古今和歌集卷第五。秋哥乃下。原文。(窪田空穗ニ依ル戦前ノ校本)
古今和歌集
○已下飜刻底本ハ窪田空穗之挍註ニ拠ル。是卽チ
窪田空穗編。校註古今和歌集。東京武蔵野書院。昭和十三年二月二十五日發行。窪田空穗ハ近代ノ歌人。
はかな心地涙とならん黎明[しののめ]のかかる靜寂[しじま]を鳥來て啼かば
又ハ
わが胸に觸れつかくるるものありて捉へもかねる靑葉もる月。
底本ノ凡例已下ノ如ク在リ。
一、本書は高等専門諸學校の國語科敎科書として編纂した。
一、本書は流布本といはれる藤原定家挍訂の貞應本を底本とし、それより時代の古い元永本、淸輔本を參照し、異同の重要なものを上欄[※所謂頭註。]に記した。この他、參照の用にしたものに、古今六帖、高野切、筋切、傳行成筆、顯註本、俊成本がある。なほ諸本により、本文の歌に出入りがある。(下畧。)
○飜刻凡例。
底本上記。又金子元臣ノ校本參照ス。是出版大正十一年以降。奧附无。
[ ]内原書訓。[※]内及※文ハ飜刻者訓乃至註記。
古今和歌集卷五
秋哥下
是貞のみこの家の歌合のうた
文屋康秀
吹くからに秋の草木のしをるればむべ山風をあらしといふらむ
草も木も色變れどもわたつうみの浪の花にぞ秋なかりける
秋の歌合しける時によめる
紀よしもち
紅葉せぬときはの山は吹く風の音[※おと]にや秋を聞きわたるらむ
題しらず
よみ人しらず
霧立ちて雁ぞ鳴くなる片岡のあした[※朝]の原は紅葉しぬらむ
神無月時雨もいまだ降らなくにかねて移ろふ神なびの森
千[※ち]はやぶる神なび山のもみぢ葉に思ひはかけじ移ろふものを
貞觀の御時、綾綺殿の前に梅の木ありけり、西の方にさせりける枝のもみぢはじめたりけるを、うへにさぶらふをのこどもの、よみけるついでによめる
藤原勝臣
同じ枝[え]をわきて木の葉の移ろふは西こそ秋のはじめなりけれ
石山に詣でける時、音羽[※おとは]山の紅葉をみてよめる
つらゆき
秋風の吹きにし日より音羽山みねの梢も色づきにけり
是貞のみこの家の歌合によめる
としゆきの朝臣
白露の色は一つをいかにして秋の木の葉をちぢに染むらむ
壬生忠岑
秋の夜の露をば露とおきながら雁の淚や野べを染むらむ
題しらず
よみ人しらず
秋の露色色ことに置けばこそ山の木の葉のちぐさなるらめ
守[※もる]山のほとりにてよめる
つらゆき
白露も時雨もいたくもる山は下葉殘らず色づきにけり
秋の歌とてよめる
在原元方
雨ふれどつゆももらじを笠取[※かさとり]の山はいかでかもみぢそめけむ
神の社のあたりをまかりける時に、齊垣[いがき]の内のもみぢを見てよめる
つらゆき
千はやぶる神のいがきに這ふ葛も秋にはあへず移ろひにけり
是貞のみこの家の歌合によめる
ただみね
雨ふれば笠取山のもみぢ葉は行きかふ人の袖さへぞ照る
寛平御時きさいの宮の歌合のうた
よみ人しらず
散らねどもかねてぞ惜しきもみぢ葉は今は限りの色と見つれば
大和の國に罷りける時、佐保[※さほ]山に霧のたてりけるをみてよめる
紀のとものり
誰がための錦なればか秋霧のさほの山べを立ちかくすらむ
是貞のみこの家の歌合のうた
よみ人しらず
秋霧は今朝はな立ちそさほ山の柞[ははそ]の紅葉よそにても見む
秋の歌とてよめる
坂上これのり
佐保山のははそ[※柞]の色は薄けれど秋は深くもなりにけるかな
人の前栽に、菊に結びつけて植ゑける歌
在原業平朝臣
うゑし植ゑば秋なき時や咲かざらむ花こそ散らめ根さへ枯れめや
寛平御時菊の花をよませ給うける
としゆきの朝臣
久かたの雲のうへにてみる菊は天つ星とぞあやまたれける
この歌は、まだ殿上許されざりける時に召しあげられて仕うまつれるとなむ
是貞のみこの家の歌合のうた
紀友則
露ながら折りてかざさむ菊の花老いせぬ秋の久しかるべく
寛平御時きさいの宮の歌合のうた
大江千里
植ゑし時花待ち遠にありし菊移ろふ秋に逢はむとや見し
同じ御時せられける菊合に、洲濱[※すはま]をつくりて、菊の花植ゑたりけるに、くはへたりける歌、吹上の濱のかたに、菊植ゑたりけるをよめる
すがはらの朝臣
秋風の吹きあげに立てる白菊は花かあらぬか浪の寄するか
仙宮に菊をわけて、人のいたれるかたをよめる
素性法師
濡れてほす山路の菊の露のまにいつか千年[ちとせ]を我は經にけむ
菊の花のもとにて、人の人待てるかたをよめる
とものり
花見つつ人まつ時は白妙の袖かとのみぞあやまたれける
大澤の池のかたに、菊植ゑたるをよめる
一もとと思ひし花をおほさはの池の底にも誰か植ゑけむ
世中のはかなき事を思ひける折に、菊の花を見てよみける
つらゆき
秋の菊にほふ限りはかざしてむ花よりさきと知らぬ我が身を
白菊の花をよめる
凡河内躬恒
心あてに折らばや折らむ初霜の置きまどはせる白菊の花
是貞のみこの家の歌合のうた
よみ人しらず
色かはる秋の菊をば一とせに二[※ふた]たびにほふ花とこそみれ
仁和寺に菊の花召しける時に、歌添へてたてまつれと仰せられければ、よみてたてまつりける
平さだふん
秋をおきて時こそ有りけれ菊の花移ろふからに色のまされば
人の家なりける菊の花を移し植ゑたりけるをよめる
つらゆき
咲きそめし宿しかはれば菊の花色さへにこそ移ろひにけれ
題しらず
よみ人しらず
佐保山の柞[ははそ]の紅葉散りぬべみ夜るさへ見よと照らす月影
宮づかへ久しう仕うまつらで、山里にこもり侍りけるによめる
藤原關雄
奧山の岩垣紅葉散りぬべし照る日の光みる時なくて
題しらず
よみ人しらず
龍田川もみぢ亂れて流るめり渡らば錦中や絕えなむ
この歌はある人、ならのみかどの御歌なりとなむ申す
龍田川もみぢ葉流る神なびのみ室[※むろ]の山に時雨ふるらし
又は、あすか川もみぢ葉ながる 此歌不注人丸歌
戀ひしくば見ても忍ばむ紅葉ばを吹きな散らしそ山おろしの風
秋風にあへず散りぬる紅葉ばのゆくへ定めぬ我ぞ悲しき
秋は來ぬ紅葉は宿に降りしきぬ道踏み分けてとふ人はなし
踏み分けて更にや訪[※と]はむ紅葉ばの降りかくしてし道と見なから
秋の月山邊さやかに照らせるは落つる紅葉の數を見よとか
吹く風の色の千[※ち]ぐさに見えつるは秋の木の葉の散ればなりけり
せきを
霜の經[たて]露の緯[ぬき]こそよわからし山の錦の織ればかつ散る
雲林院の木のかげにたたずみてよみける
僧正遍昭
侘び人のわきて立ち寄る木のもとは賴む陰なく紅葉散りけり
二條の后の春宮のみやす所と申しける時に、御屏風に龍田川に紅葉流れたるかたをかけりけるを題にてよめる
そせい
もみぢ葉の流れてとまる湊[※みなと]には紅深き浪や立つらむ
なりひらの朝臣
千はやぶる神世も聞かず龍田川から[※唐]紅に水くくるとは
是貞のみこの家の歌合のうた
敏行朝臣
わが來つるかたも知られずくらぶ山木木の木の葉のちるとまがふに
ただみね
神なびのみむろの山を秋ゆけば錦たちきる心ちこそすれ
北山に紅葉折らむとて、罷れりける時によめる
つらゆき
見る人も無くて散りぬる奧山の紅葉はよるの錦なりけり
秋のうた
かねみの王
龍田姬たむくる神のあればこそ秋の木の葉のぬさと散るらめ
小野といふ所にすみ侍りける時、紅葉を見てよめる
つらゆき
秋の山紅葉をぬさと手向くれば住む我さへぞ旅ごこち[※心地]する
[※ぬさハ幣ニシテ神ニ捧ル捧物也。]
神なびの山を過ぎて龍田川を渡りける時に、紅葉の流れけるをみてよめる
淸原深養父
神なびの山をすぎ行く秋なれば龍田川にぞぬさはたむくる
寛平御時きさいの宮の歌合のうた
藤原興風
白浪に秋の木の葉のうかべるを海人[あま]の流せる舟かとぞみる
龍田川のほとりにてよめる
坂上是則
紅葉ばの流れざりせば龍田川水の秋をば誰かしらまし
志賀の山越にてよめる
春道列樹[※はるみちのつらき]
山河に風のかけたる柵[※しがらみ]は流れもあへぬ紅葉なりけり
池のほとりにて紅葉の散るをよめる
みつね
風吹けば落つるもみぢ葉水きよみ散らぬ影さへ底に見えつつ
亭子院の御屏風の繪に、川渡らむとする人の、紅葉の散る木のもとに、馬をひかへて立てるをよませ給ひければ、つかうまつりける
立ちどまり見てを渡らむもみぢ葉は雨と降るとも水はまさらじ
是貞のみこの家の歌合のうた
ただみね
山田もる秋のかりいほに置く露はいなおほせ鳥の淚なりけり
題しらず
よみ人しらず
穗にもいでぬ山田をもると藤衣いなばの露に濡れぬ日はなし
苅れる田に生[※お]ふるひづちのほにいでぬは世を今更にあき[※秋‐飽]はてぬとか
北山に僧正遍昭と茸狩[※たけかり]しにまかれりけるによめる
そせい法師
紅葉ばは袖にこきいれてもていでなむ秋は限りと見む人のため
寛平御時ふるき歌奉れと仰せられければ、龍田川もみぢばながるといふ歌をかきて、その同じ心をよめりける
おきかぜ
み山より落ちくる水の色見てぞ秋は限りと思ひしりぬる
秋のはつる心を、龍田川に思ひやりてよめる
つらゆき
年每にもみぢ葉ながす龍田川湊や秋のとまりなるらむ
長月のつごもりの日大井にてよめる
夕づく夜をぐらの山に鳴く鹿の聲のうちにや秋は暮るらむ
おなじ[※同じ月の]つごもりの日よめる
みつね
道しらば尋ねも行かむもみぢ葉をぬさと手向けて秋はいにけり
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