古今和歌集卷第十三。戀哥三。原文。(窪田空穗ニ依ル戦前ノ校本)
古今和歌集
○已下飜刻底本ハ窪田空穗之挍註ニ拠ル。是卽チ
窪田空穗編。校註古今和歌集。東京武蔵野書院。昭和十三年二月二十五日發行。窪田空穗ハ近代ノ歌人。
はかな心地涙とならん黎明[しののめ]のかかる靜寂[しじま]を鳥來て啼かば
又ハ
わが胸に觸れつかくるるものありて捉へもかねる靑葉もる月。
底本ノ凡例已下ノ如ク在リ。
一、本書は高等専門諸學校の國語科敎科書として編纂した。
一、本書は流布本といはれる藤原定家挍訂の貞應本を底本とし、それより時代の古い元永本、淸輔本を參照し、異同の重要なものを上欄[※所謂頭註。]に記した。この他、參照の用にしたものに、古今六帖、高野切、筋切、傳行成筆、顯註本、俊成本がある。なほ諸本により、本文の歌に出入りがある。(下畧。)
○飜刻凡例。
底本上記。又金子元臣ノ校本參照ス。是出版大正十一年以降。奧附无。
[ ]内原書訓。[※]内及※文ハ飜刻者訓乃至註記。
古今和歌集卷第十三
戀哥三
彌生[※やよひ]のついたちより、忍びに人に物らいひて後に、雨のそぼふりけるに、詠みてつかはしける
在原業平朝臣
起きもせず寢もせで夜を明かしては春のものとてながめ暮しつ
業平朝臣の家に侍りける女のもとに、よみて遣しける
としゆきの朝臣
つれづれのながめにまさる淚川袖のみ濡れて逢ふ由もなし
かの女にかはりて、返しによめる
なりひらの朝臣
淺みこそ袖はひづらめ淚川身さへ流ると聞かばたのまむ
題しらず
よみ人しらず
よるべなみ身をこそ遠く隔てつれ心は君が影となりにき
いたづらに行きては來ぬるもの故に見まくほしさにいざなはれつつ
逢はぬ夜のふる白雪と積りなば我さへともに消[※け]ぬべきものを
この歌は、ある人のいはく、柿本人麿が歌なり
なりひらの朝臣
秋の野に笹分[さゝわけ]し朝の袖よりも逢はで來し夜ぞひぢ増りける
小野小町
みるめなき我が身をうらと知らねばや離[か]れなで海人の足たゆく來る
源宗于朝臣
逢はずして今宵明けなば春の日の永くや人をつらしと思はむ
壬生忠岑
有明のつれなく見えし別れより暁ばかり憂きものはなし
ありはらのもとかた
逢ふ事のなぎさにし寄る波なればうらみてのみぞ立ち返りける
よみ人しらず
かねてより風に先立つ波なれや逢ふことなきにまだき立つらむ
ただみね
陸奧[※みちのく]にありといふなる名取川なき名取りては苦しかりけり
みはるのありすけ
あやなくてまだき無き名の立田川渡らでやまむ物ならなくに
元方
人はいさ我は無き名の惜しければ昔も今も知らずとをいはむ
よみ人しらず
懲りずまに又も無き名は立ちぬべし人憎くからぬ世にし住まへば
ひんがしの五條わたりに、人を知りおきて罷り通ひけり。忍びなる所なりければ、かどよりしもえ入らで、かきのくづれより通ひけるを、たび重なりければ、あるじ聞きつけて、かの道に夜ごとに人を臥せてまもらすれば、いきけれどえ逢はでのみかへりて、よみてやりける
なりひらの朝臣
人知れぬわが通路[※かよひぢ]の關守はよひよひ每にうちも寢ななむ
題しらず
つらゆき
忍ぶれど戀しき時は足引の山より月の出でてこそ來れ
よみ人しらず
戀ひ戀ひてまれに今宵ぞあふ坂のゆふつけ鳥は鳴かずもあらなむ
小野小町
秋の夜も名のみなりけり逢ふといへば事ぞともなく明けぬる物を
凡河内躬恒
長しとも思ひぞはてぬ昔より逢ふ人からの秋の夜なれば
よみ人しらず
しののめのほがらほがらと明け行けば己がきぬぎぬなるぞ悲しき
藤原國經朝臣
明ぬとて今はの心つくからになどいひ知らぬ思ひそふらむ
寛平御時、きさいの宮の歌合のうた
としゆきの朝臣
明けぬとて歸る道にはこきたれて雨も淚も降りそぼちつつ
題しらず
寵
しののめの別れを惜しみ我ぞまづ鳥よりさきになきはじめつる
よみ人しらず
郭公夢か現[※うゝつ]か朝露のおきて別れしあかつきの聲
玉くしげ明けば君が名立ちぬべみ夜深く來しを人見けむかも
大江千里
今朝はしもおきけむ方も知らざりつ思ひ出づるぞ消えて悲しき
人にあひてあしたによみてつかはしける
なりひらの朝臣
寢ぬる夜の夢をはかなみまどろめばいやはかなにもなりまさるかな
業平朝臣の、伊勢の國にまかりたりける時、齋宮なりける人に、いとみそかに逢ひて、又のあしたに、人やるすべなくて、思ひをりけるあひだに、女のもとよりおこせたりける
よみ人しらず
君や來し我や行きけむ思ほえず夢かうつつか寢てか覺めてか
返し
なりひらの朝臣
かきくらす心の闇にまどひにき夢うつつとは世人さだめよ
題しらず
よみ人しらず
むば玉の闇の現[※うゝつ]はさだかなる夢にいくらもまさらざりけり
小夜[※さよ]ふけて天[あま]の門[と]渡る月影に飽かずも君を逢ひ見つるかな
君が名も我が名も立てじ難波なるみつともいふな逢ひきともいはじ
名取川瀨瀨の埋木[※うもれぎ]あらはればいかにせむとか逢ひ見そめけむ
吉野川水の心は早くともたきの音には立てじとぞ思ふ
戀しくばしたにを思へ紫の根ずりの衣色に出づなゆめ
をののはるかぜ
花薄[※すゝき]ほに出でて戀ひは名を惜しみ下ゆふ紐の結ぼほれつつ
橘の淸樹[※きよき]が、忍びにあひ知れりける女のもとよりおこせたりける
よみ人しらず
思ふどちひとりびとりか戀ひ死なば誰によそへて藤衣きむ
返し
橘のきよき
泣き戀ふる淚に袖のそぼちなば脱ぎかへがてらよるこそは著[※き]め
題しらず
こまち
現[※うゝつ]にはさもこそあらめ夢にさへ人目をもると見るが佗しさ
限りなき思ひのままに夜[※よる]も來む夢路をさへに人はとがめじ
夢路には足もやすめず通へども現[※うゝつ]に一目見し如はあらず
よみ人しらず
思へども人目づつみの高ければかはと見ながらえこそ渡らね
たぎつ瀨の早き心を何しかも人目づつみのせきとどむらむ
寛平御時、きさいの宮の歌合のうた
きのとものり
紅の色には出でじ隱れ沼[※ぬ]のしたに通ひて戀ひは死ぬとも
題しらず
みつね
冬の池に住むにほ鳥のつれもなくそこに通ふと人に知らすな
笹の葉に置く初霜の夜を寒みしみはつくとも色に出でめや
山科[※やましな]の音羽[※おとは]の山の音[※おと]にだに人の知るべくわが戀ひめかも
この歌ある人あふみのうねめのとなむ申す
きよはらのふかやぶ
みつ潮の流れひるまを逢ひ難みみるめの浦によるをこそ待て
平定[※貞]文
白河の知らずともいはじ底淸みながれて世世にすまむと思へば
とものり
したにのみ戀ふれば苦し玉の緒の絕えて亂れむ人な咎めそ
わが戀をしのびかねてば足引の山橘の色に出でぬべし
よみ人しらず
大方はわが名も湊[※みなと]漕ぎいでなむ世をうみべたに見るめ少なし
平定[※貞]文
枕より又知る人もなき戀を淚せきあへずもらしつるかな
よみ人しらず
風ふけば浪打つ岸の松なれやねにあらはれて泣きぬべらなり
この歌は、ある人のいはく、柿本人麿がなり
池にすむ名ををし鳥の水を淺み隱るとすれどあらはれにけり
逢ふことは玉の緒ばかり名の立つは吉野の河のたぎつ瀨のごと
むら鳥の立ちにしわが名今更にことなしぶとも驗[しるし]あらめや
君によりわが名は花に春がすみ野にも山にも立ちみちにけり
伊勢
知るといへば枕だにせで寢しものを塵ならぬ名の空に立つらむ
0コメント