古今和歌集卷第十二。戀哥ニ。原文。(窪田空穗ニ依ル戦前ノ校本)
古今和歌集
○已下飜刻底本ハ窪田空穗之挍註ニ拠ル。是卽チ
窪田空穗編。校註古今和歌集。東京武蔵野書院。昭和十三年二月二十五日發行。窪田空穗ハ近代ノ歌人。
はかな心地涙とならん黎明[しののめ]のかかる靜寂[しじま]を鳥來て啼かば
又ハ
わが胸に觸れつかくるるものありて捉へもかねる靑葉もる月。
底本ノ凡例已下ノ如ク在リ。
一、本書は高等専門諸學校の國語科敎科書として編纂した。
一、本書は流布本といはれる藤原定家挍訂の貞應本を底本とし、それより時代の古い元永本、淸輔本を參照し、異同の重要なものを上欄[※所謂頭註。]に記した。この他、參照の用にしたものに、古今六帖、高野切、筋切、傳行成筆、顯註本、俊成本がある。なほ諸本により、本文の歌に出入りがある。(下畧。)
○飜刻凡例。
底本上記。又金子元臣ノ校本參照ス。是出版大正十一年以降。奧附无。
[ ]内原書訓。[※]内及※文ハ飜刻者訓乃至註記。
古今和歌集卷第十二
戀哥二
題しらず
小野小町
思ひつつぬればや人の見えつらむ夢と知りせば覺めざらましを
うたた寢に戀しき人を見てしより夢てふものは賴みそめてき
いとせめて戀しき時はむば玉の夜の衣をかへしてそ著[※き]る
素性法師
秋風の身に寒ければつれもなき人をぞ賴む暮るる夜ごとに
しもついづも寺に、人のわざしける日、眞靜法師の、導師にていへりける言葉を、歌によみて、小野小町がもとにつかはしける
あべのきよゆきの朝臣
包めども袖にたまらぬ白玉は人を見ぬ目の淚なりけり
返し
こまち
おろかなる淚ぞ袖に玉はなす我は堰きあへず瀧つ瀨なれば
寛平御時、きさいの宮の歌合のうた
藤原敏行朝臣
戀ひわびてうち寢[ぬ]る中に行き通ふ夢の直路[ただぢ]は現[※うつつ]ならなむ
住の江の岸に寄る浪夜さへや夢の通路[※かよひぢ]人目よくらむ
をののよしき
わが戀はみ山隱れの草なれや繁さまされど知る人のなき
紀友則
宵の間もはかなく見ゆる夏蟲にまどひ増れる戀もするかな
夕されば螢よりけに燃ゆれども光見ねばや人のつれなき
笹の葉に置く霜よりもひとり寢るわが衣手ぞさえまさりける
わが宿の菊の垣根におく霜の消えかへりてぞ戀しかりける
河の瀨に靡く玉藻の水隱[みかく]れて人に知られぬ戀もするかな
みぶのただみね
かきくらし降る白雪の下消えに消えて物思ふ頃にもあるかな
藤原興風
君戀ふる淚の床に滿ちぬればみをつくしとぞ我はなりぬる
死ぬる命生きもやすると心みに玉の緒ばかり逢はむといはなむ
佗びぬればしひて忘れむと思へども夢といふものぞ人賴めなる
よみ人しらず
わりなくも寢ても覺めても戀しきか心をいづちやらば忘れむ
戀しきに佗びて魂惑ひなば空しきからの名にやのこらむ
つらゆき
君戀ふる淚しなくば唐ころも胸のあたりは色燃えなまし
題しらず
世と共に流れてぞ行く淚川冬も氷らぬ水泡[みなわ]なりけり
夢路にも露やおくらむ夜もすがら通へる袖のひぢて乾かぬ
素性法師
はかなくて夢にも人を見つる夜は朝の床ぞ起きうかりける
ふぢはらのただふさ
偽りの淚なりせば唐ころも忍びに袖はしぼらざらまし
大江千里
音[※ね]に泣きてひぢにしかども春雨に濡れにし袖と問はば答へむ
としゆきの朝臣
わが如くものや悲しき郭公時ぞともなく夜ただ鳴くらむ
つらゆき
さ月山梢をたかみ時鳥鳴く音[※ね]そらなる戀もするかな
凡河内躬恒
秋霧の晴るる時なき心には起ち居の空もおもほえなくに
淸原深養父[※ふかやふ]
蟲の如聲に立ててはなかねども淚のみこそしたに流るれ
是貞のみこの家の歌合のうた
よみ人しらず
秋なれば山とよむまで鳴く鹿にわれ劣らめやひとり寢る夜は
題しらず
つらゆき
秋の野に亂れて咲ける花の色のちぐさに物を思ふ頃かな
みつね
ひとりして物を思へば秋の田の稻葉のそよといふ人のなき
ふかやぶ
人を思ふ心は雁にあらねども雲居にのみもなき渡るかな
ただみね
秋風にかきなす琴の聲にさへはかなく人の戀しかるらむ
つらゆき
眞菰[※まこも]苅る淀の澤みづ雨ふれば常よりことにまさるわが戀
大和に侍りける人につかはしける
越えぬまは吉野の山の櫻花人づてにのみ聞き渡るかな
彌生[※やよひ]ばかりに、物のたうびける人のもとに、又人まかりつつせうそこすと聞きて、つかはしける
露ならぬ心を花に置きそめて風吹く每に物思ひぞつく
題しらす
坂上これのり
わが戀にくらぶの山の櫻花間なく散るとも數はまさらじ
宗岳のおほより
冬川のうへは氷れる我なれや下にながれて戀ひ渡るらむ
ただみね
たぎつ瀨に根ざしとどめぬ浮草のうきたる戀も我はするかな
とものり
よひよひに脱ぎてわが寢る狩衣かけて思はぬ時の間もなし
東路[※あつまぢ]のさやの中山なかなかに何しか人を思ひそめけむ
敷妙の枕の下に海はあれど人を見るめは生[※お]ひずぞありける
年を經て消えぬ思ひはありながら夜の袂はなほ氷りけり
つらゆき
わが戀は知らぬ山路にあらなくに惑ふ心ぞわびしかりける
くれなゐのふり出でつつ泣く淚には袂のみこそ色まさりけれ
白玉と見えし淚も年經ればからくれなゐ[※唐紅]に移ろひにけり
みつね
夏蟲を何かいひけむ心から我も思ひに燃えぬべらなり
ただみね
風吹けば峰にわかるる白雲のたえてつれなき君が心か
月影にわが身をかふるものならばつれなき人もあはれとや見む
ふかやぶ
戀ひ死なば誰か名は立たじ世の中の常なき物といひはなすとも
つらゆき
津の國の難波の葦の目もはるにしげき我が戀人知るらめや
手も觸れで月日經にける白眞弓[※しらまゆみ]おきふし夜はいこそ寢られね
人知れぬ思ひのみこそ佗しけれわがなげきをば我のみぞ知る
とものり
言[こと]に出でていはぬばかりぞみなせ河したに通ひて戀しきものを
みつね
君をのみ思ひ寢にねし夢なればわが心から見つるなりけり
ただみね
命にもまさりて惜しくある物は見果てぬ夢の覺むるなりけり
はるみちのつらき
梓弓ひけば本末[※もとすゑ]わが方によるこそ増され戀の心は
みつね
わが戀は行方も知らずはてもなし逢ふを限りと思ふばかりぞ
我のみぞ悲しかりける彥星も逢はで過ぐせる年しなければ
ふかやぶ
今ははや戀ひ死なましをあひ見むと賴めしことぞ命なりける
みつね
賴めつつ逢はで年經[※ふ]るいつはりに懲りぬ心を人は知らなむ
とものり
命やは何そは露のあだ物を逢ふにしかへば惜しからなくに
0コメント