小説《カローン、エリス、冥王星 …破壊するもの》イ短調のプレリュード、モーリス・ラヴェル。連作/ザグレウス…世界の果ての恋愛小説⑥ ブログ版
カローン、エリス、冥王星
…破壊するもの
《イ短調のプレリュード》、モーリス・ラヴェル。
Prelude in A minor, 1913, Joseph-Maurice Ravel
《in the sea of the pluto》連作:Ⅳ
Χάρων
ザグレウス
…嘆き。
知っている。ハオは、自分の眼差しにあからさまな歎きが、なにを意味するわけでもなく曝されていたのを。なにかを、かならずしも歎き、悲しんでいたわけでもないくせに。「お前、変だよ。」
そう言った慶輔の声には、何の感情も感じられずに、声は表情を曝さない。…うそ。
「…死んでから。」
…と。想った。嘘だよ。…と、そう
「く姫、…」
私は。彼の、…と。
「死んでから、お前」
慶介の感情。…それ。さざ浪だった、細やかな、…と、
「変だよ。…なんか」
私は
「壊れかけてる。…てか、」
想う。それら。その、
「大丈夫?…まじ、」
波立ちの容赦のない存在。
「…なんか、さ。」
それら。…それらはすでに、私には感じ取られていた。波立つ。
「大丈夫なのかなって…すげえー…」
彼の心のひだの、それ、…何にも、
「なんかね、俺、すげぇー…」
…と。
「心配。…」
想い、私は、
「…ん。し、」
…知る。
「んぱ。…い。」
知っていた。彼の、わななくような心の振るえ。何にも
「だっ、…た。…りぃー…わ。」
表現されることさえもなく。ただ
「…する。俺。」
ふるえる。…心配だよ。と、その慶輔の声をハオは眼差しの中に捉える。聞く。ややあって、慶輔が立てた声。「お前が殺したんだろ?」
「…違うよ。」返した。ハオは、慶介の、自分を糾弾したわけでもなかったただ、思いあぐねた声に、その声がつぶやき終わられる前にはすでに、そして…ぶざけんなよ。
言う。ハオの唇は、「馬鹿にしてんの?…俺らのこと。」
「お前が殺したようなもんじゃない?」…違う?「…毎日、」…ね?「殴ってたろ?…毎日、」…じゃん。「毎日。」…じゃね?「…あれ、なんで?」…まじ、「お前、」まじでさ、…「おかしいの?病院行って、」ってか「頭のなか」てかさ「むしろ」てか「ぶっ壊してもらえよ。」…もう、…「…もうちょっとは」ね。「まともになるんじゃないの?」もう、…「静華、」…さ。「言ってたよ。…もう。」…ね?「って、」まじで、…「やばいって、」もう、…「あいつ。」…ね?「もう、顔中…ってか、」さ。…ね?「体中、…みたいな?」もう、…「青タンだらけ、…」ね?「的な、…さ。」もう、…「そういう…ね?」わかる?…「やばいよって。」
終った。…と、そう言ったのは、慶輔だった。
ややあって、息をついたわけでもなく、その気配に深い吐息が漏らされたかのような触感を、空気ににおわせ、撒き散らしさえして、「…なんか、もう。」お前、…
つぶやく。
「終った。」
唇の先に。…知ってる?
声。
「ケイさん、…知ってる?」ただただやさしく、つつみこむようなそれ。「く姫、…」ハオの、「俺ら、…」
まじで、…ね?…と。
「愛し合ってんの。」…声。
私たちはハオの、その声を聴いていたのだった。「俺たち、約束してたのね、…どんなに、」耳を澄ましたわけでもなく「…ね?」ただ、「どんなに…」耳にふれるがままに「例えばこの世界中がどんなに裏切りに満ちてて、どんなに人々の悪意に穢されてて、どんなに暴力にあふれてて、どんなに悲惨に、どんなに悲しみに、…そして、どんなに悲しく、つらく、苦しく、絶望的で、理不尽で、むごたらしくて、むしろ生まれてこなきゃよかったって、もう、そんな、後悔する余地さえ残ってないくらいに、この世界が壊れ果てて仕舞ったとしても、僕ら、…僕たちだけは、しっかり愛し合っていようねって。…たとえ、明日、太陽が堕ちてきて、俺らを焼き尽くして仕舞ったとしても。」
…ね?
「で、…」
ん?…
「で、お前、…」と。
なに?
慶輔は不意に声を立てて笑い、「で、毎晩ベルトで首縛って殴ってたの?」
私は、すでにくすくすと、身を丸めたままに笑い声を立て続けていた。ずっと。もはや、空間の中に、笑い声に満ちた、やさしい気配があふれていたことには気付いていた。私たちはハオを悪意もないままに容赦なく軽蔑し、そして、すでにひたすら赦していた。想い出す。
葬儀。「…毎晩、」《く姫》の、「髪、…」その、「ひっつかんで、お前。…」数日前の葬儀。静華は「ひざまづかせてさ。」取り乱しもせずに、「言ってたぜ。」ただ、そこ「…静華。」渋谷の葬祭場の建物の中の「…やばい。」淡い影のに「あれはね、…」より添うように喪服を「あれはやばいよって。…」曝して、…どう?
「見てられないって。」
似合うでしょ。何着ても。
「何とかしてって。」
…私。そんな静華の気配にあえて、距離を置いた棺の至近距離にたたずんだハオは、…ん。
「お前が追い込んだんでしょ?」
なに?…
「…違う?」
どうしたの?なんで、
「お前の、」
…ね?
「大好きな、」
俺なんか、見てるの?「く姫。」そんな、「お前ことが大好きな、…」日常を「さ、…」切り取って貼り付けたような眼差しを「く姫。」曝していた。そこに一切の悲しみは感じられなかった。一切の無理も。一切の嘘も。一切の、そして、すべて、なにもかにもが間違われていた。私にはそう見え、私だけにではなく、誰にとってもその眼差しに捕らえられたハオのいる風景は、深刻な間違い、あるいは事実との決定的な差異をだけ見せ付けなければならなかった。…号泣?
あるいは。
ハオは号泣していたに違いない?…え?
なに?
その、何ということのない眼差しは、あるいは、「飛び降りたんでしょ?」そして「…いきなり。」慶輔が華で、ちいさく笑い声を立てた。…違うよ。
ハオはつぶやく。教え諭すように、そしてソファに横たわったままの慶輔の傍らにひざまづいて、その胸元に顔を預け、言った。「飛びこんだんだよ。」…知らない?「中央線。」…知らないの?「いきなり。…笑う。」ケイさん、…まじ、「笑っちゃうよ。いきなり、…あいつ。」…ね?「夜。…なんか、」知らなかった?「吉祥寺行くとか、…」うける。「…なんかさ。言い出して、」…まじで、…もはや「いきなり、電車。」うけるんだけど。「…笑う。」
…いっつも、ね?と、ハオはのささやきかける声を聴く。慶輔だけに、その顎のちかくに吐き棄てられる声。「いっつも、俺の運転する車にしか乗らないのに。…甘えちゃってさ。コンビニ行くのも自家用車だよ。…まじ。けどさ、いきなりじゃん。電車。…なんで?…いいじゃん。…どうして?…なんかさ。…って。で、行くわけ。駅に。笑っちゃってたよ。あいつも。…ねぇ。ねねねね…まじ、さ。久しぶりじゃない?電車。…とかって。あいつ笑うから、おれも笑うじゃん。俺も笑うから、ふたり笑ってるじゃん。俺ら笑ってるじゃん。だから、幸せじゃん、…みたいな?」私は見ていた。
「…なんか、」…ね。
閉じられた眼差しのうちに、その音響。
まじ、…「…さ。」んー…
私を喰い散らしていく音響。…在った。
「幸せなの。」…ほんと、
むかし、十四歳の頃に、…ねぇ。
まじ、「…俺ら、」…ね?
と。私は声をかけようとして戸惑った。彼。
「幸せなの?」切符、…とか。
その、男。私に背を向けて、庭に立っていた
笑う。…「なんか、…」笑うんだけどさ
父親。ある朝に、…そっと。早く起きだして、ひとりでシャワーを浴びて、その時に
「切符買うのも、幸せなのな?」くーちゃん。…
流れ去っていくのを感じた、そのあと。
「く姫。…くー…」ちゃん、く、
なにが?
「うー…」
母親の肌の触感。私にしがみついて、私をしがみつかせて寝ていたその
「お金、…小銭、」…さ。「俺、」
肌触り。それら、汗ばんだ息吹き。息づいた皮膚が
「だそうとするじゃん、」…ね?「…したら」
眠りながらも育んだ寝汗。…流されていく。
「そしたらさ、」…いーから。
シャワーを浴びてしまえば、その水流が触れた一瞬に
いーから、「もう、…」わたし
すぐに
「出すからいーから」
洗い流されていくしかないそれら生き物の気配。
…とか。「とかとか。…」さ。
名残り、…そして、庭先に
「わかる?」…で
珍しく立って、庭を
「結局はさ。」
見つめていた男。
「俺。」…ね。「俺、」
気付く。朝の、5時半くらい。まだ
やっぱ男の子じゃん?「みたいな」
完全に空は明るいとは言獲ない。とはいえ
「俺が出すわけよ。」そんな、…
明けを知らないわけでもない。空は、
わかるよね?「しょうもないさ、…」
ただ
「小銭?」たかが、…
昏みを残したままに、濃い青を曝し始めていた。…声。
まじ、…「いくらだよ。まじ、たかが、…」
ねぇ、…と。声を
「もう、」
その背後にかけようとして、私はそれができなかった。それ
…だってさ。「もう完全に俺幸せだかね。」
庭先に立ちつくしていたそれには色彩が何もなかったから。ただ
「く姫と一緒に寄り添って生きてる感じ。」…じゃない?
昏い色彩の喪失。崩れた
わかるよね?「ふたりで、」…さ。
崩壊したデッサン。デフォルメの過剰とさえ
「一緒に時間、共有してる感じ。」…やばいから。
言獲ない単なる破綻。振り返ったそれが
「まじ、」…ね?「やばいからね。」
血を流していた事は知ってる。その
なんか、…「もう、…」ね?
両眼、口、開いた、折れ曲がった腹部の下に垂れ下がった
「泣きたくなるくらい幸せなのね。本当に、…」
それ。頭部に空いた昏い穴から、そして、眼に
「幸せなときって、なにが、…」…あー…
触れていた、上方に流れる一筋の血の流れ。…停滞。
なに?「なにが幸せって、」…さ。「そういう…」
好き放題に停滞し、遅滞をむさぼる緩慢なその
「…違うじゃん。そういうんじゃないじゃん?」
流れ。…鮮血。…肛門。
「違う?」
口角動物。…肉体を貫き、だれもかれもに一筋の
「…あがった。」ふたりで、…
筋を通すの生き物の証明。流し出す、
なんか、「…手ぇ、」ね?
血のあまりにも鮮明な色彩。…ねぇ。
「手ぇつないだりして。…なんか」わかる?
と、その言葉を飲み込むことさえも忘れて、在り得ない。
「貧乏人の振りした。くっそ…」いるじゃん?
想った。
「くっそつまない、」…さ。
声をかけたとしても。それは、振り返りもしない。すでに
ね?「せーかつ。…生活送ってる豚以下の貧乏人の振りした。」
なにも
…笑う「…っしょ?」
見い出してなどいないのだから。聴く。私は。
私を私の身体の中で執拗でむさぼる音響が私をむさぼり続けていた。その、牙さえもないナイーブな咀嚼音を立てて。
咬み付きさえできずに。
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