穂積八束『国民教育愛国心』東京有斐閣書房版 復刻及註釈 本編① 序、第一編忠順、第一章祖先教、第二章家國、第三章忠孝
…或は亡き、『大日本帝国』の為のパヴァーヌ
穂積八束
『国民教育愛国心』
穂積八束『国民教育愛国心』東京有斐閣書房版ヲ以下ニ復刻ス。
奥附以下ノ如シ。
発行所 有斐閣本店
発売所 有斐閣書房
明治三十年六月四日初版印刷、明治三十年六月七日初版発行
明治四十三年十二月六日三版印刷、明治四十三年十二月十日三版発行
正價金四拾錢ト在リ。明治元年9月8日(1868年10月23日)行政官布告。
復刻凡例。
[註]及ビ[語註]ハ注記也。
[]内平仮名ハ原文儘ルビ也。
[※]ハ追加シテ訓ジ又語意ヲ附ス。
底本ハ国会図書館デジタル版也。
穂積 八束著
国民教育 愛国心
東京有斐閣書房
序
我か千古の国体は我か日本民族の特性に由[※よ]りて建創せられ又維持せらる。此の特性を発揮し国民をして之を自覺せしむるは国民教育の旨趣[※ししゅ。趣旨]たり。然るも教育の任務に在る者往々にして国民教育の意義を正当に解せす忠孝愛国の義理は之を信仰すへく之を解説すへからさることと為し偶忠臣孝子の美跡を掲け其の事例を示すの外は師父の厳命として子弟を警戒するに止り其の基礎に遡源[※そげん]し之を訓諭[※くんゆ]せさるは実に方今[※]の通弊たり。予は恭[※かしこまつ]て我か国体の大本[※おおもと]たる憲法及我か国民道徳の典範たる教育勅語の旨趣を奉體とし其の意義を敷衍[※ふえん]して以て国民道徳の根軸たる忠孝愛国の義理を分疏しその源由する所を国民に示さむことを欲する者なり。
此の主意此の希望は既に久しく演説に雑誌に新聞紙に屡々[※しばしば]之を公にしたる所に係る而も世上の注意を惹きたること少なし、敢て復た其の要旨を抄畧[※省略。少シ省キノ意也。]し小冊子として之にするのは区々[※くく、まちまち、乃至それぞれ。]の徴志[※ちょうし。志ヲ差出スノ意也。]尚已む能はさる者あれはなり。
明治三十年五月 穂積八束識
国民教育愛國心目次
第一編 忠順
第一章 祖先教
第二章 家國
第三章 忠孝
第二編
第一章 個人
第二章 社会
第三章 公同心
第三編 奉公
第一章 公同生存
第二章 生存競争
第三章 國家独立
第四編 遵法
第一章 國権
第二章 國法
第三章 遵由
目次終
国民教育 愛國心
法学博士 穂積八束著
第一編 忠順
第一章 祖先教
我か日本固有の國體と國民道徳との基礎は祖先教に淵源す。祖先教とは祖先崇拝の大義を謂ふ。我か日本民族の固有の體制こそは血統團體たり。血統団体とは民族か其の同始祖を敬愛するに由りて共存團體を成し、祖先の威力に服従するに由りて平和の秩序を維持するを謂ふ。小にしては家を成し大にしては國を成す者なり。祖先崇拝の大義は血統團體を構成し維持するの源由たると同時に血統團體の存続は亦祖先崇拝の大義を鞏固にし深遠にするの成果あり。二者相待て消息し須臾も[※しゅゆも。片時モ]離るへからす。而して我か固有の国民道徳たる忠孝友和信愛の道は一に皆祖先崇拝の大義に遡源し血統團體を保維[※]するの軌轍[※]たり。我か堅固なる家國の體制は祖先教の基礎に存し、之を千古に建て之を萬世に傳ふるは我か民族の特質にして我か國體の精華たる所なり。
人は独立孤存し得へき者にあらす共同團結以て其の生存を全うす。而して其の團結する源由と形體とは基より一ならず。但し利害を以て集散し約束を持って協和を維持する者は其の團結固からす又久しからす、利害の異同は生活の状況に随ひて時に変転し人為の約束は復た人為を持って解除することを免れされはなり。血族相依るは自然の團結なり。児孫か父母の保護の下に團欒するは社会の始にして民族か同始祖の威霊の下に國を成すは天賦の團結たり。血脉[※けつみゃく、けつばく]相通するは天然の連鎖なり。人為を以て之を絶つことを得す。利害の看念の外に超越し敬愛の至情に由り離るへからさるの共同生存を成す者は血統團體なり。
血統は之を祖先に受け之を子孫に傳ふ。故に其の團結は永久なり。血統関係は利害を以て離合断続するを得す。故に其の團結は鞏固なり。而して之を統一する者は祖先の威力なり。祖先の威力は対等の約束にあらさるか故に敬愛の情厚く忠順の念深し。家に在りては家長は祖先の威靈を代表し家族に対し家長権を行い、國に在りては天皇は天祖の威靈を代表し国民に対し統治権を行ふ。家長権と統治権とは共に君父か其の祖先の慈愛する子孫を祖先の威靈に代はりて保護するの権力なり。
吾人の今日あるは吾人の祖先か血統團體を建設し維持し遺傳したるの餘惠なり。何か故に血統相近き者か相依りて家を成し、氏族を成し、又國を成したるか。祖先を崇拝し其の威力と慈愛との下に生存の保護を全うせんと欲するの天性の至情に外ならさるなり。汝の父母を敬愛し其の慈愛なる保護の権力に従順なるの至情は延て之を其の父母の父母に及ほすへし。吾人の祖先の祖先は即ち恐くも我か天祖なり。天祖は国民の始祖にして、皇室は國民の宗家たり。父母拜すへし況んや一家の祖先をや、一家の祖先拝すへし況んや一國の始祖をや。家長の位は祖先の靈位にして皇位は天祖の靈位なり。父母は現世に在る祖先たり、天皇は現世に在る天祖たり。父母に孝なるへき所由[※しょゆう。所以]は即ち皇室に忠なるへき所由にして、之を一貫するの國教は祖先の崇拜なり。此の大義こそは吾人の祖先か家國を成したるの基礎にして吾人か之を永遠に維持するの軌道たる者なり。
人は信向に因りて動作す。限定せられたる人智は宇宙の現像を総合して之を其の根底の眞理に證明し、絶対の理法を自覚して行動すること能はされはなり。吾人の祖先は肉體の外に不死の霊魂あることを確信し、父子孫を慈愛する父母の威靈は顯界に於て其の肉體を亡ふも尚幽界に在りて其の子孫を保護することを確信したり。是れ祖先崇拜の大義の淵源にして敬神の我か國教たる所由なり。我か固有の國體民族祖先の祭祀を重んするより重きはなし。家は祖先の威靈の住む所國は天祖の威靈の住む所にして、祖先の威靈は家國を防護し賜ふ。吾人は祖先の生命の継続にして、子孫は吾人の生命の延長たり。祖先の祭祀を不朽に絶たさるは吾人の肉體に於て代表せらるる祖先の生存を永遠に傳へんと欲するなり。祖先と吾人と子孫とか家國の看念に於て同化し其の繁栄にして永久なる存在を全うするの大義此に存す。祖先の靈位を現世に代表する君父に忠孝なるは祖先に忠孝なるなり。君父か臣子を愛護するは祖先か其の子孫を愛護するなり。夫婦の和兄弟の友民族の共愛悉皆我か同祖の祭祀を重んし之を永遠に傳へ祖先の家國の鞏固にして永久なることを欲する祖先の遺志に適従するの道ならさるはなし。我か祖先崇拝の大義は国民の確信に出て、不朽の國體は之に由りて其の基礎を立て國民の道徳は之に由りて深厚なり。斯の國斯の民を千古に遡り萬世に亘りて保持する者は此の國體の精華たる固有の祖先教の力なり。
第二章 家國
同始祖より出てたる民衆か共和の國體を成すは史上多く見る所にして必しも皆祖先教の結果にはあらさるへし。人種同しき者か相依りて國を為すは社会普通の現像たり。唯其の社会組織團結の形體か祖先崇拜の主義に依りて鋳造せられたる所是れ我か一種の特色たり。
其の特色は家族制なり。始祖を同ふする民族か更に各其の最近の同祖に依り小團體を成し層を重ねて國を成す。是れ家族制なり。父母を同ふする子孫は其の家父の下に一家を成し、同祖より出てたる数家は其の氏族の長の下に氏族を成す。而して始祖を同ふする数氏族は其の始祖の直系の宗統たる皇室の下に民族を成すなり。単に人種を同ふする者か相依りて社会を成すと謂ふにあらす。社会全體の構成か家族制に依りて作為せられたるなり。
國は個人の合衆なりと謂ふは我か國史の事實に反す。國民は家族制に依りて分属し家を合して國を成す。家籍を以て國民籍の基礎と成すは此の所由なり。現今氏族の制漸く衰へたれとも家は尚社会構成の分子たることを失はす。若我か固有の先祖教を打破し家制を廃滅することあらは延て皇室の神聖なる源由を侵犯するの慮あらん。家は家長権に依りて保護せらるる血族の團體なり。家長権は之を祖先に受けて之を子孫に傳ふ。家父は家の祖先の威靈を代表して家族を保護し、家族は家父の慈愛なる保護の権力に服従し以て共同親和の生活を為す。家長か家を保護するは祖先に対するの任務なり。家族か課長に従順なるは祖先の威靈に服従し奉るなり。相依り相頼りて祖先の家を永遠に傳へ其の繁栄を全うせんとす。其の家聲を掲くるは自己の栄誉なり、其の家産を富ますは自己の福利なり。個人と家と相同化して一體を成し、合同の力を以て社会生存の競争に対峙し老幼婦女亦各其の所を得て安全と幸福とを享受するを得るこそは家制の賜なり。
家長権なき家は家に非す。外国の制度には親族関係を認むるも家と謂ふ國體の看念なく夫婦親子の際間を各個人的の権利と義務との対人相互の関係と為す者あり。婚姻の契約を結ひたる男女は同住の義務あり夫婦其の居所を同ふするは契約の履行なり、親は幼稚なる子に対し之を養育し奉るの義務と之を懲戒するの権利とを有し子は親に対し養育を享け財産の分配を請求する権利を有するの類なり。夫婦親子偶其の居住する家屋を同ふすると雖是れ相親しき者の合宿するに過きす、家と謂ふ團體を成すに非す。相互の関係は通常の権利義務の個人対峙の関係たり。此の類の民俗と我か固有の家制とを同一視する勿れ。又家と謂ふ看念と親族と謂ふ看念とを混同する勿れ。親族制とは出生婚姻養子等の事実に由り個人と個人との間に存する身分関係なり。家とは同一の家長権に依りて保護せらるる親族共和の團體なり。蓋[※けだし]家族住居を同ふするは家制の起因にして又其の本旨なり。然とれも同住は家にあらす、家族別居することもあるへく他人同居することもあるへし。家とは有形の家屋に合宿するの謂に非すして同一の家長権に統治せらるる無形の血統團體にして永久の性質を有す、祖先の家長権か其の子孫に及ふ者なれはなり。
國は統治権に依りて保護せらるる民族の團體なり。我か統治権は之を国民の始祖に受け之を其の直系の子孫に傳ふ。皇統は民族同祖の直系正統の子孫にして皇室は國民の宗家なり。天皇は統治権を天祖に受け之を皇胤に傳ふ。皇位は天祖の靈位なり。天皇か皇位に即くは天祖の靈位に上るなり。斯の民族の始祖か現世に在りて其の繁栄せる子孫を撫育保護し賜ふか如く天皇は斯の民族を統治するなり。皇位は天祖の位にして天皇は現世に在る天祖たり。天祖を代表して斯の國に臨む、國民は皇位の慈愛なる統治権保護の権力に服従し民族親和の團體を成し平和幸福の生存を全うす。天皇か國民を保護するは天祖に対するの任務なり。國民か皇位に忠順なるは天祖の威靈に服従するなり。相倚り[※あいより]相頼りて天祖の國を永遠に傳へ其の独立繁栄を全うせんとす。國の独立を全ふし其の光栄を揚くるは國民の独立なり光栄なり。國の平和を維持し其の福利を増すは國民の平和なり福利なり。民と國と相同化して一體を成し、合同の力を以て世界生存の競争に対峙し千古の國體を萬世に維持し國威を内外に宣揚するを得るは我か天祖建國の遺範を祖先教の基礎に埀れたる[※垂れたる。即チたれたる乃至しだれたる]の賜なり。
國として統治の権有らさるはなし。然れとも統治権の存在する所由[※ゆえん、]民人の之に服従する所由は國各其の歴史に由りて同しからす。或は腕力の争奪に由り或は民人の選択に由る。腕力は時に消長あるを免れす故に覬覦纂奪[※きゆさんだつ。覬覦ハ分ニ在リ得ヌ高望ミ、簒奪ハ字ノ如ク。幸田露伴ニ《鴃舌[げきぜつ。異人ノ奇怪ニシテ卑賤ナル異語。是蔑語也。]の蛮夷[ばんい]神州を覬覦しに来たかと疑猜[うたが]い憤りて》ノ用例。大辞林。]の亂を招き易く、選択は民心一時の傾向に依る故に屡其の人を易へ國権の安固強盛を欠く。蓋人種を異にし歴史を同ふさせる個人の合衆に於ては勢の免れさる所なり。我か帝国は人種を同ふし變遷を一にする大民族か純白なる血統團體を成す者なり。其の團結は天賦にして人力に非すして人力を以て離合し得へからさる血族の関係に成るか故に鞏固にして永久なり、之に加ふるに明白なる数千年の歴史は國民の始祖の直系なる正統を萬世に保持し、國民は愛憐なる児孫か慈仁なる祖父を敬慕し其の保護に下に立つの看念を推して我か天祖の皇位に帰服し、其の仁愛の統治の下に身體栄誉財産の保護を托す。是れ我か千古の歴史の餘惠たる皇国の精華にして新に國を建てる者萬章の憲典を作為するも之に做ふ[※倣ふ]ことを得さる國の特質なり。
第三章 忠孝
我か家國は血統團體なり。國民族は同胞の血族なり。家は小なる國にして國は大なる家なり。之を連結するの淵源は同一の血脈にして之を統一するの力は祖先崇拜の信向なり。人倫の大本は茲に発生す。
忠孝は人倫の大本にして百徳の基礎たり。忠孝の大道は家族制に生れ家族制に依りて保持せられたる祖先崇拜の発表なり。家制なけれは忠孝なし。家制の衰へたる國に於ても人類博愛の餘勢として自己の身に最親近なる君父を特に敬愛し奉るは人情として教義として或は之有らん、是れ尋常の親族の情愛なり権力の崇拜なり。我か固有の忠義の大義ハ斯の人類自然の情緒に源由し、而して更に超越して一種神聖犯すへからさるの信向に発生す。夫婦の和睦、兄弟の友愛、國民の共和、悉皆國民道徳を整調す。是れ忠孝ハ人倫の大本にして百徳の基礎たる所由なり。
人は社会に生れ社会に於て存在を全うす。個人孤獨の生存なし。孤獨自立の人相依りて社会を成すと謂ふは既に誤解なり。人誰か父母なからん人は家に於て生れたり、自存自立せず。家は社会の始なり。社会は個人相互平等の愛にのみ由りて其の秩序を保持することを得す、社会團體は之を團結し其の秩序と存立とを内外に向て保維するの主力あることを要するなり。此の主力なきときは内に於て強弱相闘ひ弱者は強者の食となり、外に対しては外敵の侵犯を禦き[※ふせぎ]團體の生存を保護すること能はさるへし。故に此の主力なけれは團體はなし。主力は社会合衆の中心にして分子團結の根軸たり。
血統團體に於ける自然の主力は同祖なり。家に於ける自然の主力は家父なり、國に於ける自然の主力は皇位なり。人は社会に在らされは生存するを得す、社会は主力在るにあらされては保持せられす。而して血統團體に於ける自然の主力は同祖なるか故に此の須臾も[※しゅゆ。此ノ場合片時モ]離るへからさる人生の要件たる社会的主力を崇拜し之に倚頼[※いらい]して個獨の生存を托するは自然の變遷に於て当に然るへき所にして血統團體に於ける祖先崇拜の淵源する所なり。
忠孝の大義は祖先崇拜の至情の発生する所にして社会の分子か社会の主力に服従し其の保護を享有するの所由なり。國に在りては君に忠に家に在りては父母に孝に以て斯の生を全うす。蓋社会的主力の主力たる所以は各人の之に服従し其の協力同心以て之を維持するか故なり。服従と協翼となけれは即ち主力なし。子父に孝ならす臣君に忠ならされは何ぞ國家の是れ在らん。忠孝は家國を保持するの基礎たり、家國なけれは何ぞ秩序の是れ在らん。腕力相闘ひ弱者は強者の食と為り父子兄弟は讐敵たらん。主力の保護、分子の服従、以て社團秩序を為す。秩序在りて而して人道行はれ、家に親族の愛あり國に國民の和あり。秩序は主力の保護に由りて生し、保護は分子の服従に由りて之を享有す。忠孝は即ち家國の分子か家國の主力を敬愛して之に服従するの大義なり。
保護は権力を意義す。優者か劣者の福利を防護するの義なり。上下優越の差なけれは保護なし。保護は権力の関係なり。各人平等の権を以て相対峙すれは家國なく保護なし。家國の制あり君父の権あるか故に子は父に保護せられ臣は君に保護せらる。是れ劣者か優者に服従するの効果なり。服従なけれは保護なし。社團の分子か其の主力に忠順なるは分子の福利を全うする所由なり。忠孝の大道は豈[※あに]君父の專恣[※せんし。恣ニスノ意也。]の為に斯の身を犠牲にするの義ならんや。社團の主力鞏固なれは其の分子に対する保護亦鞏固なり。約束に依る主力は亦約束に依りて解除せらる。血統團體に於ける主力は天賦なり。子は父に従ふの自然の人情に発生し又人為を以て離合すへからさる血脉[※脉ハ脈ノ異字。けつみゃく乃至けつばく]の関係に根由する我か祖先教の基礎の鞏固なるは一時の利害に由る薄弱なる約束を以て國を成す者と比類すへからさるなり。分子の主力に服従するは敬愛の至情之に伴ふに於て固し。約束に由る服従は腕力を以て強制せらるるの外敬慕の誠情なし。祖先教に淵源する服従の看念は子孫か祖先を敬愛するの成果にして其の服従は敬愛の発表なり。忠孝は君父に従順にして之を敬愛するの謂[※いい]なり。約束に由る権力團結に於ては服従あれとも敬愛なし。人類平等の関係に於ては博愛あれとも服従なし。服従は秩序の源由にして敬愛は親和の基礎たり。斯の二者を兼具[※けんぐ]するは血統團體の特性なり。我か家國の構成は強制服従の基礎にのみ由たす、人類博愛の公道にのみ倚頼せす、祖先教の地盤の上に忠孝の大義を以て建設せられたる者なり。
血統團體の純潔を保つ能はす祖先教早く既に頽廃したるの社会に於ては法律と道徳とは勢ひ両岐[※りょうき乃至りょうぎ。二股ニ分カル。麦穂両岐即チばくすいりょうき(ぎ)デ是善政ヲ喩へ謂フ。麦ガ二股ニ分レ稔ル事ニ由来ス。]に分れ各其の本源を異にせさるを得す。法律は約束に由る社会の主力の命令にして秩序の要件たる服従を強制するの具[※ぐ乃至つま乃至よろい。ぐデ道具乃至手段。つまデ寄リ添ウモノ。よろいハ家具調度ノ数助詞。]たり。道徳は專ら宗教に倚頼し共和の要件たる博愛を教ゆ約束に由る主力は服従せられるとも崇拜せられす。法令の主因たることを得れとも教義の源泉たることを得す。故に教義の源泉を社会の外に求め、無形の怪力を以て上帝とし民衆をして之を崇拜せしめ僅に[※わずかに]敬愛の教を保維す。國法と國教とは既に各其の本源を異にす何そ必しも其の合一を保せん[※やすんぜん。やすんず(じ)るデ保護ス、養育ス等。]。或は宗教の名に於て國法を蔑如[※べつじょ。侮ム]し或は國法の名に於て宗教を侵犯す。欧州の史上邦國[※ほうこく。國家、諸國]の大亂此の源由に出てたるより大なるはなし。欧州の古制は希臘[※ギリシャ]に羅馬[※ローマ]にゲルマンに皆祖先教を以て國を建て祭政一致なること我か國と異なることなし。獨り異教の其の地に入りしより國法と教義とは其の本源を異にし國の主権は服従すへくして崇拜すへからす崇拜すへきは世界唯一の上帝たり。権力團體と宗教團體とは分離して対峙し各其の民心を兢奪[※きょうだつ。字義通リナラ恐レ疑心暗鬼ニ奪合フ。未詳。]す。茲に於て人道一に帰せす、社会は其の亂に堪へさりしなり。近世諸國に於て教義は政治の外に在りろ為し之を度外に放視する者は之を欲するに非す積弊の餘勢已を得さるなり。國政豈[※あに。豈ニ]民人肉體上の福利のみを全うするを其の本旨とせんや。國民の道徳は國の精神上の発達の基礎たるは古今萬邦に渉り[※わたり]て同しき所にして宜く國家の扶植[※ふしょく。植付ケ広メ拡大ス]すへき所たり。唯服従せらるれとも崇拜せられさる國の主権は法令の主因たるを得へし教義の源泉たる資格を有せさるか故に國民道徳の扶植を國家主権の職司[※しょくし。職権、職務等ノ意也。]の外に置く已[※やむ]を得さるに出てたるなり。
祖先教に由り構成せられたる血統團體は其の社会の主力を崇拜す。故に法令の本源たると同時に教義の源泉たり。其の崇拜は崇拜すへき理由ありて之を崇拜するなり。怪力を迷信するにあらさるなり。斯の民族の始祖は斯の民族に生を與へたる慈母なり、家國を創設したる保護者なり。之を崇拜せすんは將[※まさに]何をか崇拜せん。祖先を崇拜するは斯の身を愛惜する所以なり。人に孤獨の生存なし必す社会に於てすと謂ふは時と所とを同ふする共同生存を意義するのみならす既往に遡り未来に通するの合同生存を謂ふなり。合同生存ハ孤獨の肉體の生死に由りて存亡せす。吾人は祖先の身體の継続なり、吾人の子孫は吾人の身體の延長なり、祖先は吾の始なり、子孫は吾の終なり、祖先と吾と子孫とは同體を成し以て生存を不滅にせんとす。吾は祖先と其の子孫との連鎖なることを覺悟するか故に祖先を崇拜し子孫を保護するなり。祖先は既往の吾たり、吾は現世の祖先たり、子孫は未来の吾たることを回想すれは、吾か身體は吾孤獨の有に非す以て祖先の為に奉すへし以て子孫の為に盡すへし。祖先の祭祀を永久に絶たさるは吾人の身に形體せられたる祖先の生存を不朽に傳ふるの謂なり。父は現世に在る家の祖先たり、天皇は現世にある國の天祖たり。忠孝の大義は神聖にして侵すへからさる基礎あることを知るへきなり。
父母拜すへし況んや一家の祖先に於てをや。一家の祖先拜すへし況んや斯に民族の同祖たる我か天祖に於てをや。皇位は天祖の皇位なり、天皇は現世の天祖なり、皇位を崇拜するは天祖を崇拜するなり。皇位は國法の出る所にして國教の立つ所たり。國法に依遵[※いじゅん。従フ。依循。西周ノ訳文ニ《一旦約を結ぶに及ては[略]約上に本[※もとづ]きたる事件は是に依循せしむ》ノ用例在リ]し國教を奉持し忠順の民たるを期するは祖先に対するの責務にして又一身を愛惜するの所由なり。
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