古今和歌集卷第四。秋哥乃上。原文。(窪田空穗ニ依ル戦前ノ校本)
古今和歌集
○已下飜刻底本ハ窪田空穗之挍註ニ拠ル。是卽チ
窪田空穗編。校註古今和歌集。東京武蔵野書院。昭和十三年二月二十五日發行。窪田空穗ハ近代ノ歌人。
はかな心地涙とならん黎明[しののめ]のかかる靜寂[しじま]を鳥來て啼かば
又ハ
わが胸に觸れつかくるるものありて捉へもかねる靑葉もる月。
底本ノ凡例已下ノ如ク在リ。
一、本書は高等専門諸學校の國語科敎科書として編纂した。
一、本書は流布本といはれる藤原定家挍訂の貞應本を底本とし、それより時代の古い元永本、淸輔本を參照し、異同の重要なものを上欄[※所謂頭註。]に記した。この他、參照の用にしたものに、古今六帖、高野切、筋切、傳行成筆、顯註本、俊成本がある。なほ諸本により、本文の歌に出入りがある。(下畧。)
○飜刻凡例。
底本上記。又金子元臣ノ校本參照ス。是出版大正十一年以降。奧附无。
[ ]内原書訓。[※]内及※文ハ飜刻者訓乃至註記。
古今和歌集卷第四
秋哥上
秋立つ日よめる
藤原敏行朝臣
秋來ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる
秋立つ日、うへのをのこども、かもの河原に川[かは]逍遥[せうえう]しけるともにまかりてよめる
貫之
河風の凉しくもあるか打寄する浪とともにや秋はたつらむ
題しらず
よみ人しらず
わか背子が衣の裾を吹きかへしうらめづらしき秋の初風
昨日こそさ苗とりしかいつの間に稻葉そよぎて秋風の吹く
秋風の吹きにし日より久かたの天の河原に立たぬ日はなし
久かたの天の河原の渡守君渡りなばかぢ隱してよ
天の川紅葉を橋に渡せばや棚機[※たなはた]つ女[※め]の秋をしも待つ
戀ひ戀ひて逢ふ夜はこよひ天の川霧立ち渡り明けずもあらなむ
寛平御時、なぬかの夜、うへに侍ふをのこども歌奉れと仰せられける時に、人にかはりてよめる
友則
天の河淺瀨白浪たどりつつ渡りはてねば明けぞしにける
同じ御時きさいの宮の歌合の歌
藤原興風
契りけむ心ぞつらき棚機の年に一たび逢ふは逢ふかは
なぬかの月の夜よめる
みつね
年每に逢ふとはすれど棚機の寢る夜の數ぞ少なかりける
棚織にかしつる絲のうちはへて年の緒[※を]ながく戀ひや渡らむ
題しらず
素性
今宵來む人には逢はじ棚機のひさしき程に待ちもこそすれ
七日の夜の曉[※あかつき]によめる
源宗于朝臣
今はとて別るる時は天の河渡らぬさきに袖ぞひぢぬる
やうかの日よめる
壬生忠岑
今日よりは今來む年の昨日をぞいつしかとのみ待ちわたるべき
題しらず
よみ人しらず
木の間よりもり來る月の影見れば心づくしの秋はきにけり
おほかたの秋來るからに我が身こそ悲しきものと思ひ知りぬれ
我がために來る秋にしもあらなくに蟲の音聞けば先[※まつ]ぞ悲しき
物每に秋ぞ悲しきもみぢつつ移ろひ行くを限りと思へば
獨[※ひとり]寢[ぬ]る床[※とこ]は草葉にあらねども秋來るよひは露けかりけり
是貞のみこの家の歌合のうた
いつはとは時はわかねど秋の夜ぞ物思ふ事の限りなりける
かんなりの壺に人人あつまりて、秋の夜をしむ歌よみけるついでによめる
みつね
かくばかりをしと思ふ夜を徒にねて明すらむ人さへぞうき
題しらず
よみ人しらず
白雲にはね打ちかはし飛ぶ雁の數さへ見ゆる秋の夜の月
さ夜中と夜はふけぬらし雁がねの聞ゆる空に月渡る見ゆ
是貞のみこの家の歌合によめる
大江千里
月見ればちぢに物こそ悲しけれ我が身一つの秋にはあらねど
忠岑
久かたの月の桂[※かつら]も秋はなほ紅葉すればや照りまさるらむ
月をよめる
在原元方
秋の夜の月の光しあかければくらぶの山も越えぬべらなり
人のもとに罷れりける夜、きりぎりすの鳴きけるを聞きてよめる
藤原忠房
蟋蟀[※きりぎりす]いたくな鳴きそ秋の夜の長き思ひは我ぞまされる
是貞のみこの家の歌合のうた
としゆきの朝臣
秋の夜の明くるも知らず鳴く蟲は我がこと物や悲しかるらむ
題しらず
よみ人しらず
秋萩も色づきぬればきりぎりすわが寢ぬごとや夜は悲しき
秋の夜は露こそことに寒からし草むら每に蟲のわぶれば
君しのぶ草にやつるる故里は松蟲の音ぞ悲しかりける
秋の野に道もまどひぬ松蟲の聲する方に宿やからまし
秋の野に人まつ[※待‐松]虫の聲すなり我かとゆきていざとぶらはむ
もみぢ葉の散りて積れる我が宿に誰れをまつ蟲ここらなくらむ
蜩[ひぐらし]の鳴きつるなべに日は暮れぬと思ふは山の陰にぞ有りける
ひぐらしの鳴く山里の夕ぐれは風よりほかに訪[※と]ふ人もなし
はつかりをよめる
在原元方
待つ人にあらぬものから初雁のけさ鳴く聲のめづらしきかな
是貞のみこの家の歌合のうた
とものり
秋風に初雁がねぞ聞ゆなる誰が玉づさをかけて來つらむ
題しらず
よみ人しらず
我がかどにいなおほせ鳥の鳴くなべにけさ吹く風に雁は來にけり
いと早も鳴きぬる雁か白露の色とる木木ももみぢあへなくに
春霞かすみていにし雁がねは今ぞ鳴くなる秋霧の上に
夜を寒み衣かりがね鳴くなべに萩の下葉もうつろひにけり
この歌はある人のいはく、柿本の人まろがなりと
寛平御時きさいの宮の歌合のうた
藤原菅根朝臣
秋風に聲をほにあげてくる舟はあまのと渡る雁にぞ有りける
雁の鳴きけるを聞きてよめる
躬恒
憂き事を思ひつらねて雁がねのなきこそ渡れ秋の夜な夜な
是貞のみこの家の歌合のうた
忠岑
山里は秋こそ殊にわびしけれ鹿のなく音に目をさましつつ
よみ人しらず
奧山に紅葉踏みわけ鳴くしか[※鹿]の聲きく時ぞ秋は悲しき
題しらず
秋萩にうらびれをれは足引の山下とよみ鹿の鳴くらむ
秋萩をしがらみ伏せて鳴く鹿の目には見えずておとのさやけさ
是貞のみこの家の歌合によめる
藤原敏行朝臣
秋はぎの花咲きにけり高砂[※たかさご]のをのへの鹿は今や鳴くらむ
昔あひ知りて侍りける人の、秋の野に逢ひて、物がたりしけるついてによめる
みつね
秋萩の古枝[※ふるえ]にさける花見ればもとの心は忘れざりけり
題しらず
よみ人しらず
秋萩の下葉色づく今よりやひとりある人のいねがてにする
鳴き渡るかりの淚や落ちつらむ物思ふ宿の萩の上の露
萩の露玉にぬかむと取れば消[※け]ぬよし見む人は枝ながら見よ
ある人のいはく、この歌はならのみかどの御歌なりと
折りて見ば落ちぞしぬべき秋萩の枝もたわわにおける白露
萩か花散るらむ小野のつゆじも[※露霜]に濡れてを行かむ小夜[※さや]はふくとも
是貞のみこの家の歌合によめる
文屋あさやす
秋の野におく白露は玉なれやつらぬきかくる蜘蛛の糸すぢ
題しらず
僧正遍昭
名にめでて折れるばかりぞ女郎花われおちにきと人に語るな
僧正遍昭がもとに、奈良へまかりける時に、男山にて女郎花を見てよめる
ふるのいまみち
をみなへし憂しと見つつぞ行きすぐる男山にし立てりと思へば
是貞のみこの家の歌合のうた
としゆきの朝臣
秋の野に宿りはすべし女郎花名をむつまじみ旅ならなくに
題しらず
をののよし木
女郎花おほかる野べに宿りせばあやなくあだの名をや立ちなむ
朱雀院の女郎花合[※あはせ]に、よみて奉りける
左のおほいまうち君
をみなへし秋の野風に打靡き心ひとつを誰れに寄すらむ
藤原定方朝臣
秋ならで逢ふこと難き女郎花あまの河原に生ひぬ物ゆゑ
つらゆき
誰があきにあらぬ物ゆゑ女郎花なぞ色にいでてまだき移ろふ
みつね
妻戀ふる鹿ぞ鳴くなる女郎花おのがすむ野の花と知らずや
女郎花吹きすぎてくる秋風は目には見えねど香こそしるけれ
ただみね
人の見る事や苦しき女郎花秋霧にのみ立ち隱るらむ
ひとりのみ眺むるよりは女郎花わが住む宿に植ゑてみましを
物へまかりけるに、人の家に女郎花植ゑたりけるを見てよめる
兼覧王
女郎花うしろめたくも見ゆるかな荒れたる宿にひとり立てれば
寛平御時、藏人所のをのこども嵯峨野に花見むとて罷りたりける時、歸るとて、みな歌よみけるついでによめる
平さだふん
花に飽かでなに歸るらむ女郎花多かる野べにねなましものを
是貞のみこの家の歌合によめる
敏行朝臣
なに人か來て脱ぎかけし藤袴くる秋每に野べをにほはす
藤袴をよみて人につかはしける
つらゆき
宿りせし人の形見か藤ばかま忘られがたき香ににほひつつ
藤袴をよめる
そせい
主知らぬ香こそ匂へれ秋の野に誰か脱ぎかけしふぢはかまぞも
題しらす
平定[※貞]文
今よりは植ゑてだに見じ花[※はな]薄[※すゝき]穗[※ほ]にいづる秋は侘びしかりけり
寛平御時、きさいの宮の歌合のうた
在原棟梁
秋の野の草のたもとか花薄ほにいでて招く袖と見ゆらむ
素性法師
我のみやあはれと思はむきりぎりす鳴く夕䕃のやまと撫子
題しらず
よみ人しらず
綠なる一つ草とぞ春はみし秋は色色の花にぞ有りける
もも草の花のひも解く秋の野に思ひたはれむ人なとがめそ
月草に衣は摺らむ朝露に濡れてののちは移ろひぬとも
仁和のみかど、みこにおはしましける時、布留[※ふる]の瀧御覧ぜむとておはしましける道に、遍昭が母の家にやどりたまへりける時に、庭を秋の野につくりて、おほむ物語のついでに、よみてたてまつりける
僧正遍昭
里はあれて人はふりにし宿なれや庭もまがきも秋ののになる
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