小説。——櫻、三月の雪…散文。及び立原道造の詩の引用 /《‘In A Landscape’ ...John Cage,1948》Ⅱ 或る風景の中で。ジョン・ケージ、1948 ■28
以下、一部箇所に暴力的な描写が在ります。
ご了承の上お読み進めください。
又、歴史的記録として過去の政治スローガンの引用乃至模倣が使用されますが、
特にそれらを特に顕彰しようとする意図も在ません。
櫻、三月の雪
…散文。及び立原道造の詩の引用
三部作
《‘In A Landscape’ ...John Cage,1948》Ⅱ
或る風景の中で。ジョン・ケージ、1948——Ⅱ
Zaraθuštra, Zartošt, Ζωροάστρης
ゾロアスター
距離感?…と。
私の眼の前で
僕等の意見の距離感じゃないよ。
生きて居た。息遣い
と、云った清雪は、しずかにその
ときに、皮膚の細部から
「…ま。」
細い血の筋を
囁く。
「残念ながら、その発想がね、」と、不意に「…どうしようもなく」清雪の眼差しは、「無様で」想っても居なかった謀みの表情を曝して、「致命的なのは、それがなんにも美しくないこと。」
「なに?」
「精神は、美しくなければならない。なぜなら、精神と云う何の実在性もない妄想的概念の、本質的な愚劣さにこそ、俺たちが存在した意義を求めなければならないから。せめても、それは美しくなければならない。俺たちの為だけに、俺たちだけが理解し獲るにすぎない、本質的には無効な、」…ひたすらな、「美しさとしてだけ。」
美しくなければならない…
「じゃ。」
と。
私は云った。ややあって、むしろ。
…微笑んで仕舞いながら?私は、――
なに?…と、そうやさしく笑いかえる清い雪の眼差しは、その、かたちを為す直前の一瞬の、私の表情を捉えたに違いない。
「…死ね。お前。」
…ん。
「死ねよ。」
んん。…
「シネ、…」と、いつか、唇に何度か「…シネバ?」繰り返された自分の「…シネ。」言葉が、為すすべもない「…シニナヨ。」他人の言葉のように聴こえて仕舞った時に、
「そのつもり。」
云われなくても、…と、清雪は云った。…じゃ、さ。
(――と)「こんな考え方して見よう。たとえば、(私が慌てたように言葉を継いでいたのは)旧植民地時代のアジア人がみんな(実際には、何度目かの清雪の自死の暗示に)一致団結して日本人に(おのゝいていたからだろうか。せめて)つめよったとしよう。あなた方は(留意の努力くらいは)犯罪者である、と。その(してみよう、と?)断定を容認できる日本人は、実は存在しない。なぜなら、日本人にとって、太平洋戦争の犠牲者はまさに日本人そのものだから。大日本帝国の戦争は推定300万人もの日本人の犠牲者を生んだ。神風特攻隊は絶対的に犠牲者だ。仮に、彼の特攻が或る米軍の犠牲者の一人を辛うじて生み出し獲た(――これ、皮肉な言い回しだね。
俺が云ったんじゃないよ。この皮肉。
…ね?
あくまでも言葉が勝手に吐いた皮肉だよ。)としても。硫黄島の玉砕は留保なき犠牲者だ。日本人乃至日本国籍に属する様々な人種の生命的な損害に比べれば、いかなに見劣りする損害しか米軍にあたえられなかったとしても、いずれにしても玉砕し、殺戮を実行した彼等は留保なき犠牲者だ。なぜなら、旧日本帝国の行為が過ちであると自覚する以上、其の行為及び旧日本帝国という国家は不当であり、謂ゆる日本人たちはそれに占領され洗脳された犠牲者に他ならなくなる。論理的にね。故に、結局は、被害者しかそこに存在しない以上、何者も処罰することは出来ず、謝罪することも出来ず、悔恨を曝すことさえ出来ない。そもそも、謝罪とは、他人の犯した罪を代理として謝罪してみせる以外の意味を持ち獲ない。事実そうだろう?アンネ・フランクに対するゲシュタポ実行部隊にしても、同じことだ。結局は悉く欺瞞に過ぎない。日本人も、ドイツ人も、結局は永遠に贖罪などする事の不可能性のうえに佇んでいる。彼等の責任じゃない。論理的必然だよ。SSの奴が戦後裁判で言ったらしいね。俺は悪くない。強制されただけだと。大量虐殺なんて、やりたくなかったってね。唯一有罪を認められるのは731舞台とヨーゼフ・メンゲレだけだろ?彼等は
Josef Mengele
自分の探求として其の行為を果したんだから。考えて見れば
16.03.1911.
ゲノム実験を繰り返す科学者と
07.02.1979.
かわりはしない。命の尊厳とやらなら、いくらでも先端医療の実験室で文字通りモルモットたちに対して繰り返されてる。小動物ときには牛にならOKで人間なら駄目だというなら、人間の絶対的な差異性を論拠しなければならないが、それをするためなら神の産んだものとしての神の嫡子たる人間を主張しなければならず、さらに、其の神は抽象的な超越者ないし特異点のようなものであってはならあに。あくまで、人格神でなければならない。そんなことは不可能だ。決断し、良しとし、悪しとする意志ある、…ね。乃至、生物学的同一カテゴリーへの破壊行為が先験的に犯罪的であるというなら、いまでも辛うじて存在しうるかもしれない希少にして高貴なる彼等固有の尊厳をたたえた小数原生民族たちの宗教的名な食人儀式を阻害するために彼等を殲滅するか或は確保して隔離施設に送り込み文化的生活を洗脳して悪の眼を根絶やしにしなければうそだ。一切の倫理的宗教的多様性など認めてはならない。そもそも水槽の中で自由に共食いする魚どもを劣等種族として、優性種族たる人類は殲滅するのが筋だ。なら、…さ。
何が悪いの?なにが、その欺瞞の根拠なの?国家という統治形態そのものの生む欺瞞なんでしょ?だったら、国家自体を解体しろよ。ピテカントロプスは国家なんて知ってるか?項羽と劉邦の見た《クニ》は国家なのか?平等なる人民によって構成され、本質的にはその代表者に依る専制にほかならず、且つ、代表者の駆逐可能な、あいまいな被占領状態としての?戦前のイタリア民主主義がファシズムに発狂乃至事故として陥ったのでも、戦前ドイツ民主主義が発狂乃至事故としてナチズムに陥ったのでも、大正デモクラシー経由の雑多な表現の氾濫且つ明治維新以来の君主制民主主義が発狂乃至事故として軍国全体主義に陥ったのでもない。ファッショ、ナチ、国体論、全部総まとめにしてとりあえず国体主義こそが民主主義の実像に他ならず、謂ゆる平和である事自体がむしろ、国体主義=民主主義の事故的産物に、すぎない、と。
アドルフ・ヒトラーはむしろ現在の国体主義=民主主義のあたりまえの象徴であって、なにも特異で犯罪的な存在ではない、と。
…ね?
違う?保険制度でも年金制度でも相互援助でも国境なきボランティア活動でも何でもいいよ。つまり、国体だろ?仮想的国体以外の何ものでもない。国家なき国家全体主義だよ。それぞれは一つの部分として全体に殉じ、全体の為に奉仕し、恩恵を受ける所の国体以外のなにものでもない。国体主義こそが、民主主義の当たり前の姿であって、それが近代国家の蓋をして見なかったことにされた実像にすぎない。だったら、国家統治形態なんて破壊しちゃえ。《平和》《戦争》《理性》《非理性》《狂気》《正常》《幸福》《不幸》《占領》《自由》《倫理》《非倫理》、…てか、《人間》という単なる概念含めてね、全部、破壊乃至超克して棄てて仕舞え。」
「破壊って、二つある。全部、滅ぼすか、それとも、構築するのか。」
「構築しろよ。」
「何を構築するの」
「ま…」
と。
私はきよゆきに、思わず、意図もない嘲笑を暮ながら、「完全に自由で、国体主義国家が見せる幻としての《平和》という概念もなければ《殺戮》という概念もない、自由で刹那的な融合と離反を繰り返す、それこそ、相互に《殺戮》を繰り返して生き延び無作法に繁殖する世界、あるいは、主のない家畜として意志を去勢され、いわば、ロボトミー手術をされた世界人類の統合された意志のない絶対に自由で奴隷的な平和。…とか。尤も、極端に言うと、…ね。以上が人間的想像力の限界。レオナルド・ダ・ヴィンチだって、日本軍の神風なんて普通じゃ予測できないって。徳川吉宗に維新政府に施政なんて予測できない。施政なんて、所詮その場しのぎに生き残り策の結果的な産物に過ぎない。いかなる理想も其れを完全に実現したことはない。論理的にない。暗殺に怯えつづけたヒトラーでさえも。肉体的進化が、厖大な時間をむしろ無駄に消費した本質的な目的も意志もないその場しのぎの結果的な産物にすぎないように。AIにでもやらせろよ。」
「いいね。それ。」
「誰も共感しないオナニーして死ぬよりよくない?」
「次、生まれ変わったらやるよ。」
「生まれ変わりなんて信じてんの?生まれたときの記憶のある清い雪ちゃんは。」
「誰がつけた名前?誰の恥ずかしい感傷?」
「いつかの俺。」
「…生まれ変わりどころか。」
…ね?
「知ってた?」
総ては、同じなんだよ。…と、清雪は云った。「よく言うシュレーディンガーの猫ってあるじゃん。罪もない憐れな猫が閉じ込められて、被爆の上死んで仕舞ったか暇つぶしに毛づくろいでもして居るのか。猫たちを無骨な核物質臨界装置だのなんだのとともにちっちゃなダンボールに閉じ込めて仕舞える奴は相当に猫に手馴れて俊敏さが必要だっていう実験そのもののかなりの不可能性は棚上げして、とりあえずは箱を開けるまでは其の二つの現実がそこに現実として存在している、と。全く差異してその差異の解消のし獲ない現実が同時に、と。なぜ、それがおかしいの?そんなのあたりまえじゃない?観察するから差異するんだろ。差異は観察の行為なんだよ。そこにあるそれ自体の属性じゃないし、それ自体の経験じゃない。つまり、意志、と。
ほかに言葉を想いつかないから、その状態をそう呼ぶ。《意思》の在る或る眼差しの中にこそ、差異はある。故に、其の眼差しをも含めたそれらあまねく現有…謂うなれば過去有、未生有、潜在有なんでもかんでも悉く凡て、差異は無いでしょ。《意志》の眼差しが見い出す風景の解析には必ず差異の生産に根拠を持つ。差異を見い出さないことには解析された眼差しの中の風景もない。ゆえに、まったく差異という感性そのものが入り込めない同一なものにすぎない。故に、《意志》の存在して居ない以上、箱の中の猫の生と死の共存は、矛盾がないばかりか、矛盾なく生き、死んでいるのでなければ、それこそそっちのほうが矛盾しているということになる。考えてもみなよ。細胞が喩え無際限に分裂したとしても、分裂した細胞に差異は認められるが、差異はない。故に、細胞は差異=分裂さえしなかった。…なにもおかしくない。いうなれば、それぞれが役割分担はたして分裂したうえでもう一回寄り添ってみてる国体論どころが、如何なる差異も在り得ない無限に一なる一として、すべては同じだ。」と。
囁くように云った清雪の言葉を、私は聴いたあとに一度だけ瞬いて、
「なにそれ?そのシャブ打ったニイチェ崩れのアホな所詮認識論の机上の論理ゲームが、一体、お前のママの頭の中でも救えるの?」
「すでに、もう、…」と。
清雪は云った。「…凡ては無際限に実現され尽くして仕舞っていて、時間も存在も、予め発生しさえしなかった。」
私には、結局は彼が言いたい事が最初から最後まで何一つわからなかった。彼は飽くまでも他人の言葉を語っているとしか思えなかった。仮に、それらが自分ひとりで考えて、自分ひとりの事実として自分ひとりで抱え込んでいたことを、素直に吐露したものだったとしても。彼が、それらの言葉を吐くべき必然性が、私にはどうして見い出せなかった。
勿論、かならずしも私が彼の何をしっているわけでもないということなど、私にはわかっていた。ほんの7回程度。直接顔を合わせたのは、5回以上十回未満。
むしろ、インターネット時代になって、無料通話で話していた回数のほうが多いくらいだった。せめて、と。
彼の、悩みみたいなもの、聞いてあげてくれませんか?…その、つまりは、
自分が生ませた子供が狂い掛けてるときくらい、面倒みなさいよ。
時々、気になるツイッターを画像にして、Lineで送りつけては《…どうしたらいいんでしょう?》メッセージをよこして助言をこう《こんなこと、》絢子の無言の《主人にも相談できなくて、》辛辣な要求に、《困ってます。》せめても答えてやる義務を果して居るに過ぎない。
あまりにも多くの時間を、必ずしも私にとって、それほど重要な位置を占めるわけではなかった清雪に、無駄に費やして仕舞った気がした。容赦も無い実感として、そして、いずれにしても既に私たちは話しすぎて仕舞った。
「本当のこと、云えよ。」
暫くの沈黙の後で、いきなり、前触れも無く云った私の声に、清雪は声を立てて笑った。…云うよ。
と。
彼は囁く。
「本当のこと、云ってあげる。」
邪気も無く微笑んで、…知ってた?
叱ってよ。…
「あんたのしたミスのもう一つ。」
お願い。せめて
「なにそれ?」
怒鳴り散らしながら髪の毛引っつかんで
「月は、
引きずり回してもいいから
決して無重力じゃない。単に、
叱って…
六分の一しかないだけだ。」
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