小説。——櫻、三月の雪…散文。及び立原道造の詩の引用 /《‘In A Landscape’ ...John Cage,1948》Ⅱ 或る風景の中で。ジョン・ケージ、1948 ■57



以下、一部箇所に暴力的な描写が在ります。

ご了承の上お読み進めください。

又、歴史的記録として過去の政治スローガンの引用乃至模倣が使用されますが、

特にそれらを特に顕彰しようとする意図も在ません。





櫻、三月の雪

…散文。及び立原道造の詩の引用


三部作

《‘In A Landscape’ ...John Cage,1948》Ⅱ

或る風景の中で。ジョン・ケージ、1948——Ⅱ


Zaraθuštra, Zartošt, Ζωροάστρης

ゾロアスター



「一回だけ。嘘じゃない。あいつに、あんなことしたのは一回だけ。…彼に、やっちゃいけないこと、やっちゃったあとでさ、俺、どうしようもなく胸が苦しくて。哀しくて。涙さえ流れ出さない。むしろ、茫然としてたよ。その時、気附いた。自分の本当の姿。自分自身にさえ、嘘附いて隠し持ってた本当の姿。」

「なに?」

「ごめんな、って、終った後で、あいつにそう云ったら、そしたら、あいつ、云ってた。判るよって。伯父さんの気持ち、なんか、わかる。…もう、心配しないで。…って、そのとき、俺。なんだろう?彼も、そういうタイプだったんだなって気付いた。」

「そうじゃないと想う。」

「…なんで?」

波紋。

「あいつは、そうじゃないよ。」

泰隆の、謂わば心の中に、匂いも無い波紋が静かに、一瞬、拡がったのが見えた気がした。

「どうしてわかるの?」

「逆に、なんであいつを自分の側に引きずり込みたいの?…かりに清い雪が同性愛者だったにしても、あなたみたいなことしないでしょ。少年愛、みたいな?あいつが何歳の時?十二、三でしょ?少年に少年に愛せないよ。…勘だけど。あいつに、同性愛だの何だのの気すらないと想う。俺はそんなの感じなかった。つまり、あなたが見てる風景と清雪がみてた風景は、仮に同じ男を抱いた瞬間にだって、違うってことだよ。そもそも、さっきから云ってることの悉くが何か、矛盾してる。とても信じられない。」…知ってるんだよ。――と。

泰隆は私の声を断ち切る。

「判ってるんだよ。もう、…」と。…俺自身の愚劣さはね。

「あなた、犯罪者でしょ。」

「…そうかな?」

「なに?」

「犯罪ってなに?…別に俺は俺のした事がいいことだとは想ってない。清雪は俺に扶養されてたし、そもそもあの年齢だった。逃げようも無かった。あの年齢で、扶養者の庇護って、結構でかい。俺自身、よく判る。養父たちのさゝいな夫婦喧嘩でさえ、あの頃、彼等に縋るしかなかった俺にとっては、世界戦争でも眼の前で起こってるみたいな、そんな物凄い危機だった。且つ、最初に清雪の同意があったわけじゃない。そもそも、清雪には、同意するしかすべは無いからね。十一歳の彼には。だから、結果的にどうなった事実が在ったとしても、あくまでも一方的に俺が仕掛けた俺の欲望に任せた俺の犯罪行為以外のものじゃない。でも、…ね。」

言葉を切った、その泰隆がスピーカーの向うでどんな表情をしていたのはわからない。

「心と心はふれ合ってたぜ。その瞬間、むしろ」私は「…赤裸々に。」声を立てて笑い、「…馬鹿?」

云った私に、泰隆は長い沈黙をくれた。

床の上に、日差しが白い白濁した翳りを投げていた。

泰隆が、私のそのみじかい二音の声を何度か頭の中に反芻したに違いない、と。

私はふと、そう想った。「侮辱しないで。」

泰隆は云った。

「俺と、あいつのこと、侮辱しないで。お願いだから。俺たちを穢さないで。時間が流れて、過去の事になって仕舞って、それでいま、あいつがあんたにどんな云い方をあなたにしたかは知らない。けど、あの瞬間、あいつは完全に受け入れてた?…違うな。赦してた。…違う。…つまり」

「なに?」

「じかに、素肌でふれ合ってたんだよ。」…心と心だけが。「そうとしか、…」そうとしか云獲無い。

「で、淸雪は自殺した、と。」

「それは事実。でも、そうとは言い切れない。」

「なぜ?」

「俺ね、確かに俺は俺だけど、何が俺を俺にしてるのか、終にらない。逃げてるんじゃない。ごまかしてるんでも無い。謂わば、此れは俺の告白だから。最も愛しいものを失って、何もかも無くした俺の、告白だからね。いい?あのあばずれの糞のカスの母親の影響がいまの俺の根拠だって?俺の見てる風景の?その成り立ちの?笑わせるな。母親なんて、ほんのちいさな因子に過ぎない。養父との、養母との生活、小学校の、…糞どもだよ。綽名、ネイチャーだぜ。担任の馬鹿な先生が云ったんだよ。虐めの対象だった俺をとけ込ませたくてね。泰隆君みたいな可哀相な人の事を呼ぶとき、日本語では穢い言葉しかないけど、英語ではネイチャー・ボーイと言います。つまり、綺麗で豊かな大自然の子供なのよって。笑うでしょ。なんだよそれ。糞って眼の前で云われたより傷附いたね。善良で居ようとする奴ほど剝き出しの暴力を加えてくる奴等は居無い。而も、戦うことさえ、俺にはできないんだ。なぜなら、奴等はあくまで善良だから。違う教師がなんて云ったと想う。養母に。気をつけてやってください。心に傷の在る子はね、誰よりもやさしく成れるし、誰よりも危険分子に成れるんです。泰隆君の生長は、我々大人次第、ですから、とかね。勝手に俺を傷物にし無いでくれ。母親が外人で且つ人間の屑だったら、父無し無戸籍児だったら、その儘傷に塗れて居なければなら無いのか。そんな事に打ち勝って、乃至、気にもし無いで自由に生きちゃ駄目なのか?…でも、そんな事の諸々が、決して俺を総て説明しているのでも総ての俺を顕して居るのでも、そんな事は絶対に無い。」

「北京で羽ばたいた蝶のほんの一瞬の羽撃きが、廻り廻って結果として明日アフリカに雪を降らせることもあるって?そんな蝶々の羽撃きには一切の破壊欲など在りはせず、だからお前は無罪だって?

 乃至、迫害され続けた被害者はまさにお前自身で、誰よりも傷附いて居たのは自分自身だって?だからお前は無罪だって?何を云いたいのかしらないけど、逆説的にでもお前が目論んでるのはそう云う事だよ。お前、何歳だったんだよ。清雪を強姦した時。三十超えてなかった?教えてくれよ。

 …おまえ、無罪なの?」

「そうは云ってない。俺は俺を無罪化しない。ずっとさっきからそう云ってる。でもね、わからないんだ。」

「なぜ、お前があんなことやったのか?」

「違う。目の前に留保なく美しい存在がいた。事実として。その美しさには抗い難い。なぜなら抗い難い美しさそのものとしてそこに存在しているから。それが美しさと言うものだから。そんなとき、俺はどうすればいい?迷うことなく俺は罪を犯して在ることを選ぶ。」

「倫理はどうなる?」

「そんなものはた易く破綻する。すでに予め破綻してさえ居る。倫理なんて集団が生き残るための方便に過ぎない。それは決して目的じゃない。目的たり獲ない。」

「美しいものを穢す事が生きとし生けるものの総ての目的の総てだと?」

「そんなこと云ってないでしょ。ただ、為すすべがないんだよ。…それはね、暴力なんだ。美しいもの自体が放つ。美しいものにふれること、それそのものがそれを破壊すること、穢すこと、たゞそれをしか意味し無いことなど知っては居るけれど、にも拘らずそれにふれざるを獲ないんだ。」

「なぜ?」

「俺自身が壊れて仕舞うから。」

「ふれられたものを壊してでも、自分を、…」

「守りたいなんて云って無い。事実、自分を守ってなんか無い。もう、その瞬間にはすでに俺自身が壊れてるから。」…ねぇ、と。

泰隆は言った。「判ってよ。判らなくていいから。どんな生活だったと想う。あいつの息吹きにふれて、あいつの傍らで憩う、あいつと幸せになる為、幸せで在る為だけに共存していたそんな生活が。正に逃げ場の無い贖罪の日々だよ。何もかもが俺を糾弾するのさ。俺は美しいものにふれた。けど、俺たちの生活にとって、それでも文字通り蝶の羽ばたきの一つにすぎないんだ。俺の総てでは在り獲ないんだ。けど、俺は此処で俺が見る風景の中に生きるんだ。それって、すさまじく残酷なんだ。後悔も、なにもできはしない。後悔しないことさえできは無い。ただ、…ね。」

「なに?」

「心が、…心だけが痛いんだ。」

云い切った泰隆は長い間を置いた。私は、彼を嘲笑いながらその、顕かに自分勝手で、むしろ自己愛そのもにしか感じられないみじめな沈黙に、付き合ってやった。

わたしは、哄笑を禁じえない自分を羞じていた。泰隆は純粋だった。むしろ、清雪よりも純粋だった気がした。ひとつの明確な確信として。喩え、それが唾棄すべき結果をしか齎しては居無かったに違いなくとも。及び、その純粋さによって、泰隆の何が正当化されるという訳ではなくとも。私には、そう想われた。純粋、と、その言葉が意味するものをは、決して、明晰には理解し獲ないでいるがままに。

「お前が死ねばよかったんだよ。」

私がそう云ったとき、泰隆は、ややあって、不意に声を立てて笑った。「俺もそう想った。」

「じゃ、なんで死ななかったの。奥さんに対する責任感とか?とっくに、最も容赦のないやり方で裏切ってたのに?清雪に対する責任感とか?もっと辛辣に、彼を破壊しちゃったのに?」

「俺は俺を裏切れない。」

「なにそれ。」

「判ら無い。いま、お前に詰められて想い附いただけの言葉だから。でも、それ、正しいと想う。俺は俺を裏切れなかったんだよ。俺は俺を無罪化しない。俺は常に有罪だ。そして、有罪である事だけを選択する。喩え、…」と、――何度生まれ変わったとしてもね。

「奥さんは?…」

その、私の言葉を聴き取った瞬間に泰隆は笑った。むしろ、邪気も翳りも無く素直に。…元気?

「…元気だよ。…若干…いや。相当憔悴してるけど。」

「淸雪のせいで?」

「そう。…あんな死に方。…ちょっとね。やっぱり、人が死ぬのって、残酷じゃない?人間って、——人間の肉体って、ね。やっぱりなかなか死なない。そう言うものでしょ。だから、如何したって人が、特にもともと健康体だった人間がひとり死ぬのってね、凄惨さは免れないよ。」

「そんなに悲惨な死に方だったの?」…と。

私は云いながら、なぜ泰隆は清雪の死に様について、いちいち彼自ら、恃まれもし無いのに勝手に掛けてきた電話の中で、私に対して、嘘を附き通そうとするのか、私はそれに違和感を感じていた。





Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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