小説《カローン、エリス、冥王星 …破壊するもの》イ短調のプレリュード、モーリス・ラヴェル。連作/ザグレウス…世界の果ての恋愛小説21 ブログ版
カローン、エリス、冥王星
…破壊するもの
《イ短調のプレリュード》、モーリス・ラヴェル。
Prelude in A minor, 1913, Joseph-Maurice Ravel
《in the sea of the pluto》連作:Ⅳ
Χάρων
ザグレウス
以降、一部暴力的な描写が含まれています。
ご了承の上、お読み進め下さい。
感じられる息吹き。
少年の。
姿をさえ獲得しない、その少年がその見開かれた眼差しに、見つめ続けていたのは知っていた。
血を流し続ける私を。
色彩をなくして、ただ昏い、穴ぼこにすぎない両眼から、口か、細く血を流し続けている、その、それ。
私を。
まばたく。
私は。そして、ようやく正気づいた気がした。ハオに腰を叩かれたときに。「好きにしなよ。」
家屋の門の壁に一列に、《盗賊たち》は整列させられていた。抵抗するすべはなかった。ハオの銃口に命じられるままに、彼らは壁に手をついて頭を下げ、尻を突き出して耳にする。
ハオに命じられたままに、金髪の、子供のように背が低く、痩せて華奢な少年に、殴られ、蹴り上げられて女が立て続ける息遣いと、肺を引っ掻くような音声を。拗音のような、短い音声が、時に不意の濁音に引き攣る。ハオはときに微笑む。…馬鹿?
ハオは言った。「数の原理でさ、…」ね?「襲い掛かればいいじゃん。」
…な。
「弾数、十発くらいだぜ。…あいつら三十人じゃん。みんな、殺されはしないよな。自分だけは生き残れるんじゃんって?…そういう博打うち的発想の奴、いないみたいね。」
無理やり立たされた女がよろめいた瞬間に、血なまぐさい男の眼差しは、一瞬、笑った気がした。
「…ね?」
残酷な瞬間を、彼の眼差しは逃がさない。
「…だよね。」
殴打された即頭部は音を立てて、首がひん曲がる。
「…違う?」
息を詰まらせた女が後ろ向きにクンクリートの路面に倒れる。
「WiFi、…ある?」ハオは言った。
私は振り向き見、そしてハオはスマートホンの画目を撫でた。…く姫?
言った私に、かすかに微笑んで、そして女の踏みつけられた腹部がのたうつ。
「違うよ。…」
嘔吐する。
「…仕事。」WiFi番号を教えたハオは、スマートホンを弄って、ささやく。「…知ってる?」誘惑しようとしたように。「もう、準備オッケー。」
…待ってるよ。
「みんな。」
「何を。」かすかに鼻に立てられた息は、ハオの笑い声だったに違いない。…合図。
「ゴーサイン。」
待ってる。…
「占拠したら、核弾頭発射まで、俺の指示あるまで動いちゃ駄目なの。収拾つかなくなるからさ。…べつにどうでもいいけど。司令塔、…的な?必要ないけどね。何でもかんでも、取り合えずふっとばしゃいいんだから。」…で。
「ね?」
んー…
「その合図?」と、ささやき返した私にハオはうなづいて、私は、見ていた。その眼差しの先。
色彩のないハオは、ふたつ並んだブーゲンビリアの樹木の両方に、引き裂かれた身体をねじまでてぶら下がっていた。
静かに血を流し、その、右に向って一直線に流れ出す色彩。
女はまだ死なない。
息遣い、吐く。…へし折れた歯。
身をまげて、…男。彼女を苛む男の眼差しには明らかに、血走った興奮があった。みじめったらしい、小さな熱狂。…救いたい?
ハオは言った。
「なにを?」
…人類を。
「人類?」と、言った私の頬に振り返ったハオのついた呼吸が懸かる。…ほら。
言った、ハオは私に銃を渡した。「…命令は絶対だから。」
ささやく。
「だから、俺を殺して仕舞えば、人類は、…違うな、…人類みたいな愚劣な人類自身の失敗作なんかどうでもいい。人類以外のすくなくとも気品のある生態系のすべて。この世界のまともな生態系のすべてを、とりあえずは守れる。…わかる?俺が遣れっていわない限り、あいつら動かないから。…たとえ、反乱軍が…違うか。正規軍が襲い掛かってきてもね。どうせまた戦争すりゃいいだけ。どっちが勝つかどうかしらない。共倒れにでもなりゃいいけどね。両方殲滅しちゃうの。…それはそれで、最高じゃん?いずれにしても、いま、滅びることは無い。…もちろん、あの家畜たちは襲い掛かってくるかもしれないけどね。仲間割れしてひとり減ればね。…あいつらだって生き残りたいんでしょ。だからあのざまなんでしょ。だれも、確率の悪い被銃殺者になんかなりかくないから、数も足りない弾数にひれふしてんじゃん?…あぶないよ。でも、ま、お前は世界を救うのさ。…もうひとつの選択。自分で自分の頭を吹っ飛ばす。…それで、すくなくとも自分ひとりだけは救われる。とりあえずはね。…生き残ってなんになる?奥さんもう、死んでるんだろ。…違うな。まだ、かろうじて生きてる。…ほら。まだ呼吸してる…無様だな。…でも、とにかくもう、生きてる意味、ある?お前に。…死ねよ。だったら。…どう?」私はただ、彼の耳打ちする言葉をだけ聴いていた。
血走った眼差しの男が女の顔面を、壁に打ち付けた。…せめてもの報復?
…濁音の息が、おくれて、最強音で女の喉に鳴る。「選びなよ。」…それ。
ハオの声。
「自分で。」
聴く。
「俺か、自分か。」
私の手のひらはすでに銃を握っていた。「…どっち?」
私は引き金を引いた。
*
* *
マイは、かならずしも眠っていたわけではなった。とはいえ、瞬いた瞬間に、自分が目醒めた容赦もない実感に曝される。
夢を見ていた。
夢の中に、巨大な石の壁があった。その背後に。
周囲の人々の声が聞こえていた。マイには聴きなれない、それら異国の言語が、ただ、安息をだけ祈っている事は知ってる。残酷な事実だった。
正装を身に纏った彼らの眼差しの先で、聖域から汲み取って来たにには違いない水で頭から洗い清められて仕舞っていたにしても、それでも、無残に素肌を曝す事は。
人々の眼差しが、マイをただ咎める。たいまつの炎が、照らし出す彼らの顔に、身体に、さまざまな陰影が浮ぶ。
自分が何をされるのかは知ってる。眼差しの遠い先の樹木によじ登った少年たちの見つめてるその眼差しは、確かに、彼自身の眼差しでもあった。マイは想い出す。なんども見てきた。その眼差しの先で、少年たちが去勢の上に惨殺されていくのを。
神々の容赦もない眼差しの下で。
音響が耳の中にだけ木魂する。すさまじい騒音となって、未だに触れられてもいない皮膚がすでに、無慈悲なまでの苦痛に痙攣していた。《司祭》はあくまで姿を顕さない。《司祭》の眼にふれること、それは彼を血に穢れさせることに外ならないから。…父、と、マイがそう呼んだ、彼女が見たこともない男の顔を、怒りと嘆きに震えながら彼が想い出したことを、マイは自覚していた。…なぜ。
と。マイは想った。あなたは私を見棄てたのだろう?
知ってる。神々のために。そして、マイは知ってる。恍惚さえもが、自分の神経のなかに救って、木魂し返していることをさえ。彼は選ばれた。樹木で自分を見てるしかない穢い下賤な人間たちとは違う。
逃げ惑う事出来ない。祭壇の壁は高く、よじ登る事さえも出来ずに、見あげれば空には星さえもない。
高山の上。
霧のような雨を、夜の大気は含んでいた。彼は想い出す。不意に落ち込んだ、瞬きの間の失心の中に、…青空。
拡がった青空の下に、彼は彼女の体の腕腰を振る。いたぶるように、その外国人の顔を見た。
マイは、…彼、と。あなたはなぜ、こんなところにいるの?と、その白い肌を見る。
私を好き放題にいたぶりながら、と、この森林に囲まれた町。クアン・チーに砲弾が降った。
今朝の早くに。
人々が逃げ惑い、自分も声を上げていたに違いない事は記憶していた。その言葉をは聞き取ってさえいなかった。
単なる音響。轟音。響きわたった銃弾と、あるいはヘリコプターのそれ。
燃え上る森林には温度と臭気があった。フランス人ではない。そんなことくらいはわかる。彼女の国が独立したらしいことは知ってる。彼女の友人たちも、弟さえもが英雄的な仕事のために故郷を離れた。どこにいるのかは知らない。不意に、既視感に襲われた。戦場の風景。
弟が見ている風景も、こんな風景に違いないと、そして見つめる。自分を強姦するその迷彩服の男、白人のように白い肌のアジア人。…あなたは、と。
想う。私はあなたを知ってる、と、彼女は瞬く。
いま、眼の前で死んでいこうとするその女。姉の姿はもはや半分、この世界の中にはいない。
世界が滅びてから、生まれた。
そんな事実は知ってる。廃墟の群れの中に棲息する。
人々はしずかに死んでいく。それでも繁殖しながら、その事実が悲劇的であるという実感は無いままに、歎く父親の眼差しが、その当たり前の事実が非情な、余りにも悲惨なあるべからざる風景であることを知る。
何が、姉の身体を崩壊させているのか、彼は知らなかった。父親は殺された。母親は元からいなかった。いたには違いない。
父が彼女の想い出を語ったのは事実だったから。
彼が、嘘をついていたのでなければ。
充血した両眼からあふれ出る血を掬ってやる。彼は、自分の指が震えていることは知ってる。もうすぐ、と、想う。
この廃墟も倒壊するかも知れない。
樹木は生い茂る。
彼らはマイを見つめる。
少年たちは、それら、樹木の上で、神聖な捧げ物の最期の瞬間を見出すために。
マイは眼を見開いた。正装の男たちが異様に長い棍棒を振り上げるのを。それ。屠殺されるものの、穢れた還り血を浴びないための工作。…なぜ、と。
想う。矛盾している。屠殺される私の血が穢れているのなら、なぜ、そんなものを穢れをなど知らない神々に捧げるのだろう、と、苦痛は白熱した。
棍棒の先が彼の頭部を叩き割ったときに、そして吹き出た血に、拭う。
汗を。彼女は。砂漠地帯の町の中に、彼女は終に息絶えようとしている自分の、死に懸けの身体の崩壊にふれた気がした。
日が沈む。
窓越しに見えていたはずのそのいつもの風景をなど、もはや彼女の眼差しは捉え獲ない。男が耳元につぶやいた。聴き取れないその言葉を、必死に聴きとろうとしながら、夫。
その男が夫であることは知っている。…知ってる?
と。つぶやきそうになった。あなたは私をなんどか、殺したことがあるのよ、と、蘇りもしない記憶のままに、彼女は認識してた。開いた眼差しの中にチャンの傍らにたたずんでいる男。…東アジアから来たに違いない男。…日本人?
たぶん。あのフエがつれて来たのだから。
その、名前も知らない男を、マイの見開かれた眼差しは見い出した。さっき、もうひとりの男が何か口走った瞬間に、その男は血相を変えて、振り向き様の殴打をくれた。なぐり、蹴り、想った。私はあなたの家畜ではない。
声にならない悲鳴を上げている気がした。それが、頭の中でだけ終りようもない反響を曝して、男が引きちぎった衣類が為すすべもなく垂れて、彼女の素肌を曝させる。
もうひとりの男が声を立てて笑った。その声はマイの耳にまでは届かない。マイは、自分の首を絞め始めた男の顔を見ていた。あのときと同じように、と。
想う。殺して仕舞いなさい。私を、と、マイは、自分を強姦することさえ出来ない男を嘲笑った。
あなたはもう、男でさえもない。笑う。吐き出して仕舞いなさい。あなたが種付けした子供を殺してあげるわ。
あなたの眼の前で。あるいは、心の底から愛してあげる。これ見よがしに。…殺しなさい。
立ち上がって、マイは、その男を見つめた。自分に背中を向けて、そして、彼らはすでに立ち去った後だった。
日が沈んで、もはや暗がりの中に、ひとりで取り残された男は明かりさえもつけない。手元に弄っていたのはスマートホンに違いない。その、あまりにも子供じみた、女のような振る舞いにマイが声をたてて笑いそうになったとき、音響が響く。
突入した軍隊が、群れを成して仏間になだれ込んだ。ジウは顔を上げた。
彼らが上がってくる音になど、とっくに気付いていた。シャッターを、斧だかなんだかで粉砕する、派手な音が聴こえ続けていたのだから。
その音が止んで仕舞えば、次にする事など考えるまでもなく明らかだった。チャンが傍らで、足を伸ばして座ったままに息づかっていた。想った。
彼らは知ってるのだろうか、と。もう、何をしても彼らが滅びるしかないことを。いまだに知らないままなのに違いない。
彼らに興味はなかった。彼らは、ジウには聞き取れない言葉を、矢継ぎ早にかけて威嚇した。不可能だよ。
ジウは嘆息する。…何を言ってるかわからない。
声。でたらめな音響と、一切変わりはしない。…知ってた?
不意に、ジウの手のひらがチャンの頭をなぜようとしたときに、彼らの掃射がジウを骨ごと粉砕した。
0コメント