古今和歌集卷第六。冬哥。原文。(窪田空穗ニ依ル戦前ノ校本)
古今和歌集
○已下飜刻底本ハ窪田空穗之挍註ニ拠ル。是卽チ
窪田空穗編。校註古今和歌集。東京武蔵野書院。昭和十三年二月二十五日發行。窪田空穗ハ近代ノ歌人。
はかな心地涙とならん黎明[しののめ]のかかる靜寂[しじま]を鳥來て啼かば
又ハ
わが胸に觸れつかくるるものありて捉へもかねる靑葉もる月。
底本ノ凡例已下ノ如ク在リ。
一、本書は高等専門諸學校の國語科敎科書として編纂した。
一、本書は流布本といはれる藤原定家挍訂の貞應本を底本とし、それより時代の古い元永本、淸輔本を參照し、異同の重要なものを上欄[※所謂頭註。]に記した。この他、參照の用にしたものに、古今六帖、高野切、筋切、傳行成筆、顯註本、俊成本がある。なほ諸本により、本文の歌に出入りがある。(下畧。)
○飜刻凡例。
底本上記。又金子元臣ノ校本參照ス。是出版大正十一年以降。奧附无。
[ ]内原書訓。[※]内及※文ハ飜刻者訓乃至註記。
古今和歌集卷第六
冬哥
題しらず
よみ人しらず
龍田川綿織りかく神無月しぐれの雨をたてぬきにして
冬の歌とてよめる
源宗于朝臣
山里は冬ぞさびしさまさりける人めも草もかれぬと思へば
題しらず
よみ人しらず
大空の月の光しきよければ影見し水ぞまづ氷ける
夕されば衣手さむしみ吉野の吉野の山にみ雪降るらし
今よりは繼[※つ]ぎてふらなむ我が宿の薄[※すゝき]おしなみ降れる白雪
降る雪はかつぞ消[け]ぬらし足引の山のたぎつ瀨音まさるなり
この川にもみぢ葉流る奧山の雪げの水ぞ今まさるらし
古里は吉野の山しちかければひと日もみ雪降らぬ日はなし
わが宿は雪降りしきて道もなし踏み分けてとふ人しなけれは
冬の歌とてよめる
紀貫之
雪ふれば冬ごもりせる草も木も春に知られぬ花ぞ咲きける
志賀の山越にてよめる
紀あきみね
白雪のところもわかず降りしけば巖[※いはほ]にも咲く花とこそ見れ
奈良の京にまかれりける時に、やどれりける所にてよめる
さかのうへのこれのり[※坂上是則]
み吉野の山の白雪つもるらし古里寒くなりまさるなり
寛平御時きさいの宮の歌合のうた
ふぢはらのおきかぜ
浦近く降りくる雪は白浪の末の松山越すかとぞみる
壬生忠岑
み吉野の山の白雪踏み分けて入りにし人のおとづれもせぬ
白雪の降りてつもれる山里はすむ人さへや思ひきゆらむ
雪の降れるを見てよめる
凡河内躬恒
雪ふりて人もかよはぬ道なれやあとはかもなく思ひ消ゆらむ
ゆきのふりけるをよみける
きよはらのふかやぶ
冬なから空より花の散りくるは雲のあなたは春にやあるらむ
雪の木に降りかかれりけるをよめる
つらゆき
冬ごもり思ひかけぬを木のまより花とみるまで雪ぞふりける
大和の國に罷れりける時に、雪のふりけるをみてよめる
坂上これのり
あさぼらけ在明[※ありあけ]の月とみるまでに吉野の里にふれる白雪
題しらず
よみ人しらず
消[け]ぬがうへに又も降りしけ春霞たちなばみ雪まれにこそ見め
梅の花それとも見えず久かたのあまぎる雪のなべて降れれば
この歌はある人のいはく、柿本の人丸が歌なり
梅の花に雪の降れるをよめる
小野たかむらの朝臣
花の色は雪にまじりて見えずとも香をだに匂へ人の知るべく
雪のうちの梅の花をよめる
きのつらゆき
梅の香の降りおける雪にまがひせば誰かことごとわきて折らまし
雪の降りけるを見てよめる
紀のとものり
雪ふれば木每に花ぞ咲きにけるいづれを梅とわきて折らまし
物へ罷りける人を待ちて、師走のつごもりによめる
みつね
わが待たぬ年は來ぬれど冬草のかれにし人はおとづれもせず
年のはてによめる
在原元方
新玉[※あらたま]の年のをはりになる每に雪も我が身もふりまさりつつ
寛平御時きさいの宮の歌合のうた
よみ人しらず
雪降りて年の暮れぬる時にこそつひにもみぢぬ松もみえけれ
年のはてによめる
はるみちのつらき
昨日といひ今日とくらしてあすか川流れて早き月日なりけり
歌奉れと仰せられし時に、よみてたてまつれる
紀貫之
行く年のをしくもあるかなます鏡見る影さへにくれぬと思へば
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