小説。——櫻、三月の雪…散文。及び立原道造の詩の引用 /《‘In A Landscape’ ...John Cage,1948》Ⅱ 或る風景の中で。ジョン・ケージ、1948 ■29



以下、一部箇所に暴力的な描写が在ります。

ご了承の上お読み進めください。

又、歴史的記録として過去の政治スローガンの引用乃至模倣が使用されますが、

特にそれらを特に顕彰しようとする意図も在ません。





櫻、三月の雪

…散文。及び立原道造の詩の引用


三部作

《‘In A Landscape’ ...John Cage,1948》Ⅱ

或る風景の中で。ジョン・ケージ、1948——Ⅱ


Zaraθuštra, Zartošt, Ζωροάστρης

ゾロアスター 



俺、…と

囁いた潤は、「そんな

云ってすぐに、僕

感情もなく冷たい

凍りついたみたいな。そんな

そう云い直した

眼で私を見てるくらいなら、今すぐ

十三歳の淸雪は

わたしをぶちのめして欲しい」

泰隆の見ている前で

目を伏せた私の

私に耳打ちした

その

「記憶

口元にはいまだに、ただ

あるの。僕

彼女に気づかったやさしい微笑みだけが

記憶、——」

あざやかに、否定し獲ない

なんの?

痕跡を

「生まれる前

曝し

…胎内に

いいよ、…

潤さんの、胎内に

這入る——

壊れていいよ。君が

…堕ちる?

壊れる以外に、自分を守る

前の、記憶。すごい

すべが

綺麗な

ないのなら。あまりにも

…綺麗な?

自分勝手な、君の

なんだろう、とにかく

狂気のうちに

ただ

光の塊

ひたすら埋没していくしか自分を

無際限で

護るすべがないのら

何処迄も

二人しか居ない潤の

此の世界と同じサイズで拡がる

部屋の中の

光。僕

ルーフ・バルコニーで

僕たち

素肌を夏の日差しの中に

確かに光なんだよ。…ね

戯れながらさらして、時に

淸明さん…

わざとらしい

ね?

歓声を上げ

知ってた?

時に、君の唇がたてた

ね、…」と私の

嬌声を鼓膜に

耳元に、テーブル越しに身を乗り出して

触れさせ

わざと上半身をへし折るようにして

私は、本質的に

唇をよせ

…孤独?

そしてさゝやく淸雪の

むしろ

姿に、隣に座っていた泰隆は

単に、ひとりで

嫉妬に似た

時に不意に

私たちは、その

嘔吐しながら涙の滲んだ

休日の多くの時間を、ただ果てもなく

眼差しを

無造作に戯れあうだけの、ふたりの

差し向けるひざまづいた

猥らといえば猥らで、哀しいといえば哀しい

君を眼差しに

交配とも言獲ない肌をただじゃれて乱れる時間の濫費に費やした。…ユエン。

Anh yêu eng

あすぃてる

褐色の肌。

Ang yều yêng

あいすいちる

謂ゆる

Anh yều em

あすてる

東アジアに所属する人間が、インドネシアや

Ân yêu ém

あいぃしつる

フィリピン、時にはカンボジアとラオス、若しくはタイランドを東南アジアと呼んで、好むにしろ嫌うにしろ、下等な人種として差別するにしても夢見られた地の果ての楽園としてもてあそぶにしても、ゴーギャン乃至中島敦に似た眼差しのうちにその風景を眺めることに、必ずしも躊躇は必要ない。事実。多くの観光客たちは眼差しの中で真摯な表明もなくそれを実行して仕舞っている。とっくに自分たちにとってさえ外国文化と化して仕舞ったキモノで白人と中国人の好奇な眼差しを勧誘する日本と同じように、彼等だってその自分たちを奇異の眼で見たがる眼差しを煽ることによって観光を煽っている。

いまや学校教師しか着ないアオヤイを、ことあるごとに外国人の目に触れさせるベトナム人だって同じことなのだが、ベトナムを東南アジアと呼ぶことにはどうしようもない違和感がある。必ずしもそこは異文化の地とは言獲ない。同じ中華圏に属するといわなければならないそこは、基本的には中国乃至韓国に感じる違和感と共通性を飽くまで誇示する。所謂文化のみならず、言語の面に於いても、嘗て越南漢字と呼ばれるベトナム風漢字を使用していた名残りが、現在の国語表記たる発音記号附きアルファベットによって表される言語にそのまま残っている。美しいとか綺麗という意味を示すベトナム語としてđẹpという言葉が存在し、且つmỹと言う、つまりは《美》一文字を表す言葉も存在する。或は、注意しろ、と言う意味に使われるchú ýと言う言葉が存在し、それはその儘チュー、イーというそれぞれに尻上がりの発音を示す。謂わば、日本語で言う漢語的表現であって、その意味では日本語と同じく、二重言語であるとさえ言獲る。どちらかと言えば、日本語よりも言語に添うて居るような印象がある。日本語ほど意味、用法上の変質が甚だしくは無い。地理的な問題なのかもしれない。また、中国語と等しく所謂音調言語である。故に、必ずしもそこを、東アジアと差異する東南アジアと呼びきることには抵抗が

聴く

在る。

耳を澄まして

とはいえ、

それに

肌。…その

何の意味がある訳でもなく

色彩は、あきらかに彼女が

ユエンの

異人種であることを

素肌を曝させた腹部に、耳を附けて

明示した。あるいは、その

私は

丸っこくて硬度のある鼻と、その

彼女の

基本的には小柄な体格と。

胎内の音響を

雅楽に林邑、つまりは

聴いた

ベトナム由来の演目があるように、本来

休日の午前、前日の

入り混じって存在していた

夜に

文化圏で在った筈の其処には、いまや

ふれあった儘に眠られた

あからさまな肉体的

曝された儘の肌が彼女の体温を

差異があって、

感じさせた

であるならば、それは

私の肌に

進化の筋が分化して仕舞った、乖離としての

音響

独自性を

心臓の

明示していたのだろうか。

鼓動、そして

中国人は基本的に

内臓の

中国人に過ぎず、韓国人はあからさまに韓国人に過ぎず、更に云えば、北朝鮮の人間と韓国の人間と在日本の半島由来の人々の三種では、顕かに人種的な差異が肉体的に存在している。…肌。

…声がふれた

声を立てて笑いながら、裸に剝いたユエンの

耳に

肌に、鼻を押し付けて、わざと

彼女の

音を立てて、匂いを

鼻に立てた

嗅いでやった。

笑い声のような

正面の庭の向うに、ハン川沿いの主幹道路が見える、ただっ広い仏間の来客用の、重厚な木製のテーブルに彼女を仰向けさせて。

ユエンのちいさな

庭の

人の眼にはふれようもない。

華奢な

広大な拡がりに

表からは、繁った庭の樹木が総てを

指先が一本だけ立てられて

無造作に繁茂した

隠して仕舞うから。

私の萎えた儘のそれの形態をなぞった…ねぇ

私が

腹部の

此れ

名前さえ知らない

やわらかい表皮に唇をつけて、息を

なに?

樹木が

吹きかけると、ユエンの唇が

Cái gì ?

時に風の中に

私の頭の上の方で騒ぎたった短い、笑い声になる寸前の

お前だよ

葉を鳴らしながら

かすかな息を立てて、それは、顕かに

Là em

それら固有の

私たちそのものを、自分をも含めて

Phải không ?

生態を其処に晒して

嘲笑ってさえいた。

本当ですか?

棲息して居たに違いない。その

邪気もなく。

Cái này là em ?

壁の向こう

日差しが私の、素肌を

此れは

日差しの只中に

曝した背中に

わたしですか?

酸素と言う廃棄物を

ふれていた。美しい、と。女たちの

Phải không ?

好き放題に撒き散らし

眼差しが認定する私が、彼女たちの眼差しの中であきらかに

本当ですか?

環境を汚染し

美しいことは知って居る。

Phải

それに縋って地上に繁殖した

ユエンの母親に

Cái này là

生き物たちの

在った事があった。結婚して、二年ほど経ったときに、

Em

肺の内部を

チャンという名の、

…本当だよ

潤いと共に充たして

ユエンの母親は、親族のうちの誰もに完全に、彼女が大量に人々を、自分が生んだ子供たちをも含めて惨殺して仕舞ったことを知られていた。まるで何かの神話をその儘現実に再現して仕舞ったかのような凄惨な事件は、後に残った生き残りのユエンたちをさえ、その親族から孤立させた。赦されず、認められ獲はし無い事件の在ったことの、癒しようのない傷痕そのものとして、忌避された、と考えればいいのだろうか。いずれにしても、健康なものが不健康なものを排除としたのだ。或は、免疫系が壊れた体細胞を駆逐しようとするのに似て?






Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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