古今和歌集卷第二 。春哥乃下。原文。(窪田空穗ニ依ル戦前ノ校本)
古今和歌集
○已下飜刻底本ハ窪田空穗之挍註ニ拠ル。是卽チ
窪田空穗編。校註古今和歌集。東京武蔵野書院。昭和十三年二月二十五日發行。窪田空穗ハ近代ノ歌人。
はかな心地涙とならん黎明[しののめ]のかかる靜寂[しじま]を鳥來て啼かば
又ハ
わが胸に觸れつかくるるものありて捉へもかねる靑葉もる月。
底本ノ凡例已下ノ如ク在リ。
一、本書は高等専門諸學校の國語科敎科書として編纂した。
一、本書は流布本といはれる藤原定家挍訂の貞應本を底本とし、それより時代の古い元永本、淸輔本を參照し、異同の重要なものを上欄[※所謂頭註。]に記した。この他、參照の用にしたものに、古今六帖、高野切、筋切、傳行成筆、顯註本、俊成本がある。なほ諸本により、本文の歌に出入りがある。(下畧。)
○飜刻凡例。
底本上記。又金子元臣ノ校本參照ス。是出版大正十一年以降。奧附无。
[ ]内原書訓。[※]内及※文ハ飜刻者訓乃至註記。
古今和歌集卷第二
春哥下
題しらす
よみ人しらす
春霞たなびく山の櫻花うつろはむとや色かはり行く
待てといふに散らでしとまる物ならばなにを櫻におもひまさまし
殘りなく散るぞめでたき櫻花ありて世の中果てのうければ
この里に旅寢しぬべし櫻花散りのまがひに家路忘れて
空蟬の世にも似たるか花ざくら咲くと見し間にかつ散りにけり
僧正へんぜう[※遍昭]によみておくりける
惟喬親王
櫻花散ちらばちらなむ散らずとてふるさと人の來ても見なくに
雲林院にて、櫻の花の散りけるを見てよめる
そうぐ法師
櫻散る花のところは春ながら雪ぞふりつつ消えがてにする
櫻の花の散り侍りけるをみてよみける
そせい法師
花ちらす風のやどりは誰か知る我にをしへよ行きてうらみむ
雲林院にてさくらの花をよめる
そうぐ法師
いざ櫻我も散りなむひとさかり有りなば人に憂き目見えなむ
あひ知れりける人の、まうで來て歸りにける後に、よみて花にさして遣はしける
貫之
ひとめ見し君もやくると櫻花今日は待みて散らば散らなむ
山の櫻を見てよめる
春霞なに隱すらむ櫻花散る間をだにも見るべきものを
心ちそこなひてわづらひける時に、風にあたらじとておろし籠めてのみ侍ける間に、折れる櫻の散り方になれりけるを見てよめる
藤原よるかの朝臣
たれこめて春の行方もしらぬまにまちし櫻もうつろひにけり
東宮雅院にて、さくらの花のみかは水に散りて流れけるを見てよめる
すがのの高世
枝よりもあだに散りにし花なれば落ちても水の泡とこそなれ
櫻の花の散りけるをよめる
貫之
ことならば咲かずやはあらぬ櫻花みる我さへにしづ心なし
櫻のごと疾く散る物はなしと人のいひければよめる
櫻花とく散りぬともおもほえず人の心ぞ風も吹きあへぬ
櫻の花の散るをよめる
紀友則
久方の光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ
春宮の帶刀[たちはぎ]の陣にて、櫻の花の散るをよめる
藤原よしかぜ
春風は花のあたりをきてふけ心づからや移ろふとみむ
櫻の散るをよめる
凡河内躬恒
雪とのみ降るだにあるを櫻花いかに散れとか風の吹くらむ
比叡にのぼりて、歸りまうで來てよめる
貫之
山高み見つつ我が來し櫻ばな風は心にまかすべらなり
題しらず
大伴黑主[※一云貫之]
春雨のふるは淚かさくら花散るを惜しまぬ人しなければ
亭子院歌合のうた
貫之
櫻花散りぬる風のなごりには水なき空に浪ぞ立ちける
ならのみかどの御うた
ふる里となりにしならの都にも色はかはらず花は咲きけり
春の歌とてよめる
良岑宗貞
花の色は霞にこめて見せずともかをだに盗め春の山かぜ
寛平御時、きさいの宮の歌合のうた
素性法師
花の木も今は掘り植ゑじ春たてば移ろふ色に人ならひけり
題しらず
よみ人しらず
春の色のいたりいたらぬ里はあらじ咲ける咲かざる花のみゆらむ
春の歌とてよめる
貫之
三輪山をしかも隱すか春霞人にしられぬ花やさくらむ
雲林院のみこのもとに花見にきた山のほとりにまかれりける時によめる
素性
いざけふは春の山邊にまじりなむ暮れなばなげの花の蔭かは
春の歌とてよめる
いつまでか野べに心のあくがれむ花し散らずば千世も經ぬべし
題しらず
よみ人しらず
春ごとに花の盛りは有りなめどあひみむ事は命なりけり
花のごと世の常ならば過ぐしてし昔は又もかへり來なまし
吹く風にあつらへつくる物ならばこのひと本はよきよといはまし
待つ人も來ぬもの故に鶯の鳴きつる花を折りてけるかな
寛平御時きさいの宮の歌合の歌
藤原興風
咲く花は千種[※ちぐさ]ながらにあだなれど誰かは春を怨みはてたる
春霞色の千種に見えつるはたなびく山の花の影かも
在原元方
霞立つ春の山べは遠けれど吹き來る風は花の香ぞする
うつろへる花を見てよめる
躬恒
花見れば心さへにぞうつりける色には出でじ人もこそ知れ
題しらず
よみ人しらず
鶯の鳴く野邊每に來てみればうつろふ花に風ぞ吹きける
吹く風を鳴きて怨みよ鶯は我やは花に手だにふれたる
典侍洽子朝臣
散る花の鳴くにしとまる物ならば我鶯におとらましやは
仁和の中將のみやすん所の家に、歌合せむとてしける時によみける
藤原後䕃のちかけ
花の散ることやわびしき春霞立田の山の鶯のこゑ
鶯の鳴くをよめる
素性
木傳[※こつた」へばをのが羽風に散る花を誰におほせてここら鳴くらむ
鶯の花の木にてなくをよめる
躬恒
しるしなきねをも鳴くかな鶯の今年のみ散る花ならなくに
題しらず
よみ人しらず
駒並[※な」めていざ見にゆかむ故鄕は雪とのみこそ花は散るらめ
ちる花を何かうらみむ世の中に我が身も共にあらん物かは
小野小町
花の色はうつりにけりな徒にわが身世にふるながめせしまに
仁和の中將のみやすん所の家に、歌合せむとしける時によめる
素性
をしと思ふ心は絲によられなむ散る花ごとに貫きてとどめむ
志賀の山ごえに女の多く逢へりけるによみてつかはしける
貫之
梓弓春の山邊を越えくれば道もさりあへず花ぞ散りける
寛平御時きさいの宮の歌合のうた
春の野に若菜つまむと來しものを散りかふ花に道はまどひぬ
山寺に詣でたりけるによめる
やどりして春の山べにねたる夜は夢のうちにも花ぞちりける
寛平御時きさいの宮の歌合のうた
吹く風と谷の水としなかりせばみ山がくれの花を見ましや
志賀より歸りけるをうなどもの花山にいりて、藤の花のもとにたち寄りて、かへりけるによみておくりける
僧正へんぜう[※遍昭」
よそに見てかへらん人に藤の花はひまつはれよ枝は折るとも
家に藤の花の咲けりけるを、人のたちとまりて見けるをよめる
躬恒
我が宿にさける藤浪立ちかへり過ぎがてにのみ人のみるらむ
題しらず
よみ人しらず
今もかも咲きにほふらむ橘の小島の崎の山吹の花
春雨ににほへる色も飽かなくに香さへなつかし山吹の花
山吹はあやなな咲きそ花見むと植ゑけむ君がこよひ來なくに
よしの川のほとりに、山吹のさけりけるをよめる
貫之
吉野川岸の山吹ふく風に底の影さへうつろひにけり
題しらず
よみ人しらず
かはづなく井手の山吹散りにけり花の盛りにあはましものを
この歌はある人のいはく、橘の淸友が歌なり
春の歌とてよめる
素性
思ふどち春の山べに打群[※うちむ]れてそこともいはぬ旅寢してしが
春のとく過ぐるをよめる
躬恒
梓弓春立ちしより年月のいるが如くも思ほゆるかな
やよひに鶯の聲の久しう聞えざりけるをよめる
貫之
鳴きとむる花しなければ鶯もはては物うくなりぬべらなり
やよひのつごもり方に、山を越えけるに、山川より花の流れけるをよめる
ふかやぶ
花散れる水のまにまにとめ來れば山には春もなくなりにけり
春を惜しみてよめる
もとかた
惜しめどもとどまらなくに春霞歸る道にし立ちぬとおもへば
寛平御時きさいの宮の歌合のうた
おきかぜ
聲絕えず鳴けや鶯一[※ひと]とせに二[※ふた]たびとだに來べき春かは
やよひのつごもりの日花つみより歸りける女どもを見てよめる
みつね
とどむべき物とはなしにはかなくも散る花每にたぐふ心か
やよひのつごもりの日雨のふりけるに、藤の花を折りて人につかはしける
なりひらの朝臣
濡れつつぞしひて折りつる年の内に春はいくかもあらじと思へば
亭子院の歌合に春のはてのうた
みつね
今日のみと春をおもはぬ時だにも立つことやすき花の陰かは
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