《神皇正統記》巻ノ壱【原文及び戦時中釈義・復刻】⑦此の御子光麗しくして、国の内に照り通る(伊弉諾・伊弉冊尊の国産み、大日孁尊生誕)
神皇正統記
原文及び《皇国精神講座(昭和十七年刊行)》より釈義
以下ハ昭和十七年公刊セラル『皇国精神講座』中ヨリ『神皇正統記』ガ部分ヲ書キ起シタルモノ也。是、許ヨリ歴史的書物ニシテ何等批判ヲ受ケズシテ読釈セラルベキニハ在ラズ。又『神皇正統記』ハ嘗テ謂ル皇国史観ノ歴史観ヲ支エタル書物ニシテ、日本ニ在ツテ最古ナル或歴史観ナルモノヲ孕ミテ編マレタル言説ガ一ツ也。(『記紀』等ニ読取リ得ル歴史観トハ当世政治的妥当性或ハ一般常識ノ類ニ過ギズ、其処ニ彼ノ固有ニシテ一般ニ真性ナル歴史観構築ノ意志ハ認メ得ズ。)
是、南北朝期ニ忠臣北畠親房ニ依テ編マレリ。[ ]内訓読ハ凡テ底本ニ隋フ。及ビ若干ノ注釈在リ。及、( )内ハ原典ニ在ル注釈也。小文字二段書ニテ書カレタリ。
かくて此二神相[あひ]はからひて八[やつ]の嶋を生み給ふ。先[まづ]、淡路の州[しま]を生みます。淡路穂之狭別[あはぢのほのさわけ]と云ふ。次に伊与[いよ]の二名[ふたな]の州を生みます。一身[いつしん]に四面[しめん]あり。一を愛比売[えひめ]と云、これは伊与なり。二を飯依比古[いひよりひこ]と云、是は讚岐なり。三を大宜都比売[おほげつひめ]と云、これは阿波なり。四を速依別[はやよりわけ]と云、是は土左なり。次に、筑紫の州を生みます。又一身に四面あり。一を白日別[しらひのわけ]と云ふ、是は筑紫なり。後に筑前[ちくぜん]筑後[ちくご]と云ふ。二を豊日別[とよひわけ]と云ふ、これは豊国[とよくに]なり。後に豊前[ぶぜん]豊後[ぶんご]と云ふ。三を速日別[はやひわけ]と云ふ、是は肥[ひ]の国なり。後に肥前[ひぜん]肥後[ひご]と云ふ。四を豊久士比泥別[とよくじひねわけ]と云ふ、是は日向[ひうが]なり。後に日向[ひうが]大隅[おほすみ]薩摩[さつま]と云ふ(筑紫、豊国、肥の国、日向といへるも、二神の御代の始の名には非ざる歟[か])。次に壱岐[いき]の州を生みます。天比登都柱[あめひとつはしら]と云ふ。次に対馬の州を生みます。天之狭手依比売[あまのさてよりひめ]と云ふ。次に隠岐の州を生みます。天之忍許呂別[あめのおしころわけ]と云ふ。次に佐渡の州を生みます。建日別[たけひわけ]と云ふ。次に大日本豊秋津州[おほやまととよあきつしま]を生みます。天御虚空豊秋津根別[あめのみそらとよあきづねわけ]と云ふ。すべて是を大八州[おほやしまと]云ふなり。此外あまたの嶋を生み給ふ。後に海山の神、木のおや、草のおやまで悉く生みましてけり。何れも神にませば、生み給へる神の州をも山をも作り給へるか、はた州山を生[うみ]給ふに神のあらはれましけるか、神代のわざなれば誠にはかりがたし。
【生まれし国と神】
そこで次には此の伊弉諾・伊弉冊尊が国をお生みになつたといふことがありまして、此のお生みになつたといふのは国であるともいひ、或は神であるとも申してあるのであります。其の一々に就いては説明を致しませぬでも、此の本文を読んで大体の意味は解ると思ひますが、兎に角多くの島々が生まれ、其の島は神であるといふのでありまして、此の事は今日の吾々の常識を以て考へてどう解釈すべきか判らぬのであります。それで北畠親房がこれに就いて解釈を下すのにも、これは神がお生れになつて、其の神が島をも山をもお治めになつたといふ風に解釈も出来るし、また島や山があつて、そこに神が現はれて、それぞれの土地を経営されたとも解釈が出来る。此の解釈のどちらが正しいかといふやうなことを決定する訳には行かない。何分にも神代のことであるから、たゞ伝説を伝説として伝へて置くより外はなからうと断定して居ります。
これもまた洵に健全な考へでありまして、何分にも今日の常識を以てこれを合理的に解釈するなどといふことの出来るものではありませぬから、たゞ我が国の皇室の御血統といふものは非常に淵源する所が遠いものであつて、他の国の王といふやうなものとは全く違ふといふ、此の根本の所を明かにして置けば宜しいのでありまして、其の一々に就いての穿鑿は姑く差控へて置くより外はなからうと思はれます。
二神又はからひての給はく、われ既に大八州の国及び山川草木を生めり。いかんぞ天の下の君たる者を生まざらむやとて、先づ日神[ひのかみ]を生みます。此[この]みこ光うるはしくして、国の内に照りとほる。二神よろこびて天[あめ]に送りあげて、天上の事を授け給ふ。此時天地相去ること遠からず。天の御柱を以てあげ給ふ。これを大日孁尊[おほひるめのみこと]と申す(孁[れい]の字は霊と通ずべきなり。陰気を霊と云とも云へり。女神[めのかみ]にましませば自ら相[あひ]叶[かなふ]にや)。又天照太神とも申す。女神[にょじん]にてましますなり。次に月神[つきのかみ]を生みます。其光日につげり。天にのぼせて夜の政[まつりこと]を授け給ふ。次に蛭子[ひるこ]を生ます。みとせになるまで脚たゝず。天の磐樟船[いはくすふね]にのせて風のまにまに放ちすつ。次に素戔烏尊[すさのをのみこと]を生みます。いさみたけく不忍[いぶり]にして父母の御心にかなはず。根の国にいねとの給ふ。この三柱は男神[をがみ]にてまします。よりて一女三男[いちによさんなん]と申すなり。すべてあらゆる神、皆二神の所生[しよしやう]にましませど、国の主たるべしとて生み給しかば、ことさらに此四神を申傳へけるにこそ。
其後火神[ひのかみ]軻倶突智[かぐつち]を生みましし時陰神[めがみ]やかれて神退[かんさ]り給ひにき。陽神[をがみ]うらみいかりて火神を三段[みきだ]にきる。その三段おのおの神となる。血のしたゝりもそゝいで神となれり。経津主[ふつぬし]の神(斎主[いはひぬし]の神とも申す。今の檝取[かとり]の神)、健甕槌[たけみかづち]の神(武雷[たけみかづち]の神とも申す。今の鹿嶋[かしま]の神)の祖[みほつおや]なり。陽神猶したひて黄泉[よみのくに]までおはしまして、さまざまのちかひ有りき。陰神うらみて此国の人を一日千頭[ちかしら]ころすべしとの給ひければ、陽神は千五百頭[ちかしもあまりいほかしら]を生ますべしとの給けり。よりて百姓をば天[あめ]の益人[ますびと]とも云ふ。死するものよりも生ずるもの多きなり。陽神かへり給ひて、日向の小戸[をど]の檍原[あはぎはら]と云ふ所にてみそぎし給ふ。此時あまたの神化生[けしやう]し給へり。日月神[ひつきのかみ]もこゝにて生[うまれ]給ふと云ふ説あり。伊弉諾尊神功[かんこと]既に畢[をは]りければ、天上にのぼり天祖に報命[かへりごと]申して、即ち天に留まり給ひけるとぞ。或説に伊弉諾伊弉冊は梵語なり、伊舎那天[いざなてん]、伊舎那后[いざなくう]とも云ふ。
こうして此の伊弉諾・伊弉冊尊が多くの島や国をお生みになつたものでありますから、これが全体合せて大八州と申すので、此の大八州も既に形を成し、また山川草木等が悉く形を成したから、此の土地を治める所の
【天照大神】
神をお生みにならなければならぬといふので、そこで一番最初にお生みになつた神が非常に光りうるはしく国中に照り渡つたので、これは非常に勝れた神であると申して伊弉諾・伊弉冊尊が大変にお喜びになりました。それでこれに天上の事を掌ることを命ぜられたと申すのであります。此の時は天地相去ることが遠くないから、天を治めるといふことと、地を治めるといふこととに格段の区別は無かつたものと考へられるのであります。そこで此の日の神は即ち大日孁尊と申し、天照大神とも申すのであつて、日の光りが凡てのものを照らすやうに、非常に勝れた御徳を具へていらつしたのであります。その次に月の神、即ち月讀尊[つきよみのみこと]とか、それから蛭子尊とかいふ方もお生まれになつた。それから一番終わりにお生まれになつたのが素戔烏尊であつて、これは男の神様でありましたが大変に勇気の勝れた方であり、余り其の勇気を頼りにして、随分我儘な行ひなども多くおありになつたものですから、伊弉諾・伊弉冊尊の御心に適はないので、根の国に行けと仰せられて、此の中央の地からお退きになつたのであります。
此の伊弉諾・伊弉冊尊のお生みになつた神様達は、皆国の主となるべきものであると仰せられたので、其の御性質などはそれぞれ異ふけれども、何れも多勢の者をお治めになる所の勝れた徳をお具へになつた方と
【素戔烏尊】
思はれるのであります。此の中に於て素戔烏尊は非常に勇気を恃みとして、横暴な行ひも多くおありになつたやうに見えますけれども、後に至つては出雲においでになつて八岐の大蛇を退治して、其の土地の害を除くといふやうな立派な御事蹟もお示しになつて居るので、決して勇気を恃みにして世の中の妨げをなすといふことばかりではないのでありまして、やはり勝れた御徳が其の御事蹟の上に現はれて居ると申して宜しい訳であります。
それから此の伊弉諾・伊弉冊尊のお二方の中で、伊弉冊尊の方が黄泉といふ、即ち地の下の世界に行かれて、これを伊弉諾尊がお慕ひになつて後から追掛けていらしつたといふ言ひ伝へがこゝに出て居ります。こ
【我が国の国民性】
れは此の日本の国の謂はゆる国民性をよく表はして居る言ひ伝へと思はれるのであります。即ち此の地上の生活は光りに満ちた、洵に朗かな生活でありますが、地の下は謂はゆる黄泉の国で、薄暗くて甚だ不愉快な所であるといふやうに解釈が出来るのであります。即ち吾々は此の世の生命だけではなく、此の世を去つて後の生命もあるけれど、此の世の生活が一番よい生活である。後の世を恃むなどといふことは詰らないことであつて、此の世に人として生きる間に出来るだけの良い働きをして、此の地上にどんな美しい国をも建設しなければならぬといふ思想が、斯ういふ伝説の中に現はれて居るものと思はれるのであります。国に依りますと、此の世を穢れたものと見て、後の世の生活に憧れるといふやうな言ひ伝へのある所もありますが、日本の国民性はさうではないのであつて、此の世の生活が本当に尊い生活である、此の世を穢れた所などと思つてはならぬ。たとひ此の世に苦しいことが多くても、自分達が努力すれば此の世が天国のやうなものに変るのであるといふ考へで、大いに力を尽さなければならぬといふのが、昔から伝はつた所の貴い思想であります。西洋で言へばギリシャの人などが、聊かこれに似て居るのでありますが、我が国の思想は此のギリシャの思想に比べて一層徹底的なものであると考へて宜しいのです。
此の事は今後に於ても吾々がよく考へなければならぬので、此の世の生活といふものを夢のやうなものだと思うて、徒らに後の世に憧れるといふやうなことでは、人間として此処に生まれて来た甲斐がないのでありますから、此の世を人間の力を以てどんなにでも美しい国にしやうといふ、此の決心を変へないやうに、努力の上にも努力を重ねるといふことが最も肝要であると申さなければならぬのであります。其の他の点に就いてはいろいろこゝに書いてありますが、これは一々説明を加へないでも、本文を読んで見て一通り解釈が附くことと思ひます。
それからまた伊弉諾、伊弉冊といふ御名は梵語から変つたのだといふ言ひ伝へもあるといふのであるが、これは余り信ずべき言ひ伝へとは思はれませぬ。併し梵語と余程似て居るので、梵語に伊舎那天[いざなてん]、伊舎那后[いざなくう]といふのがあります。伊舎那天といふのは男の神であり、伊舎那后といふのは女の神でありまして、共に天上に住んで居るといふのであります。『伊舎那』といふのは自在といふ意味、どういふ働きでも自由自在に出来るやうな力を具へて居るから、これを伊舎那といふのだといふことであります。此の二つの神に就いては仏教の経典の中にも彼此れ説明がありますけれども、此の名が変わつて伊弉諾・伊弉冊尊の御名になつたといふやうなことは、たゞ一説として伝はつて居るだけであつて、余り信ずべきものではないと考へて宜しいと思ふのであります。
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