古今和歌集卷第十八。雜哥下。原文。(窪田空穗ニ依ル戦前ノ校本)
古今和歌集
○已下飜刻底本ハ窪田空穗之挍註ニ拠ル。是卽チ
窪田空穗編。校註古今和歌集。東京武蔵野書院。昭和十三年二月二十五日發行。窪田空穗ハ近代ノ歌人。
はかな心地涙とならん黎明[しののめ]のかかる靜寂[しじま]を鳥來て啼かば
又ハ
わが胸に觸れつかくるるものありて捉へもかねる靑葉もる月。
底本ノ凡例已下ノ如ク在リ。
一、本書は高等専門諸學校の國語科敎科書として編纂した。
一、本書は流布本といはれる藤原定家挍訂の貞應本を底本とし、それより時代の古い元永本、淸輔本を參照し、異同の重要なものを上欄[※所謂頭註。]に記した。この他、參照の用にしたものに、古今六帖、高野切、筋切、傳行成筆、顯註本、俊成本がある。なほ諸本により、本文の歌に出入りがある。(下畧。)
○飜刻凡例。
底本上記。又金子元臣ノ校本參照ス。是出版大正十一年以降。奧附无。
[ ]内原書訓。[※]内及※文ハ飜刻者訓乃至註記。
古今和歌集卷第十八
雜哥下
題しらず
よみ人しらず
世の中は何か常なる飛鳥河きのふの淵ぞ今日は瀨になる
いく世しもあらじ我が身をなぞもかく蜑[※あま]の刈る藻に思ひみだるる
雁の來る峯の朝霧はれずのみ思ひつきせぬ世の中のうさ
小野たかむらの朝臣
しかりとて背かれなくに事しあればまづなげかれぬあなう世の中
甲斐の守に侍りける時、京へまかりのぼりける人に遣しける
をののさだき
都人いかかと問はば山高みはれぬ雲居にわぶと答へよ
文屋の康秀が、三河のぞうになりて、あがた見にはえ出で立たじやといひやれりける返事によめる
小野小町
わびぬれば身をうき草の根を絕えて誘ふ水あらばいなむとぞ思ふ
題しらす
あはれてふ言[※こと]こそうたて世の中を思ひ離[※はな]れぬほだしなりけれ
よみ人しらず
あはれてふ言の葉每に置く露は昔を戀ふる淚なりけり
世の中の憂きもつらきも告げなくに先づ知るものは淚なりけり
世の中は夢か現[※うつゝ]かうつつとも夢とも知らず有りて無ければ
世の中にいづら我が身のありて無し哀れとやいはむあな憂[※う]とやいはむ
山里は物のさびしき事こそあれ世のうきよりは住みよかりけり
これたかのみこ
白雲の絕えずたなびく嶺にだに住めば住みぬる世にこそありけれ
ふるのいまみち
知りにけむ聞きても厭へ世の中は浪のさわぎに風ぞしくめる
そせい
いづくにか世をば厭はむ心こそ野にも山にも惑ふべらなれ
よみ人しらず
世の中は昔よりやは憂かりけむわが身一つの爲になれるか
世の中を厭ふ山邊の草木とやあなうの花の色にいでにけむ
み吉野の山のあなたに宿もがな世の憂き時のかくれがにせむ
世に經[※ふ]れば憂さこそまされみ吉野の岩のかけ道踏みならしてむ
いかならむ巌の中に住まばかは世のうき事の聞えこざらむ
足引の山のまにまに隱れなむうき世の中はあるかひもなし
世の中の憂けくに飽きぬ奧山の木の葉に降れるゆきや消[※け]なまし
おなじもじなき歌
もののべのよしな
世の憂きめ見えぬ山路[※やまぢ]へ入らむには思ふ人こそ絆[ほだし]なりけれ
[※ほだし、語義ハ足枷。妨ゲ]
山の法師のもとへ遣しける
凡河内躬恒
世を捨てて山にいる人山にてもなほ憂き時はいづち行くらむ
物思ひける時いときなきこを見てよめる
今更になにおひいづらむ竹の子のうきふし繁[※しげ]き世とは知らずや
題しらず
よみ人しらず
世に經[※ふ]れば言の葉しげきくれ竹のうきふしごとに鶯ぞなく
木にもあらず草にもあらぬ竹のよのはしにわが身はなりぬべらなり
ある人のいはく、たかつのみこの歌なり
わが身からうき世の中となづけつつ人の爲さへ悲しかるらむ
おきの國に流されて侍りける時によめる
たかむらの朝臣
思ひきや鄙[※ひな]の別れにおとろへて蜑の繩たきいさりせむとは
田村の御時に事にあたりて、津の國の須磨といふ所にこもり侍りけるに、宮の内に侍りける人につかはしける
在原行平朝臣
わくらばに問ふ人あらば須磨の浦に藻鹽[※もしほ]たれつつわぶと答へよ
左近將監とけて侍りける時に、女[め]のとぶらひにおこせたりける返事に、よみてつかはしける
をののはるかぜ
あま彥のおとづれしとぞ今は思ふ我か人かと身をたどる世に
つかさ解けて侍りける時よめる
平定[※貞]文
うき世には門[※かど]させりとも見えなくになどか我が身の出でがてにする
ありはてぬ命待つまの程ばかりうき事しげく思はずもがな
みこの宮のたちはきに侍りけるを、宮づかへつかうまつらずとて、とけて侍りける時によめる
みやぢのきよき
筑波根[※つくばね]の木のもと每にたちぞよる春のみ山の影を戀ひつつ
時なりける人の俄に時なくなりて嘆くを見て、みづからの嘆きもなく、よろこびもなきことを思ひてよめる
淸原深養父
光なき谷には春もよそなれば咲きてとく散る物思ひもなし
桂[※かつら]に侍りける時に、七條の中宮のとはせ給へりける御返りごとに、奉れりける
伊勢
久方のなかに生[※お]ひたる里なれば光をのみぞ賴むべらなる
紀の利貞が、阿波の介にまかりける時に、うまのはなむけせむとて、けふといひおくれりける時に、ここかしこにまかりありきて、夜ふくるまて見えざりけれはつかはしける
なりひらの朝臣
今ぞ知る苦しきものと人待たむ里をばかれずとふべかりける
惟喬の親王の許にまかりかよひけるを、かしらおろして、小野といふ所に侍りけるに、正月にとぶらはむとてまかりたりけるに、ひえ[※比叡]の山の麓なりければ、雪いと深かりけり、しひてかの室[※むろ]にまかりいたりてをがみけるに、つれづれとして、いと物悲しくて、歸りまうできてよみておくりける
忘れては夢かとぞおもふ思ひきや雪踏みわけて君を見むとは
深草の里に住み侍りて、京へまうでくとて、そこなりける人によみて送りける
年を經て住みこし里をいでていなばいとど深草野とやなりなむ
返し
よみ人しらず
野とならば鶉[※うづら]と鳴きて年は經むかりにだにやは君が來ざらむ
題しらず
我を君なにはの浦にありしかばうきめをみつのあまとなりにき
この歌はある人、昔をとこ有りけるをうなの、男とはずなりにければ、難波なる三津[※みつ]の寺にまかりて、尼になりて詠みて男に遣せりけるとなむいへる
かへし
難波潟うらむべきまも思ほえずいづこをみつのあまとかはなる
題しらず[※是恐かへしノ誤]
今更にとふべき人も思ほえず八重葎[※やへむぐら]して門[※かど]させりてへ
[※葎ハ草ノ名。かなむぐら]
友だちの久しうまうで來ざりける許に詠みてつかはしける
みつね
水のおもに生[※お]ふるさ月の浮草のうき事あれや根をたえて來ぬ
人をとはで久しうありける折に、あひ怨みければよめる
身をすてて行きやしにけむ思ふより外なるものは心なりけり
宗岳[※むねをか]の大賴が、越[※こし]よりまうできたりける時に、雪のふりけるを見て、おのが思ひはこの雪の如くなむつもれるといひける折によめる
君かおもひ雪とつもらは賴まれず春より後はあらじと思へば
返し
宗岳大頼
君をのみ思ひこし路[ぢ]の白山はいつかは雪の消ゆる時ある
越なりける人につかはしける
きのつらゆき
思ひやる越のしら山しらねどもひと夜も夢に越えぬ夜ぞなき
題しらず
よみ人しらず
いざここに我が世は經なむ菅原や伏見の里の荒れまくも惜し
わが庵[※いほ]は三輪の山もと戀ひしくばとぶらひ來ませ杉立てる門[※かど]
きせん法師
わが庵は都のたつみしかぞ住む世をうぢ山と人はいふなり
よみ人しらず
荒れにけりあはれ幾世の宿なれや住みけむ人の訪れもせぬ
奈良へまかりける時に、あれたる家に、女の琴ひきけるを聞きて、よみて入れたりける
良岑宗貞
わび人の住むべき宿と見るなべになげき加はる琴の音ぞする
初瀨[※はつせ]にまうづる道に、奈良の京にやどれりける時よめる
二條
人ふるす里をいとひて來しかども奈良の都も憂き名なりけり
題しらず
よみ人しらず
世の中はいづれかさしてわがならむ行きとまるをぞ宿と定むる
逢坂の嵐のかぜは寒けれど行方知らねばわびつつぞぬる
風のうへにありか定めぬ塵の身は行方も知らずなりぬべらなり
家を賣りてよめる
伊勢
あすか川淵にもあらぬわが宿もせにかはり行くものにぞありける
筑紫に侍りける時に、まかり通ひて碁うちける人の許に、京に歸りまうできて、つかはしける
紀友則
故里は見しごともあらす斧[※をの]の柄[※え]のくちし所ぞ戀ひしかりける
女ともだちと物語して、別れてのちにつかはしける
みちのく
飽かざりし袖の中にや入りにけむわが魂のなきここちする
寛平御時に、もろこしのはう官に召されて侍りける時に、東宮のさぶらひにて、をのこども酒たうべけるついでによみ侍りける
藤原忠房
なよ竹のよ長きうへに初霜のおきゐて物をおもふ頃かな
題しらず
よみ人しらず
風吹けば沖つ白波立田山夜半[※よは]にや君がひとり越ゆらむ
ある人、この歌は、昔大和の國なりける人のむすめに、ある人住みわたりけり、この女親もなくなりて、家もわるくなり行くあひだに、この男かふち[※河内]の國に人をあひ知りて通ひつつ、かれやうにのみなりゆきけり、さりけれどもつらげなるけしきも見えで、かふちへいく每に、をとこの心のごとくにしつついだしやりければ、怪しと思ひて、若しなきまにこと心もやあると疑ひて、月のおもしろかりける夜かふちへいくまねにて、前栽のなかに隱れて見ければ、夜ふくるまで、琴をかきならしつつ、うちなげきてこの歌をよみて寢にければ、これを聞きて、それより又ほかへもまからずなりにけり、となむいひ傳へたる
誰[※た]がみそぎゆふつけ鳥か唐ころも立田の山にをりはへて鳴く
忘られむ時しのべとぞ濱千鳥ゆくへも知らぬ跡をとどむる
貞觀御時、萬葉集はいつばかりつくれるぞと問はせ給ひければ、よみて奉りける
文屋ありすゑ
神無月時雨降りおける楢[※なら]の葉の名に負ふ宮のふるごとぞこれ
寛平御時、歌奉りけるついでに、たてまつりける
大江千里
あし鶴[※たづ]のひとりおくれて鳴く聲は雲の上まで聞えつがなむ
藤原勝臣
人知れず思ふ心は春霞立ち出でて君が目にも見えなむ
歌召しける時に、奉るとてよみて、奧にかきつけて奉りける
伊勢
山河の音にのみ聞く百敷[※もゝしき]をみ[※身]をはやながら見るよしもがな
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