古今和歌集卷第十七。雜哥上。原文。(窪田空穗ニ依ル戦前ノ校本)
古今和歌集
○已下飜刻底本ハ窪田空穗之挍註ニ拠ル。是卽チ
窪田空穗編。校註古今和歌集。東京武蔵野書院。昭和十三年二月二十五日發行。窪田空穗ハ近代ノ歌人。
はかな心地涙とならん黎明[しののめ]のかかる靜寂[しじま]を鳥來て啼かば
又ハ
わが胸に觸れつかくるるものありて捉へもかねる靑葉もる月。
底本ノ凡例已下ノ如ク在リ。
一、本書は高等専門諸學校の國語科敎科書として編纂した。
一、本書は流布本といはれる藤原定家挍訂の貞應本を底本とし、それより時代の古い元永本、淸輔本を參照し、異同の重要なものを上欄[※所謂頭註。]に記した。この他、參照の用にしたものに、古今六帖、高野切、筋切、傳行成筆、顯註本、俊成本がある。なほ諸本により、本文の歌に出入りがある。(下畧。)
○飜刻凡例。
底本上記。又金子元臣ノ校本參照ス。是出版大正十一年以降。奧附无。
[ ]内原書訓。[※]内及※文ハ飜刻者訓乃至註記。
古今和歌集卷第十七
雜歌上
題しらず
よみ人しらず
我がうへに露そ置くなる天の川とわたる船の櫂のしづくか
思ふどちまとゐせる夜は唐錦たたまく惜しきものにぞありける
うれしきを何につつまむ唐衣袂ゆたかに裁[※た]てといはましを
限りなき君が爲にと折る花は時しもわかぬ物にぞありける
ある人のいはく、この歌は、さきのおほいまうち君のなり
紫の一もとゆゑに武藏野の草はみながらあはれとぞ見る
女[め]のおとうとをもて侍りける人に、うへのきぬを贈るとて、よみてやりける
なりひらの朝臣
紫の色濃き時は目もはるに野なる草木ぞわかれざりける
大納言ふぢはらの國經の朝臣、宰相より中納言になりける時に、染めぬうへのきぬの綾を贈るとてよめる
近院右のおほいまうち君
色なしと人や見るらむ昔より深き心に染めてしものを
いそのかみの並松が、宮づかへもせで、いその上といふ所にこもり侍りけるを、俄にかうぶり賜はれりければ、喜びいひつかはすとて、よみて遣はしける
ふるのいまみち
日の光やぶしわかねば石[※いそ]の上ふりにし里に花も咲きけり
二條のきさきの、まだ東宮のみやすん所と申しける時に、大原野にまうで給ひける日よめる
なりひらの朝臣
大原やをしほの山も今日こそは神代のことも思ひいづらめ
五節の舞姬をみてよめる
よしみねのむねさだ
天つ風雲の通ひ路吹きとぢよをとめの姿しばしとどめむ
五節のあしたにかむざしの玉の落ちたりけるを見て、誰がならむととぶらひてよめる
河原の左のおほいまうち君
主やたれとへど白玉いはなくにさらばなべてやあはれと思はむ
寛平御時に、うへのさぶらひに侍りけるをのこども、瓶[※かめ]を持たせて、きさいの宮の御方に、大御酒[※おほみけ]のおろしときこえに奉りたりけるを、くら人ども笑ひて、瓶をおまへにもていでて、ともかくもいはずなりにければ、使の歸りきて、さなむありつるといひければ、くら人のなかに贈りける
としゆきの朝臣
玉だれのこがめやいづらこよろぎの磯の浪分け沖に出でにけり
女どもの見て笑ひければよめる
けむげいほうし
かたちこそみ山がくれの朽木なれ心は花になさばなりなむ
方たがへに、人の家にまかれりける時に、あるじのきぬを著[※き]せたりけるを、あしたに返すとてよめる
きのとものり
蟬の羽のよるの衣は薄けれどうつり香濃くも匂ひぬるかな
題しらず
よみ人しらず
遲く出づる月にもあるかな足引の山のあなたも惜しむべらなり
わが心なぐさめかねつ更級[※さらしな]やをばすて山に照る月を見て
なりひらの朝臣
おほ方は月をもめでしこれぞこの積れば人の老いとなるもの
月おもしろしとて、凡河内躬恒がまうできたりけるによめる
紀貫之
かつ見れど疎くもあるかな月影の到らぬ里もあらじと思へば
池に月の見えけるをよめる
二つなきものと思ひしをみな底に山の端[※は]ならで出づる月影
題しらず
よみ人しらず
天の川雲のみをにてはやければ光とどめず月ぞ流るる
飽ずして月の隱るる山本はあなた面[※おもて]ぞ戀しかりける
惟喬の親王の、狩りしける供にまかりて、やどりに歸りて、夜ひとよ酒をのみ、物がたりをしけるに、十一日の月も隱れなむとしける折に、親王ゑひて、うちへ入りなむとしければ、よみ侍りける
なりひらの朝臣
飽かなくにまだきも月の隱るるか山の端逃げて入れずもあらなむ
田村のみかどの御時に、齊院に侍りけるあきらけいこのみこを、母あやまちありといひて、齋院をかへられむとしけるを、その事やみにければよめる
あま敬信
大空を照り行く月し淸ければ雲かくせどもひかり消[※け]なくに
題しらず
よみ人しらず
石[いそ]の上[かみ]ふるから小野のもと柏[※かしは]もとの心は忘られなくに
いにしへの野中の淸水ぬるけれどもとの心を知る人ぞ汲む
いにしへのしづの苧環[をだまき]いやしきもよきも盛りはありしものなり
今こそあれ我も昔は男山さかゆく時もありこしものを
世の中にふりぬる物は津の國の長柄[※ながら]の橋と我となりけり
ささの葉に降りつむ雪のうれを重み本くだち行くわが盛りはも
大荒木[※おほあらき]の森の下草老いぬれば駒もすさめず刈る人もなし
又は、櫻あさのをふの下草
數ふればとまらぬ物をとしといひて今年はいたく老いぞしにける
おし照るや難波のみ津に燒く鹽のからくも我は老いにけるかな
又は、大伴のみ津の濱べに
老いらくの來むと知りせば門[※かど]さしてなしと答へてあはざらましを
この三つの歌は、昔有りけるみたりのおきなの詠めるとなむ
さかさまに年も行かなむ取りもあへず過ぐる齡[※よはひ]や共にかへると
とりとむる物にしあらねば年月をあはれあな憂[※う]と過しつるかな
とどめあへずむべもとしとはいはれけり然もつれなく過ぐる齡か
鏡山いざ立ち寄りて見てゆかむ年經ぬる身は老いやしぬると
この歌は、ある人のいはく、大伴のくろぬしがなり
業平朝臣の母のみこ、長岡にすみ侍りける時に、業平、宮づかへすとて、時時もえまかりとぶらはず侍りければ、しはすばかりに、母のみこの許より、とみの事とて文をもてまうできたり。あけて見れば、詞[※ことば]はなくて、ありけるうた
老いぬればさらぬ別もありといへばいよいよ見まくほしき君かな
返し
業平朝臣
世の中にさらぬ別のなくもがな千代もとなげく人の子の爲
寛平御時、きさいの宮の歌合のうた
在原むねやな
白雪の八重降りしけるかへる山かへるがへるも老いにけるかな
おなじ御時のうへのさぶらひにて、をのこどもに大御酒[※おほみき]たまひて、大御遊[※おほみあそび]ありけるついでに、仕うまつれる
としゆきの朝臣
老いぬとてなどかわが身をせめぎけむ老いずばけふにあはましものか
題しらず
よみ人しらず
ちはやぶる宇治の橋守なれをしぞあはれとは思ふ年の經ぬれば
われ見ても久しくなりぬ住の江の岸の姬松幾代へぬらむ
住吉の岸の姬松人ならば幾代か經しと問はましものを
梓弓いそ邊の小松たが世にか萬代[※よろづよ]かねて種を蒔きけむ
この歌はある人のいはく、柿本人麿がなり
かくしつつ世をや盡さむ高砂の尾上[※をのへ]に立てる松ならなくに
藤原おきかぜ
たれをかも知る人にせむ高砂の松も昔の友ならなくに
よみ人しらず
わたつ海の沖つ潮合[※しほあひ]に浮ぶ泡の消えぬものから寄る方もなし
わたつ海のかざしに挿せる白妙の浪もてゆへる淡路嶋山
わたの原よせくる波のしばしばも見まくのほしき玉津嶋かも
難波がた潮滿ち來らしあま衣たみのの島にたづ鳴き渡る
貫之が和泉の國に侍りける時に、やまとより越えまうで來て、よみてつかはしける
藤原ただふさ
君を思ひおきつの濱になく鶴[たづ]のたづね來ればぞありとだに聞く
返し
つらゆき
おきつ浪たかしの濱のはま松の名にこそ君を待ち渡りつれ
難波にまかれりける時よめる
難波潟おふる玉藻をかりそめの蜑[※あま]とぞ我はなりぬべらなる
あひ知れりける人の住吉にまうでけるに、よみてつかはしける
みぶのただみね
住吉と蜑は告ぐとも長居すな人忘草生ふといふなり
難波へまかりける時、田蓑[※たみの]の島にて雨にあひてよめる
つらゆき
雨によりたみのの島を今日行けど名には隱れぬ物にぞありける
法皇、西河におはしましたりける日、鶴洲[※つるす]にたてりといふことを題にて、よませたまひける
あし鶴[※たづ]の立てる河邊を吹く風に寄せて返らぬ浪かとぞ見る
中務のみこの家の池に、舟をつくりておろしはじめて遊びける日、法皇御覧じにおはしましたりけり、夕さりつかた、かへりおはしまさむとしける折に、よみて奉りける
伊勢
水の上に浮べる船の君ならばここぞとまりといはましものを
唐琴[※からこと]といふ所にてよめる
眞靜法師
都までひひき通へるからことは浪の緒すげて風ぞひきける
布引[※ぬのひき]の瀧にてよめる
在原行平朝臣
こき散らす瀧の白玉ひろひおきて世の憂き時の淚にぞかる
布引の瀧のもとにて、人人集りて、歌よみける時によめる
なりひらの朝臣
ぬき亂る人こそあるらし白玉のまなくも散るか袖のせばきに
吉野の瀧を見てよめる
承均法師
誰[※た]がために引きて晒せる布[※ぬの]なれや世を經て見れどとる人もなき
題しらず
神たい法師
淸瀧[※きよたき]の瀨瀨の白絲くりためて山わけ衣おりて着ましを
龍門にまうでて、瀧のもとにてよめる
伊勢
たち縫はぬきぬ著[※き]し人もなきものをなに山姬の布さらすらむ
朱雀院のみかど、布引の瀧御覧ぜむとて、ふむ月のなぬかの日、おはしましてありける時に、さぶらふ人人に、歌詠ませたまひけるによめる
たちばなのながもり
主なくて晒せる布を棚機[※たなばた]にわが心とやけふはかさまし
ひえの山なる音羽[※おとは]の瀧を見てよめる
ただみね
落ちたぎつ瀧のみなかみ年つもり老いにけらしな黑き筋なし
おなじ瀧をよめる
みつね
風ふけど所も去らぬ白雲は世を經ておつる水にぞありける
田村の御時に、女房のさぶらひにて、御屏風の繪御覧じけるに、瀧おちたりけるところ面白し、これを題にて歌よめとさぶらふ人に仰せられければよめる
三條の町
思ひせく心のうちの瀧なれや落つとは見れど音の聞えぬ
屏風の繪なる花をよめる
つらゆき
咲きそめし時より後はうちはへて世は春なれや色の常なる
屏風の繪によみ合はせて書きける
坂上これのり
刈りてほす山田の稻のこき垂れて泣きこそわたれ秋の憂ければ
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