古今和歌集卷第十九。雜體哥。原文。(窪田空穗ニ依ル戦前ノ校本)
古今和歌集
○已下飜刻底本ハ窪田空穗之挍註ニ拠ル。是卽チ
窪田空穗編。校註古今和歌集。東京武蔵野書院。昭和十三年二月二十五日發行。窪田空穗ハ近代ノ歌人。
はかな心地涙とならん黎明[しののめ]のかかる靜寂[しじま]を鳥來て啼かば
又ハ
わが胸に觸れつかくるるものありて捉へもかねる靑葉もる月。
底本ノ凡例已下ノ如ク在リ。
一、本書は高等専門諸學校の國語科敎科書として編纂した。
一、本書は流布本といはれる藤原定家挍訂の貞應本を底本とし、それより時代の古い元永本、淸輔本を參照し、異同の重要なものを上欄[※所謂頭註。]に記した。この他、參照の用にしたものに、古今六帖、高野切、筋切、傳行成筆、顯註本、俊成本がある。なほ諸本により、本文の歌に出入りがある。(下畧。)
○飜刻凡例。
底本上記。又金子元臣ノ校本參照ス。是出版大正十一年以降。奧附无。
[ ]内原書訓。[※]内及※文ハ飜刻者訓乃至註記。
古今和歌集卷第十九
雜體哥
短歌
題しらず
よみ人しらず
逢ふことの 稀なる色に 思ひそめ、わが身は常に
あま雲の 晴るる時なく、富士の根の 燃えつつとはに
思へども 逢ふこと難し 何しかも ひとをうらみむ。
わたつみの 沖を深めて 思ひてし 思ひを今は
いたづらに なりぬべらなり。 行く水の 絕ゆる時なく
かくなわに 思ひ亂れて、ふる雪の 消[※け]なば消ぬべく
おもへども、 えぶの身なれば なほやまず 思ひは深し。
あしびきの 山下水の 木隱れて たぎつ心を
誰れにかも 相語らはむ。 色にいでば 人知りぬべみ、
墨染[※すみぞめ]の 夕べになれば ひとりゐて あはれあはれと
なげきあまり せむすべなみに 庭に出でて、 立ちやすらへば
白妙の 衣[※ころも]の袖に おく露の 消[※け]なば消ぬべく
思へども なほなげかれぬ 春霞 よそにも人に
あはむと思へば。
ふる歌たてまつりし時の、もくろくのその長歌[※ながうた]
つらゆき
千はやぶる 神の御代より くれ竹の 世世にも絕えず、
あま彥の 音羽[※おとは]の山の 春霞 思ひみだれて
さみだれの 空もとどろに 小夜[※さよ]ふけて 山ほととぎす
鳴く每に たれも寢ざめて、 唐錦[※からにしき] 立田の山の
もみぢ葉を 見てのみしのぶ、 神無月[※かみなつき] しぐれしぐれて
冬の夜の 庭もはだれに ふる雪の 猶消[※き]えかへり
年每に 時につけつつ あはれてふ ことをいひつつ
君をのみ 千代にと祝ふ 世の人の 思ひするがの
富士の根の 燃ゆるおもひも 飽かずして 別るる淚、
藤ごろも 織[※お]れる心も 八千[※やち]ぐさの 言[※こと]のはごとに
すべらぎ[※天皇]の おほせかしこみ 卷卷[※まきまき]の 中[※うち]につくすと、
伊勢の海の 浦のしほ貝 拾ひ集め 取れりとすれど、
玉の緒の みじかき心 思ひあへず 猶あらたまの
年をへて 大宮にのみ 久方の ひるよる分かず
仕ふとて かへり見もせぬ わが宿の 忍ぶ草生[※お]ふる
板間[※いたま]あらみ 降る春雨の もりやしぬらむ。
ふる歌に加へて、奉れる長歌
壬生忠岑
くれ竹の 世世の古ごと なかりせば 伊香保[※いかほ]の沼の
いかにして 思ふ心を のばへまし。 あはれ昔べ
ありきてふ 人まろこそは うれしけれ、身は下[※しも]ながら
ことの葉を 天つ空まで 聞えあげ 末[※すゑ]の世までの
跡となし 今もおほせの くだれるは 塵につげとや
塵の身に つもれる事を 問はるらむ。 これを思へば
いにしへも 藥[※くすり]けがせる 獸[※けだもの]の 雲に吼えけむ
ここちして、 ちぢのなさけも 思ほえず ひとつ心ぞ
ほこらしき。 かくはあれども 照る光 近きまもりの
身なりしを、 誰かは秋の 來る方に あざむき出でて
み垣よ[※も]り とのへ守[※も]る身の みかき守[もり] をさをさしくも
思ほえず ここの重ねの なかにては あらしの風も
聞かざりき、 今は野山し 近ければ 春は霞に
たなびかれ、 夏は空蟬 なきくらし、 秋は時雨に
袖をかし、 冬は霜にぞ せめらるる。 かかる佗しき
身ながらに 積れる年を しるせれば 五つの六つに
なりにけり。 これに添はれる わたくしの 老いの數さへ
やよければ 身はいやしくて 年高き 事の苦しさ。
かくしつつ 長柄[※ながら]の橋の ながらへて、 難波の浦に
立つ波の 波のしわにや おぼほれむ。 さすがに命
惜しければ 越の國なる 白山の かしらは白く
なりぬとも 音羽の瀧の 音[※おと]に聞く 老いず死なずの
藥もが 君が八千代を 若えつつみむ。
君が世にあふ坂山の岩淸水木隱[※こがく]れたりと思ひけるかな
[※是反謌也]
冬の長うた
凡河内躬恒
ちはやぶる 神無月とや 今朝よりは 曇りもあへず
はつ時雨 もみぢと共に ふる里の 吉野の山の
山あらしも 寒く日ごとに なりゆけば 玉の緒解けて
こき散らし 霰みだれて 霜こほり いやかたまれる
庭のおもに むらむら見ゆる 冬草の 上[※うへ]に降りしく
白雪の つもりつもりて あらたまの としを數多[※あまた]も
すぐしつるかな。
七条のきさき、うせ給ひにけるのちによみける
伊勢
沖つ波 あれのみまさる 宮の内は 年經てすみし
伊勢の海人も 舟流したる 心地して 寄らむ方なく
悲しきに、 淚の色の くれなゐは われらがなかの
時雨にて 秋のもみぢと 人人は おのがちりぢり
別れなば 賴むかげなく なり果てて とまる物とは
花薄[※はなすゝき] 君なき庭に 群れ立ちて 空を招かば
初雁の なき渡りつつ よそにこそ見め
旋頭歌
題しらず
よみ人しらず
うち渡す遠方人[※をちかたびと]にもの申すわれ、そのそこに白く咲けるは何の花ぞも
返し
君されば野べにまづ咲く見れど飽かぬ花、まひなしにただ名告[※なの]るべき花の名なれや
題しらず
よみ人しらず
はつせ川古川のべに二本[※ふたもと]ある杉、年を經てまたも逢ひ見む二本ある杉
つらゆき
君がさがす[※君がさす]三笠[※みかさ]の山のもみぢばの色、神無月しぐれの雨の染めるなりけり
誹諧歌
題しらず
よみ人しらず
梅の花見にこそ來つれ鶯のひとくひとくといとひしもをる
素性法師
山吹の花色ごろも主[※ぬし]や誰れ問へど答へずくちなしにして
藤原敏行朝臣
いくばくの田をつくればか郭公しでの田長[※たをさ]をあさなあさな呼ぶ
七月六日、たなばたの心をよみける
藤原兼輔朝臣
いつしかとまたく心を脛[はぎ]にあげて天の川原を今日や渡らむ
題しらず
凡河内躬恒
むつ言もまだ盡きなくに明けぬめりいづらは秋の長してふ夜は
僧正遍昭
秋の野になまめき立てる女郎花あなかしがまし花も一時[※ひとゝき]
よみ人しらず
秋來れば野べにたはるる女郎花いづれの人かつまで見るへき
秋霧の晴れてくもれば女郎花はなの姿ぞ見え隱れする
花と見て折らむとすれば女郎花うたたあるさまの名にこそありけれ
寛平御時、きさいの宮の歌合のうた
在原むねやな
秋風にほころびぬらし藤袴つづりさせてふきりぎりす鳴く
あす春立たむとしける日、隣の家の方[※かた]より、風の雪を吹きこしけるを見て、その隣へ、よみてつかはしける
淸原深養父
冬ながら春のとなりの近ければ中垣よりぞ花は散りける
題しらず
よみ人しらず
石[※いそ]の上[※かみ]ふりにし戀の神さびてたたるに我はいぞ寢かねつる
枕よりあとより戀の責めくればせむ方なみぞ床[※とこ]なかにをる
戀しきがかたもかたこそありと聞け立てれをれどもなき心ちかな
ありぬやと心みがてら逢ひ見ねばたはぶれにくきまでぞ戀しき
耳無[※みゝな]しの山のくちなし得てしがなおもひの色の下染[※したぞめ]にせむ
足引の山田のそほづおのれさへ我をほしてふ憂はしきこと
きのめのと
富士の根のならぬ思ひに燃えば燃え神だに消[※け]たぬ空[※むな]しけぶりを
きのありとも
相見まくほしは數なくありながら人につき無[※な]み惑ひこそすれ
小野小町
人に逢はむつきの無きには思ひおきて胸はしり火に心やけをり
寛平御時、きさいの宮の歌合のうた
藤原おきかぜ
春霞たなびく野べの若菜にもなり見てしがな人もつむやと
よみ人しらず
思へどもなほ疎まれぬ春霞かからぬ山のあらじと思へば
平定[※貞]文
春の野のしげき草葉のつま戀にとび立つ雉[※きじ]のほろろとぞ鳴く
きのよしひと
秋の野に妻なき鹿の年を經てなぞわが戀のかひよとぞ鳴く
みつね
蟬の羽のひとへに薄き夏衣なればよりなむ物にやはあらぬ
ただみね
隱沼[かくれぬ]のしたより生[※お]ふるねぬ繩の寢ぬ名は立てじくるな厭ひそ
よみ人しらず
ことならば思はずとやはいひ果てぬなぞ世の中の玉襷[※たまだすき]なる
思ふてふ人の心の隈每にたち隱れつつ見るよしもがな
思へども思はずとのみいふなればいなや思はじ思ふかひなし
我をのみ思ふといはばあるべきをいでや心は大幣[※おほぬさ]にして
われを思ふ人を思はぬむくいにや我が思ふ人の我を思はぬ
一本深養父
思ひけむ人をぞ共に思はましまさしやむくいなかりけりやは
一本よみ人しらず
出でて行かむ人をとどめむよしなきに隣の方に鼻もひぬかな
紅に染めし心も賴まれず人をあくにはうつるてふなり
厭はるるわが身は春の駒なれや野飼がてらに放ちすてつる
鶯のこぞの宿りのふるすとや我には人のつれなかるらむ
さかしらに夏は人まね笹の葉のさやぐ霜夜をわがひとりぬる
平中興
逢ふことの今ははつかになりぬれば夜ふかからではつきなかりけり
左のおほいまうちきみ
もろこしの吉野の山にこもるともおくれむと思ふ我ならなくに
なかき
雲はれぬ淺間の山の淺ましや人の心を見てこそやまめ
伊勢
難波なる長柄[※ながら]の橋もつくるなり今はわが身を何にたとへむ
よみ人しらず
まめなれど何ぞはよけく刈る萱[※かや]の亂れてあれどあしけくもなし
おきかぜ
何かその名の立つことの惜しからむ知りて惑ふは我ひとりかは
いとこなりける男によそへて、人のいひけれは
くそ
よそながら我が身に絲のよるといへば唯いつはりにすぐばかりなり
題しらず
さぬき
ねぎ言をさのみ聞きけむ社こそ果てはなげきの森となるらめ
大輔
なげき樵[※こ]る山とし高くなりぬれば面杖[※つらづゑ]のみぞ先づつかれける
よみ人しらず
なげきをば樵[※こ]りのみつみて足引の山のかひなくなりぬべらなり
人戀ふる事を重荷と擔[※にな]ひもてあふご無きこそ佗しかりけれ
宵のまに出でて入りぬる三日月のわれてもの思ふ頃にもあるかな
そへにとてとすればかかり斯くすればあな言ひ知らずあふさきるさに
世中の憂きたび每に身を投げば深き谷こそ淺くなりなめ
在原元方
世の中はいかに苦しと思ふらむここらの人に恨みらるれば
よみ人しらず
何をして身のいたづらに老いぬらむ年の思はむことぞやさしき
おきかぜ
身は捨てつ心をだにもはふらさじつひには如何[※いかゞ]なると知るべく
千里
白雪のともに我が身はふりぬれど心は消えぬものにぞありける
題しらず
よみ人しらず
梅の花咲きてののちの身なればやすきものとのみ人のいふらむ
法皇西川におはしましたりける日、猿山の峡[※かひ]に叫ぶといふことを題にて、よませ給うける
躬恒
わびしらにましらな鳴きそ足引の山のかひある今日にやはあらぬ
題しらず
よみ人しらず
世を厭ひ木のもとごとに立ち寄りてうつふし染の麻のきぬなり
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