小説《カローン、エリス、冥王星 …破壊するもの》イ短調のプレリュード、モーリス・ラヴェル。連作/ザグレウス…世界の果ての恋愛小説⑭ ブログ版





カローン、エリス、冥王星

…破壊するもの



《イ短調のプレリュード》、モーリス・ラヴェル。

Prelude in A minor, 1913, Joseph-Maurice Ravel



《in the sea of the pluto》連作:Ⅳ



Χάρων

ザグレウス





以降、一部暴力的な描写が含まれています。

ご了承の上、お読み進め下さい。





…見てるよ。

クイの眼差しは

ほら、

言葉もないままに、赤裸々に

彼らに、見られてるよ

それら

見えているんだよ

彼が吐き捨てた言葉を気配としてすべて

彼らには

曝した。見苦しく、陰湿なほどに。ひざまづくようにしゃがみこみ、両手で隠した顔に、タオが泣きじゃくり続けていた事は知っていた。ずっと。

ヴァンが射殺されてからずっと、タオは泣き続けていた。肩を、喉を、四肢を震わせながら、声を決して立てることなく。あるいは、一言でも声を立てて仕舞えば、頭の先にぶら下げられた容赦ない無差別殺戮の刃がお襲い掛かって来るのだと、その事実を唯しずかに認識し、受け入れて仕舞ったかのように。

「来いよ。」

言った、日本語の声をなど、クイに聴き取り獲るはずもなかった。…来いよ。

繰り返す。私は。その言葉を。ますます彼への軽蔑をだけ赤裸々に曝し、いよいよ耳元に罵倒語を喚き散らすように、…来いよ。

叫んだ。

「来いよ」ありったけの軽蔑と、侮辱を込めて。

クイの、その、眼の前で茫然とした表情のない顔を曝す哀れな男のすべてを罵り、完全に否定し、亡き者にしてやるために、…ブーゲンビリア。

私は。

花々は匂う。

眼差しをいつでも埋め尽くしていたその花々は。

好き勝手に。

眼差しの中に。クイの背後の壁にへばりついているもの。

形態を崩壊させて、そして、自らの形態がすべて崩壊していることさえ知らないそれ。

色彩をなくした私は、へばりついた壁にあお向けて、見い出す。咲き誇るそれら花々の色彩。

匂い立つ、その、そして、見ていた。

私は、私の声を聴くクイ。

彼は私に歩み寄り、血を流していた。私は。壁にへばりついて、その、もはやなにものをも見い出してもいない両の眼、単なる穴ぼこにすぎないそこから、鮮血。

クイの眼差しには、戸惑いさえもがなかった。彼は、聴きなれない言葉が、じかに指示したその意図に従う。何の意味作用も理解し獲ないままに、見つめている。私は。その穴ぼこの眼の眼差しの中に、花々。

その、無慈悲なまでの無際限な散乱。私は見ていた。

色彩。…むらさきいろに近い紅の、そして息遣う。至近距離に接近したクイは、…どうして。

と。歎いていた。クイは、見開いた両眼の、砕けた半分のために不均衡な眼差しを、あるいは彼が曝すおののき。

こんなことを、あなたは…と。クイがつぶやく。どうしてあなたはして仕舞ったんですか?

言葉さえもなく。ただただしずかな、表情をさえ喪失したクイのおとなしい眼差しが、彼の眼の前にあった。

私の眼の前に。

クイが、いまだに何が眼の前で起き、自分がいま何を為すべきなのか、なにも了解してはいないのは明らかだった。私は足元に転がった、ジウが投げ棄てた拳銃を取った。

屈み込み、その瞬間に、ジウが射殺して仕舞ったタオの死体に、一瞥をくれながら、ヴァンが、死に懸けの息を漏らした。タオにすがり付いて、自分の血を噴出し続ける腹部を片手に押さえながら、そして、見る。

私は、その、彼女の上目遣いの眼差しを。

銃口を、私はクイの額に押し付けていた。殺せて仕舞う気がした。それは、ジウが乱射の挙句に、すべての弾丸を使い果たして仕舞った空の鉄くずにすぎない。

そんな事は知っていた。引き金を引きさえすれば。…私は。

と。

悲しい。…そんな、切実な感情をだけ伝えた、クイの眼差しは私を見つめ続けていた。見る。

私の額に銃口を押し付けた人。確か、…

あなた、日本人だったっけね?…私は撃鉄を引いた。渇いた、硬い音がしいた。

ちいさく。

タオが私を見つめていた事は知っている。無言のままに、…赦してあげる。

なにもかも、赦してあげるから、…と。

好きにしなさい。…その、いとしい人。…眼差し。死にかけのヴァンが不意に血を吐いた。私を赦し、受け入れ、許容するタオの眼差し。…赦してあげる。

ヴァンが、のたうちまわって終に絶命したとき、ただ、歎くような、その。…赦すわ。

タオの眼差しはつぶやいていた。私は引き金を引いた。

空っぽの拳銃が銃身に立てた、微細な短い音響を、私は耳に聞いた。私は笑った。

声を立てて、すでに笑いそうになっていた私は終に、耐えられずに笑い、そしてクイは私を見つめていた。

私が引き金を引いた瞬間、壁際に立ちつくしたタオは息を飲んだのだった。私は、ややあってタオを振り向き見て、…大丈夫。

私は言う。「…大丈夫だよ。」その、早口の音声がタオに、言葉の意味を伝え獲たとは想えない。クイは、両眼を見開いていた。もはや、床の上に転がった、終に息絶えた彼の妻、ヴァンの、その肥満した死体をさえ、眼差しは捉えてはいなかった。

引き金が眉間の至近距離に引かれたときに、クイは一瞬、自分が死んだことを自覚した、そんな想いつめた表情を曝した。…いま、と。

私は死んだ。

そんな、そして、彼は未だに気付かない。自分が未だに死んではいないことになど。泣いてもいないのに、薄く涙のような潤いを湛えた両眼は、見開かれたまま上方を見上げた。彼は、自分の死を確認していた。私は銃尾でクイの側頭を殴打した。

クイは想い出す。彼がヴィーの首を絞めて殺して仕舞ったとき、ヴィーは救けて、…と。

確かにそう言った。

キッチンの裏口は鍵さえかけられてはいなかった。クイが開けっ放しで入ってきたとするならば、そのまま開けっ放されているはずだった。どちらでもよかった。いずれにしても、警官さえすでに呼び寄せて、人々の群れに取り囲まれたこの家屋は、占拠され、封鎖されていた。

人々の話し声が止まなかった。漏れ入る声と、シャッター越しに押し付けられた無数の眼差しを羞じるように、タオはうつむいて自分の腕を抱いていた。

容赦のない辱めの中に、彼女はいた。空間に、倒れ臥しもせずに身をくの字に曲げたまま、息遣うクイの身体を、私は見た。私が彼の突き出された尻を蹴飛ばしたときに、よろめいた彼は壁に頭をぶつけてうめいた。なにもかもが、力なく、老いさらばえていた。自分のすべてさえ、罵倒された気がした。「…包囲されてる。」

と、ハオは言った。

クイと、タオを連れて仏間に上がって行ったときに、振り向き見たハオは、私に。不安だった。私は。

たまたまこの場にいなかったおかげで、生き延びて仕舞った家族たちの誰かが、フエの携帯電話くらい鳴らしていたはずだった。あの、ブーゲンビリアが咲く家屋の中で、鳴動音に目醒めたフエは、なにを想うのか。

戸惑い、おののき、そして、泣き崩れたのだろうか?いずれにしても、ハオは微笑む。ベランダに身を乗り出して、下を確認していたハオは、振り向いた眼差しが確認した私の姿に、…ひどいよ。

つぶやく。「もう、家のまえ、全部、包囲されてる。」そして、ややあって笑った。その気もない声を立てて。

ヴァンが身に着けていたTシャツで、顔をつつまれて後ろ手に拘束されたクイは、いたるところに体をぶつけながら、ようやく仏間に入って、タオさえもがもはや彼には手を貸さない。彼は拘束された、いわば異端者にすぎない。そんなものに、容赦などいらない。

自分から、疲れ果ててふるえる膝を床についたクイは、想いがけもなく私たちに降伏し、ひざまづいた仕草を曝していたが、…なにこれ?

ジウ。「…なに、こいつ。」彼の声を、タオは聞く。

彼から、目線をそらしたままに、窓の向こう、微笑むタオの向こうの、翳り始めた空への、暗さの侵蝕を見つめて仕舞いながら、「なんの冗談?」ジウは笑う。

確かに、いびつな風景ではあった。長身のクイが、身をまげてひざまづき、そしてその顔は血に塗れた破れたTシャツの生地が包み込んで隠す。頭の先から、布地の裂け目に短く立った髪の毛がわずかに突き出して、ビニールテープで後ろ手に縛られていた両手は殆ど、何の緊張もなく弛緩したまま、ただ、拡げられていた。彼の折り曲げられた膝が打つかすかな痙攣が、彼の身体が止んでいることを私に察知させた。彼の甥のサンも癌で死んだばかりだった。彼も、そうなのかもしれない。窓越しの、いまだに夕焼けじみはしない日差しが、ひざまづいた彼に正面からふれていた。

「…外、全部、掃射しちゃう?」と、ジウは言った。ハオは何も答えなかった。ジウが見ていたのは私だったから。

眼差しの先にはジウの、私を慮った、やさしい眼差しがあった。たしかに、彼は美しかった。すくなくとも、いわゆる黄色いアジア圏においては。インド人だったら、彼の切れ長の眼差しと、女じみた顔の骨格を、どう見るのだろう、と、想い、不意に微笑んだ私はジウを戸惑わせる。

ジウは眼を伏せた。自分が、辱められて仕舞ったのを、ジウは無言のうちに自覚していた。

ベランダに、素肌を完全に曝したマイが仰向け倒れ付し、四肢を拡げたまま日差しに打たれていた。…やったの?

と、言った私にハオは答えなかった。なにも。そして、ベッドに座り込んだジウの傍らに、チャンの息遣う声が聞こえていた。

マイは死んではいなかった。ただ、開かれた眼差しは、直視する空のまぶしさを理解しないままに、ただ、なにも見ないままに開かれていた。

瞬きさえもしない。無傷なままの白い肌を、素直に曝すマイの四肢に、違和感など生じえるはずもなかった。そして、それはあきらかにその空間の中で、単に見苦しい異物に過ぎなかった。マイのすべてが、空間の調和を乱していた。彼女はこの宇宙空間における犯罪的な出来損ないにすぎなかった。「…やってないよ。」

後れて、ようやくジウは言った。

私への返答に義務を、唐突に思い出して、正気に返ったように。「好きじゃない。…女。」

「そうなの?」

「基本、うざい。」

「なんか、トラウマあるとか?」

「まさか…あるけど。…強姦されたからね。お母さん。…けど、さ。」…べつに、…と。

ジウは自分の一瞬の沈黙の隙に、私に流し眼をくれた。「でも、それって所詮政治の話じゃん?…他人事じゃね?」

「なにそれ?」笑う。

私は、邪気もなく、むしろジウを傷つけないように想い遣った、その、意図的に軽い愚かしげな笑い声。「…なに?」つぶやいた。

ジウは、私の短い笑い声を聴きながら、「なんか、よくわかんないけど。…なんか、想ったよ。俺ら、政治的な犠牲者なんだなって。…それと、俺が普通に犠牲者なのとは、なんか、違わなくない?」

「なにが?」

「わかんないって。…他人事じゃない?俺のことだし、俺の悲劇なんだけど、でも、それを俺の悲劇って言うの、なんか、違わない?すっげぇー…いびつな気がする。も…」実感、…ね?

「じっ、…か。…ん」…と。

して、…さ。「っ、」んー…「さ。…ね?」

実感として、だよ。…ジウはささやいた。明らかに場違いに想えた、あからさまにやさしく、内省的で、臆病な自分の声にかすかに恥らいながら。「でも、その政治のせいでお前は殺されかかって、逃げて、泣き叫んで、おふくろさんとか強姦されたんだろ?…現実に。それって、…」

「お前のことじゃん。」と、不意に言葉を挟んだ、ジウは、私に目配せした。「…違うの?」

「あたま、おかしいんじゃない。」ややあって、そう、ハオを見あげたジウは言った。「…おれが、…さ。」

ハオは微笑む。

「単純に、あたま、おかしいんじゃない?」

「防衛本能的な?」…じゃん。

と。「…じゃん。」…たぶん。

「ね。」言った、ジウはふたたびうつむいた。「政治なんて無力だよ。あれ、基本、防衛的なものだから。人間たち暴走するの、なんとか食い止めようとしてるだけじゃん。自分から仕掛けたことなんて、ほんと、極わずかでしょ。ナチス、とか、…さ。そのくらい。よくわかんないけど。あとは全部、防衛してるだけ。かならずしも、そこまで狂った暴走なんてしはしないのに。…こいつらだって、」…と、ジウは顎をしゃくって見せたが、「この程度だよ」それが誰を指したのか、ハオの眼差しも私の眼差しも、捉えきりはしない。「所詮、なんらかの折り合いつけるじゃん。人間って。所詮、極限暴走なんてしないよ。」

「お前はしてんじゃん」ハオが笑った。

「あんたがやらせたんじゃん。」…卑怯じゃね?

言った、私の声にジウは振り向きもしなかった。「自分だけ、」

「あんたが、耳打ちしたんでしょ。…見ろよ、」

「いい子ちゃんなの?」

「…て。どう想う。こいつら、」

「お前が、…さ。」

「**だろ?みんな、…」

「ぶっ壊して廻ったんじゃん。だれも」

「なめてんだよ。生きること、」

「なにも、…」

「生き残ること、」

「ね?」

「それ自体を、…さ。」

「遣れなんて言ってないのに。」

「どいつもこいつも、」

「糞。」

「**以下。」

「お前、糞。」

「カスだよ。」

「なんか、適当に、」

「ごみみたいなもん。…」

「人のせいにするのな?」

「…お前と同じように、」…って。

ね?…

「言ったの、あんたじゃん?」ハオは、「…違う?」その、ジウの早口の声を聴き取っていたにもかかわらず、なにも答えてやろうとする気配は見せなかった。「…糞だよ。」無言のままにただ、ハオは、「やっぱ、…」あお向けたマイを「…うける。…」見ていた。「あんた糞。」

…知ってたけどね。






Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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