古今和歌集卷第十四。戀哥四。原文。(窪田空穗ニ依ル戦前ノ校本)
古今和歌集
○已下飜刻底本ハ窪田空穗之挍註ニ拠ル。是卽チ
窪田空穗編。校註古今和歌集。東京武蔵野書院。昭和十三年二月二十五日發行。窪田空穗ハ近代ノ歌人。
はかな心地涙とならん黎明[しののめ]のかかる靜寂[しじま]を鳥來て啼かば
又ハ
わが胸に觸れつかくるるものありて捉へもかねる靑葉もる月。
底本ノ凡例已下ノ如ク在リ。
一、本書は高等専門諸學校の國語科敎科書として編纂した。
一、本書は流布本といはれる藤原定家挍訂の貞應本を底本とし、それより時代の古い元永本、淸輔本を參照し、異同の重要なものを上欄[※所謂頭註。]に記した。この他、參照の用にしたものに、古今六帖、高野切、筋切、傳行成筆、顯註本、俊成本がある。なほ諸本により、本文の歌に出入りがある。(下畧。)
○飜刻凡例。
底本上記。又金子元臣ノ校本參照ス。是出版大正十一年以降。奧附无。
[ ]内原書訓。[※]内及※文ハ飜刻者訓乃至註記。
古今和歌集卷第十四
戀哥四
題しらず
よみ人しらず
みちのくの安積[あさか]の沼の花かつみかつ見る人に戀ひや渡らむ
逢ひ見ずば戀しき事もなからまし音[※おと]にぞ人を聞くべかりける
つらゆき
石[いそ]の上[※かみ]ふるの中道なかなかに見ずば戀しと思はましやは
ふぢはらのただゆき
君といへば見まれ見ずまれ富士の根の珍らしげなく燃ゆるわが戀
伊勢
夢にだに見ゆとは見えじあさなあさなわが面影にはづる身なれは
よみ人しらず
石間[いしま]ゆく水の白波立ちかへりかくこそは見め飽かずもあるかな
伊勢のあまの朝な夕なにかづくてふみるめに人を飽く由もがな
とものり
春霞たなびく山の櫻花見れども飽かぬ君にもあるかな
ふかやぶ
心をぞわりなきものと思ひぬる見るものからや戀しかるべき
凡河内みつね
かれ果てむ後をば知らで夏草の深くも人の思ほゆるかな
よみ人しらず
飛鳥河ふちは瀨になる世なりとも思ひそめてむ人は忘れじ
寛平御時、きさいの宮の歌合のうた
思ふてふ言の葉のみや秋を經て色もかはらぬ物にはあるらむ
題しらず
さ筵[※むしろ]に衣片敷[※かたし]き今宵もや我を待つらむ宇治の橋姬
又は、宇治の玉姬
君や來む我や行かむのいさよひに槇[※まき]の板戶もささず寢にけり
素性法師
今來むといひしばかりに長月の在明[※ありあけ]の月を待ちいでつるかな
よみ人しらず
月夜よし夜よしと人に告げやらば來てふに似たり待たずしもあらず
君來ずば閨[※ねや]へも入らじ濃紫[※こむらさき]わが元結[※もとゆひ]に霜は置くとも
宮城野[※みやぎの]の本[※もと]あらの小萩露を重み風を待つごと君をこそ待て
あな戀し今も見てしが山がつの垣ほに咲けるやまと撫子
津の國のなには思はず山城のとはに逢ひ見むことをのみこそ
つらゆき
敷島ややまとにはあらぬ唐衣ころも經[※へ]ずし逢ふよしもがな
ふかやぶ
戀ひしとは誰が名づけけむ言ならむ死ぬとぞただにいふべかりける
よみ人しらず
み吉野の大河[おほかは]のべの藤浪のなみに思はばわが戀ひめやは
かく戀ひむ物とは我も思ひにき心のうらぞまさしかりける
天の原ふみとどろかし鳴る神も思ふ中をばさくる物かは
梓弓ひき野のつづら末[※すゑ]つひにわが思ふ人に言の繁[※しげ]けむ
この歌は、ある人、あめのみかどの、あふみのうねめに給ひけるとなむ申す
夏引[※なつひき]の手びきの絲をくり返へし言繁[※しげ]くとも絕えむと思ふな
この歌は、返しによみてたてまつりけるとなむ
里人の言は夏野のしげくともかれゆく君に逢はざらめやは
藤原敏行朝臣の、なりひらの朝臣の家なりける女をあひしりて、ふみ遣はせりけることばに、今まうでく、雨の降りけるをなむ見わづらひ侍る、といへりけるを聞きて、かの女にかはりてよめりける
在原業平朝臣
かずかずに思ひ思はず問ひがたみ身をしる雨はふりぞ増れる
ある女の、なりひらの朝臣を、所定めずありきすと思ひて、よみてつかはしける
よみ人しらず
大幣[※おほぬさ]の引く手あまたになりぬれば思へどえこそ賴まざりけれ
返し
なりひらの朝臣
大幣と名にこそ立てれ流れてもつひに寄る瀨はありてふものを
題しらず
よみ人しらず
須磨のあまの鹽[※しほ]燒く煙風をいたみ思はぬ方にたなびきにけり
玉葛[※たまかづら]はふ木あまたになりぬれば絕えぬ心の嬉しげもなし
誰か里に夜離[※か]れをしてか時鳥ただここにしも寢たる聲する
いで人は言のみぞよき月草のうつし心は色ことにして
偽のなき世なりせばいかばかり人の言の葉うれしからまし
偽と思ふものから今更に誰かまことをか我は賴まむ
素性法師
秋風に山の木の葉のうつろへば人の心もいかがとぞ思ふ
寛平御時、きさいの宮の歌合のうた
とものり
蝉のこゑ聞けば悲しな夏衣うすくや人のならむと思へば
題しらず
よみ人しらず
空蟬の世の人ごとの繁[※しげ]ければ忘れぬもののかれぬべらなり
飽かでこそ思はむ中[なか]ははなれなめそをだに後の忘れがたみに
忘れなむと思ふ心のつくからにありしよりけにまづぞ戀しき
忘れなむ我を恨むな郭公人のあきには逢はむともせず
絕えず行くあすかの川の澱みなば心あるとや人の思はむ
この歌、ある人のいはく、なかとみのあづま人が歌なり
淀河のよどむと人は見るらめどながれて深き心あるものを
素性法師
そこひなき淵やはさわぐ山川の淺き瀨にこそあだ波は立て
よみ人しらず
くれなゐの初花染めの色深く思ひし心われ忘れめや
河原左大臣
陸奧[※みちのく]のしのぶもぢずり誰れ故に亂れむと思ふ我ならなくに
思ふよりいかにせよとか秋風に靡く淺茅[※あさぢ]の色ことになる
ちぢ[※千々]の色に移ろふらめど知らなくに心し秋のもみぢならねば
小野小町
海人のすむ里のしるべにあらなくにうらみむとのみ人のいふらむ
しもつけのをむね
曇り日の影としなれる我なれば目にこそ見えね身をば離れず
つらゆき
色もなき心を人に染めしより移ろはむとは思ほえなくに
よみ人しらず
珍らしき人を見むとやしかもせぬ我が下紐の解けわたるらむ
かげろふのそれかあらぬか春雨のふる人とな[※み]れば袖ぞ濡れぬる
掘江漕ぐ棚無し小舟こぎ返りおなじ人にや戀ひ渡りなむ
伊勢
わたつみと荒れにし床を今更に拂はば袖や沫[※あわ]と浮きなむ
つらゆき
いにしへに猶立ちかへる心かな戀しきことに物忘れせで
人を忍びにあひ知りて、あひ難くありければ、その家のあたりをまかりありきける折に、雁のなくを聞きて、よみてつかはしける
大伴くろぬし
思ひ出でてこひしき時は初雁のなきてわたると人知るらめや
右のおほいまうち君、すまずなりにければ、かの昔おこせたりける文どもを、とりあつめて返すとて、よみておくりける
典侍藤原よるかの朝臣
たのめ來し言の葉今は返してむわが身ふるれば置き所なし
返し
近院の右のおほいまうち君
今はとて返す言の葉拾ひ置きておのが物ものから形見とやみむ
題しらず
よるかの朝臣
玉鉾[※たまほこ]の道は常にもまどはなむ人をとふともわれかと思はむ
よみ人しらず
待てといはば寢ても行かなむ强[※し]ひて行く駒の足折れまへの棚橋
中納言源ののぼるの朝臣の、あふみのすけに侍りける時よみてやれりける
閑院
相坂のゆふつけ鳥にあらばこそ君がゆききをなくなくも見め
題しらす
伊勢
故里にあらぬものからわが爲[※ため]に人の心のあれて見ゆらむ
寵
山がつの垣ほにはへる靑つづら人はくれども言[※こと]づてもなし
さかゐのひとざね
大空は戀しき人の形見かは物思ふ每にながめらるらむ
よみ人知らず
逢ふまでの形見も我は何せむに見ても心のなぐさまなくに
親のまもりける人のむすめに、いと忍びに逢ひて、物らいひけるあひだに、親の呼ぶといひければ、いそぎ歸かるとて、裳[※も]をなむぬぎおきていりにける、そののち、裳を返すとてよめる
おきかぜ
逢ふまでの形見とてこそとどめけめ淚に浮ぶもくづなりけり
題しらず
よみ人しらず
形見こそ今はあだなれこれなくば忘るる時もあらましものを
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