而片善必擧。但雖張網於山野、微禽自逃、雖連筌於江湖、小鮮偸漏。誠當視聽之不達、定有篇章之猶遺。今只隨採得、且所勒終也。抑於古今者、不載當代之 御製。自後撰而初加其時之天章。各考一部、不滿十篇。而今所入之自詠、已餘三十首。六義若相兼、一兩雖可足、依無風骨之絕妙、還有露詞之多加。偏以耽道之思、不顧多情之眼。凡厥取捨者、嘉尚之餘、特運冲襟。伏羲基皇德而四十萬年、異域自雖觀聖造之書史焉。 神武開帝功而八十二代、當朝未聽 叡策之撰集矣。定知天下之都人士女、謳歌斯道之遇逢矣。不獨記仙洞無何之鄕、有嘲風哢月之興。亦欲呈皇家元久之歳、有温故知新之心。修撰之趣、不在玆乎。于時聖曆乙丑王春三月云爾。
已下所謂假名序。
新古今和歌集序
やまと歌は、むかし天地ひらけはじめて、人のしわざいまださだまらざりし時、葦原中つ國の言の葉として、稻田姬、素鵞[すが]の里よりぞ傳はりける。しかありしよりこのかた、その道さかりにおこり、そのながれいまに絕ゆることなくして、色にふけり心をのぶるなかだちとし、世を治め民を和らぐる道とせり。かかりければ、代々の帝もこれを捨てたまはず、撰びをかれたる集ども、家々のもてあそび物として、言葉の花、のこれる木のもとかたく、思の露、漏れたる草隱れもあるべからず。しかはあれども、伊勢の海淸き渚の玉は、拾ふとも盡くることなく、いづみの杣しげき宮木は、曳くとも絕ゆべからず。物みなかくの如し。歌の道またおなじかるべし。これによりて、右衞門督源朝臣通具、大藏卿藤原朝臣有家、左近中將藤原朝臣定家、前上總介藤原朝臣家隆、左近少將藤原朝臣雅經らにおほせて、昔今の時を分たず、髙き賤しき、人を嫌はず、目に見えぬ神佛の言の葉も、うばたまの夢に傳へたることまで、廣く求め、普く集めしむ。各撰び奉れるところ、夏引の絲の一筋ならず、夕べの雲のおもひ定めがたきゆゑに、綠の洞、花かうばしきあした、玉の砌、風凉しきゆふべ、難波津のながれを汲みて、澄み濁れるを定め、淺香山の跡をたづねて、深き淺きをわかてり。萬葉集に入れる歌は、これを除かず、古今よりこのかた、七代の集にいれる歌をば、これを載することなし。但、詞の園に遊び、筆の海を汲みても、空飛ぶ鳥の網を漏れ、水に住む魚の釣を脫れたるたぐひ、昔もなきにあらざれば、今もまた知らざるところなり。凡て集めたる歌、二ちぢ二十卷、名づけて新古今和歌集といふ。春霞立田の山に、初花を忍ぶより、夏は妻戀ひする神なびの時鳥、秋は風に散る葛城の紅葉、冬は白たへの富士の高嶺に雪つもる年の暮まで、みな折にふれたるなさけなるべし。しかのみならず、髙き屋に遠きを望みて、民の時を知り、末の露もとの雫によそへて人の世を悟り、玉鉾の道の邊にわかれを慕ひ、天ざかる鄙の長路に都を思ひ、髙間の山の雲居のよそなる人を戀ひ、長柄の橋の浪に朽ちぬる名を惜しみても、心うちに動き、言葉ほかにあらはれずといふ事なし。況んや住吉の神は片そぎの言の葉を殘し、傳敎大師はわがたつ杣のおもひをのべ給へり。かくの如き、知らぬ昔の人の心をもあらはし、行きて見ぬ境の外の事を知るは、ただ此の道ならし抑々昔は五たび讓りし跡をたづねて、天つ日嗣の位に備はり、今はやすみしる名をのがれて、はこやの山にすみかをしめたりといへども、すべらぎは怠る道をまもり、星の位は政をたすけし契を忘れずして、天の下しげき言わざ、雲の上のいにしへにも變らざりければ、萬の民、春日野の草の靡かぬかたなく、四方の海、秋津洲の月しづかに澄みて和歌の浦の跡を尋ね、敷島の道をもてあそびつゝ、この集を撰びて、永き世に傳へむとなり。彼の萬葉集は、歌の源なり。時移り事隔たりて今の人知る事かたし。延喜の聖の御代には、四人に勅して古今集を撰ばしめ、天曆のかしこき帝は、五人におほせて後撰集をあつめしめ給へり。その後、拾遺、後拾遺、金葉、詞華、千載等の集は、皆一人これをうけたまはれる故に、聞きもらし、見及ばざるところもあるべし。よりて、古今後撰のあとを改めず、五人の輩[ともがら]を定めて、しるし奉らしむるなり。そのうへ、みづから定め、てづからみがけることは、遠くもろこしの文の道をたづぬれば、濱千鳥跡ありといへども、我が國、やまと言の葉の始まりてのち、呉竹の世々にかかる例なんなかりける。このうち、みづからの歌を載せたること、古きたぐひはあれど、十首には過ぎざるべし。しかるを今かれこれ選べるところ、三十首にあまれり。これみな、人の目たつべき色もなく、心とどむべきふしもありがたきゆゑに、かへりていづれとわきがたければ、森の朽葉かずつもり、みぎはの藻屑かき捨てずなりぬることは、道にふけるおもひ深くして、後のあざけりを顧みざるなるべし。時に元久二年三月廿六日になんしるしをはりぬる。目をいやしみ、耳を尊ぶがあまり、いそのかみ古き跡をはづといへども、流れを汲みて源を尋ぬる故に、富の小川の絕えせぬ道を興しつれば、露霜は改まるとも松吹く風の散りうせず、春秋はめぐるとも、空ゆく月のくもりなくして、この時に逢へらむものは、これを喜び、この道を仰がむものは、今を忍ばざらめかも。
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