古今和歌集卷第十六。哀傷哥。原文。(窪田空穗ニ依ル戦前ノ校本)
古今和歌集
○已下飜刻底本ハ窪田空穗之挍註ニ拠ル。是卽チ
窪田空穗編。校註古今和歌集。東京武蔵野書院。昭和十三年二月二十五日發行。窪田空穗ハ近代ノ歌人。
はかな心地涙とならん黎明[しののめ]のかかる靜寂[しじま]を鳥來て啼かば
又ハ
わが胸に觸れつかくるるものありて捉へもかねる靑葉もる月。
底本ノ凡例已下ノ如ク在リ。
一、本書は高等専門諸學校の國語科敎科書として編纂した。
一、本書は流布本といはれる藤原定家挍訂の貞應本を底本とし、それより時代の古い元永本、淸輔本を參照し、異同の重要なものを上欄[※所謂頭註。]に記した。この他、參照の用にしたものに、古今六帖、高野切、筋切、傳行成筆、顯註本、俊成本がある。なほ諸本により、本文の歌に出入りがある。(下畧。)
○飜刻凡例。
底本上記。又金子元臣ノ校本參照ス。是出版大正十一年以降。奧附无。
[ ]内原書訓。[※]内及※文ハ飜刻者訓乃至註記。
古今和歌集卷第十六
哀傷哥
いもうとの身まかりにける時よめる
小野たかむらの朝臣
泣く淚雨とふらなむ渡り河水まさりなば歸り來るかに
さきのおほきおほいまうちぎみを、白河のあたりにおくりける夜よめる
素性法師
血の淚落ちてぞたぎつ白河は君が世までの名にこそありけれ
ほりかはのおほきおほいまうち君、身まかりにける時に、深草の山にをさめてける後によみける
僧都勝延
うつせみはからを見つつも慰めつ深草の山煙だに立て
かむつけのみねを
深草の野べの櫻し心あらば今年ばかりは墨染に咲け
藤原敏行朝臣の身まかりにける時に、よみてかの家に遣はしける
紀友則
寢てもみゆ寢でも見えけり大方はうつせみの世ぞ夢にはありける
あひ知れりける人の、身まかりにければよめる
紀貫之
夢とこそいふべかりけれ世の中にうつつあるものと思ひけるかな
あひ知れりける人の、身まかりにける時によめる
壬生忠岑
寢[※ぬ]るがうちに見るをのみやは夢といはむはかなき世をも現[※うつゝ]とは見ず
あねの身まかりにける時によめる
瀨をせけば淵となりても淀みけり別れをとむる柵[※しがらみ]ぞなき
藤原の忠房が昔あひ知りて侍りける人の、身まかりにける時に、とぶらひに遣すとてよめる
閑院
先立たぬ悔[くゐ]のやちたび悲しきは流るる水のかへり來ぬなり
紀友則が身まかりにける時よめる
つらゆき
明日知らぬ我が身と思へどくれぬ間の今日は人こそ悲しかりけれ
ただみね
時しもあれ秋やは人の別るべきあるを見るだに戀しきものを
母がおもひにてよめる
凡河内躬恒
神無月時雨に濡るるもみぢ葉はただわび人の袂なりけり
父がおもひにてよめる
ただみね
藤衣はつるる絲はわび人の淚の玉の緒とぞなりける
おもひに侍りける年の秋、山寺へまかりける道にてよめる
つらゆき
朝露のおくての山田かりそめにうき世の中を思ひぬるかな
おもひに侍りける人を、とぶらひにまかりてよめる
ただみね
墨染の君が袂は雲なれや絕えず淚の雨とのみ降る
女[め]の親のおもひにて、山寺に侍りけるを、ある人のとぶらひ遣せりければ、かへり事によめる
よみ人しらす
足引の山べに今はすみぞめの衣の袖はひる時もなし
諒闇の年、池のほとりの花を見てよめる
篁朝臣
水の面[※おも]にしづく花の色さやかにも君がみ影の思ほゆるかな
深草のみかどの御國忌の日よめる
文屋やすひで
草深き霞の谷に影隱し照る日のくれし今日にやはあらぬ
深草のみかどの御時に、藏人頭にて、よるひる馴れ仕うまつりけるを、諒闇になりにければ、更に世にもまじらずしてひえ[※比叡]の山にのぼりて、かしらおろしてけり、その又のとし、みな人御ぶくぬぎて、あるはかうぶり給はりなどよろこびけるを聞きてよめる
僧正遍昭
みな人は花の衣になりぬなり苔の袂よかわきだにせよ
河原のおほいまうち君の身まかりての秋、かの家のほとりをまかりけるに、紅葉の色まだ深くもならざりけるを見て、かの家によみていれたりける
近院右のおほいまうち君
うちつけに寂しくもあるかもみぢ葉も主なき宿は色なかりけり
藤原高經朝臣のみまかりての又の年の夏、郭公の鳴きけるを聞きてよめる
つらゆき
ほととぎす今朝鳴くこゑに驚けば君を別れし時にぞありける
櫻を植ゑてありけるに、やうやく花咲きぬべき時に、かの植ゑける人みまかりにければ、その花を見てよめる
きのもちゆき
花よりも人こそあだになりにけれいづれを先に戀ひむとか見し
あるじ身まかりにける人の家の、梅の花を見てよめる
貫之
色も香も昔の濃さに匂へども植ゑけむ人の影ぞ戀しき
河原の左のおほいまうち君の身まかりてのち、かの家にまかりてありけるに、鹽竈[※しほかま]といふ所のさまを造れりけるを見てよめる
君まさで煙絕えにし鹽竈のうらさびしくも見え渡るかな
藤原のとしもとの朝臣の右近中將にて住み侍りけるざうしの、身まかりてのち人も住まずなりにけるに、秋の夜ふけて、ものよりまうできけるついでに見入れければ、もとありし前栽も、いとしげく荒れたりけるを見て、はやくそこに侍りければ、昔を思ひやりてよみける
みはるのありすけ
君が植ゑし一むら薄[※すすき]蟲のねのしげき野邊ともなりにけるかな
惟喬の親王の、父の侍りけむ時によめりけむ歌どもとこひければ、書きておくりける奧に、よみてかけりける
とものり
ことならば言の葉さへも消えななむ見れば淚のたぎまさりけり
題しらず
よみ人しらず
なき人の宿に通はば郭公かけて音[※ね]にのみなくと告げなむ
たれ[※誰]見よと花咲けるらむ白雲の立つ野と早くなりにしものを
式部卿のみこ、閑院の五のみこに住みわたりけるを、いくばくもあらで、女みこの身まかりにける時に、かのみこ住みける帳のかたびらの紐に、ふみをゆひつけたりけるを取りて見れば、昔の手にて、この歌をなむ、書きつけたりける
よみ人しらず
かずかずに我を忘れぬものならば山の霞をあはれとは見よ
男の人の國にまかれりけるまに、女俄にやまひをして、いと弱くなりにける時、よみおきて身まかりにける
よみ人しらず
聲をだに聞かで別るるたまよりもなき床にねむ君ぞかなしき
やまひに煩らひ侍りける秋、心地のたのもしげなく覺えければ、よみて人のもとにつかはしける
大江千里
もみぢ葉を風にまかせて見るよりもはかなきものは命なりけり
身まかりなむとてよめる
藤原これもと
露をなどあだなる物と思ひけむわが身も草に置かぬばかりを
やまひして弱くなりにける時よめる
なりひらの朝臣
つひに行く道とはかねて聞きしかど昨日けふとは思はざりしを
甲斐の國にあひ知りて侍りける人とぶらはむとて、まかりけるを、道なかにて、にはかに病をして、いまいまとなりにければ、よみて、京にもてまかりて、母にみせよといひて、人につけ侍りけるうた
在原滋春
かりそめの行きかひ路[※ぢ]とぞ思ひこし今は限りの門出なりけり
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