穂積八束『国民教育愛国心』東京有斐閣書房版 復刻及註釈 序説② 大日本帝國憲法告文、憲法發布勅語、上諭





…或は亡き、『大日本帝国』の為のパヴァーヌ


穂積八束

『国民教育愛国心』


穂積八束『国民教育愛国心』東京有斐閣書房版ヲ以下ニ復刻ス。

奥附以下ノ如シ。

発行所 有斐閣本店

発売所 有斐閣書房

明治三十年六月四日初版印刷、明治三十年六月七日初版発行

明治四十三年十二月六日三版印刷、明治四十三年十二月十日三版発行

正價金四拾錢ト在リ。明治元年9月8日(1868年10月23日)行政官布告。

復刻凡例。

[註]及ビ[語註]ハ注記也。

[]内平仮名ハ原文儘ルビ也。

[※]ハ追加シテ訓ジ又語意ヲ附ス。

底本ハ国会図書館デジタル版也。


穂積八束『国民教育愛国心』東京有斐閣書房版巻頭ニ以下ノ勅語等引用サレテ在リ。

先ヅ『大日本帝国憲法告文』引用在リ。以下ノ如シ。

吿文

 皇朕レ謹ミ畏ミ

 皇祖

 皇宗ノ神靈ニ誥ケ白サク皇朕レ天壤無窮ノ宏謨ニ循ヒ惟神ノ寶祚ヲ承繼シ舊圖ヲ保持シテ敢テ失墜スルコト無シ顧ミルニ世局ノ進運ニ膺リ人文ノ發達ニ隨ヒ宜ク

 皇祖

 皇宗ノ遺訓ヲ明徵ニシ典憲ヲ成立シ條章ヲ昭示シ內ハ以テ子孫ノ率由スル所ト爲シ外ハ以テ臣民翼贊ノ道ヲ廣メ永遠ニ遵行セシメ益〻國家ノ丕基ヲ鞏固ニシ八洲民生ノ慶福ヲ增進スヘシ玆ニ皇室典範及憲法ヲ制定ス惟フニ此レ皆

 皇祖

 皇宗ノ後裔ニ貽シタマヘル統治ノ洪範ヲ紹述スルニ外ナラス而シテ朕カ躬ニ逮テ時ト俱ニ擧行スルコトヲ得ルハ洵ニ

 皇祖

 皇宗及我カ

 皇考ノ威靈ニ倚藉スルニ由ラサルハ無シ皇朕レ仰テ

 皇祖

 皇宗及

 皇考ノ神祐ヲ禱リ倂セテ朕カ現在及將來ニ臣民ニ率先シ此ノ憲章ヲ履行シテ愆ラサラムコトヲ誓フ庶幾クハ

 神靈此レヲ鑒ミタマヘ

引用以上也。

是ヲ釈スレバ以下ノ如シ。

 吿文[附語釈及ビ試訳]

 皇朕[※すめらは]レ謹ミ[※つつしみ]畏ミ[※かしこみ]

 皇祖

 皇宗ノ神靈ニ誥ケ[※つけ。即チ告ゲ]白サク[※まをさく。申スベクノ意也。詔シテ茲ニ告白スノ意也。]皇朕レ天壤無窮ノ宏謨[※こうぼ。遠大ナル御計画ノ意也。]ニ循ヒ[※したがひ。従イノ意也。]惟神[※かんながら]ノ寶祚ヲ[※ほうそ。即チ皇位也。]承繼シ舊圖[※きゅうず。旧図、古イ計画]ヲ保持シテ敢テ失墜スルコト無シ顧ミルニ世局ノ進運ニ膺リ[※あたり。胸ニ受ケ肝ニ命ジテノ意也。]人文ノ發達ニ隨ヒ[※従い]宜ク[※よろしく、]

 [此ノ段即チ

 天孫たる私は茲に慎み、畏んで

 皇祖

 皇宗の御神霊即ち日の神の御許に皇位継承の想いを告げ皇孫でたるわたしは天壌無窮の遠大なる御神の謀り事の儘に随い、惟神の皇位を茲に継承しかの古の御謀り事を保持してまさか失墜させる事など在るべくも無く、顧みるに政局世局の指揮に際しても肝に銘じて、更に人文の発達に随って宜しく、]

 皇祖

 皇宗ノ遺訓ヲ明徵[※めいちょう]ニシ典憲ヲ成立シ條章ヲ昭示シ內ハ以テ子孫ノ率由[※そつゆう。継承スルノ意也。]スル所ト爲シ外ハ以テ臣民翼贊[※よくさん。相一致シテ上ヲ助ケルノ意也。]ノ道ヲ廣メ永遠ニ遵行[※じゅんぎょう乃至じゅんこう。敬シテ忠実ニ服スノ意也。]セシメ益〻國家ノ丕基[※ひき。国家統治ノ根本ノ意也。]ヲ鞏固[※きょうこ]ニシ八洲[※やしま乃至なかつくに即チ全国ノ意也。]民生ノ慶福ヲ增進スヘシ玆ニ皇室典範及憲法ヲ制定ス惟フニ[※おもうに]此レ皆

 [此ノ段即チ

 皇祖

 皇宗の御神霊即ち日の神の遺訓を明徴にする大日本帝国憲法を茲に成立させ条章を普く顕かに明示して、内にあっては皇家子孫の代々に継承させ、外にあっては臣民に、臣民為すべき翼賛即ち皇統の治世への奉公の道を知らしめて是を永遠に遵守させ、国家の根本を強固ならしめ、全国国民の慶福を増進さしめるであろう皇室典礼及び憲法を茲に制定する。想うに是等皆、]

 皇祖

 皇宗ノ後裔ニ貽シタマヘル[※のこしたまえる乃至おくりたまえる]統治ノ洪範[※こうはん。天地ノ道義道理ノ原則。語源ハ『書経』。洪ハ大、範ハ規範ノ意ニシテ天下統治ノ大法ノ書。五行、五事、八政、五紀、皇極、三徳、稽疑、庶徴、五福・六極ヲ以テ洪範九疇ト謂ウ。以上『世界大百科事典第2版』]ヲ紹述スルニ外ナラス而シテ朕カ躬ニ逮テ[※及んで]時ト俱[※とも]ニ擧行スルコトヲ得ルハ洵[※まこと]ニ

 [此ノ段即チ

 皇祖

 皇宗の御神霊即ち日の神の後裔にお遺し下さられた国家国民統治の洪範即ち天地の道義乃至道理の原則を詳述することに他ならず、而して、皇位の私の身に及んだ今になって、愈々自らの手に憲法成立の大業を行ったということは誠に、]

 皇祖

 皇宗及我カ

 皇考[※是先皇ヲ指ス謂イ。]ノ威靈ニ倚藉[※いしゃ。頼ルノ意也。]スルニ由[※よ]ラサルハ無シ皇朕レ仰テ

 [此ノ段即チ

 皇祖

 皇宗の御神霊即ち日の神自り続き悠久を成す皇統の威霊に頼らなかったことは無く、皇孫たる私は仰ぎ見て、]

 皇祖

 皇宗及

 皇考ノ神祐[※しんゆう。天佑。]ヲ禱リ[※いのり]倂セテ[※あわせて]朕カ現在及將來ニ臣民ニ率先シ此ノ憲章ヲ履行シテ愆[※誤]ラサラムコトヲ誓フ庶幾クハ[※希わくば]

 神靈此レヲ鑒ミタマヘ[※鑑み給え]

 [此ノ段即チ

 皇祖

 皇宗の御神霊即ち日の神及び

悠久なす皇統の下された神佑を謝して祈り、あわせて私は現在将来に臣民に率先し此の憲章の命じるところを為して、過つことなきこと茲に誓う。乞い願わくば、

神霊此れを顧み賜え。]

以上也。

次。《憲法發布勅語》ノ引用在リ。以下ノ如シ。

 憲法發布勅語

 朕國家ノ隆昌ト臣民ノ慶福トヲ以テ中心ノ欣榮トシ朕カ祖宗ニ承クルノ大權ニ依リ現在及將來ノ臣民ニ對シ此ノ不磨ノ大典ヲ宣布ス

 惟フニ我カ祖我カ宗ハ我カ臣民祖先ノ協力輔翼ニ倚リ我カ帝國ヲ肇造シ以テ無窮ニ垂レタリ此レ我カ神聖ナル祖宗ノ威德ト竝ニ臣民ノ忠實勇武ニシテ國ヲ愛シ公ニ殉ヒ以テ此ノ光輝アル國史ノ成跡ヲ貽シタルナリ朕我カ臣民ハ卽チ祖宗ノ忠良ナル臣民ノ子孫ナルヲ囘想シ其ノ朕カ意ヲ奉體シ朕カ事ヲ奬順シ相與ニ和衷協同シ益〻我カ帝國ノ光榮ヲ中外ニ宣揚シ祖宗ノ遺業ヲ永久ニ鞏固ナラシムルノ希望ヲ同クシ此ノ負擔ヲ分ツニ堪フルコトヲ疑ハサルナリ

引用以上也。

是ヲ釈スレバ以下ノ如シ。

 憲法發布勅語[附語釈及ビ試訳]

 朕國家ノ隆昌[※りゅうしょう]ト臣民ノ慶福[※けいふく]トヲ以テ中心ノ欣榮[※きんえい。喜ビノ意也。]トシ朕カ祖宗ニ承クルノ大權ニ依リ現在及將來ノ臣民ニ對シ此ノ不磨ノ大典ヲ宣布ス

 [此ノ段即チ

我は国家の隆昌と臣民の慶福とを以て喜びの中心と為す者で在り、我の皇祖皇宗から継ぎ賜った皇位大権に依り現在及び将来の臣民に対して此の不磨にして色褪せない大典即ち大日本帝国憲法を茲に宣布する。]

 惟フニ我カ祖我カ宗ハ我カ臣民祖先ノ協力輔翼[※ほよく]ニ倚リ[※より]我カ帝國ヲ肇造[※ちょうぞう。初メテ作リ、造リ始メルノ意也。]シ以テ無窮ニ垂レタリ

 [此ノ句即チ

想うに我が國祖我が國宗は悠久なる皇統を臣民祖先等の協力扶翼即ち忠実なる尊皇奉仕に拠って我が帝国を建国し以て無窮の栄光にまで至られた。]

此レ我カ神聖ナル祖宗ノ威德ト竝ニ臣民ノ忠實勇武ニシテ國ヲ愛シ公ニ殉ヒ[※したがい]以テ此ノ光輝アル國史ノ成跡ヲ貽[※のこ]シタルナリ

 [此ノ句即チ

是我が神聖なる皇祖皇宗たる日輪の御神の威徳と、そして臣民の、それぞれ忠実勇武にして國を愛し公けに随い殉じた行いの総体に因って此の光輝在る國史の此処に実現して在るので在る。]

 朕我カ臣民ハ卽チ祖宗ノ忠良ナル臣民ノ子孫ナルヲ囘想シ其ノ朕カ意ヲ奉體[※ほうたい。意ヲ賜ッテ肝ニ命ジルノ意也。]シ朕カ事ヲ奬順[※しょうじゅん。奨励シ従ウノ意也。]シ相與ニ[※あいともに]和衷協同[※わちゅうきょうどう。一致シテ事ニ当ルノ意也。]シ益〻我カ帝國ノ光榮ヲ中外ニ宣揚シ祖宗ノ遺業ヲ永久ニ鞏固ナラシムルノ希望ヲ同クシ此ノ負擔[※負担]ヲ分ツニ堪フルコトヲ疑ハサルナリ

 [此ノ句即チ

我は我が臣民は即ち皇祖皇宗の忠実にして勝れたる太古の臣民の子孫で在る事実を今想い、此の我が意を汝等臣民は奉體即ち我が意を賜って肝にすえ、奬順即ち真心込めて随い、相共に和衷協同し一致団結の上益々我が帝国の光栄を内外に宣揚し國祖國宗の遺業たる国家国体を永久に強固ならしめるという希望を同じくし、我が負担を分かつに堪える者等でこそ在ることを、我は決して疑わない者である。]

更ニ『大日本帝国憲法上諭』引用サル。以下ノ如シ。

 上諭

 朕祖宗ノ遺烈ヲ承ケ萬世一系ノ帝位ヲ踐ミ朕カ親愛スル所ノ臣民ハ卽チ朕カ祖宗ノ惠撫慈養シタマヒシ所ノ臣民ナルヲ念ヒ其ノ康福ヲ增進シ其ノ懿德良能ヲ發達セシメムコトヲ願ヒ又其ノ翼贊ニ依リ與ニ俱ニ國家ノ進運ヲ扶持セムコトヲ望ミ乃チ明治十四年十月十二日ノ詔命ヲ履踐シ玆ニ大憲ヲ制定シ朕カ率由スル所ヲ示シ朕カ後嗣及臣民及臣民ノ子孫タル者ヲシテ永遠ニ循行スル所ヲ知ラシム

 國家統治ノ大權ハ朕カ之ヲ祖宗ニ承ケテ之ヲ子孫ニ傳フル所ナリ朕及朕カ子孫ハ將來此ノ憲法ノ條章ニ循ヒ之ヲ行フコトヲ愆ラサルヘシ

 朕ハ我カ臣民ノ權利及財產ノ安全ヲ貴重シ及之ヲ保護シ此ノ憲法及法律ノ範圍內ニ於テ其ノ享有ヲ完全ナラシムヘキコトヲ宣言ス

 帝國議會ハ明治二十三年ヲ以テ之ヲ召集シ議會開會ノ時ヲ以テ此ノ憲法ヲシテ有効ナラシムルノ期トスヘシ

 將來若此ノ憲法ノ或ル條章ヲ改定スルノ必要ナル時宜ヲ見ルニ至ラハ朕及朕カ繼統ノ子孫ハ發議ノ權ヲ執リ之ヲ議會ニ付シ議會ハ此ノ憲法ニ定メタル要件ニ依リ之ヲ議決スルノ外朕カ子孫及臣民ハ敢テ之カ紛更ヲ試ミルコトヲ得サルヘシ

 朕カ在廷ノ大臣ハ朕カ爲ニ此ノ憲法ヲ施行スルノ責ニ任スヘク朕カ現在及將來ノ臣民ハ此ノ憲法ニ對シ永遠ニ從順ノ義務ヲ負フヘシ

引用以上也。

是ヲ釈スレバ以下ノ如シ。

 上諭[附語釈及ビ試訳]

 朕祖宗ノ遺烈[※読ミハ字ノ通リ。遺シ賜フタ御業。業績ノ意也。]ヲ承ケ萬世一系ノ帝位ヲ踐ミ[※ふみ。帝位ニ就キノ意也。]朕カ親愛スル所ノ臣民ハ卽チ朕カ祖宗ノ惠撫慈養[※けいぶじよう。恵ミヲ以テ育クミ慈シミヲ以テ養ッタ等ノ意也。]シタマヒシ所ノ臣民ナルヲ念[※おも]ヒ其ノ康福ヲ增進シ其ノ懿德良能[※いとくりょうのう。懿德ハ立派ナ徳、良能ハ生得ノ善性ノ意。他ニ用法良知良能等。懿德ハ神代(四代)天皇ノ名ニモ在リ。]ヲ發達セシメムコトヲ願ヒ又其ノ翼贊[※よくさん。威力ヲ以テ支エル。因ミニ大政翼贊會即チたいせいよくさんかいハ1940年(昭和15年)10月12日カラ1945年(昭和20年)6月13日迄。本土決戦ニ備エタル国民総動員ノ国民義勇隊ノ結成の1945年(昭和20年)3月ニ依リ解消。]ニ依リ與ニ[※ともに]俱ニ[※ともに]國家ノ進運ヲ扶持[※ふち。助ケ扶助スル及ビ領主ガ臣下領民ニ施ス意モ在リ。]セムコトヲ望ミ乃チ[※すなわち]明治十四年十月十二日ノ詔命[※しょうめい乃至みことのり。是所謂国会開設ノ詔ヲ意味ス。議会開設及ビ欽定憲法制定ヲ詔シ賜フ。註。]ヲ履踐[※りせん。実施スノ意。北村透谷生年1868年(明治元年)11月16日是旧暦(12月29日)没年1894年(明治27年)5月16日ニ《桃青は履踐し馬琴は観念せり》ノ用例在リ。]シ玆ニ大憲ヲ制定シ朕カ率由[※そつゆう。道ヲ作リ道カラ外レナイヨウニ率イ導クノ意也。]スル所ヲ示シ朕カ後嗣[※こうし乃至あとつぎ等。]及臣民及臣民ノ子孫タル者ヲシテ永遠ニ循行[※じゅんこう。服シ随イ追随スルノ意。]スル所ヲ知ラシム

 [此ノ段即チ

我は皇祖皇宗なる日の御神から傳わる皇統の遺し賜うた御業を嗣いで萬世に一系の帝位に就き、我が親愛する所の臣民は即ち我が皇祖皇宗の恵み齎し撫ぜ愛し滋養与え賜うた所の臣民に他ならという事実を深く想うて彼等のその健康そして幸福が増進し、生得の徳ある人格と善良なる性質を益々発達させて行くことを願い、又その翼賛即ち一致団結無私の尊皇奉公を捧げられる事に拠り、共に、共に國家の栄光ある拡大進軍の保持を扶助することを望み、即ち明治十四年十月十二日の詔命を実行し、茲に大憲即ち大日本帝国憲法を制定し、國家國民に道を開いて自らの行くべき道を知らしめ、我が後嗣及び我が臣民更には我が臣民のその後の子孫等に永遠に遵守し追随するべき所をも知らしめる。]

 國家統治ノ大權ハ朕カ之ヲ祖宗ニ承ケテ之ヲ子孫ニ傳フル所ナリ

 [此ノ句即チ

国家統治の大権は我がこれを皇祖皇宗なる日の御神から承けて、これを又皇孫たる子孫に傳えるべき所のものである。]

 朕及朕カ子孫ハ將來此ノ憲法ノ條章ニ循ヒ[※したがい]之ヲ行フコトヲ愆ラサルヘシ[※誤らざるべし。]

 [此ノ句即チ

我及び我が子孫は将来此の憲法の条章の各文の傳えることに随い、これを遵守し実行すること、決して誤ってはならぬ。]

 朕ハ我カ臣民ノ權利及財產ノ安全ヲ貴重シ及之ヲ保護シ此ノ憲法及法律ノ範圍內ニ於テ其ノ享有[※きょうゆう。生得シテイルノ意。基本人権ハ全国民ニ享有サレル等用イル。]ヲ完全ナラシムヘキコトヲ宣言ス

 [此ノ句即チ

我は我が臣民の権利財産の安全を貴重のものとして尊重してこれを保護し、此の憲法乃至法律の定める範囲内に於いて全国民に普く適用させ、これを完全ならしむことを茲に宣言するものである。]

 帝國議會ハ明治二十三年ヲ以テ之ヲ召集シ議會開會ノ時ヲ以テ此ノ憲法ヲシテ有効ナラシムルノ期トスヘシ

 [此ノ句即チ

帝國議会は明治二十三年を以て此れを召集し、議会開会の時を以て此の憲法をして有効ならしむ発効の時とする。]

 將來若[※もし]此ノ憲法ノ或ル條章ヲ改定スルノ必要ナル時宜ヲ見ルニ至ラハ朕及朕カ繼統ノ子孫ハ發議ノ權ヲ執リ之ヲ議會ニ付シ議會ハ此ノ憲法ニ定メタル要件ニ依リ之ヲ議決スルノ外[※ほか]朕カ子孫及臣民ハ敢テ之カ紛更[※ふんこう。無秩序ニ改悪スルノ意也。]ヲ試ミルコトヲ得サルヘシ

 [此ノ句即チ

将来に於いて若し此の憲法の或る条章を改定する必要が在る時宜を見たならば、我乃至我が継統の子孫は発議の権を執り此れを議会に附して、議会は此の憲法に定められた要件に基いて此れを議決するの以外に、我が子孫及び臣民は如何なる時に在っても此れをみだりに改悪を試みてはならぬ。]

 朕カ在廷ノ大臣ハ朕カ爲ニ此ノ憲法ヲ施行スルノ責ニ任スヘク朕カ現在及將來ノ臣民ハ此ノ憲法ニ對シ永遠ニ從順ノ義務ヲ負フヘシ

 [此ノ句即チ

我が在廷の大臣即ち我が代に我に奉じる大臣は我が為に此の憲法を施行する責任を果たさねばならず、又、我が現在将来の臣民は此の憲法に永遠に従順であるべき義務を負わねばならない。]

 [註。國會開設ノ勅諭ハ以下ノ如シ。

 明治十四年十月十二日詔勅

 朕祖宗二千五百有餘年ノ鴻緖ヲ嗣キ、中古紐ヲ解クノ乾綱ヲ振張シ、大政ノ統一ヲ總覽シ、又夙ニ立憲ノ政體ヲ建テ、後世子孫繼クヘキノ業ヲ爲サンコトヲ期ス、嚮ニ明治八年ニ、元老院ヲ設ケ、十一年ニ、府縣會ヲ開カシム、此レ皆漸次基ヲ創メ、序ニ循テ步ヲ進ムルノ道ニ由ルニ非サルハ莫シ、爾有衆、亦朕カ心ヲ諒トセン

 顧ミルニ、立國ノ體國各宜キヲ殊ニス、非常ノ事業實ニ輕擧ニ便ナラス、我祖我宗、照臨シテ上ニ在リ、遺烈ヲ揚ケ、洪模ヲ弘メ、古今ヲ變通シ、斷シテ之ヲ行フ、責朕カ躬ニ在リ、將ニ明治二十三年ヲ期シ、議員ヲ召シ、國會ヲ開キ、以テ朕カ初志ヲ成サントス、今在廷臣僚ニ命シ、假スニ時日ヲ以テシ、經畫ノ責ニ當ラシム、其組織權限ニ至テハ、朕親ラ衷ヲ裁シ、時ニ及テ公布スル所アラントス

 朕惟フニ、人心進ムニ偏シテ、時會速ナルヲ競フ、浮言相動カシ、竟ニ大計ヲ遺ル、是レ宜シク今ニ及テ、謨訓ヲ明徵シ、以テ朝野臣民ニ公示スヘシ、若シ仍ホ故サラニ躁急ヲ爭ヒ、事變ヲ煽シ、國安ヲ害スル者アラハ、處スルニ國典ヲ以テスヘシ、特ニ茲ニ言明シ、爾有衆ニ諭ス

 奉

 勅

                                 太政大臣三條實美

 明治十四年十月十二日

 引用以上。

 此レヲ註釈スルニ、

 朕祖宗二千五百有餘年ノ鴻緖[※こうしょ。帝王ノ國家國民統治ノ事業]ヲ嗣キ中古紐ヲ解ク[※古エノ本道ヲ再ビ紐解キ再開スル。即チ皇統ノ大権ノ中興。]ノ乾綱[※けんこう。帝王ノ大権]ヲ振張シ、大政ノ統一ヲ總覽[※そうらん]シ、又夙ニ[※つとに。直チニ。]立憲ノ政體ヲ建テ、後世子孫繼クヘキノ業ヲ爲サンコトヲ期ス、

 [此ノ句即チ

我は皇祖にして皇宗で在らせられる御日輪の御神に齎された二千五百年の國家創造、國家統治の御業の御始めを引き継ぎいたして、古えの皇道國家の本道をふたたび紐解く皇國中興の大権を愈々拡張し、皇道統治を完全に管理し、又直ちに立憲君主制の政治体系を構築し、後世子孫に継がすべく皇道中興の業の実現を期すものである。]

 嚮ニ[※さきに。先ニ]明治八年ニ、元老院ヲ設ケ、十一年ニ、府縣會ヲ開カシム、此レ皆漸次基ヲ創メ、序ニ循テ步ヲ進ムルノ道ニ由ルニ非サルハ莫シ、爾有衆、亦朕カ心ヲ諒トセン

 [此ノ句即チ

先に明治八年、元老院[※是1875年(明治8年)4月25日設置。1890年(明治23年)10月30日同日ノ帝國議会設置ニ伴ヒ廃止。]を設け、十一年に府県会[※是府県ノ各議会ニシテ府県会規則(明治11年7月22日太政官第18号布告)ニ基キ設置。廃藩置県ハ1871年(明治4年)7月14日是旧暦(8月29日)。後ニ「市制・町村制」(明治21年法律第1号)、更ニ府県制(明治23年5月17日法律第35号)及ビ「郡制」(明治23年法律第36号)1890年(明治23年)5月17日公布ニ於テ改制。]を開かせた。是等漸次その業のもとい、即ち基礎を構築で在り、是に随って国家の歩みの進むべき道でこそあって、それに違うことなどなにも無い。普く國民は皆、此の我が意を諒とすることだろう。]

 顧ミルニ、立國ノ體國各宜キヲ殊ニス、非常ノ事業實ニ輕擧[※けいきょ]ニ便[※よすが。利便。タ易イ。]ナラス、我祖我宗、照臨[※しょうりん。御照覧ノ意也。]シテ上ニ在リ、遺烈ヲ揚ケ[※あげ乃至かかげ]、洪模[※こうぼ]ヲ弘メ、古今ヲ變通シ、斷シテ之ヲ行フ、責朕カ躬ニ在リ、

 [此ノ句即チ

顧みるに、國を建て國體を成すその形態はそれぞれにその正解を特異固有に保つものであって、非常なるこの事業は実にた易く浅はかなものではなく、我が皇祖、我が皇宗は常に天上に在らせられて御照覧いただいて在らせられるので在るが、御神に依てお託しいただいた所の立國統治の遠謀を飽くまでも強固に掲げ、普く広め、古今を通して断じて此の事業を行う責任は唯、我が身自らに在るので在る。]

 將ニ明治二十三年ヲ期シ、議員ヲ召シ、國會ヲ開キ、以テ朕カ初志ヲ成サントス、今在廷臣僚ニ命シ、假スニ時日ヲ以テシ、經畫ノ責ニ當ラシム、其組織權限ニ至テハ、朕親ラ[※みずから]衷ヲ[※ただし]裁シ、時ニ及テ公布スル所アラントス

 [此ノ句即チ

正に明治二十三年を以て議会を召集し、國會を開き、此れを以て我が初志を成そうとした。今在廷の臣僚に命じて、日数を重ねて試案を練らし、國家統治の根本経典の作成に当らしめたのだが、其の統治組織の権限に至っては、我自らにして此れを正し、或は裁き、時は来たりて茲に是を公布するものである。]

 朕惟[※おも]フニ、人心進ムニ偏[※へん]シテ、時會速[※とく]ナルヲ競フ、浮言相動カシ、竟ニ[※ついに]大計ヲ遺ル[※いる。失フノ意也。]、是レ宜シク今ニ及テ、謨訓[※ぼくん。後世ヘノ指標ノ意也。]ヲ明徵シ、以テ朝野臣民ニ公示スヘシ、

 [此ノ句即チ

我想うに、人心の進むところには常に偏りがあって、時を急ぎ利に焦るに性急であって機会を競い、浮ついた妄言は常に時局を誤たらせて、終には大いなる目的大いなる結果乃至偉大なる計画そのものを喪失し取り逃して仕舞う。是は今に普遍の悪弊であtって、故に敢えて指標指針を顕かに記し、明らかに示して以て我が廷の臣下の者等乃至在野の庶民に至るまでも普く公示するのである。

 若シ仍ホ[※いまなお。今尚]故サラニ[※殊更に]躁急ヲ爭ヒ、事變ヲ煽シ、國安ヲ害スル者アラハ、處スルニ國典ヲ以テスヘシ、特ニ茲ニ言明シ、爾有衆ニ諭ス

 [此ノ句即チ

若し、是以降に於いても尚も殊更に利に走り機に急ぎ争い乱れ、事変を徒に煽情し、國家安康を阻害する者があれば、其れ等は茲に国典を以て処罰することとすること、特に茲に明言して汝等臣民に教え諭すのである。]

 引用注釈以上。]







Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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