小説。——櫻、三月の雪…散文。及び立原道造の詩の引用 /《‘In A Landscape’ ...John Cage,1948》Ⅱ 或る風景の中で。ジョン・ケージ、1948 ■33
以下、一部箇所に暴力的な描写が在ります。
ご了承の上お読み進めください。
又、歴史的記録として過去の政治スローガンの引用乃至模倣が使用されますが、
特にそれらを特に顕彰しようとする意図も在ません。
櫻、三月の雪
…散文。及び立原道造の詩の引用
三部作
《‘In A Landscape’ ...John Cage,1948》Ⅱ
或る風景の中で。ジョン・ケージ、1948——Ⅱ
Zaraθuštra, Zartošt, Ζωροάστρης
ゾロアスター
或は、と。
想う。人間たちが自分達の必然的な臭気に馴れて仕舞って、鈍磨して仕舞った嗅覚の向うで、例えば野犬たちは必ずしも嗅ぎ馴れることの無い他種生物の生存領域固有の無残な臭気を、他人にだけ鋭利な彼等の鼻腔のうちに嗅ぎ取って居るに違いない。
惨めでさえある鶏たちの臭気と同じように。そして振り向いた清雪の眼差しが、…なぜ?
一瞬私を咎めた気がした。…違う。
一度たりとも愛しさえしなかった女の見舞いに
俺は、彼女を
どうしていまさらのこのこ来たの?
否定しようも無く鮮明に嘗て
暇つぶし、…むしろウザいから
愛してた。
…ね、それとも
いまも?
好きだったの?
と、そう、私は清雪に教えてやりたかった。私が潤を愛していたことは、正に事実だった。百合を食い千切って咀嚼する彼女を見た瞬間に、私は否定しようもなくそれを
9.樹木の翳にささやいて過ぎる光がふたりして
想い出し、私は何度目かに。
花々の翳りの下にさえも
認識していた。鮮明に。
蟻たちは
否定しようも無く。
細い列をなして
私は、
時に
確かに、…と、彼女を愛している。ユエンは、私にしなだれかかるようにして、その、愛する彼女。
あすてる
Áng yêu em
ユエン。
あすぃてる
Anh yều em
妻が微笑んでいることには気付いていた。おとなしく、百合を食いちぎり、そして静かに顔を上げて、知って居るのだろうか?
あぃすぃてる
Ân yêu em
彼女は、…チャン。
あっすぃてる
ấng yêu ên
眼差しの中に存在するそれが、自分が喰い殺さなかったほうの娘であることを、彼女は、(――眼差しは)微笑む。
(あくまでも、)
やさしく。
(食用として)
もはや、此の(捉えていたのだろうか?…彼女の眼差しは)世界の中に(その時には。)悲しみの欠片さえ残存しては居ないということを、いまさら(―或は)想い出して仕舞ったような、そんな、微笑を(愛撫だったのだろうか?)ユエンは、咀嚼した。
(彼女なりの)
潤のあごは。
(容赦なく)
音など聴こえない。
(不器用な?)
私は(…固有の。)耳を澄ました。…知ってた?
さゝやく。私は、…俺が此の女をどれだけ愛しているか、お前には理解などできない。…自分の頭の中にだけ、…光。
ふれる光に
瞬こうともしない。
照らされ続けて
チャンは、その、左目、…向って右の、目。
私が、曝された
彼女のそれに、木漏れ日の断片がもろくもふれて居る事に、彼女は。
ユエンのちいさな
沈黙が、一切に知性の欠如を意味しているとは限らない。気付いた。恐らくは樹木に樹木固有の、脳組織詰りは哺乳類の知性形態に依らない固有の知性形態が存在するように。乃至、微生物或は細胞そのものにさえ、固有の知性が溢れかえって居るように。
チャンの沈黙に、彼女の知性の欠如を見い出すことは単なる
ちいさな褐色の
思考停止した傲慢さにすぎない。彼女は、
乳首にそっと
彼女固有のなし方で、眼の前に在るものの
歯をあわせて
総てを
かるく
鮮明に認識していた。
咬んでやって、或は
ユエンが、彼女の娘である事など、ユエンと、
正午前の、広い仏間の床
アオと、チャンに固有の問題系で在るに過ぎない。チャンが、
御影石の
それ以上の
床の上で
巨大で複雑な真実を見い出している以上、彼女が
聴いた。かすかに
自分の娘である事の認識の欠如を指摘することは、或は、
ユエンが唇に立てた
あまりにも理不尽な
繊細な音声
暴力に他ならない。ユエンが
喘ぎ声にさえならないそれ
彼女の娘であると呼ばれなければならない必然など、大気に舞うバクテリアにとっては理解不能な他生物の立てる不快なノイズで在るにすぎない。
寄生し、分裂し、繁殖する(―最早)彼等にとっては。(悲しみさえも)最早、(無かった。)悲しみさえも(…最早、)無かった。
おそらくは、その眼差しに何の表情も浮べずに(――表情さえも)、顕かに(浮ばずに、ただ)人間の表情を失っていた眼の前の(ユエンは、彼女の)母親に対して、ユエンの投げる眼差しには、もはや。
(眼差しにふれるものをだけ、ユエンは。
…見ていた。僅かな感情さえ)
悲しみなど、一切、その翳さえも。
(感じさせずに、)
ユエンの微笑を、私は彼女の腰を抱きながら、お互いに、敢えてかさね合わそうとはしない、わざとすれ違わせた眼差しの、感じ取られる気配のうちにだけ、見い出していた。その女。
傍らに息遣い、そして其処にあからさまに存在して居る愛しい女。ユエン、血まみれの、表皮を反対にめくれ上がらせたぶよついて脈打つ塊が、ふいに頭部のてっぺんに口蓋を開き裂くと、一気に流れ出した内臓が、想い出す。やがて、…花。
まるで握りつぶされた花のような、或はユイ=雨が私の額に銃口を押し当てたときに、…想い出す。
私は、——カンボジア。
まっ平らな、そして
どこまでも拡がる、ブノンペンに迄至らない其処の、その
かすかな湾曲を曝していた
平野。
地平線
バスを降りた私たちは、そしてあっちへ真っ直ぐ行けばメコン河に出る、…と。
事象の地平線
ユイ=雨は云った。
情報など、なにも共有され獲無い
五十代を越えたユイ=雨には顕かに、嘗て彼に存在し無かった老いが、その皮膚の様々な部位をほんの僅かにだけ劣化させていた。…嘲笑うだろうか?
事象の地平線
と、
あれほどまでに厖大な事象そのものを捲き起こしながらも
想う。其の時に、私は、19歳で、老いさらばえる現実さえ知らずに自死して仕舞った清い雪が、老いさらばえながら、細胞の劣化とともに朽ち果てていくに違いない私たちの惨状を、彼は、…と。
そこから先は完全に無縁な異界と化し在り獲ない無限に至る
「俺は、美しくありたい」そう清雪は
その境界線は
云った。…雪みたいに?
ふれて居ると言獲るのだろうか?
ユイ=雨がいちいち土の地面にバッグを置いて、その
その境界線上で、その境界線に属さない
小ぶりな
こちら側そのものに
拳銃を持ち出したときに、「まるで、穢れの無い雪みたいに?」
一瞬たりとも
私は
無限に完璧なゼロに無限に近い一瞬たりとも
必ずしも驚かなかった。彼が、私を殺して仕舞うだろうことは予測など附いて居た。彼には、「…そう。」それ以外にすべはなかった。
ユエンが
「あんたが、つけた名前じゃない?」
私の乳首に歯を当てて
清雪は事も無げにそう囁いて笑った。
わざと上目の眼を剝いて
十六歳の清雪。ユイ=雨が
咬み附こうとして見せたときに
耳打ちした。
戯れあうしか知らない、それ以外に
かすかに、微笑みながら。…むしろ、
為すすべも無い
と。
いつものふたりの時間の中で
「俺に殺されたいでしょ。」
なぜた
…どうせなら。
私の指先は、彼女の右の
と、…お前が唯一、愛した俺に。
聴こえるか、聴こえないか。その境界線を危うく行き来するさゝやき声として、そう云ったユイ=雪の声に匂った、もう、いいよ。
貴方を、赦す。
そんな、終に、不意に諦めにふれて仕舞った気配をあざやかに、飽くまで自分勝手にその音声に曝すユイ=雨を、私は最早咎めようとはしなかった。言葉もなく、ただ、私の眼差しの中を、純粋な痛みと歎きだけが満たした。
ユイ=雨の微笑みに、嘗て彼がふしだらなほどに晒した美しさは最早無かった。微笑んで居るのか、嘆いて居るのか、絶望しているのか、怒号さえ発し獲ないほどに想い詰められた怒りに、怒りさえ最早曝し獲なくなって居たのか。何も明示しないユイ=雨の無残に衰えた微笑は、
…それ、と。
「何処の銃なの?」
国産?…と、不意に、意図もなく言って仕舞った私には言葉もかけずに、そして、或は嗚咽さえ漏らさずに、滂沱の涙を流し続ける私の額に、ユイ=雨は引き金を引いた。
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