穂積八束『国民教育愛国心』東京有斐閣書房版 復刻及註釈 本編⑤ 第四編遵法 第一章國權、第ニ章國法、第三章遵由
…或は亡き、『大日本帝国』の為のパヴァーヌ
穂積八束
『国民教育愛国心』
穂積八束『国民教育愛国心』東京有斐閣書房版ヲ以下ニ復刻ス。
奥附以下ノ如シ。
発行所 有斐閣本店
発売所 有斐閣書房
明治三十年六月四日初版印刷、明治三十年六月七日初版発行
明治四十三年十二月六日三版印刷、明治四十三年十二月十日三版発行
正價金四拾錢ト在リ。明治元年9月8日(1868年10月23日)行政官布告。
復刻凡例。
[註]及ビ[語註]ハ注記也。
[]内平仮名ハ原文儘ルビ也。
[※]ハ追加シテ訓ジ又語意ヲ附ス。
底本ハ国会図書館デジタル版也。
第四編 遵法
第一章 國權
國を統一するの主權を國權と謂ふ。國權は國家の獨立と民衆の福利とを保護するの主力たり。保護は權力に服従するに由りて之を享受す。故に國の主權は民衆の服従する所にして國家及個人の生存福利の淵源たり。保護は之を保護するの權力の強大なるに由りて愈[※いよいよ]厚し。權力の強大は服従の完全なるを意義す。個人の完全なる服従ありて國家の主権萬能なり。萬能の主権あり以て國家及個人の生存の完成を期すへきなり。
國の主權ハ其の實質より謂へは保護の力なり。其の形式より謂へは最高萬能の權力なり。萬能の權完全の保護皆臣民の絶対無限の服従の成果たり。社會の秩序は其の分子かその主力に統一せらるるに由りて存す。服従なけれは秩序なく秩序なけれは保護なし。國權は臣民に対する絶対無限の權力たる所以茲に存す。國の主權ハ其の内部に対する関係より謂へハ萬能の權力なり、其の外部に対する関係より謂へは國家の獨立を防衛するの權力なり。世界萬國の生存競争に於て能く國の獨立自由を防衛する者は強盛なる主權なり。國の獨立は人民の獨立なり。而して其の因由[※いんゆ。原因ニシテ起源ニシテ理由]たる國權の強大ハ人民の服従の完全に在ることを回顧すれハ臣民の忠順なる服従は内部に於る秩序を全うする所以なるのみならす外國に対して國と人との獨立を主持[※しゅじ]するの要件たること明かなり。
國權の強弱ハ國土の広狭、人口の衆寡[※しゅうか]、財力の貧富に在らす、國民一致の結合力の厚薄に存す。既往の歴史に徴し[※]現在の状況に照すも領土広大にし國産に富み且つ人口億を以て算する國[※]にして内外に対する主權の甚[※はなはだ]微弱なる者あり。又小國にして世界の運命を左右し得るの大勢力たる者あり。蓋[※けだし]國權強盛の原因は物質的基礎に拘はらす專ら國民一致の精神的結合力に在ること知るへきなり國民の一致は唯一の主權に帰服するの結合にして民衆の國家の命する所に忠順なる手足の意思に従ふか如きに於て全たし[※まったし]。内に向ひては強暴を抑へ貧弱を助け正義を発揮し秩序を保持し外に対しては大國呑噬[※どんぜい。呑込ミ、咬ム。]の間に於て獨立を維持し國光を宣揚する者は國民一致の成果たる國の強固なる主權の作用たり。
我か國體ニ於る主權は神聖なり。民人は主權に服従するのみならす之を崇拜す。其の威力の制裁あるか故に之に違反する能はさるにあらす國教の信向に由りて進て敬愛奉公の精神を以て之を迎ふる者なり。祖先教を以て構成せられたる主權は祖先か其の子孫を撫育するの保護の力にして、現世の天皇か千古の皇位に上り天祖を代表して天祖の慈愛せる斯の民族に対して行使する所たり。皇位は天祖の皇位にして主權は天祖の威靈なり。臣民か主權を崇拜するは天祖を崇拜するなり。天皇か主權を奉持するは天祖に対して之を奉持するなり。臣の之を仰く神聖なるのみならす君の之を仰く亦神聖なり。臣民の主權に帰服するは遠く祖先教に淵源するのみならす君主の之を有する亦祖先崇拜の大義に帰す。皇位は転職なり、皇權は私權に非す。斯の國を統治するは我か萬世一系の皇統の天祖に対するの職責たる者なり。君民共に天壌無窮の主權を神聖なりとして擁護する所是れ我か国體の精華なり。
國民か其の國の主權を堅固なる國教に基く精神的信向に因り神聖侵すへからすとして敬愛するは實に社會變遷のの経歴に於て稀れに看る所の美果たり。國民の確信に由りて神聖なること能はさるの主權は腕力にのみ倚頼して之を維持せさるへからす。國權の作用か自己の強固をのみ防衛せんと欲し其の目的たる社會の福利を保護するの餘力なき者古今其の例甚[※はなはだ]多し。所謂壓制の政は茲の源因に出るなり。自ら神聖にして鞏固なることを確信せさる主權は常に民人の覬覦[※きゆ。柄ニモ無イ希求。則チ謀叛]の念に備へさるへからす。僅[※わずか]に兵力と苛法とを以て人民の手足を束縛し主權者の地位を安固にするに仍仍[※じょうじょう。頻リ]たるの外、民人の福利の保護を顧るに遑[※いとま。暇]あらさるなり。國の兵力と法律とか國内の覬覦を鎭壓制馭[※鎮圧制御]するか為にのみ專ら具備せらるる時勢に於て何そ社會の発達を望まん。而も神聖なる元素なき主權は腕力を以て腕力に代ゆることを得へきか故に社會に発生する各種の勢力は皆其の敵なり、故に勢茲に出てさるを得す。我か萬世一系の皇位に存す主權は國民の精神的不拔[※ふばつ。意志強固ノ意也]の信向に依りて防護せられ腕力の強大に倚頼せす。故に中世秩序亂れ兵權武門に帰し豪族權力を恣にし奪畧[※だつりゃく。奪略ヲ謀ル]制すへからさる時世に於ては朝廷は一兵なしと雖[※いえども]國の主權を失墜させるは古今萬國の史上に比類あることなく世界外間の之を羨慕[※せんぼ。字義ノ通リ。]して之に做ふことを得さる所にして一に皆我か國體の精華たる祖先崇拜の信向に帰す。外國の主權は強大なるか故に服従せられ、我か國の主權は神聖なるか故に敬愛せらる。彼の主權は社会最高の腕力たる事實を失へは則ち亡ふ、我の主權は其の神聖なる原由を失へは則ち亡ひん。腕力は時に消長あり強を以て弱に代ふることを得、故に安固なる能はす。神聖なる原由は新に作為すへからす歳月の久しきを経て愈[※いよいよ]其の安固を加ふるなり。斯の再ひ新に作為することを得さる我か主權安固の原因を保守し之を永遠に傳へんと欲するは國民の責務たること明かなり。
第二章 國法
國權の命する所國法たり。國權は國家の獨立存在を防衛し社會の秩序と幸福とを保護することを目的とす。故に國法は國家社會の獨立秩序及幸福を全ふするの要件を示す者なり。國法に服従するは國の主權に服従するなり。國法に依遵[※いじゅん。其レニ拠ッテ立ツノ意也。]するは社會の円満なる生存の要件に依遵するなり。以て人の家國に於ける存在を完成す。
法は人の社會的公同生存の要件たり。所謂倫理道徳と其の體を同ふす、共に人生の要件を示す者なり。而して國の主權に因りて命令せられ維持せらるる者を國法と謂ふなり。道徳の教義は人の確信に由りて行はれ、國法の規定は國權の制裁に由りて行はる。其の遵由[※じゅんゆう。遵守]せらるる直接の原由を異にすれとも其の目的と作用とは同し。而して其の遵由の遠因は二者一に帰す、共に社會的生存の要件たるに存するなり。國家的組織の分子として存在を完うする個人は國家的存在の要件たる國法に依遵すへき亦明かなり。
法は秩序の主持者たり。秩序とは正義を以て強暴の專恣[※せんし。欲シイ儘ニス。]を制馭[※制御]するを謂ふ、人生天賦の力は平等ならす男女老幼強弱貧富の差あるか故に之を天賦の腕力争闘に委す[※まかす]るときは強暴の力ハ幼弱を壓し遂に公同生存を滅亡せんとす。強を抑へ弱を助け能く公同生存の要件を保持するハ國法の力なり。國に法なけれは秩序もなし。秩序なけれは何に由りて貧愚幼弱は其の所を得て生存するを得ん。法は腕力争闘の間に正義を主持し平和を全うする者たり。法は社會的の福利を個人に分配する衡平[※こうへい。平衡]の柄たり。人の生存は個人的にあらす社會的なるか故に人生の福利は社會的の福利はり。吾人の福利は吾人の孤個の自力に由り之を享有するに非す、社會合同生存の成果たり。故に社會は社會的生存の要件を全ふするか為に個人の福利の享有を裁量するの權あり、身體の自由財産の所有は法に依りて保護せられ又制限せらるる所以なり。社會的福利の競奪は個人天賦の腕力に任するときは其の福利の分配の公平を失ひ又社會円満の発達を害するの虞[※ぐ、おそれ、うれへ]あり。故に法は各人か自由財産及財産を享有するの名義、形式、及限界を盡し、競争の正義に合ひ分配の公平均一ならんことを期す。社會福利の競奪か腕力の強弱に因らす法の公正に依遵するに於て円満なる公同生存あるへきなり。
法に依り個人に分配せられたる社會的福利を其の人の權利と謂ふ。權利は法に由りて生し法に由りて保護せらる。法に依りて享有する利益を毀損する者は法を侵犯する者なり。法は個人の權利を保護するに於て同時に自己を防衛する者なり。他人の權利の侵すへからさるは隣佑[※りんゆう。隣人]相互の道義なるのみならす國法に対するの責任なり。自己の權利を重んするは私欲を恣[※ほしいまま]にするにあらす國法を重んするなり。權利を重んするの民は國法を重んす。國法を重んし國權の命する所に違はさるは國家的生存の基礎たる要件なり。各人の權利は社會の公認したる正当防衛の武器たり。之を以て生存競争の間に公平の福利を全うせんとするは個人完成の途なり。権利を重んし國法に遵ひ[※従い]以て社會と個人の調和せる併存発達を望むへきなり。
個人の私利と社會の公益とは往往にして外形上相矛盾するの看を呈すことあり。個人一時の現實の利害と社會永久の公同の福利とを調和するは法の作用たり。個人天賦の腕力を以て一時孤獨の私利を競奪するときは社會公共永久の利益を全うすること能はさるへし。若[※もし]亦公益の名に於て濫[※みだり]に社會多数の團結力を以て個人少数の福利を剥奪することあらハ何ぞ民生の安固を得ん。故に法は社會と個人との衝突を調和し、個人の專恣多数の壓制を防禦し以て合同生存の要件を全うせんと欲するなり。法は公益を防護し、權利は私益を主張す。法に依り分配せられたる個人の利益を其の權利なりと謂ふときは權利とは公益に反せさる限に於て私人の享有する福利たることを意義す。法律を以て多数の壓制に代へ、權利を以て私人の腕力に代へ、以て腕力の争闘を禁壓すると同時に正義の争議を自由ならしめ公益私益の調和を公平に維持するは國法の力なり。
法は共同生活の準則[※じゅんそく。準ズベキ軌範]にして社會進化の要件たり。社會公同の完成は其の要件に適合する素質を保守すると同時に其の要件に背反する素質を排除することに由りて之を期するなり。故に法は公正を主持し邪曲を排斥するの力たり。公正とは社會的道徳に合ふを謂ひ邪曲とは之に反するを謂ふ。社會的道徳に反するは社會的進化の要件に反するなり。國法か罪悪を憎み之を排除するは公同生存を完成するの道たり。刑政の用專ら茲に存す。私人の腕力を以て公同生存の要件を亂らんとするの所為は之を罪悪として刑罰す。犯罪は社會の公敵なり。社會か犯罪者を刑罰するは社會の秩序の正当なる自衛なり。個人は社會の秩序を個獨の私欲の犠牲と為すの權利なし。之に刑罰の制裁を加へて排除するは國家の權利なり社會進化の理法なり。
第三章 遵由
國法は其の實質より謂へは國家的生存の要件たり。その形式より謂へは國家の意志の発表たり。國家は其の永久にして円満なる存在を欲す、其の意志の発表する所即ち法たり。國家の意志は主權に由りて表示せらる、國法は國家主權の命令たる所由なり。法に遵由[※じゅんゆう。遵守シ従フ]するは其の實質より謂へは公同生存の要件に適合するなり、其の形式より謂へは國家主權の命令に服従するなり、國の分子は國の主權に全然服従するか故に主權の命令たる國法に遵由する者なり。
法は王言[※おうげん。字義ニ同ジ]なり。皇位を以て主權とする我か國體に於て法は主權の命令なりと謂ふときは法は天皇の詔勅[※しょうちょく]たること弁明を要せす。法を「のり」と訓す、蓋[※けだし]王者の宣言の意義なり。法を宣言するの形式は時世に由り同しからす、憲法、法律、命令、詔勅と謂ふの類[※たぐい、]基[※もと]より宣言の形式を分つに過きす君主の命令たるに於て同し。君主は法令の案を國の統治の機関に諮詢[※しじゅん。相談]し其の共産補弼[※ほひつ。王ヘノ臣下ノ補助乃至助言]に依るは基より法令の君命たるを妨けさるなり。國政を國民に諮る[※はかる。相談スル]ハ近世憲政の美果たるのみならす太古既に其の範を遺す。八百萬の神神を安の河原に神集[※かむつとひ。神々ハ集マル。『古事記』神代ニ《八百萬の神、天の安の河原に神集ひ集ひて》ノ用例在リ。]に集ハしめ[※つどはしめ]神謀りに謀り賜ひしは國事を衆庶[※しゅうしょ。一般人。福沢諭吉ニ《國の文明は衆庶の向う所を示し》ノ用例是『学問のすゝめ』]と共に謀るの大義なり。天孫の降臨神武の東征皆之を衆と共に謀る。天子は天祖の位を受け天祖の國を統治す、其の國の大政を経理するは天祖に奉事する所以なり。故に祭政岐せす國事は神事なり。天子は其の國を私せす天祖の子孫たる衆庶と共に経営す、君民共に其の同祖に奉事し其の餘惠に酬[※むくい乃至応え]んと欲するなり。國政は天祖の公事たり君主の私事に非す。国法は天祖の命令たり君主の私言に非す。故に之を慎重す。國憲に遵由し國憲に適従するは臣民の君主に対する奉公の責務たると共に天皇の天祖に対するの責務たり。國法に遵由するハ君民共に其の天祖に対する奉公の責務たるは我か固有の國教に源由する國體の美風なり。
國法は神聖なり。我か神聖なる皇位の命令たるか故なり。法律を以て民衆共和の約束と為す外國の政體に於ても尚法は神聖にして犯すへからすと為す。蓋[※けだし]之を尊重し畏敬せしむるは社會の必用に出てたるなり。況んや我か特種の團體に於てをや。祖先教を基礎として構成せられたる家國に於ては主權は天祖の威力なり國法は天祖の命令たり。天祖か其の慈愛する子孫の永久円満の存在を保護するの命令に背反するは現在の社會の秩序を紊亂[※びんらん乃至ぶんらん]するのみならす既往将来の家國の任務を蔑視し天祖の威靈に背反する者たり。神聖なる國法に背反するは現世の社會に対する罪悪たるのみならす天祖に対し子孫に対するの罪悪にして神人共に赦ささる所たり。我か祖先教に源由する國體に於ては社會の崇拜する主力と其の服従する主力と合一し國教えの淵源と國法の源由とか帰一するか故に我か國法の神聖にして侵すへからさる所由明かなり。
人をして社會の法則に遵由せしむるは人生の大道たり唯之に遵由せしめるの誘因は人の智識信向若[※もしく]は外部の威力なり。人か社會的啓発の理法を完全に自覺し、法に依遵するは人生完成の途たることを確認するの智識を具備するときは法は制裁を待たすして自ら行はれん。然れとも是れ現世凡愚に望むへからさる所たり。故に古より之を神力の信仰及國家の威力に訴へて其の遵由を全ふせんと欲するなり。宗教と政府との社會的任務は茲に存す。然れとも其の宗教の源由と其の主權の源由とを異にする國家社會に於ては宗旨の教義と國家の命令と其の帰一を保つことを得さるか故に、人心は信仰と服従との間に迷ひ國法を神聖なりと為すの看念なし。社會進化の理法を自覺する智能なく又法を神聖なりと為す信仰なき國民に対してハ主権の腕力を以て之を強制するの外なし。茲に於て法を維持するか為に更に腕力を要す。立法煩雑にして權力苛酷ならさるを得す國民は其の法制の煩と負擔の重とに堪へさらんとす。是國教を放棄し信仰を蔑視したる現世の諸國の状態たり。今我か國は幸にして政教一致の千古の国粹を保守し得たるは社會進化の最惠の要件を保守し得たる者と謂ふべし。彼欧州の近世の史跡を看るに道理に由りて國を治めんことを欲し宗教を蔑視し信仰を放棄し社會の大改造を試みたりし以来百年の久しきを経たり。而して其の現状は放棄したる信仰は再ひ回収すへからす預期したる道理の主宰は遠き未来に望むへく現世に實行するを得す。已むを得す更に大に國民の負擔を増重し兵力財力の強大を養ふて威力を以て僅[※わず]かに國法を強行するの制裁力と為すに過きす。純白なる道理の世は尚ほ遠き未来に属す。現世は尚ほ個人も社會も信向の力にして動く時代なり。故に社會啓発の要件に適合する我か千古固有の國民的信向を保持するは人生進化の天與の武器を愛惜する所由たる者なり。
國民教育 愛國心 終
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