小説《カローン、エリス、冥王星 …破壊するもの》イ短調のプレリュード、モーリス・ラヴェル。連作/ザグレウス…世界の果ての恋愛小説⑱ ブログ版
カローン、エリス、冥王星
…破壊するもの
《イ短調のプレリュード》、モーリス・ラヴェル。
Prelude in A minor, 1913, Joseph-Maurice Ravel
《in the sea of the pluto》連作:Ⅳ
Χάρων
ザグレウス
以降、一部暴力的な描写が含まれています。
ご了承の上、お読み進め下さい。
「最初に、軍部の連中の粛清から始める。」ハオは言う。「…文字通り血祭り。全部、ぶっ殺しちゃう。で、次に、政府。…そっちの方に乗り込む。別にどうでもいいんだよ。そいつらを粛清しようがしまいが。捕獲できようが逃げられようが。殺せようが殺せまいが。…知ったことじゃない。軍さえ掌握しちゃえばね。だから、もう、…」
「…北朝鮮完了。」ジウは笑う。
「で、アメリカとか、中国とか、色めき立つでしょ。いろいろいと。」
「そこで、蜂起するの。」ジウ。
いたずらな微笑みに、顔を崩して仕舞ったジウは、チャンを見つめながら私に言った。「アメリカ、…ロシア。中国。日本、韓国、…イタリア、フランス。ブラジル、…タイランドに、…」
「一斉粛清。クーデター起こして軍基地全部占領して。数名の革命舞台が幹部クラス粛清して廻って。」
「一人一殺だよ。…違うけど。」ジウが笑った。「三人一殺くらい。」
「…で?」言った私に、ハオは振り向き見た。私を。「核弾頭、要所要所にばら撒くんだよ。」
「吹っ飛ばす。」
「世界中の、主要な、」
「ぜんぶ、みんな、」
「原発含めて、そういう、」
「吹っ飛ばす。」
「核保有基地とか、そういうの」
「終らせてやる。完全に」
「適当に…てか、」
「再生なんかできないくらいに」
「精密にプラン作ってたけどね。で、…」
「終らせる。…で、」
「…ぶっ壊す。」
「腹、切る。」言った、ジウは息をつく。
長く、唇に息を吐いて、「ぜんぶ、完璧に終ったの確認したら、俺は一人で、…と。」
「…なんで?」
「腹、かっさばく。」
「…何でだよ?」一度無視された私のその言葉に、ジウはややあって、いまさら気付いたように振り返り見て、「…間違ってるから。」言った。
「なにが?」
「全部が。」
「説明しろよ。」
「わかれよ。」聴いている。私は、言葉を切るたびに彼が漏らす笑い声。それに乱れるしかない聞き取れ獲ない寸前の彼のささやき声。「…天皇陛下に忠誠を誓うなんて、御体に命じられてもいない自分勝手な振る舞いを、純粋な皇道精神は赦すことはできない。そして、誓えと命じられてからあわてて誓うような家畜じみた振る舞いを、皇道精神は許容できない。」
「…馬鹿?」言って笑う私を無視して、…でも、と。
ジウは言った。「俺は好きだ。この論理とともに、…違うな。この美しさとともに死にたい。」
「死ね。」…ひとりで。と、そう言った私の眼差しはバルコニーに流れた。タオは、手すりに身をもたれて、下を見ていた。だれも、彼女を銃撃しはしなかった。響き渡った、ただの怒号の群れが彼女に何を言い、何を伝えようとしているのか、私にはわからなかった。言葉の問題ではなくて、さまざまな言葉が群れを成し、それぞれに混乱した感情が自分勝手に発した多義的な言葉は、混濁してもはや、単なる音響の群れでしかない。軽蔑。嫉妬。怒り。嫌悪。不安。恐怖。おののき。哄笑。悲嘆。絶望。苦痛。葛藤。苦悩。それら、一瞬で夥しい色彩を待とう言葉の無をなど、人間の耳に聴き分けるすべはなく、聴き分けたところですでに、その瞬間には手遅れになっている。移り気なそれらは、発された次の瞬間にはすでに、他の色彩を纏っているのだから。…元気だよ。
と。
タオは手を振った。
一度だけ、ちいさく胸元で、…わたしは、…
タオは、まばたき、そして
元気です
見つめた。それら
なんとか
自分に好き放題に
元気ですから
ぶしつけな視線を投げる眼差しの
心配しないでください
群れ。どよめく視線の夥しい集合。空が暗む。
日差しは完全に、周囲を照らし出すままに明るさを失って行った。むごたらしいまでに、すでに空間は薄暗さに染まり、空はいよいよその青みを、黒に近づけ続けて、眼差しはその黒への侵攻を、逐一見留める事はできない。ただ、後になって気付くだけだ。…マリア様を見た。
「…って。」
言ったよ。…と、ハオが不意に口にしたので、ジウは我に返った。その瞬間に、彼は自分がいままで茫然として仕舞っていたことに気付いた。…覚えてる?
言ったそのハオの言葉は「あの子、…フィリピンの、」もはや、「…で、…ね?」ジウに「言うんだよ、その」捧げられた「男の子。」言葉なのか、私に「何だ?…ジョセフちゃん?」向けられた言葉なのか、それさえ「…忘れたな。ジョシュアちゃんか?」明確ではないままに、「言った。」ふれる。「マリア様が見えました。」
私の耳にも。
「…って。」笑う。
ハオは、鼻にだけ、かすかに乱れた息で。「ジウが集会で手のひらにナイフ突き刺して、いっちゃいそうな顔曝してさ、…その後、夜、俺のホテルに忍び込んで。そいつ、はぁはぁ息切らしながら言うんだよ。死になさいって、そう言いましたって。不自由な英語で。なんか、必死になって言葉探して、間違いだらけの文法でさ、言うんだよ。悪魔がすでに地上を征服して仕舞いました。人々はすでに滅びています。滅びて仕舞った人々を、救済することなど出来るでしょうか?できません。滅びるとは、救済に見棄てられて堕ちることなのですから。滅びて仕舞った人々を滅ぼすことなどできるでしょうか。出来ません。滅びとは、文字通りすべての喪失なのですから。あなたは正しい人間です。ですから、滅ぶことさえ出来ない人々のために滅びなさい。死になさい。苦痛に塗れなさい。絶望しなさい。呪いなさい。絶叫しなさい。生まれたその日を後悔しなさい。ただ、滅びさえできない人々の変わりに、あなたは滅びなさい。」
「なに?」
「殲滅をその身に生きなさい。」
「変なもの、喰った?」言って、私は笑い、ハオはまばたく。不意に、はじめて私の存在に気付いたような眼差しを、…あれ?
曝して。
そこに
「…その子、」
いたの?
「夢を見たって。起きてる最中。ジウが手のひら、突き刺した瞬間に、…そのネット画像見た瞬間に、…さ。マリア様が眼の前にいるのに気付いてたこと想い出したんだってさ。懐かしい想い出を、ふたたび思い出すように、…ってさ。で、そのマリア様が言ったらしいよ。しずかに、…ね?しずかに涙を流しながら。」
「で、忍び込んだの?」
「…そ。集会の跡で、どうしても伝えたかったんだろ。で、言ってたよ。私に屈辱を与えてください、と。」
「なにそれ。」
「私に絶望を与えてください、…と。」
「馬鹿?」
「くれてやったの。」
「なにを?」
「決まってんじゃん。」…絶望。
言った。ハオは、「悲嘆。…」
後悔、…とか。
「苦痛。…」
わかる?…「なんか、…」
ね?「…なんか、そう言うの。」知っていた。私は、その少年。私が、文字通り、人格が崩壊して仕舞う気がしたまでその肛門を中心とする肉体を破壊し、穢して仕舞った少年は、そのホテルのベッドの上で、肺から吐いた血に窒息しそうになりながら、彼の眼差しをわななかせていた。悲鳴をさえ一言も上げ獲ないままで。見開かれた眼差しは私をなど見てはいない。上に覆いかぶさった私を見つめ続けたまま。
「十一歳だった。…その子。」
と。私はその少年を、明けたその朝に、バルコニーから放り捨てた。もはや、彼は自分自身ではあることさえ出来なかった。
そのままチェックアウトし、私はジウと、マニラの町の中に紛れ込んだ。褐色の肌。無造作な光の反射。匂う。町の、食物も、汚物の、穢い水、香水、はなやかな体臭、汗、あるいは。
それら、あの少年が死んだかどうかなど知らない。十階だった。生き残っているとは想えない。「…ほら。」
…と。
ジウは、ハオのスマートホンをいじりながら、さまざまなアプリケーションに入ってくる彼らからのメッセージを確認して廻っていた。「…順調。」
んー…
「なんか、…」
なに?…
「総体的に順調な感じ。」言ったジウに、ハオは薄い笑みをくれた。「アメリカはオッケーだね。…優秀だったからね。…彼らは。アメリカ、押さえちゃえば、…」
「中国は?」
「もうすぐ。今、基地の中でぐちゃぐちゃ遣ってる。なんていうの?市街戦?じゃないね。基地戦?…みたいな。結構、むちゃくちゃなことになっちゃったっぽい。占拠する前に、両方で全滅したりして。」…うける。「それはそれでおもしろいよね。むしろ。」
と、言ったときジウは、チャンの頭をなぜた。「どこもかしも、定時報告なんて入れてくる暇があったら、そいつ、人一人でも殺しちゃえよな。」笑った。…見てこよう。
不意にハオは口走る。口走った自分の声を聴き取った瞬間に、ハオは無意味な戸惑いを、明らかに曝した。「…お前の、」
口籠り、そして、「…奥さん。」言ったハオは私に目線をくれた。…な。
でしょ?…と、彼の眼差しには私は同意を投げかけてやり、「いま?」
私は笑った。
声を立てて、「無理だろ。…」ほら、…「そこの***娘がぜんぶ、ぶっ壊しちゃった。」タオは。手すりにもたれて、私たちに視線を投げていた。いかにも手持ち無沙汰に。…来いよ。
ハオは言う。
「来なよ、…」と、その眼差しにタオを捉え続けながら。「一緒に行こう。」ハオがささやく。私は匂う。
ブーゲンビリア。
花の匂い。
…待って。
ハオは言った。
咲き乱れていた。「電話、…しないと。」
と、言ったハオは、そして、見い出す。
花々の散乱。無際限なまでのその拡がり。
「く姫に、…」と、Lineの無料通話を、「もう、…」
つぶやく。「若干、後れてる。…」
俺らの、…
「約束の時間に、…」
…ね?
と、言って私を、「外国行ったら毎日6時には電話するの。…忘れてた。」…花々。
むらさきに近い紅の花が、「やばい。」咲く。
舌打したハオは、「…怒られちゃうよ。」独り語散る。鳴らしても応答はなかった。なんどもやり直して、「サーバー…」と、言ったジウの声に振り返ったハオは、「サーバー堕ちてるんじゃない?」あきらかにおののいた表情を震わせていた。
「…大丈夫かな?」
ハオがささやく。
「く姫、…あいつ、…」
小声で、
「大丈夫かな?」
早口に。…大丈夫。
タオはつぶやいた。私の傍らに、寄り添っていた彼女は、
だいずょぶ
私に縋りついたままに、「…心配ありません。」つぶやく。
ジウはついてこなかった。行こう、と言った私に手を振って、…興味ないよ。そんな、眼差しをくれた一瞬の後、目線をそらしただけだった。タオは。ただ、見棄てられたようにベッドの上、足を伸ばして座っているチャンの傍らに寄り添って、その身を横たえた。
一階に降りたとき、シャッターの向こうには人々の声が乱反射していた。予測されてたその状態を、ただ、ただ私の耳は確認するしかない。…笑わせるよな、と、そうハオは言った。私に寄り添って、耳元で、私に自分を煽動させながら、「突入でもしちゃえばいいのに。」
ささやく。…何人いるんだよ。
「あいつら、…」と。彼の手に持った拳銃で私の腰を叩いて、ばーん…って。
「ね?」声を忍ばせて笑う。叫んだとしても、誰の耳の注意も引かないに違いない。だれもが口々に罵る、自分たちの声に掻き消されて仕舞って。「…なに、戯れてんの?」
…あいつら。…ハオはつぶやく。声を潜めて、私の耳の周辺にだけ、そして、彼の手は私の腰に回されていた。
私はかならずしも、フエの身を案じていたわけでもなかった。すべてを諦めたなどというわけでもなく、そして、興奮もなかった。むしろ、すべてが停滞して見えた。窒息してしまいそうなほどに。さすがに、シャッターを開いて、正面から出て行く気にはなれなかった。あるいは、最初からそんな考えなど頭の中にはなかった。声を立てて時に笑って仕舞いながら、響いて乱れるだけの人々の声にふれ続け、キッチンの裏口も、包囲されているに違いなかった。ドアを開けた瞬間に、銃弾が乱射されようが、我を忘れて怒り狂った人々が襲い掛かってこようが、いずれにしても、すべてはその停滞していた進行を取り戻すはずだった。
乱暴に開けたドアの向こうには誰も言いなかった。だれも、裏口に廻ろうという気さえなかったのだった。正面のほうからの、喚声が束なって耳に流れ込み続け、裏庭はしずかに、淡い暗やみの中に沈んでいた。…あと、どのくらい?
不意に、想い出した私は言った。
「なに?」
「お前らが、世界を滅ぼしちゃうの。」…核爆弾?
ハオはつぶやく。「核兵器のこと?」うなずきもしないで、私がその言葉に同意していたことにはハオは気付いていた。「…三十分くらい?」…いや。
んー…「ね?」
どうだろ?…
「一時間くらいじゃない?」
「なにそれ?」ハオは笑う。もはや、誰のことも気にかけずに、彼は素直に笑って、「…進行次第よ。」
…あいつらの。
「軍隊の、…」さ。
…ね?「わかる?…」微笑み。
ハオがうすく口元に、そして眼差しに浮かべていた微笑をは、私は見もしなかった。名も知らない樹木の下をくぐり、犬がその気もなく、惰性で一度だけ吠えた。私たちに向って、月はもう浮んでいる。空の、低くは無いところに。
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