古今和歌集卷第二十。大歌所御哥。原文。(窪田空穗ニ依ル戦前ノ校本)
古今和歌集
○已下飜刻底本ハ窪田空穗之挍註ニ拠ル。是卽チ
窪田空穗編。校註古今和歌集。東京武蔵野書院。昭和十三年二月二十五日發行。窪田空穗ハ近代ノ歌人。
はかな心地涙とならん黎明[しののめ]のかかる靜寂[しじま]を鳥來て啼かば
又ハ
わが胸に觸れつかくるるものありて捉へもかねる靑葉もる月。
底本ノ凡例已下ノ如ク在リ。
一、本書は高等専門諸學校の國語科敎科書として編纂した。
一、本書は流布本といはれる藤原定家挍訂の貞應本を底本とし、それより時代の古い元永本、淸輔本を參照し、異同の重要なものを上欄[※所謂頭註。]に記した。この他、參照の用にしたものに、古今六帖、高野切、筋切、傳行成筆、顯註本、俊成本がある。なほ諸本により、本文の歌に出入りがある。(下畧。)
○飜刻凡例。
底本上記。又金子元臣ノ校本參照ス。是出版大正十一年以降。奧附无。
[ ]内原書訓。[※]内及※文ハ飜刻者訓乃至註記。
古今和歌集卷第二十
大歌所御哥
おほなほびのうた
あたらしき年の始にかくしこそ千年[※ちとせ]をかねてたのしきをつめ
日本紀には、つかへまつらめ萬代[※よろづよ]までに
ふるきやまとまひのうた
しもと結ふかづらき山にふる雪の間なく時なく思ほゆるかな
あふみぶり
近江より朝たち來ればうねの野に鶴[※たづ]ぞ鳴くなる明けぬこの夜は
みづぐきぶり
水莖[※みづぐき]の岡のやかたに妹[※いも]とあれど寢ての朝けの霜の降りはも
しはつ山ぶり
しはつ山打[※うち]出でて見れば笠ゆひの嶋こぎかくる棚無し小舟[※をふね]
神あそびのうた
とりものの哥
神垣のみむろの山の榊葉[※さかきば]は神のみ前にしげり合ひにけり
霜八[※や]たび置けど枯れせぬ榊葉の立ち榮ゆべき神のきねかも
まきもくのあなしの山の山人と人も見るがに山かづらせよ
み山には霰ふるらし外山[※とやま]なるまさきのかづら色づきにけり
陸奧[※みちのく]のあだちの眞弓わが引かば末[※すゑ]さへ寄り來しのびしのびに
わが門[※かど]の板井[※いたゐ]の淸水[※しみづ]里遠み人し汲まねばみくさ生[※お]ひにけり
ひるめの哥
ささのくま檜[※ひ]のくま川に駒とめてしばし水かへ影をだに見む
かへしものの哥
靑柳[※あをやぎ]を片絲[※かたいと]によりて鶯の縫ふてふ笠は梅の花笠
まがねふく吉備の中山帶[※おび]にせる細谷[※ほそたに]川のおとのさやけさ
この歌は、承和の御べのきびの國の哥
美作[※みまさか]や久米[※くめ]の皿山[※さらやま]さらさらに我が名は立てじ萬代[※よろづよ]までに
これは、水の尾の御べの美作の國の哥
美濃の國關の藤川絕えずして君に仕へむ萬代[※よろづよ]までに
これは、元慶の御べの美濃のうた
君が代はかぎりもあらじ長濱のまさごの數はよみつくすとも
これは、仁和の御べの伊勢の國の哥
大伴黑主
近江のや鏡の山をたてたればかねてぞ見ゆる君が千年[※ちとせ]は
これは、今上の御べの近江[※あふみ]の哥
東哥
みちのくうた
あぶ隈に霧立ち渡り明けぬとも君をばやらじ待てばすべなし
みちのくはいづくはあれど鹽竈[※しほがま]の浦こぐ舟の綱手[※つなて]かなしも
わか背子[※せこ]を都にやりて鹽竈の籬[※まがき]の島のまつぞ戀しき
を黑崎みつの小島の人ならば都の苞[※つと]にいざといはましを
みさぶらひ御笠[※みかさ]と申せ宮城野の木の下露は雨にまされり
最上川のぼればくだる稻舟[※いなふね]のいなにはあらずこの月ばかり
君をおきてあだし心をわが持たばすゑの松山浪も越えなむ
さがみうた
小[※こ]よろぎの磯たち馴らし磯菜[※いそな]摘むめざし濡らすな沖にをれ浪
ひたち哥
筑波根のこのもかのもに䕃はあれど君がみ䕃にます䕃はなし
つくばねの峰のもみぢ葉落ちつもり知るも知らぬもなべてかなしも
かひ哥
甲斐が根をさやにも見しがけけれなく横ほりふせるさやの中山
甲斐が根を根越し山越し吹く風を人にもがもや言づてやらむ
伊勢うた
をふの浦に片枝[※かたえ]さしおほひなる梨のなりもならずも寢て語らはむ
冬の賀茂の祭のうた
藤原敏行朝臣
ちはやぶる賀茂のやしろの姬小松よろづ世經[※ふ]とも色は變らじ
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