小説。——櫻、三月の雪…散文。及び立原道造の詩の引用 /《‘In A Landscape’ ...John Cage,1948》Ⅱ 或る風景の中で。ジョン・ケージ、1948 ■51
以下、一部箇所に暴力的な描写が在ります。
ご了承の上お読み進めください。
又、歴史的記録として過去の政治スローガンの引用乃至模倣が使用されますが、
特にそれらを特に顕彰しようとする意図も在ません。
櫻、三月の雪
…散文。及び立原道造の詩の引用
三部作
《‘In A Landscape’ ...John Cage,1948》Ⅱ
或る風景の中で。ジョン・ケージ、1948——Ⅱ
Zaraθuštra, Zartošt, Ζωροάστρης
ゾロアスター
「こうやって、壊してくんだよ。」
寝息を立てて、眠り続けたままの潤の頭を撫ぜながら、…俺たちね、――
「一人の女の魂を。」
囁く。
ユイ=雨は。
その眼差しには、何かを鮮明に謀んだ、執拗な腹黒さをさえ匂わせながら、彼はただ微笑んで居るに過ぎない。
…信じられない。
独り語散るように。
「俺、信じられない。なにもかもが」
私が彼の声を聴いていることを、
…まじで、こんなにもやさしいのに
ユイ=雨は
「いま、俺たち、
泣き叫ぶように
こんな風にしてさ、
むしろ、泣き叫ぶように
一人の人間を
吹き荒れた、その台風の日に
…ね。
綾子は彼女の部屋の中で
俺たち、壊していくんだよ。」
私の肩に
と、
頬を預けた
知っている。
私は、気附いていた。
…気配。
家に棲み着いていた、その三毛の猫とは違う、顕かな、…
気配。
誰かが、此の廃墟のような家に帰って来たことをは。
気配。あくまでも、気配で。無様で、不器用な気配。包み隠すことさえ知らない、剝き出しの、――生きた人間の気配。庭に、樹木を茂らせた家屋。
花のない樹木の。
黄色い小さい花を咲かせる樹木の。
桃色の花を、垂れ下がった蔦いっぱいに咲かせる樹木の。
ブーゲンビアの。
ココナッツの。
まぶたを開いたその瞬間に、眼差しの捉えた下方の位置に漏れこんだ光が侵入して、あらためて感じられたのは背中にふれていた、御影石張りの床のタイルの、体温に温められたその生ぬるい温度。
仰向けに横たわった私の眼差しの其処で、コア。ホアン・コアと言う名の、ユエンの弟。義理の、と。そう呼ばなければならない二十代後半のベトナム人が、暑苦しくスーツを着込んだ儘で木戸の前に立っていた。
コアは、その眼差しに、午前の浅い時間に、野放しの日曜日とは言え、仏間の床に寝転がって、褐色の素肌を曝して羞じもしない寝息を立てる姉と、その夫の仰向けの全裸体を見い出して、そして一瞬笑いかけたばかり、何事もない。
…お盛んだね。
とでも。
そうとでも、云いたいのだろうか。彼はただ、なしくずしの笑みを私にだけ投げかけた。
必ずしも気にも留めない
…どう?
と、そんな
…愉しんでる?
囁くような微笑みを投げ棄てて彼は、そのまま奥の彼の部屋に入っていた。自分の部屋に這入って行ったに違いない。商業的な中心地、サイゴン、つまりはホー・チ・ミン市のアルミ工場だかなんだかに勤務している筈の彼が、久しぶりに実家に帰って来たのだった。ふしだらな姉と、ふしだらなその夫に占領された、かつて家族たちで溢れていた家屋。
不意に、懐かしい、と、想えば想える、そんなやわらかな感覚が、私の咽喉の奥の方に巣食っていた。不意の、あられもない邂逅の羞恥心と同居しながら。コアと顔を合わせるのは、結婚式以来だった。
コアは私たちの曝して居た姿に、取り立てゝ驚いた素振りも、不快がった気配も見せなかった。敢えて、それを彼は禁じたのだろうか。必死に、彼なりに気を遣って?いまや、此処がもう彼の家だとは言獲無くなって居たから?それとも、当然の風景だったのだろうか?夫婦が肌を曝して家屋の中に、いかにも終ったばかりだというたたずまいで、仮に、ふたりがその行為を事実として遂げていたわけではなかったにしても、遂げおおせていたにしても、しずれにしても、おおっぴらに堂々と寝転がっている風景が。コアの眼差しの中では?
あるいは、此処の大多数の眼差しの中では?
浮んだ儘の違和感が去らない儘に、身を起こそうとした私は、傍らに添うて寝転がったユエンの抵抗に合う。彼女の、私の腕を掴んだ左手が私を放さなかった。…いけない、と。
そう強く私に命じるかのように。
ユエンが、ひょっとしてすでに起きて居るばかりか、もとから眠ってさえ居なかった可能性の存在を、私は疑った。彼女をまぶたを開かない。
ややあって、シャワーを浴びて、軽い服装に着替えたコアが、ユエンの赤いバイクを庭先に出すが、必ずしも私たちには眼差しをくれるでもない。…いいんです。
もう、と、そこに存在しなくてもいいんですよ。
そう耳元で囁かれた気さえしながら、
…存在しでもいいんです。
バイクを
…ぼくの眼差しの中に
数度吹かして何処かへ
…あなたたちは
立ち去っていくコアを見遣った。特に拒絶した訳でもない、単なる、自然な無視。その日、私の服を脱がせたのはユエンだった。
洗濯をするわ、…と、
Giặt đồ
そう云い始めたユエンが洗濯機の中に、私たちが散々ためこんだ洗濯物を無造作に放り投げながら、その眼差しがもう一つ残っていた新鮮な洗濯ものを見つけ出すのに時間はかからない。
振り返った振り返ったままの、表情の無い眼差しに一瞬、微笑みを浮かべて、何か言葉を話しかけようとしか彼女の唇が、正確なかたちを刻み始める寸前に、ユエンはそして、彼女は終に声を立てて笑った。
脱ぎなさいよ。
Thay đồ
居間のソファに座り込んで、彼女に
đi
恥ずかしくないわよ。
Cởi đi
身を捩って
Không sao
目線をなげていた私に駆け寄って、戯れながら、そして、自分の子供にしてやるかのような、あまい母親の媚を一杯に浮かべて見せて、脱がされた衣服は無造作に床にほうり棄てられる。
ユエンの、意図的にはしゃぎたてる声が、私の耳にはただ、心地よかった。彼女の、ほんの想いつきの戯れに、私は付き合ってやるべきだった。
私のTシャツを剥ぎ取ろうとしたユエンの手つきが、馴れないその挙動のうちに、折り曲げられた腕をめくり上げられたTシャツに絡めとらせて仕舞って、やわらかい布地は私の頭部と二の腕から先を覆った。
私は、眼を閉じた。
包み込んだ生地に目隠しされたままで、私はその場に立ちつくして、声を立てて笑った瞬間に、足元にひざまづいたに違いないユエンの指先がそれを弾いた。
なに?
Cái gì ?
これ。
当たり障りの無い、ささやかな、若干ふしだらに過ぎた戯れ。
当てて御覧よ。
Anh à
その、囁く声がユエンに聴き取られ獲たかどうかはわからない。
Cuả ai ?
誰のなの?
笑いかけた、悪戯じみた声がかすかなわななきを持つ。ふしだらな営み。必ずしも積極的な欲望さえも無く、乃至、突き動かされる衝動も何も、じゃれうだけの、意味も無い、留保もなく猥らな。
Ang yểu em
…戯れ。
Em yêu anh
一体、何人の女たちとこんな戯れに時間を費やしたのだろう、
Anh yếu em
私は…
Em yêu anh
と。
Ang yệu em
想っていた。不意に。
Em yêu anh
気になった。
Ân yều em
自殺して仕舞った清雪は、こんな戯れをわずかでもしでかしたことが在ったのだろうか、と、泰隆たちの眼差しの行き届かない何処かで。その時に、その一週間足らず前に自殺して果てゝいた彼の、眼差し。
Yêu
画面のこちら側の、誰と言うわけでもない誰かを
愛
見詰めていたには違いない
好き
彼の。
大好き
発熱する熱狂も無ければ興奮もない。必ずしも。ただ、透明なあわい無数の情熱に駆られる。そんな。
眼差し。
腹に突き刺された刃物だけが、その眼差しに、彼にだけ鮮明に知覚されていた、いわば灼熱の痛みを曝け出した。…微笑み。
あるいは、好き放題にこぼれるような、笑みのわがままな散乱。
そんな表情に、ユエンの眼差しはゆがんでいたに違いなかった。Tシャツをどけて、眼を見開けば。チャン、…白。
Trắng
純白の、と言う名前。失心。ユエンの、わななく
Tuyết Trắng
身体の痙攣。一瞬の、
白い雪
意識の、意識の消滅した白濁した狂乱から、まるで眼を醒ましたように目を開いた、ユエンの、眼差し。血管に医者たちが打ち込んだ麻酔薬が、彼女の身体の痙攣を無理やり沈静化して、強制された眠り、あるいは意識の強制消滅から、むしろもはや目覚めないことを、彼女に付き添ったフンPhươngは願いさえしていた。
昏睡からふたゝび目醒めた後のユエンが、もう前と同じような人間で在り獲て居るとは彼女には想え無かった。壊れて居るに違いない、いまだに壊れた自分を曝け出しては居無い眠れるやすらかな存在。その儘眠り続ければ、誰にとっても安らかだったに違いない。
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