《神皇正統記》巻ノ壱【原文及び戦時中釈義・復刻】⑨地神第一代、大日孁尊(天の岩窟)
神皇正統記
原文及び《皇国精神講座(昭和十七年刊行)》より釈義
以下ハ昭和十七年公刊セラル『皇国精神講座』中ヨリ『神皇正統記』ガ部分ヲ書キ起シタルモノ也。是、許ヨリ歴史的書物ニシテ何等批判ヲ受ケズシテ読釈セラルベキニハ在ラズ。又『神皇正統記』ハ嘗テ謂ル皇国史観ノ歴史観ヲ支エタル書物ニシテ、日本ニ在ツテ最古ナル或歴史観ナルモノヲ孕ミテ編マレタル言説ガ一ツ也。(『記紀』等ニ読取リ得ル歴史観トハ当世政治的妥当性或ハ一般常識ノ類ニ過ギズ、其処ニ彼ノ固有ニシテ一般ニ真性ナル歴史観構築ノ意志ハ認メ得ズ。)
是、南北朝期ニ忠臣北畠親房ニ依テ編マレリ。[ ]内訓読ハ凡テ底本ニ隋フ。及ビ若干ノ注釈在リ。及、( )内ハ原典ニ在ル注釈也。小文字二段書ニテ書カレタリ。
かくて、素戔烏尊なほ天上にましけるが、さまざまのとがををかし給ひき。天照太神いかりて、天の石窟にこもり給ふ。国のうちとこやみになりて、昼夜のわきまへなかりき。もろもろの神達[かみたち]うれへなげき給ふ。其時諸神[しよじん]の上首[じやうしゆ]にて高皇産霊尊[たかみむすびのみこと]と云ふ神ましましき。昔天御中主尊[あめのみなかぬしのみこと]みはしらの御子[みこ]おはします。長[をさ]を高皇産霊とも云ひ、次をば神皇産霊[かみむすひ]、次を津速産霊[つはやむすひ]と云ふとみえたり。陰陽二神[いんやうにじん]こそはじめて諸神を生じ給ひしに、直[ぢき]に天御中主[あめのみなかぬし]の御子と云ことおぼつかなし。(此みはしらを天御中主の御こと云ふ事は日本紀にはみえず。古語拾遺にあり)。此神天のやすかはのほとりにして八百萬の神をつどへて相[あひ]議[ぎ]し給ふ。其御子に思兼[おもひかね]と云[いふ]神のたばかりにより、石凝姥[いしこりどめ]と云神をして日神の御形[みかたち]の鏡を鋳[い]しむ。そのはじめ鋳たりし鏡諸神の心にあはず(紀伊[き]の国日前[ひのくま]の神にます)。次に鋳給へる鏡うるはしくましましければ、諸神悦びあがめ給ふ(初は皇居にましき。今は伊勢国の五十鈴の宮にいつかれ給ふ、これなり)。又天の明玉[あかるたま]の神をして八坂瓊の玉をつくらしめ、天の日鷲[ひわし]の神をして青幣白幣[あをにぎてしらにぎて]をつくらしめ、手置帆負[たをきほをい]、彦狭知[ひこさしり]の二神をして大峡小峡[おほかいをかひ]の材[き]をきりて瑞[みづ]の殿[みやらかを]つくらしむ(このほかくさぐさあれどしるさず)。其物すでにそなはりにしかば、天の香山[かごやま]の五百箇[いほつ]の眞賢木[まさかき]をねこじにして、上枝[かみつえ]には八坂瓊の玉をとりかけ、中枝[なかつえ]には八咫の鏡をとりかけ、下枝[しもつえ]には青和幣白和幣をとりかけ、天太玉命[あめのふとだまのみこと](高皇産霊神の子なり)をしてさゝげもたらしむ。天児屋命[あめのこやねのみこと](津速産霊の子、或は孫とも。興台産霊[こことむすひ]の神の子なり)をして祈祷せしむ。天鈿目命[あめのうずめのみこと]眞辟[まさき]の葛[かづら]をかづらにし、蘿葛[ひかげのかづら]を手襁[たすき]にし、竹の葉[は]飫憇木[おけのき]の葉を手草[たぐさ]にし、差鐸[さなぎ]の矛をもちて石窟の前にして俳優[わざをぎ]をして、相ともにうたひまふ。又庭燎[にはび]をあきらかにし、常世の長鳴鳥[ながなきどり]をつどへて、たがひにながなきせしむ(これはみな神楽の起りなり)。天照太神きこしめして、われこのごろ石窟にかくれをり、葦原の中国はとこやみならん、いかぞ、天の鈿女命かくゑらぐやとおぼして、御手をもてほそめにあけてみ給ふ。この時に天手力雄命[あめのたぢからをのみこと]と云ふ神(思兼の神の子)磐戸のわきに立[たち]給しが、其戸をひきあけて、新殿[にひどの]にうつしたてまつる。中臣の神(天児屋命なり)、忌部[いむべ]の神(天の太玉の命也)しりくべなはを(日本紀には端出之縄とかけり。注には左[ひだり]縄の端出だせると云ふ。古語拾遺には日御縄[ひのみなは]とかく。これ日影[ひかげ]の像[かたち]なりといふ)ひきめぐらして、なかへりましそと申す。上天はじめてはれて、もろもろともに相見る。面[おもて]みなあきらかにしろし。手をのべて哥[うたひ]舞ひて、あはれ(天のあきらかなるなり〉。あなおもしろ(古語に甚[いと]切なるをみなあなと云ふ。面白[おもしろ]、もろもろのおもて明かに白きなり)。あなたのし。あなさやけ(竹のはのこゑ)。おけ(木の名也。其のはをふるこゑ也。天の鈿目の持給へる手草也)。
次には天照大神が石窟にお籠りになつた時の事が挙げられて居るのでありますが、此の天照大神が何故に
【天照大神石窟に入り給ひし理由】
石窟にお籠りになつたかと言へば、素戔烏尊の御行跡が余り荒々しくて、世の中の平和を破られたからであると考へられるのであります。
是れも亦大きな教訓を示されて居るのであります。国といふものはたせいの人が集まつて出来て居るのでありまして、人々の心が和合一致して居なければ、其の国といふものは決して安らかには治まらない。それであるから国の平和が乱されて居る以上は、これを統一して治めることは難しいといふお考へで、天照大神は暫く石窟の中に引込んでいらつしたのであるといふやうに考へられるのであります。ところが天照大神がいらつしやらないと世の中が治まらぬものでありますから、多勢の神々が集まつて、どうかして天照大神がモウ一度此の世に御出現になるやうにといふことを望んで、そこで皆が一致してさまざまな催しを致して、天照大神の再び此の世の中に御出現になることをお願ひ申した訳であります。是ほどに多勢の人が心を協せて、謂はゆる協力一致の實を挙げた以上は、必ず世の中はよく治まるであらう。人々が斯んなに各自の私を捨てゝ居る、此の状態が続けば、必ず世の中は永遠に安らかに治まつて行くに違ひないといふことを大神が御覧になつて、それで再び世の中に出ていらつしたと、斯う考へるのが大体の正しい解釈であらうと思はれます。何処までも皆が私を捨てゝ協力一致するといふことでなければ国は治まらぬのでありまして、上に立つ方の御徳が勝れていらつしやるのに依るのは勿論でありますけれども、また一般の者の協力一致の力と相俟つて、始めて本当に世の中をよくお治めになることが出来るのであるといふ、其の御心持が此の事の上によく現れて居るものと考へられるのであります。
そこで天照大神の石窟にお籠りになつた後で、多勢の神々が憂へ歎いて、何とかして再び世の中にお出ましになるやうにと計らうたといふ事が、いろいろ詳しく書いてありますが、これは一々説明するにも及ばないことで、本文に依つて明かであらうと思ひます。即ち榊を天の香山[かぐやま]といふ所から根のついたまゝ掘って参つて、其の榊に八坂瓊の玉を懸け、或は八咫の鏡を懸け、または青と白との二色の御幣を懸けて石窟の前に供へました。これがお手本となりまして、後世に至つても神様をお祭り申すのには榊に御幣を懸けるといふ習はしが出来たのであります。それからまた天細女命が石窟の前に立つて歌を歌ひ、また舞をなさつたといふのでありますが、其の舞をなさるときに眞辟[まさき]の葛といふものを身に纏うて、手襁[たすき]にもしまた手の先にも結び附けたといふのであります。それからまた矛を持つて舞はれたといふのであります。
【同心協力の實】
此の多勢の神様が集まられて、それから榊だの、或は葛といふくさなどを皆揃へて歌ひ舞ふといふのは、詰り凡ての者が皆心を一つにして、天照大神の再び世の中に御出現になるのをお願ひ申すといふ意味を表はしたものと思はれるのであります。生きて居る人間だけではない、草も木も皆一緒になつて、どうかして天照大神がモウ一度世の中にお出ましになるやうにといふことを此の通り願うて居ります。どうぞ皆の心持を察して、モウ一度御出現になるやうにと祈つたといふ意味を表はしたものでありませう。それから『長鳴鳥』といふのは今は鶏のことだと申しますが、此の鶏を集めて鳴かせたといふことも、やはり人間ばかりでなく、鳥のやうなものまで同じ心持であるといふことを表はしたものと思はれるのであります。
それで天照大神は此の様子を石窟の奥から御覧になつて、自分が世の中に出なければ世の中はモウ真つ暗闇になつてしまつて、皆はたゞ憂ひ歎いて居るであらうと思つた所が、決してさうではない。皆が斯うやつて一致して、一つ所に集まつて、さうして天細女命をなどは歌を歌ひ舞を舞つて居る。『ゑらぐ』といふのは賑かに打興じて居るといふやうな意味であります。決してボンヤリして歎いては居ない様子である。何とかして皆が一致して、世の中を明るい世の中にしよう、世の中を良くしようといふ心持で居ると見える。是れだけの心持になれば洵に頼もしいことであるから、自分もモウ一度出て世の中を治めてやらうと、斯ういふお考へで石窟の奥から出ていらしつたといふのであります。
【思兼命父子】
それから又此の石窟の戸を開けられたのが手力雄命といふ方であつて、此の手力雄命といふ方は非常に元気のある、力の優れた方であつたといふのでありますが、これは思兼命のお子様であると伝へられて居ります。其の思兼命といふ方は非常に知恵の深い方でありまして、『思兼』といふのは凡ての事柄を漏るゝ所なく考へるといふ意味で、これは大変に知恵の深いことを表はして居るのであります。此の思兼命の御子が手力雄命でありまして、これは非常に勇気の秀でた方であつたといふことも大に味ふべき伝説であります。
即ち吾々が何か大事を成就するには、深い知恵と、それから強い実行の力とが具はつて居なければならなぬのであります。知恵が深くなければ、先の先まで見透すことが出来ないから、物事は必ず失敗に終るのであります。又如何に考へが深くても、たゞ考へて居るだけで、之を実行する力がなければ、其の効果は現はれない。シツカリした知恵分別を、それから強い実行力と、此の二つのものが相俟つて行けば、如何なる大事をも成就することが出来るのであります。それで今此の世の中が真つ暗になつたのを再び明るくしようといふ場合に於て、思兼命と手力雄命と、即ち知恵の深い方との力の強い方とのお働きが相俟つて、此の望みが達せられたといふのは、大いに意義の深いことでありまして、今後に於ての吾々に取つても、大きな教訓を与へられたものと申して宜しいと考へられます。
そこで天照大神が石窟の奥から御出現になりましたから、再び石岩窟にお戻りになつてはならぬといふので、『しりくべなば』といふのは力の強い縄でありますが、此の縄を以て石窟の戸口を塞いでしまつて、再び石窟の中へお戻りにならないやうにといふことを申上げたといふのであります。それから天も始めて晴れて人々の顔が皆白く見えたものであるから、それで『面白い』といふのはこれが本であると言がれて居ります。今までは真つ暗闇であつて、人の顔もよく判らなかつたが、其の顔が白く見えたといふことは、詰り世の中が晴れ晴れとして来て、大いに望みのある世の中になつたといふ意味でありませう。それで是れから後も、大変に心に喜びのあることを『面白い』と申すのであります。また此の時に手を長く伸ばして歌を歌つたり舞を舞つたりしたので、これが『たのし』といふ言葉の本だと言はれて居ります。『たのし』といふのは手を伸ばすといふ意味で、即ち人々がモウ心に屈託が無くなつて、晴れ晴れとした気分になつたことであります。
それから『あはれ』といふ言葉がありますが、『あはれ』といふのは素エアが明かに晴れたといふことであります。後世になると『あはれ』といふのは何か哀しいことに使ひますけれども、昔の日本の言葉で『あはれ』といふのは、物の勝れたのを賞め讃へる言葉で、後世で『あつぱれ』といふのと同じことであります。即ち天が晴れたといふ所から、物の勝れたことを皆『あはれ』と言ふのであります。此の『面白い』とか、『たのしい』とか、『あはれ』とかいふやうな言葉は、皆此の時の事が本になつて後世にまで用ひられるやうになつたといふのであります。
それから『さやけ』といふのは、天細女命が舞を舞ふ時に手に持つて居た竹の葉が鳴つてサラサラと音がしたといふことが本であつて、『さやけ』――はれやかになつたといふ言葉が出たといふのであります。それから『おけ』といふのは、天細女命が手にお持ちになつた木の名であつて、『飫憇[おけ]の木』と竹とを持つて舞つたといふのですが、其の木の葉がやはり触れ合つてサラサラと音がした。其の音が大変に気持ちよく響いたので、『おけ』といふ言葉もやはり目出たいといふやうな、祝ひの言葉として用ひられるやうになつたといふのであります。
斯ういふやうないろいろな言葉の起りは皆此の時を本とするのであつて、即ち世の中が甚だ明るい世の中になつて、凡ての事が有望になり、是れから世の中に生きて居る甲斐のある時代が来たといふことを、様々な言葉を以て表はして居るものと解釈して宜しいのであります。
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