古今和歌集卷第七。賀哥。原文。(窪田空穗ニ依ル戦前ノ校本)


古今和歌集

○已下飜刻底本ハ窪田空穗之挍註ニ拠ル。是卽チ

窪田空穗編。校註古今和歌集。東京武蔵野書院。昭和十三年二月二十五日發行。窪田空穗ハ近代ノ歌人。

はかな心地涙とならん黎明[しののめ]のかかる靜寂[しじま]を鳥來て啼かば

又ハ

わが胸に觸れつかくるるものありて捉へもかねる靑葉もる月。

底本ノ凡例已下ノ如ク在リ。

一、本書は高等専門諸學校の國語科敎科書として編纂した。

一、本書は流布本といはれる藤原定家挍訂の貞應本を底本とし、それより時代の古い元永本、淸輔本を參照し、異同の重要なものを上欄[※所謂頭註。]に記した。この他、參照の用にしたものに、古今六帖、高野切、筋切、傳行成筆、顯註本、俊成本がある。なほ諸本により、本文の歌に出入りがある。(下畧。)

○飜刻凡例。

底本上記。又金子元臣ノ校本參照ス。是出版大正十一年以降。奧附无。

[ ]内原書訓。[※]内及※文ハ飜刻者訓乃至註記。



古今和歌集卷七

 賀哥

  題しらず

  よみ人しらず

わが君は千代に八千代にさざれ石の巖[※いはほ]となりて苔のむすまで

わたつ海の濱のまさごを數へつつ君が千年[※ちとせ]のありかずにせむ

鹽[※しほ]の山さし出の磯にすむ千鳥君が御代をば八千代とぞ鳴く

わか齡[※よはひ]君が八千代にとり添へてとどめおきてば思ひいでにせよ

  仁和の御時僧正遍昭に、七十の賀たまひける時の御歌[※卽チ天皇御製謌]

かくしつつとにもかくにも長らへて君が八千代にあふ由[※よし]もかな

  仁和のみかどの、みこにおはしましける時に、御をばのやそぢの賀に、しろがねを杖[※つゑ]に作れりけるを見て、かの御をばにかはりてよみける

  僧正遍昭

ちはやぶる神やきりけむつくからに千年の坂も越えぬべらなり

  堀川のおほいまうち君の四十賀、九條の家にてしける時によめる

  在原業平朝臣

櫻花散りかひ曇れ老いらくの來むといふなる路まがふがに

  さだときのみこのをばの四十[※よそぢ]の賀を大井にてしける日よめる

  きのこれをか

龜のを[※尾]の山の岩根をとめて落つる瀧の白玉千代のかずかも

貞保[※さだやす]のみこの、きさいの宮の五十の賀奉りける御屏風に、櫻の花のちる下に人の花見たるかたかけるをよめる

  藤原おきかぜ

いたづらに過ぐる月日は思ほえで花見てくらす春ぞすくなき

  本康[※もとやす]のみこの七十の賀のうしろの屏風によみてかきける

  きのつらゆき

春くれば宿にまづ咲く梅の花君が千年のかざしとぞ見る

  素性法師

いにしへにありきあらずは知らねども千年のためし君に始めむ

臥しておもひ起きて數ふる萬代[※よろづよ]は神ぞしるらむわが君の爲

藤原三善が六十の賀によみける

  在原しげはる

鶴龜も千とせののちは知らなくに飽かぬ心にまかせはててむ

    この歌は、ある人、在原のときはるがともいふ

  よしみねのつねなりがよそぢの賀にむすめに代りてよみ侍りける

  そせい法師

萬代をまつにぞ君を祝ひつる千年の蔭にすまむと思へば

  内侍のかみの、右大將藤原朝臣の四十賀しける時に、四季の繪かけるうしろの屏風に、かきたりけるうた

春日野に若菜摘みつつ萬代をいはふ心は神ぞしるらむ

山高み雲居に見ゆる櫻花心の行きて折らぬ日ぞなき

  夏

めづらしき聲ならなくに郭公ここらの年を飽かずもあるかな

  秋

住の江の松を秋風吹くからに聲うち添ふる沖つ白波

千鳥なく佐保[※さほ]の河霧立ちぬらし山の木の葉も色まさりゆく

秋くれど色もかはらぬときは山よその紅葉を風ぞかしける

  冬

白雪のふりしく時はみよしのの山した風にはなぞちりける

  春宮のむまれたまへりける時に、まい[※ゐ]りてよめる

  典侍藤原よるかの朝臣

峯高き春日の山にいづる日はくもる時なく照らすべらなり







Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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