《神皇正統記》巻ノ壱【原文及び戦時中釈義・復刻】⑧地神第一代、大日孁尊(天照太神、素戔烏尊の御誓約)
神皇正統記
原文及び《皇国精神講座(昭和十七年刊行)》より釈義
以下ハ昭和十七年公刊セラル『皇国精神講座』中ヨリ『神皇正統記』ガ部分ヲ書キ起シタルモノ也。是、許ヨリ歴史的書物ニシテ何等批判ヲ受ケズシテ読釈セラルベキニハ在ラズ。又『神皇正統記』ハ嘗テ謂ル皇国史観ノ歴史観ヲ支エタル書物ニシテ、日本ニ在ツテ最古ナル或歴史観ナルモノヲ孕ミテ編マレタル言説ガ一ツ也。(『記紀』等ニ読取リ得ル歴史観トハ当世政治的妥当性或ハ一般常識ノ類ニ過ギズ、其処ニ彼ノ固有ニシテ一般ニ真性ナル歴史観構築ノ意志ハ認メ得ズ。)
是、南北朝期ニ忠臣北畠親房ニ依テ編マレリ。[ ]内訓読ハ凡テ底本ニ隋フ。及ビ若干ノ注釈在リ。及、( )内ハ原典ニ在ル注釈也。小文字二段書ニテ書カレタリ。
地神[ちじん]第一代、大日孁尊。是を天照太神と申す。又は日神[ひのかみ]とも皇祖[すめみおや]とも申すなり。此神の生[うまれ]給[たまふ]こと三の説あり。一には伊弉諾伊弉冊尊あひ計[はから]ひて、天下[あめのした]の主をうまざらんやとて、先[まづ]日神をうみ、次に月神、次に蛭子、次に素戔烏尊を生[うみ]給ふといへり。又は伊弉諾尊左の御手に白銅[ますみ]の鏡をとりて、大日孁の尊を化生し、右の御手にとりて月弓尊[つきゆみのみこと]を生[うみ]、御首[みかうべ]をめぐらしてかへりみ給しあひだに素戔烏尊を生[うむ]ともいへり。又伊弉諾尊日向の小戸の川にてみそぎし給し時、左の御眼[みめ]をあらひて天照太神を化生し、右の御眼をあらひて月読尊を生[しやう]じ、御鼻を洗て素戔烏尊を生じ給ふとも云ふ。日月[ひつき]の神の御名も三あり、化生の所も三あれば、凡慮[ぼんりよ]はかりがたし。又おはします所も、一には高天[たかま]の原と云ひ、二には日の小宮[わかみや]と云ひ、三には我日本国[わがやまとのくに]これなり。八咫[やた]の御鏡[みかゞみ]をとらせましまして、われをみるが如くにせよと勅し給[たまひ]けること、和光[わくわう]の御誓もあらはれてことさらに深き道あるべければ、三所に勝劣の義をば存ずべからざるにや。
爰[こゝ]に素戔烏尊父母二神にやらはれて根の国にくだり給ふべかりしが、天上にまうでて姉の尊にみえたてまつりて、ひたぶるにいなんと申給ひければ、ゆるしつとの給ふ。よりて天上にのぼります。大うみとゞろき、山をかなりほえき。此神の性[さが]たけきがしからしむるになむ。天照太神おどろきましまして、兵[つはもの]のそなへをして待給ふ。かの尊黒[きたな]き心なきよしをおこたり給ふ。さらば誓約[うけひ]をなして、きよきか、きたなきかをしるべし。誓約の中に女を生ぜば、きたなき心なるべし。男を生ぜば、きよき心ならんとて、素戔烏尊日神にたてまつられける八坂瓊[やさかに]の玉をとり給へりしかば、其玉に感じて男神化生し給ふ。素戔烏尊悦びて、まさやあれかちぬとの給[たまひ]ける。よりて御名を正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊[まさやあかつかつのはやひあめのおしほみみのみこと]と申す(これは古語拾遺の説)。又の説には素戔烏尊、天照太神の御くびにかけ給へる御統[みすまる]の瓊玉[にたま]をこひとりて、天[あめ]の眞名井[まなゐ]にふりすゝぎ、これをかみ給[たまひ]しかば、先[まづ]吾勝[あかつ]の尊うまれまします。其後猶四はしらの男神生れ給ふ。物のさねわが物なれば、我子なりとて天照太神の御子になし給ふといへり(これは日本紀の一説)。此[この]吾勝尊をば太神[おほみかみ]めぐしとおぼして、つねに御[み]わきもとにすゑ給しかば、腋子[わきこ]と云ふ。今の世にをさなき子をわかこと云ふはひが事なり。
この地上にいらしつた一番初めの神を大日孁尊と申すので、これはまた天照大神とも申すのでありますが、
【皇室の御遠祖】
此の天照大神の皇孫が即ち我が国の皇室の御先祖でありますので、此の天照大神を皇祖とも申上げるのであります。
そこで天照大神がお生れになつたに就いて三つの説があるといふことをこゝに併せて挙げてあるのでありますが、其の中に、伊弉諾尊が白銅の鏡をお執りになつた時に天照大神がお生まれになつたとか、或は
【天照大神の御生誕】
川の水で身をお洗ひになつた時に天照大神其の他がお生れになつたとといふことがるのであります。此の鏡を以て身を照らされたとか、或は浄き水を以て身を洗はれたとかいふことは、頗る意味の深い伝説であります。即ち鏡といふものは吾が姿を照らすものでありますから、鏡に姿を照らすといふことは、即ち自ら反省して心を清浄にして、心に少しの穢れのないやうにするといふ意味に考へられるのであります。また浄らかな水を以て自分の身を洗ふといふことも同じことなのでありまして、身を洗ふといふことは、詰り心を洗ふことのしるしなのでありますから、これはやはり我が身ろ我が心とを清浄に保つといふことに外ならぬのであります。
斯ういふ伝説が二つもありますことは、一体日本の国といふものは元来浄らかな国であつて、本当に自分の私を捨てた清浄な心持ちを以て、銘々の人が自分の事に力を尽さなければならぬといふことが、国の始まりからの理想であつたといふことを表はしたものと考へられるのであります。此の事に就いては山鹿素行などもいろいろと説明をして居ります。日本の国といふものの成り立ちから既に斯ういふ浄らかな国である。此の浄らかな御心の中からお子様がお生れになつたといふことが即ち皇室の本であつて、また此の皇室をお手本として国民が銘々の心を保ち、銘々の事を励むやうにしなければならぬといふ訳であります。此の事は特に注意しなければならぬ点と思はれます。併し此の伝説が三通りあるので、果たして何れに従つて宜しいかといふことは、親房も『凡慮はかりがたし』と申して居つて、どれと決定すべきものでもないから、此の三つの説を併せて挙げるのであると斯う申してをります。
それからまた注意すべきは、鏡を始終胸の所に懸けて居られたといふことは、日本の国の旧い習はしでありまして、昔の習はしに依りますと、多勢の者の上に立つて之を支配するといふやうな地位にいらつしやる方は、沢山の玉を紐に通して首に懸けられるのであります。さうして其の紐のチヨウド真ん中の所、即ち胸に当る所に鏡を懸けられるのであります。さうして又多勢を支配するといふしるしに、腰に剣を帯びられるのであります、それでありますから三種の神器の鏡と玉と剣といふのは、詰り天照大神が始終身に着けていらしつたものである。即ち天照大神は凡ての者をお治めになる地位にいらしつたのでありますから、始終御身に此の鏡と玉と剣とを着けていらしつた。それを三つ揃へて皇孫にお与えになつて『之を視ること吾を視るが如くせよ』と斯う仰せられたものであると考へられるのであります。それで其の鏡とか玉とか剣とかいふものに智仁勇の三徳を表はして居るといふやうなことは、これは後世の学者が加へた説明でありまして、初めから其の三つの徳を表はす為めに三種の寶をお与へになつたといふやうには考へられない。詰り始終御身に着けていらしつたものを揃へてお与へになつて、さうして『之を視ること吾を視るが如くせよ』と斯う仰せられたといふやうに解釈すべきものであらうと思はれます。殊に鏡といふものは始終胸の所に懸けていらつしやるもので、三種の寶の中でも其の中心とも申すべきものであります。鏡を見れば始終自分の姿が明かに映るので、少しでも自分の身に乱れたことがあれば、直ちに鏡に映るのでありますから、常に鏡を視るといふことは、常に自ら省みるといふことになる訳であります。それですから天照大神が三種の神器をお与えになるにつけても、特に此の鏡に重きをお置きになられたと見えまして、此の鏡を視る時には吾を視るが如き心持で居るやうにと仰せられたものと思はれるのであります。洵にこれは貴い所の伝説と申さなければならぬ訳であります。
【和光同塵】
それからこゝに『和光の御誓[おんちかひ]もあらはれて』といふ説明がありますが、此の『和光』といふのは『和光同塵』といふ言葉で、これは最初老子の中に出て居ります[注釈:和其光、同其塵。其ノ光ルヲ和ラゲ其ノ塵ニ同ジウス]。老子は聖人の徳を名づけて『和光同塵』として居るので、此の『和光同塵』といふことは元来は日のことであります。日は空に懸かつて居つて、其の光りが凡ての物を照らして居るのであるが、日といふものが浄らかなもので、其の光りの中に少しも穢れは無いのであります。而も其の光りを以て一切の物を照らす時に於ては、たゞ浄らかな物だけを照らすのではなく、高い山の上をも低い谷の底をも照らす。浄らかな物も穢れた物も、一切皆照らすのでありまして、其の間に彼此れの区別は無いのであります。それであるから、『其の光を和げ其の塵を同じうする』といふので、其の光りは塵芥のやうな穢れた物の中をも照らすといふのであります。聖人たる者もやはり其の通りであつて、十文に非常な勝れた徳を具へて居るけれども、どんな愚かな者でも、どんな悪人でも、決してこれを卑しみもしなければ、また侮りもしない。これを教へ導いて、皆正しい心の者にしてやらうといふ心持を以てこれに臨むので、是れでなければ多くの人の上に立つことは出来ないといふのであります。然るに此の『和光同塵』といふ言葉が後に至つて仏教の方に採り入れられまして、仏様が大慈悲を以て一切の人を救われるのが和光同塵であるといふやうに申してあります。これは老子の言葉を仏教の学者が採り入れて、さうして仏の慈悲を形容し又説明したものと思はれるのであります。
それで天下萬民の上に立つ方が大きな慈悲の御心持を以て一切の人に臨まれるのを、我が国でも『和光同塵』といふ言葉を以て説明をするのでありますが、要するに御自分としては最も浄らかな御心をお持ちになり、また勝れた徳をお具へになつて、さうして世の中の一切の者を平等に、お慈悲の心持を以てお導きになり、またお救ひになると、斯ういふ意味でありませう。それですから天照大神が特に鏡を天孫にお与へになつたものといふ風に考へると、殊に此の意味が深いといふことをこゝに申してあるのであります。
先づ神器といふものに就いての根本の心得を、斯様に決定して居れば宜しいのであつて、其の細かい点に就いて昔の伝説を比べて見て、其の何れに従はなければならぬかといふやうなことを穿鑿するには及ばぬと申してある訳であります。
【素戔烏尊と天照大神】
それから次に、素戔烏尊が根の国に行くやうにといふ御両親の神の仰せを受けられたといふのでありますが、其の時に素戔烏尊は御両親の仰せであるから、決してこれに背かうといふお考へはないけれども、併しながら兎に角遠くに別れて行くのであるから、其のご両親の後をお継ぎになる所の天照大神に一度お暇乞ひをしようといふので、天上に参つて御対面になるといふことになつたのであります。此の時に、多くの者は、元来素戔烏尊は荒々しい御気質であるから、御姉様の天照大神にお目にかゝられて、どういふ間違ひがあるかも知れないと思つて懸念したのでありますが、『ひたぶるにいなん』――是非とも御姉君にお目にかゝりに行きたいと申されたので、天照大神も宜しい、それでは会はうといふお許しがあつて、それで御面会にいらしつたといふのであります。其の時に天地が鳴り響いたとありますのは、詰り素戔烏尊の非常に劇しい御気質が自ら現はれたものであるといふやうに考へられて居るのであります。
それから其の御面会になつた時に素戔烏尊がお誓ひをお立てになつて、自分は御姉様の領していらつしやる所を奪ひ取らうなどといふ考へはないのである。自分は少しも御両親の仰せに背くつもりはないから、御両親の仰せ通りに根の国といふ所に参るのであるけれども、御姉様にお暇乞をする為めに参つたのである。自分の誠心の在る所をどうぞ御承知を願ひたいと仰せられて、それから其の御心の浄らかなことを誓ふ為めに、多くのお子様をお生みになつたといふことがあるのであります。これは本文を読めば一々説明しないでも解ることでありますが、此の時にも八坂瓊の玉を執つて誓ひを立てられた所が、其の誓ひの御言葉の中からお子様がお生れになつたといふことが申してあるのであります。美しい玉を手に執られるとか、或は其の玉を天の眞名井といふ井戸の浄らかな水に洗はれた時に、お子様がお生れになつたとかいふやうなことがありますのは、これもやはり前に挙げられた伝説と同じやうに、心の浄らかな方が多勢の人の上に立つて、多勢の人を教へ導く所の責任を果されるのであるといふ思想の現はれたものと考へて宜しいのであります。
それから其のお生れになつたお子様を皆天照大神が五自分の子として養はれたとあります。其の理由として『物のさねわが物なれば』とありますが、『物のさね』といふのは其の物の種といふ意味で、詰り天照大神の御身に懸けていらしつた玉を素戔烏尊が手に執られて、それからお子様がお生れになつたのであるから、其の生れる本は自分の身に附いて居たのであると、斯ういふ意味で、詰り自分とは特に縁の深いものであるから、此の子を吾が子として養はうといふ御心持であつたと思はれるのであります。
此の伝説の中にも非常に大きなる教訓が含まれて居るのでありまして、素戔烏尊は非常に御気質の荒い方でありましたけれども、御両親の仰せには少しもお背きになるといふことはなかつた。また御姉様は御自分の目上の方であり、殊に御両親の後を承けて此の天上をお治めになる方であるから、此の方に対して隔てる御心持はない。さうして最後のお別れをお告げになる為めにわざわざ御面会にいらしつて、また其の際にお生れになつたお子様を、御姉様の天照大神が吾が子としてお育てになるといふのでありまして、此の事に依
【恩愛の情】
りまして、親子姉弟の間の非常に温い恩愛の情といふものが、我が国の国民としての教への根本となつて居るといふことを、貴い事と考へなければならぬのであります。
国を治めるとか、天下を平かにするとか申しても、もともと人と人との関係が根本なのでありますから、父子兄弟夫婦の間に正しい道が行はれないで、国が安らかになる筈もなし、天下が穏かになる筈もないのであります。子として親の仰せに背かない、また兄弟の仲に於いて隔ての心持がないといふ、これが凡ての善い事の根本であつて、斯ういふ根本の道がシツカリと立つて居つたから、国は永遠に栄えて参るのでありまして、日本の国に生れた者はこれ等の点をよく考へて、一体日本といふ国は道の国である、たゞ力づくで建つた国ではないといふことを忘れないやうにして行かなければならぬものと思はれるのであります。これに就いて此の書物はさう詳しい説明もありませぬけれども、これ等の事に就いてよく考へて見ますと、こゝに大きなる教訓を見出すことが出来ると存ぜられる訳であります。
0コメント