小説《カローン、エリス、冥王星 …破壊するもの》イ短調のプレリュード、モーリス・ラヴェル。連作/ザグレウス…世界の果ての恋愛小説⑰ ブログ版
カローン、エリス、冥王星
…破壊するもの
《イ短調のプレリュード》、モーリス・ラヴェル。
Prelude in A minor, 1913, Joseph-Maurice Ravel
《in the sea of the pluto》連作:Ⅳ
Χάρων
ザグレウス
以降、一部暴力的な描写が含まれています。
ご了承の上、お読み進め下さい。
気付く。タオは。自分の機関銃が掃射を終えて仕舞ったこと、そして、自分が、あきらかに人々に発砲した事実に。…で?
私は言った。初めてハオを振り向き見て、「やったの?…あいつ」
「まさか。」ハオは笑った。「脱がしただけ。」…できないもん…「うける。」…空っぽなの?
「…すげぇ。」我にかえったような声を、ジウは不意に立てていた。
「すげぇよ。…なんか。」手すりに身を乗り出し、下の「もう、…」惨状を眼差しに確認しながら「ぐっちゃぐちゃ。」彼は声を立てて笑っていた。素直に興奮を曝して、色づいた眼差しを私たちに見せ付ける。
振り返って、ただ単にびっくりしたその見開いた眼で私たちを見つめながら。「…共犯者だね。」
「なに?」…と、私の言葉に問いかけたハオの声を、私の耳は聴くのだった。「みんな、…」
…俺たち。
「さ。…ね?」
完璧、俺ら、共犯者じゃん?…その、私の笑いながらささやいた声に、ハオはただ見つめるばかりで何も答えない。
至近距離の、その眼差しを私はなぜか、痛みを伴って感じなければならなかった。…遣らせちゃおう。
ハオが、ややあって言った。「なに?」と、不意に、理由もなく問いかけて仕舞った私はすでに、ハオの意図になど気付いていた。
私は、相変わらず手に持っていた、すでに空砲の拳銃をクイに突きつけた。その瞬間、私は声を立てて笑った。無意味だった。クイに見えるわけがない。目隠しをされたクイには。
ふたりで顔を見合わせて、声を忍ばせて笑っていた私とハオを、振り向き見たタオは手すりに身を凭れたまま、眼にふれるもののすべてを赦そうとする、そんなやさしげな眼差しの中に捉えて、聴く。
傍らにはしゃいでみせるジウの声。「…使えねぇなこいつ。」言った、ハオはクイを無理やり立たせて、「遣らせちゃおう。」尻を蹴りあげた。バルコニーによろめき出たクイの身体が一瞬で日差しに染まり、白濁したきらめきを点在させて、音もなく空は沈んでいこうとする。
夕焼けは今日は無い。色彩を、青いままたた一層濃くしていき、やがては夜に触れることを画策する。自らが、その夜そのものであることなど忘れたままで。
マイの身体に躓いたクイは、顔から床に転がり堕ちる。声は立てなかった。ひしゃげたような息だけが、彼の肺の中でつぶれた。バルコニーに、充填されたマガジンを片手にして出て来た私に、諦めたような微笑を、見あげたタオはくれた。
彼女の表情には、なにも満たされたものはなかった。失われたものも。なにもかもが、中途半端で、そして、彼女はいかなる自然な表情を曝すこともできなかった。
タオがまばたいた。
私を見つめながら。目隠しははずさなかった。私の空っぽの拳銃はいまだに、クイの即頭部を狙い定められたままだった。タオにマガジンを渡し、そして、私はジウにクイを立たせさせた。目隠しされた暗やみの中に、方向感覚を失ったクイのよろめく足が、マイの顔、その唇を踏みしめて仕舞ったときに、マイは息をつきもしない。同じように、半開きの唇に息をあららげて、そして、上方を見つめる。その、ただ、見開いた目で。私はジウが、クイの手を自由にしてやるのを見ていた。いかにも邪険に、ジウはひとりで、彼の暴力衝動に戯れて、淫する。みじめったらしく、ひしだらな気配が彼に周辺の至近距離にだけ漂う気が、私にはしていた。
クイの手は、ジウに握らされた機関銃を握っていた。タオは私を気遣い眼差しをなんどもくれていた。…ねぇ。
クイは機関銃を片手にぶら下げて、
いとしい人
手すりに擦り寄っていく。あるいは
これでいいですか?
擦り寄らされていく。かならずしも
これが
誰に命じられたわけでもなく。
あなたの望んだ
彼の耳元に盛んに騒ぎ立てる
ことなのですか?
ジウの日本語などクイには理解することなどできない。下の叫喚は、もはや怒り狂った怒号の塊になっていた。人々はただ、眼に映るものすべてを罵り、悲嘆し、そして、怒り狂っていた。無防備に響き渡る音響がわななく。クイは手すりに身を乗り出した。銃を構えるより先に、無差別に彼の指先が引き金を引いた瞬間に、クイの頭部が吹き飛んだ。
複雑な炸裂を、私の眼差しは至近距離の空中に捉えた。
下から、発砲された銃弾がクイの頭部を粉砕したのは事実だった。そして、振り返った眼差しは、拳銃を構えたハオの姿を捉えた。彼の発砲した銃弾は、確かにクイの後頭部を吹き飛ばしていた。
タオの表情は見なかった。背後で、ただ、…あ。
と。呆然とするでもなく言葉を、一瞬だけ失った気配が、素直に私にふれていた。クイの身体は、吹き飛ばされた一瞬に全身を痙攣させた気がした。そう見えただけなのかもしれなかった。揺らめいて、あ、…と。堕ちる、…そう想った瞬間には、クイのひん曲がった身体は空中を落下した。手すりをのけぞり堕ちて、そして路面に、クイは、たたきつけられる。
悲鳴が上がった。下を覗き込む気にはならなかった。報復の銃弾が怖かったのではなかった。そんのものの存在など、そのとき、意識されてさえいなかった。ただ、クイの穢らしい死体を眼差しにふれさせるのが嫌だった。
下のほうで人々の声が渦を巻く。驚愕なのか、戦慄なのか、悲嘆なのか、怒りなのか。いずれにしても、立てた本人にさえ定められない声の群れがひたすらに空間を満たし、穢していた。…まじかよ。
ジウは言った。「あいつら、発砲しやがった。」
…ゆるせねぇ、と、ややあって、自分の顔に唾吐かれたことに、いかにも怒り狂いはじめたジウに、「やめとけよ。」ハオは言った。「…なにを?」
「いいからやめとけよ」
「だから、」
「やめとけ」
…なにをだよ。もはや、ジウは声を立てて笑っていた。彼を振り向いた私の眼差しは、その先にたたずむチャンを捉えた。チャンはいま、ベッドに上半紙をだけ起こして、足をまっすぐに伸ばしたまま、奇妙なすわりかたをしていた。息苦しかった。その姿勢は、私の眼差しの中には。眼帯は顔から滑り落ちて、彼女の顔の現状をただ、素直に曝していた。
怒りもなければ悲しみもない。ただ、そこに息遣う彼女の表情を。あるいは、その、不在の眼球の中の、眼差しが捉え出した鮮明な風景の中に、おののき、わめき、叫び、笑い、歓喜しているそのままに。
「…平和だね。」
ジウは、不意に、想い出して言った。
「なにが?…」と、そういった後で、自分の言葉を羞じるようにハオは眼をそらす。「もう、…」と。
ジウは言った。「蜂起してる。」その、耳にふれたジウの言葉に、私が耳なじまない放棄という言葉を探り出して仕舞った戸惑いを、素直に曝して言葉には出来なかった一瞬の隙間に、「もう、占拠してるよ。」
ジウが、チャンのベッドに座り込み、「…北朝鮮。」ささやく。
誰にというわけでもなく、独りよがりなその言葉の群れが、実際には聴き手を私に定めているに違いことには気付いている。「…まず、…ね。」
…蜂起するの。
「放棄?」言った、
「そう。」
私の声に、ジウは、「蜂起するの。」言って笑う。すでに、私は微笑んでいた。…箒。
知っている。ほうき、その、言葉の意味は。私は「…民衆蜂起」すでに。「…的な?」
法規。
ジウは、いつか、微笑みながらチャンを見ていた。その横顔、一瞬、静かな日差しに真横からふれられた、その。
宝器。
「革命と言うか、暴動というか、さ。」…あいつら、「北朝鮮の工作員に。…遣らせるの。軍部とかにも、拡がってるから。」
「宗教マニア?」
「宗教じゃない。かならずしも。…なに?てか、幸せになりたいじゃん。」…違う?「人間って。」
ジウの眼差しは、私にはふれようとしない。「…みんな、みんな。結局、幸せになりたいんじゃん?そのための手段。」
「いま、もう、…」と、想い出したようにハオは言い、スマートホンをいじった。「ぐっちゃぐっちゃなんだろうね。」
「どう?」ジウの声。
私は、「あいつら、」彼の声を「…どうなの?」聴いていた。
「第一次作戦完了。…らしいよ。」ハオはジウに、スマートホンの画面をみせて、その、フェイスブックのメッセージ画面の、こまかな英語の群れをは読み取ることができない。
「最初に、軍部の連中の粛清から始める。」ハオは言う。「…文字通り血祭り。全部、ぶっ殺しちゃう。で、次に、政府。…そっちの方に乗り込む。別にどうでもいいんだよ。そいつらを粛清しようがしまいが。捕獲できようが逃げられようが。殺せようが殺せまいが。…知ったことじゃない。軍さえ掌握しちゃえばね。だから、もう、…」
「…北朝鮮完了。」ジウは笑う。
「で、アメリカとか、中国とか、色めき立つでしょ。いろいろいと。」
「そこで、蜂起するの。」ジウ。
いたずらな微笑みに、顔を崩して仕舞ったジウは、チャンを見つめながら私に言った。「アメリカ、…ロシア。中国。日本、韓国、…イタリア、フランス。ブラジル、…タイランドに、…」
「一斉粛清。クーデター起こして軍基地全部占領して。数名の革命舞台が幹部クラス粛清して廻って。」
「一人一殺だよ。…違うけど。」ジウが笑った。「三人一殺くらい。」
「…で?」言った私に、ハオは振り向き見た。私を。「核弾頭、要所要所にばら撒くんだよ。」
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