古今和歌集卷第十五。戀哥五。原文。(窪田空穗ニ依ル戦前ノ校本)
古今和歌集
○已下飜刻底本ハ窪田空穗之挍註ニ拠ル。是卽チ
窪田空穗編。校註古今和歌集。東京武蔵野書院。昭和十三年二月二十五日發行。窪田空穗ハ近代ノ歌人。
はかな心地涙とならん黎明[しののめ]のかかる靜寂[しじま]を鳥來て啼かば
又ハ
わが胸に觸れつかくるるものありて捉へもかねる靑葉もる月。
底本ノ凡例已下ノ如ク在リ。
一、本書は高等専門諸學校の國語科敎科書として編纂した。
一、本書は流布本といはれる藤原定家挍訂の貞應本を底本とし、それより時代の古い元永本、淸輔本を參照し、異同の重要なものを上欄[※所謂頭註。]に記した。この他、參照の用にしたものに、古今六帖、高野切、筋切、傳行成筆、顯註本、俊成本がある。なほ諸本により、本文の歌に出入りがある。(下畧。)
○飜刻凡例。
底本上記。又金子元臣ノ校本參照ス。是出版大正十一年以降。奧附无。
[ ]内原書訓。[※]内及※文ハ飜刻者訓乃至註記。
古今和歌集卷第十五
戀哥五
五條のきさいの宮の西の對[※たい]に住みける人に、ほいにはあらで物いひわたりけるを、む月の十日あまりになむ、ほかへ隱れにける、あり所は聞きけれど、え物もいはで、又の年の春、梅の花ざかりに、月のおもしろかりける夜、こぞを戀ひて、かの西の對にいきて、月のかたぶくまで、あばらなる板敷[※いたしき]にふせりてよめる
在原業平朝臣
月やあらぬ春や昔の春ならぬわが身一つはもとの身にして
題しらず
藤原なかひらの朝臣
花すすき我こそしたに思ひしかほに出でて人に結ばれにけり
藤原かねすけの朝臣
よそにのみ聞かましものを音羽[※おとは]川渡るとなしにみなれ初めけむ
凡河内躬恒
わが如く我を思はむ人もがなさてもや憂きと世を試みむ
もとかた
久方の天つ空にも住まなくに人はよそにぞ思ふべらなる
よみひとしらず
見ても又またも見まくのほしければ馴るるを人は厭ふべらなり
きのとものり
雲もなくなぎたる朝の我なれやいとはれてのみ世をば經ぬらむ
よみ人しらず
花がたみ目並[※めなら]ぶ人の數多[※あまた]あれば忘られぬらむ數ならぬ身は
うきめのみ生[※お]ひてながるる浦なればかりにのみこそ蜑[※あま]は寄るらめ
伊勢
合ひに合ひて物思ふ頃のわが袖にやどる月さへ濡るる顏なる
よみ人しらず
秋ならでおく白露は寢覺するわが手枕[※たまくら]のしづくなりけり
須磨の蜑の鹽燒衣[しほやきごろも]をさをあらみまどほにあれや君が來まさぬ
山城の淀の若菰[※わかこも]かりにだに來ぬ人たのむ我ぞはかなき
あひ見ねば戀こそまされみなせ川何に深めて思ひそめけむ
暁の鴫[※しぎ。鷸]のはね掻き百[※もも]は掻き君が來ぬ夜は我そ數かく
玉かづら今は絕ゆとや吹く風の音にも人の聞えざるらむ
我が袖にまだき時雨のふりぬるは君が心に秋や來ぬらむ
山の井の淺き心も思はぬを[※に]影ばかりのみ人の見ゆらむ
忘草種[※たね]とらましを逢ふことのいとかくかたき物と知りせば
戀ふれども逢ふ夜のなきは忘草夢路にさへや生[※お]ひ茂るらむ
夢にだに逢ふこと難くなり行くは我やいを寢ぬ人やわするる
兼藝法師
もろこしも夢に見しかば近かりき思はぬなかぞ遙けかりける
さだののぼる
獨のみ眺めふる屋のつまなれば人をしのぶの草ぞ生[※お]ひける
僧正遍昭
わが宿は道もなきまで荒れにけりつれなき人を待つとせし間に
今來むといひて別れし朝[※あした]より思ひくらしの音[※ね]をのみぞなく
よみ人しらず
來めやとは思ふものからひぐらしの鳴く夕暮は立ち待たれつつ
今しはとわびにしものをささがにの衣にかかり我を賴むる
今は來じと思ふものから忘れつつ待たるる事のまだもやまぬか
月夜には來ぬ人待たるかき曇り雨もふらなむ佗びつつも寢む
植ゑていにし秋田刈るまで見え來ねば今朝初雁の音[※ね]にぞなきぬる
來ぬ人を待つ夕暮の秋風はいかに吹けばかわびしかるらむ
久しくもなりにけるかな住の江のまつは苦しきものにぞありける
かねみのおほきみ
住の江のまつほど久[※ひさ]になりぬれば蘆鶴[※あしたづ]の音になかぬ日はなし
なかひら朝臣あひ知りて侍りけるを、かれ方になりにければ、父が大和の守[※かみ]に侍りける許へまかるとて、よみて遣しける
伊勢
三輪の山いかに待ちみむ年ふとも尋ぬる人もあらじと思へば
題しらず
雲林院のみこ
吹き迷ふ野風をさむみ秋萩のうつりも行くか人の心の
をののこまち
今はとてわが身時雨にふりぬれば言の葉さへに移ろひにけり
返し
小野さだき
人を思ふ心の木の葉にあらばこそ風のまにまに散りも亂れめ
業平の朝臣、紀の有常がむすめに住みけるを、うらむることありて、しばしのあひだ、晝[※ひる]はきて、夕さりは歸りのみしければ、よみてつかはしける
あま雲のよそにも人のなり行くかさすがに目には見ゆるものから
返し
なりひらの朝臣
行きかへり空にのみして經[※ふ]る事は我がゐる山の風早みなり
題しらず
かげのりのおほきみ
唐衣なれば身にこそまつはれめかけてのみやは戀ひむと思ひし
とものり
秋風は身を分けてしも吹かなくに人の心の空になるらむ
源宗于朝臣
つれもなくなり行く人の言の葉ぞ秋よりさきの紅葉なりける
心地そこなへりける頃あひ知りて侍りける人のとはで、心地怠りてのちとぶらへりければ、よみてつかはしける
兵衞
死出の山麓を見てぞ歸りにしつらき人よりまづ越えじとて
あひ知れりける人の、やうやく離[※か]れ方になりけるあひだに、燒けたる茅の葉に、ふみをさしてつかはせりける
小町があね
時過ぎてかれゆく小野の淺茅[※あさぢ]には今は思ひぞ絕えず燃えける
物思ひける頃、物へまかりける道に、野火のもえけるをみてよめる
伊勢
冬枯の野邊とわが身を思ひせば燃えても春を待たましものを
題しらず
とものり
水の沫[※あわ]のきえでうき身といひながらながれて猶も賴まるるかな
よみ人しらず
みなせ川ありて行く水なくばこそつひにわが身を絕えぬと思はめ
みつね
吉野川よしや人こそつらからめはやく言ひてし事は忘れじ
よみ人しらず
世の中の人の心は花ぞめのうつろひやすき色にぞありける
心こそうたて憎けれ染めざらば移ろふことも惜しからましや
こまち
色見えで移ろふものは世の中の人の心の花にぞありける
よみ人しらず
我のみや世をうぐひすとなき佗びむ人の心の花と散りなば
素性法師
思ふとも離[※か]れなむ人をいかがせむ飽かず散りぬる花とこそ見め
よみ人しらず
今はとて君が離[※か]れなばわが宿の花をばひとり見てやしのばむ
むねゆきの朝臣
忘草枯れもやするとつれもなき人の心に霜は置かなむ
寛平御時、御屏風に歌かかせ給ひける時、よみてかきける
そせいほうし
忘草なにをか種[※たね]と思ひしはつれなき人の心なりけり
題しらず
秋の田のいねてふ言もかけなくに何をうしとか人のかるらむ
きのつらゆき
初雁のなきこそ渡れ世の中の人の心のあきし憂ければ
よみ人しらず
あはれとも憂しとも物を思ふ時などか淚のいとながるらむ
身を憂しと思ふに消えぬ物なればかくても經ぬる世にこそありけれ
典侍藤原直子朝臣
蜑の刈る裳にすむ蟲のわれからと音[※ね]をこそ泣かめ世をば恨みじ
いなば
あひ見ぬも憂きもわが身のから衣思ひ知らずも解くる紐かな
寛平御時、きさいの宮の歌合のうた
すがののただおむ
つれなきを今は戀ひじと思へども心弱くも落つる淚か
題しらず
伊勢
人知れず絕えなましかば佗びつつも無きなぞとだにいはまし物を
よみ人しらず
それをだに思ふ事とて我が宿を見きとないひそ人の聞かくに
逢ふことのもはら絕えぬる時にこそ人の戀しきことも知りけれ
佗び果つる時さへ物のかなしきはいづこをしのぶ淚なるらむ
藤原興風
怨みても泣きてもいはむ方ぞなき鏡に見ゆる影ならずして
よみ人しらず
夕されば人なき床を打拂ひなげかむ爲となれるわが身か
わたつみの我が身越す浪たち返り蜑の住むてふうらみつるかな
あらを田をあらすき返し返しても人の心を見てこそやまめ
ありそ海の濱の眞砂[※まさご]と賴めしは忘るることの數にぞありける
蘆べより雲居をさして行く雁のいや遠ざかる我が身かなしも
しぐれつつもみづるよりも言の葉の心のあきに逢ふぞ侘びしき
秋風の吹きと吹きぬる武藏野はなべて草葉の色かはりけり
小町
あき風に逢ふたのみこそ悲しけれわがみ空しくなりぬと思へば
平貞文
秋風の吹き裏がへす葛の葉のうらみてもなほ恨めしきかな
よみ人しらず
秋といへばよそにぞ聞きしあだ人の我をふるせる名にこそありけれ
忘らるる身を宇治橋の中絕えて人も通はぬ年ぞ經にける
又は、こなたかなたに人も通はず
坂上これのり
逢ふことをながらの橋のながらへて戀ひ渡るまに年ぞ經にける
とものり
うきながら消[※け]ぬる沫[※あわ]ともなりななむながれてとだに賴まれぬ身は
よみ人しらず
ながれては妹背の山のなかに落つる吉野の河のよしや世の中
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