古今和歌集卷第十一。戀哥一。原文。(窪田空穗ニ依ル戦前ノ校本)
古今和歌集
○已下飜刻底本ハ窪田空穗之挍註ニ拠ル。是卽チ
窪田空穗編。校註古今和歌集。東京武蔵野書院。昭和十三年二月二十五日發行。窪田空穗ハ近代ノ歌人。
はかな心地涙とならん黎明[しののめ]のかかる靜寂[しじま]を鳥來て啼かば
又ハ
わが胸に觸れつかくるるものありて捉へもかねる靑葉もる月。
底本ノ凡例已下ノ如ク在リ。
一、本書は高等専門諸學校の國語科敎科書として編纂した。
一、本書は流布本といはれる藤原定家挍訂の貞應本を底本とし、それより時代の古い元永本、淸輔本を參照し、異同の重要なものを上欄[※所謂頭註。]に記した。この他、參照の用にしたものに、古今六帖、高野切、筋切、傳行成筆、顯註本、俊成本がある。なほ諸本により、本文の歌に出入りがある。(下畧。)
○飜刻凡例。
底本上記。又金子元臣ノ校本參照ス。是出版大正十一年以降。奧附无。
[ ]内原書訓。[※]内及※文ハ飜刻者訓乃至註記。
古今和歌集卷第十一
恋哥一
題しらず
よみ人しらず
郭公鳴くやさ月のあやめ草あやめも知らぬこひもするかな
題しらす
素性法師
音にのみきくの白露よるはおきて晝[※ひる]は思ひにあへず消[※け]ぬべし
紀貫之
吉野川いは波たかく行く水のはやくぞ人を思ひそめてし
藤原勝臣
白浪の跡なき方に行く舟も風ぞたよりのしるべなりける
在原元方
音羽[※おとは]山おとに聞きつつ逢坂の關のこなたに年を經るかな
立ちかへりあはれとぞ思ふよそにても人に心をおきつ白浪
つらゆき
世中はかくこそありけれ吹く風の目に見ぬ人も戀しかりけり
右近のうまばのひをりの日、向ひに立てたりける車の下すだれより、女の顏のほのかに見えければ、よむてつかはしける
在原業平朝臣
見ずもあらず見もせぬ人の戀しくばあやなく今日やながめ暮らさむ
返し
よみ人しらず
知る知らぬ何かあやなく分きていはむ思ひのみこそしるべなりけれ
春日の祭にまかれりける時に、物見にいでたりける女のもとに、家を尋ねてつかはせりける
壬生忠岑
春日野の雪まを分けて生[※お]ひいでくる草のはつかにみえし君はも
人の花つみしける所にまかりて、そこなりける人のもとに、のちに詠みてつかはしける
つらゆき
山ざくら霞のまよりほのかにもみてし人こそ戀しかりけれ
題しらず
もとかた
たよりにもあらぬ思ひの怪しきは心を人につくるなりけり
凡河内みつね
初雁のはつかに聲を聞きしより中空にのみ物を思ふかな
つらゆき
逢ふ事は雲居はるかに鳴る神の音[※おと]に聞きつつ戀ひ渡るかな
よみ人しらず
片絲[※かたいと]をこなたかなたによりかけてあはずば何を玉の緒にせむ
夕暮は雲のはたてに物ぞ思ふ天つ空なる人を戀ふとて
刈菰[※かりこも]の思ひみだれてわが戀ふと妹[※いも]知るらめや人し告げずば
つれもなき人をやねたく白露のおくとはなげき寢[ぬ]とはしのばむ
ちはやぶる賀茂の社の木綿[※ゆふ]襷[※たすき]ひと日も君をかけぬ日はなし
わが戀はむなしき空に滿ちぬらし思ひやれども行く方もなし
駿河なる田子の浦浪立たぬ日はあれども君を戀ひぬ日はなし
夕づく夜さすや岡邊の松の葉のいつともわかぬ戀もするかな
足引の山下水の木がくれてたぎつ心を塞[※せ]きぞかねつる
吉野川岩切りとほし行く水の音[※おと]には立てじ戀は死ぬとも
たぎつ瀨の中にも淀[※よど]はありてふをなどわが戀の淵瀨[※ふちせ]ともなき
山たかみ[※髙み]下行く水のしたにのみ流れて戀ひむ戀ひは死ぬとも
思ひいづるときはの山の岩[※いは]躑躅[※つゝじ]いはねばこそあれ戀ひしきものを
人知れずおもへば苦し紅の末摘花の色に出でなむ
秋の野の尾花にまじり咲く花の色にや戀ひむ逢ふよしを無み
わが園の梅のほつ枝[※え]に鶯の音[※ね]になきぬべき戀もするかな
足引の山ほととぎすわが如や君に戀つついねがてにする
夏なれば宿にふすぶる蚊遣[※かやり]火のいつまでわか身下燃えをせむ
戀せじとみたらし川にせしみそぎ[※禊]神はうけずぞなりにけらしも
あはれてふ言[こと]だになくば何をかは戀の亂れの束[※つか]ね緒にせむ
思ふには忍ぶる事ぞ負けにける色には出でじと思ひしものを
我が戀を人知るらめや敷妙の枕のみこそ知らば知るらめ
淺茅生[※あさぢふ]の小野の篠原忍ぶとも人知るらめやいふ人なしに
人知れぬ思ひやなぞと葦垣のま近けれども逢ふよしのなき
思ふとも戀ふとも逢はむものなれや結ふ手もたゆく解くる下紐[※したひも]
いで我を人なとがめそ大船のゆたのたゆたにもの思ふ頃ぞ
伊勢の海に釣りする海人のうけなれや心ひとつを定めかねつる
伊勢の海の海人の釣繩[※つりなは]うちはへてくるしとのみやおもひ渡らむ
淚川なに水上[みなかみ]を尋ねけむ物思ふ時のわが身なりけり
種しあれば岩にも松は生[※お]ひにけり戀をし戀ひは逢はざらめやも
朝な朝な立つ河霧の空にのみうきて思ひのある世なりけり
忘らるる時しなければあし鶴[たづ]の思ひ亂れて音[※ね]をのみぞなく
唐衣日もゆふ暮になる時はかへすがへすぞ人は戀しき
よひよひに枕定めむ方もなしいかに寢し夜か夢に見えけむ
戀しきに命をかふるものならばしにはやすくぞあるべかりける
人の身もならはしものを逢はずしていざ試みむ戀ひやしぬると
忍ぶれば苦しきものを人知れず思ふてふこと誰に語らむ
來[※こ]む世にもはやなりななむ目の前につれなき人を昔と思はむ
つれもなき人を戀ふとて山彥のこたへするまで嘆きつるかな
行く水に數かくよりもはかなきは思はぬ人を思ふなりけり
人を思ふ心は我にあらねばや身のまどふだに知られざるらむ
思ひやる境[※さかひ]はるかになりやする惑[※まど]ふ夢路に逢ふ人のなき
夢のうちに逢ひみむことを賴みつつ暮らせる宵は寢む方もなし
戀ひ死ねとするわざならしうば玉の夜[※よる]はすがらに夢に見えつつ
淚川枕ながるる浮き寢には夢もさだかに見えずぞありける
戀すればわが身は影となりにけりさりとて人に添はぬものゆゑ
篝火[※かゞりび]にあらぬわが身のなぞもかく淚の川に浮きて燃ゆらむ
篝火の影となる身のわびしきは流れて下に燃ゆるなりけり
早き瀨にみるめ生[※お]ひせばわが袖の淚の川に植ゑましものを
沖べにも寄らぬ玉藻の浪のうへに亂れてのみや戀ひ渡りなむ
あし鴨の騒ぐ入江の白波のしらずや人をかく戀ひむとは
人知れぬ思ひを常にするがなる富士の山こそわが身なりけれ
とぶ鳥の聲も聞こえぬ奧山の深き心を人は知らなむ
逢坂のゆふつけ鳥もわが如く人や戀ひしき音[※ね]のみ鳴くらむ
逢坂の關に流るる岩淸水いはで心に思ひこそすれ
浮草のうへは茂れる淵[※ふち]なれや深き心を知る人のなき
うち侘びて呼ばはむ聲に山彥のこたへぬ山はあらじとぞ思ふ
心がへするものにもが片戀ひは苦しきものと人にしらせむ
よそにして戀ふれば苦しいれ紐の同じ心にいざ結びてむ
春立てば消ゆる氷の殘りなく君が心は我にとけなむ
明けたてば蟬のをりはへなきくらしよるは螢の燃えこそ渡れ
夏蟲の身をいたづらになすことも一つ思ひによりてなりけり
夕さればいとど乾[※ひ]がた[※難]きわが袖に秋の露さへ置き添はりつつ
いつとても戀ひしからずはあらねども秋の夕べは怪しかりけり
秋の田のほにこそ人を戀ひざらめなどか心に忘れしもせむ
秋の田の穗のうへを照らす稲妻の光のまにも我や忘るる
人めもる我かはあやな花薄[※すゝき]などかほにいでて戀ひずしもあらむ
あは雪のたまればかてに碎けつつわが物思ひのしげき頃かな
奧山の管[※すが]の根しのぎふる雪の消[※け]ぬとかいはむ戀ひのしげきに
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