小説。——櫻、三月の雪…散文。及び立原道造の詩の引用 /《‘In A Landscape’ ...John Cage,1948》Ⅱ 或る風景の中で。ジョン・ケージ、1948 ■9



以下、一部箇所に暴力的な描写が在ります。

ご了承の上お読み進めください。

又、歴史的記録として過去の政治スローガンの引用乃至模倣が使用されますが、

それらを特に顕彰しようとする意図は在りません。





櫻、三月の雪

…散文。及び立原道造の詩の引用


三部作

《‘In A Landscape’ ...John Cage,1948》Ⅱ

或る風景の中で。ジョン・ケージ、1948——Ⅱ

Zaraθuštra, Zartošt, Ζωροάστρης

ゾロアスター 



その

かすかな驚きを眼差しに曝して

僕の

残滓のような

ややあって

この、空間の中に

色彩の中で。…俺、

私とユイ=雨を交互に見比べた

朽ち果てた

「皇族なんだよ」云って、不意に噴き出して笑い、…はんぶん、…「んー…」違うね。…「ま」…百分の一くらい?…「ね?」…俺、「…皇族なんだよ。」

そう云うユイ=雨の戯れ言を聴いたなら、清雪は激怒したに違いない。彼流の論理と、倫理と、正当性に基いて、大陸の乞食が何の世迷いごとを言って居るのだ、と。後れてきた、…或は、何十年以上も後れてきた、皇道純粋主義者の。それとも或は、あくまでもインターネット上の《極右》、ツイッター上の《皇道派》だったにすぎない彼は、むしろ微笑んで、…まじなの?

すごいね、と。そんな言葉でもユイ=雨にかけてやったのだろうか?…俺ね、と。

潤は

清雪が私に、Lineのメッセージを送ってきたのは、私が

終に、想い出したようにその

ベトナムに移住して仕舞ってから、半歳くらい

眼を開いてから、すでに

経過したあと、日本では梅雨、

眼差しに捉えていたはずの、素肌を

ベトナム、中部の町ダナン市ではテト、と

お互いに曝した私と

そう呼ばれる旧正月の前後二ヶ月を除く

ユイ=雨の、ただ

ありふれた灼熱の、真夏の

戯れるしか知らない行為と、その

陽光の熱気に大気を倦ませた、そんな

息遣いと、そして

六月だった。…俺

かすかな

革命家になるかも。

ふたりの体臭に、あくまでも

…革命家?

なにも気付かなかったたたずまいを

「革命家…的な」

彼女の眼差しに

…なにそれ。

しずかに

清雪。…その十九歳の少年。彼が

曝していたが

母親、つまりは潤の死後、養育先の

…やばっ

泰隆のうちを家出して、父親と

つぶやく。不意に、…わたし、今日が

同じように

何日かさえ

歌舞伎町に

忘れちゃってた

流れ着いたことは知っていた。…美しい少年。まるで、美しいものはその美しさを売りさばかなければならないのだと、法律にでも書いてあるかのように、…俺、

「…ね」

死の

革命起すから。

「信じらんない…」

その間際には

…冗談?

「…ね」

蝶の羽音さえもが

皇道派革命。…的な?

「ありえなくない?」

はっきりと

…薬?…お母さんの

「…てか、」

聞えるようになるのだと

なんでもいいけど。

「やばっ」

精神科医の調合した

…二の舞になるなよ。お前

「…もう」

数錠のカラフルな薬剤を口に含みながら

生きる道、見つけた。俺、

「頭の中、…」

母は、不意に

…薬なら、薬だけは

「…ね?」

想い出したように

革命、起す。

「わたしの脳みそ、」

大切なことを

…やめとけ。

「…腐っちゃったかな?」

想い出したように

「クスリのせい?」云った私に、潤は、私の存在に今更、気付いた顔をして、それは彼女の擬態でもなんでもない。そんなことには気付いていた。間違いなく、彼女は、いま、自分の傍らに私が居た事実を、初めて見い出したのだった。仮に、すでに、とっくの昔に気付いていたにはしても。ユイ=雪が、私たちの視線の背後で、かすかにちいさく

その日、潤は

彼女の、その

声を立てて笑ったのを、ふたりとも

明け方に帰ってきて

独り語散たような、ただ

何処かで心地よく感じていたのだった。それは

私を待ちながら眠り込んで仕舞った。たぶん

私にだけ向けられた、敢えて

事実だった。素肌を曝した女の

いつものように

ユイ=雨の存在を無視して

肉体がふたつと、男の肉体が

帰って来て直ぐに、シャワールームで

この空間の中に今

ひとつと、潤にとっては唐突に

未だに

私と彼女しか存在してなど居ないかのような

同じ空間の中に

唾液と汗が付着している気がする彼女の

そんな

出会って仕舞ったには違いなくとも、その

肌を

在り獲ない錯覚をみずからつくりおおせて

不都合な事実に、諍い合うべき

いつもにも益して、やけどしそうなほどに

潤は

切っ掛けはなく、必然もまた

熱い温水で洗い流して、その儘

声を立てて笑う、その

喪失されていた。

いつものように

私の笑い声を、聴く。私が

潤は既に

何を着ると言う訳でもなく

彼女に

彼が、

ベッドの上に身を投げる。

むしろ

必ずしも

私が、その同じ時間に

覆い被さるようにして、仰向けのその素肌の上に

女だとは言えないということくらいは

自分以外の、何処かの馬鹿げた女に

捻じ曲げた身体の作った翳りのうちに

気づいて居るはずだった。未だに明確に

媚を売って、あるいは、慰み者にして、そして

包み込んで居るのを

意識されてはいなったにしても。私は、彼女が

抱いてやって居るのかもしれない

いずれにしても

再び

もしくは

潤は

ゆっくりと、眼を閉じていこうとするのを

抱かれて仕舞ったかも知れない

気付いているはずだった。隠しようもなく

見ていた。確かに、

そんな

褐色の肌は、私の被せた

…と。想う。私は、彼女を

可能性になど今更

息遣う翳りの中でその

玩んでいるとは言獲ない。或は、

想いを馳せようともしない。彼は

肌の色彩をいよいよ

彼女を愛している、と、そう

…と

あざやかに染めた

呼んでしかるべき、感情の

彼女のものだった。…彼は

…黒い、と

温かさが

…と

そう云って仕舞えば後悔が残る、とは言え

自分でも

わたしのもだ、…と

そう云って仕舞うしかない色彩

はっきりと感じ取られていた。美しい、

その、無言のうちの確信が

開かれた潤の眼差しは私を

と、云おうと思えばそう云える、

それは錯覚に過ぎない、と

見詰めていた。もはや眼をそらすことなど

極端に堀の深い顔。顕かに

その頭のいい当然の認識を

できはしないと、と

潤を、一瞥のうちに

なかったことにして仕舞う。事実

そんな自分勝手な認識を

日本人だと

私は彼女のものだった。すくなくとも、彼女の

みずから赦して仕舞った

認識する人間はいない。風変わりな、

部屋に好き勝手に

傲慢ささえ感じさせて

外国人と

棲み着いていたのだから

交配するという下卑た興味本位の客を、毎日相手にし続ける潤に、リスクは大きい。外国人なのだから、日本人にはない、日本人にとって過剰な何かを無言の儘、彼女を見詰めるさまざまな眼差しのうちに求められ、馬鹿ではない、むしろ狡賢くさえあった潤は敏感にそれを感じ取る。彼女のサービスは過剰になって行き、そして、日本生まれの日本育ちに過ぎない潤は結局は日本人と呼ぶしかない存在に過ぎない。たとえ、日本人の誰もが、無戸籍児の、外国人種の血の彼女に日本人としての認定を与えず、そして、彼女自身、自分が日本人であるということに留保のない鮮明な違和感を感じていたとしても、…あなた、と。

潤は、不意に





2.ふるえて已まない僕たちの日々の風はいま



云った。

閉じられたまぶたは、かすかにさえも、ふるえもしない。…ね。

「あなた、…だれ?」

そう、潤がそう云った時、私たちは彼女のその独白じみたささやき声が、誰に対して向けられたものだったのか、理解できない儘だった。とは言え、ひとたび発された声に対しては、それに無理やりにでも応えてやるか或は、完全に、無かった事にして無視してやる以外のすべはない。すでに私は明確な意図もなく後者を選択していて、ユイ=雨は前者を「…心だけの関係。」選択した。

…愛し合ってるの。

ささやいたユイ=雨が、その、自の言葉が終らないうちに笑い始めて仕舞うのを、潤は赦した。…お前ってさ。

と。ユイ=雨の

「体だけの関係でしょ?」

如何にも女じみた女らしい女の咽喉が発した声は、耳に

「…違う?」

心地よい。潤の頬が、為すすべもなく微笑みのかたちに崩れて、彼女は、自分の心のうちをさえ語らない。おそらくは、彼女自身にさえも。






Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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