古今和歌集卷第一 。春哥乃上。原文。(窪田空穗ニ依ル戦前ノ校本)


古今和歌集

○已下飜刻底本ハ窪田空穗之挍註ニ拠ル。是卽チ

窪田空穗編。校註古今和歌集。東京武蔵野書院。昭和十三年二月二十五日發行。窪田空穗ハ近代ノ歌人。

はかな心地涙とならん黎明[しののめ]のかかる靜寂[しじま]を鳥來て啼かば

又ハ

わが胸に觸れつかくるるものありて捉へもかねる靑葉もる月。

底本ノ凡例已下ノ如ク在リ。

一、本書は高等専門諸學校の國語科敎科書として編纂した。

一、本書は流布本といはれる藤原定家挍訂の貞應本を底本とし、それより時代の古い元永本、淸輔本を參照し、異同の重要なものを上欄[※所謂頭註。]に記した。この他、參照の用にしたものに、古今六帖、高野切、筋切、傳行成筆、顯註本、俊成本がある。なほ諸本により、本文の歌に出入りがある。(下畧。)

○飜刻凡例。

底本上記。又金子元臣ノ校本參照ス。是出版大正十一年以降。奧附无。

[ ]内原書訓。[※]内及※文ハ飜刻者訓乃至註記。


※ところで假名文飜刻に特有の問題がある。卽ち活字乃至フォント乃至抑々現代平仮名自体の一律性と変体假名の差異の埋めがたさで在る。假名文は例えば[に]に[尓][仁]、[を]に[越][遠]、[无]で[む]乃至[ん]、[の]に[能][乃]等があらわされているのであって、故に基本的に忠実な假名文飜刻とは不可能なのである。此の底本始め、戦前の古典本には濁点さえ容赦なく振ってあるが、それも一理ある。寧ろ、[尓]も[仁]も強引に一律[に]として処理しながら、和本を忠実に転写してあるかの今の世の一般的な古典本の振る舞いの方が、いかがわしいとも言える。活字、フォント、現行平仮名で、例えば貫之の仮名序は飜刻不能なので在る。仍て、基本的には底本戦前出版本の儘その儘に飜刻してある。


古今和歌集

古今和歌集卷第一

 春哥上

  ふるとしに、春たちける日よめる

  在原元方

年のうちに春はきにけり一[※ひと]とせを去年[※こぞ]とやいはむ今年[※ことし]とやいはむ

  はるたちける日よめる

  紀貫之

袖ひぢてむすびし水の氷れるを春立つ今日の風や解くらむ

  題しらず

  よみ人しらず

春霞立てるやいづこみ吉野の吉野の山に雪はふりつつ

  二條のきさきの、春のはじめの御うた

雪のうちに春はきにけり鶯の氷れる淚いまやとくらむ

※二條のきさき。第56(神功含メ57)代淸和天皇后高子。參照伊勢物語。

  題しらず

  よみ人しらず

梅が枝に來ゐる鶯春かけて鳴けどもいまだ雪はふりつつ

  雪の木に降りかかれるをよめる

  素性法師

春たてば花とや見らむ白雪のかかれる枝に鶯ぞなく

  題しらず

  よみ人しらず

心ざし深くそめてしをりければきえあへぬ雪の花と見ゆらむ

    或人のいはく、前[さきの]太政大臣[おほきおほいまうちぎみ]の歌なり

  二條のきさきの、東宮の御息所[みやすんどころ]ときこえける時、正月[むつき]三日[みか]、おまへに召して、仰言あるあひだに、日は照りながら、雪のかしらに降りかかりけるをよませ給ひける

  文屋康秀

春の日の光にあたる我なれど頭[かしら]の雪となるぞわびしき

  雪の降りけるを詠める

  紀貫之

霞たち木[※こ]の芽も春の雪ふれば花なき里も花ぞ散りける

  春のはじめに詠める

  藤原言直

春やとき花やおそきと聞きわかむ鶯だにも鳴かずもあるかな

  春のはじめの歌

  壬生忠岑

春來ぬと人はいへども鶯の鳴かぬかぎりはあらじとぞ思ふ

  寛平御時、きさいの宮の歌合の歌

  源當純[※まさずみ]

谷風にとくる氷のひま每に打出づる浪や春の初花

※寛平御時、きさいの宮の歌合の歌。寛平[かんひやう]元年(889)から5年(893)以前のいずれかに第58(神功含メ59)代光孝天皇后班子[はんし]女王が主催。御代は後ノ亭子院第59(60)代宇多天皇。是後醍醐天皇ノ父。

  紀友則

花の香を風のたよりにたぐへてぞ鶯誘ふしるべにはやる

  大江千里

鶯の谷よりいづるこゑなくば春來ることを誰か知らまし

  在原棟梁

春立てど花もにほはぬ山里は物うかる音に鶯ぞ鳴く

※業平ノ長男。從五位上左衞門佐。

※在原氏ハ第51(52)代平城天皇ノ子ニ阿保親王[あぼしんのう]。其子業平。業平ノ異母兄行平[ゆきひら]。

※平城天皇ハ卽チ所謂薬子[くすこ]ノ変ノ天皇。是≪平安時代初期の政変。大同4 (809) 年4月、平城天皇は皇太弟神野 (かみの) 親王 (嵯峨天皇 ) に譲位したが、前帝の寵により権勢を得ていた藤原薬子と兄仲成らは、平城京への遷都、上皇の重祚 (じゅうそ) を策し、同年 12月旧都に移り、翌年6月観察使を廃するなど政治に関与した。これに対し嵯峨天皇方は、蔵人所を設置して機密の漏洩を防ぐとともに、上皇の平城遷都の命を機に、三関を固め、薬子を解官し、仲成を射殺した。これにより上皇は剃髪し、薬子は自殺した。こののち、藤原氏のうち式家は没落し、北家の冬嗣の系統が朝廷で勢力を確立していった。(出典ブリタニカ国際大百科事典小項目事典。閲覧10.28.2019.)≫

  題しらず

  よみ人しらず

野べ近く家居しせれば鶯の鳴くなる聲はあさなあさなきく

春日野は今日はな燒きそ若草のつまも籠れり我も籠れり

春日野の飛ぶ火の野守出でて見よ今幾日ありて若菜摘みてむ

み山には松の雪だに消えなくに都は野邊の若菜摘みけり

梓弓おして春雨けふ降りぬ明日さへ降らば若菜摘みてむ

  仁和のみかど、みこにおましましける時に、人にわかなたまひける御うた

君がため春の野にいでてわかなつむ我が衣手に雪はふりつつ

  歌たてまつれと仰せられし時よみてたてまつれる

  貫之

かすが野の若菜摘みにや白妙の袖ふりはへて人のゆくらむ

  題しらず

  在原行平朝臣

春のきる霞の衣ぬきをうすみ山風にこそ亂るべらなれ

  寛平御時、きさいの宮の歌合によめる

  源宗于朝臣

ときはなる松の綠も春くれば今ひとしほの色まさりけり

  歌たてまつれとおほせられし時によみてたてまつれる

  貫之

わか背子が衣はる雨降る每に野邊の綠ぞ色まさりける

靑柳の絲よりかくる春しもぞ亂れて花の綻びにける

  西大寺[※にしのおほでら]のほとりの柳をよめる

  僧正遍昭

淺綠絲よりかけて白露を玉にも貫ける春の柳か

  題しらず

  よみ人しらず

もも千鳥さへづる春は物每にあらたまれとも我ぞふりゆく

をちこちのたつきも知らぬ山中におぼつかなくも呼子鳥かな

  雁の聲をききて、越へ罷りける人を思ひてよめる

  凡河内躬恒

春くれば雁歸るなり白雲の道行きぶりに言[※こと]やつてまし

  歸雁をよめる

  伊勢

春霞たつをみすてて行く雁は花なき里にすみやならへる

  題しらず

  よみ人しらず

折りつれば袖こそにほへ梅の花ありとやここに鶯の鳴く

色よりも香こそあはれと思ほゆれ誰か袖ふれし宿の梅ぞも

宿ちかく梅の花植ゑじあぢきなく待つ人の香にあやまたれけり

梅花たち寄るばかりありしより人の咎むる香にぞしみぬる

  梅の花を折りてよめる

  東三條の左のおほいまうちぎみ

鶯の笠に縫ふてふ梅の花折りてかざさむ老かくるやと

  題しらず

  素性法師

よそにのみあはれとぞ見し梅の花あかぬ色香は折りてなりけり

  梅の花を折りて、人におくりける

  友則

君ならで誰にか見せむ梅の花色をも香をも知る人ぞしる

  くらぶ山にてよめる

  貫之

梅の花にほふ春べはくらぶ山闇に越ゆれどしるくぞありける

  月夜に、梅の花を折りてと人のいひければ、折るとてよめる

  躬恒

月夜にはそれともみえず梅の花香を尋ねてぞ知るべかりける

  春の夜梅の花をよめる

春の夜の闇はあやなし梅の花色こそ見えね香やはかくるる

  初瀨に詣づる每に、宿りける人の家に、久しく宿らで、程へてのちにいたれりければ、かの家のあるじ、かく定かになむやとりはあるといひ出だして侍りければ、そこに立てりける梅の花を折りてよめる

  貫之

人はいさ心も知らず故里は花ぞ昔の香ににほひける

  水のほとりに梅の花さけりけるをよめる

  伊勢

春每に流るる川を花とみておられぬ水に袖やぬれなむ

年をへて花の鏡となる水はちりかかるをや曇るといふらむ

  家に有りける梅の花の散りけるをよめる

  貫之

暮ると明くと目離[※か]れぬものを梅の花いつの人まに移ろひぬらむ

  寛平御時、きさいの宮の歌合のうた

  よみ人しらず

梅が香を袖に移してとどめては春は過ぐとも形見ならまし

  素性法師

散ると見てあるべきものを梅の花うたて匂の袖にとまれる

  題しらず

  よみ人しらず

散りぬとも香をだに殘せ梅の花戀しき時の思ひ出でにせむ

  人の家に植ゑたる櫻の、花さきはじめたりけるを見てよめる

  つらゆき

今年[※ことし]より春知りそむる櫻花散るといふ事はならはざらなむ

  題しらず

  よみ人しらず

山たかみ人もすさめぬ櫻花いたくなわびそ我見はやさむ

    又は里遠み人もすさめぬ山ざくら

山櫻わが見にくれば春霞峯にも尾にも立ちかくしつつ

  染殿のきさきのお前に、花瓶に櫻の花をささせ給へるをみてよめる

  さきのおほきおほいまうちぎみ

年經れば齡は老いぬしかはあれど花をし見れは物思ひもなし

  渚の院にて、櫻を見てよめる

  在原業平朝臣

世中にたえて櫻のなかりせば春の心はのどけからまし

  題しらず

  よみ人しらず

石走[※いしばし]る瀧なくもがな櫻花手折りても來むみぬ人のため

  山の櫻を見てよめる

  素性法師

見てのみや人にかたらむ櫻花手每に折りて家づとにせむ

  花ざかりに京を見やりてよめる

見渡せば柳櫻をこきまぜて都ぞ春の錦なりける

  櫻の花の本にて、年の老いぬる事をなげきてよめる

  友則

色も香もおなじ昔に咲くらめど年ふる人ぞあらたまりける

  折れる櫻をよめる

  貫之

誰しかもとめて折りつる春霞たちかくすらむ山の櫻を

  歌奉れと仰せられし時によみて奉れる

櫻花さきにけらしな足引の山のかひより見ゆる白雲

  寛平御時、きさいの宮の歌合のうた

  友則

み吉野の山邊に咲ける櫻花雪かとのみぞあやまたれける

  三月[※やよひ]にうるふ月ありける年よみける

  伊勢

櫻花春加はれる年だにも人の心にあかれやはせぬ

  櫻の花の盛りに、久しく訪はざりける人の來たりける時によみける

  よみ人しらず

あだなりと名にこそ立てれ櫻花年にまれなる人も待ちけり

  返し

  業平朝臣

今日來ずば明日は雪とぞふりなまし消えずはありとも花と見ましや

  題しらず

  よみ人しらず

散りぬれば戀ふれどしるしなき物を今日こそ櫻折らは折りてめ

折りとらば惜しげにもあるか櫻花いざ宿かりて散るまではみむ

  紀のありとも

櫻色に衣は深く染めてきむ花の散りなむのちの形見に

  櫻の花の咲けりけるを、見にまうできたりける人によみておくりける

  躬恒

我が宿の花みがてらに來る人は散りなむのちぞ戀しかるべき

  亭子院歌合の時よめる

  伊勢

みる人もなき山里の櫻花ほかのちりなむ後[のち]ぞさかまし

※亭子院。是宇多天皇。








Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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