小説《カローン、エリス、冥王星 …破壊するもの》イ短調のプレリュード、モーリス・ラヴェル。連作/ザグレウス…世界の果ての恋愛小説② ブログ版
カローン、エリス、冥王星
…破壊するもの
《イ短調のプレリュード》、モーリス・ラヴェル。
Prelude in A minor, 1913, Joseph-Maurice Ravel
《in the sea of the pluto》連作:Ⅳ
Χάρων
ザグレウス
ハオは私の耳元に不意に舌打して、何か言いかけ、…やさしさ。
ほんの数秒とは言え沈黙する、私に投げかけた彼のかすかで、鮮明な優しさが、なにかのやさしい言葉を探して言いよどみ、言いかけた事実自体をなかったことにし、その名残りにはき棄てられた舌打ちが、私の耳元に彼の、私への軽蔑をだけ伝えて私は彼を、殴って遣りたくなる。髪の毛を引っつかんで、体を真ん中からへし折り、逆にひねって背骨を叩き折って、床に顔面をなんどもたたきつけて鼻を、歯をへし折って血まみれにしてやる。…知らない。
と。
想った。私は、彼は…と。知らない。なにも。耳元で舌打ちなどして、いいわけがないことさえをも。…と、想い、深刻な裏切りに遭遇した似た孤立。
…孤独?
あるいは。いずれにしても途方に暮れる。あなたが見ている世界と私が見ている世界は一瞬たりとも一致などしない。知っていた。私は。すでに、私は、雨の日のフエはいつも雨水をバケツ一杯にためて、赤いバケツの中に波立つ透明な雨水で次の日に、皿を洗った。グラスを。箸を。スプーンを。そして振り向いて、…ね?
いい奥さんでしょ?
知っている。私は私の衛生感がそれを許容し獲ないことを。知っていた。私の眼差しに映る、当たり前のことを知らない未開の他人。褐色の肌を曝し、細菌を繁殖させた水面に透明なグラスを沈めた。気泡がわなないて立ち、水面は揺れたが、泥水でスープでも作るつもりか?
…と。
だったら、どこかから滲み出した油の紋様の浮いた水溜りの、その穢れた水で顔でも洗え。
狂犬病の犬の小便で口をすすげばいい。
理解できないもの。
豚の糞尿で上品なスープを作ってくれ。…家畜ども。未開の、穢い家畜ども。私がこの眼に見い出した世界と、あなたが見い出した世界とは、こすれあいもしない。理沙の指先が、注射器の針の先をまさぐって、…なに?
…ね
眼差し。
なに、してるの?
その、はじめて私の目の前で理沙が自分の足首に注射針を刺そうとしたときに、私が曝した眼差し。
きみは
その
なにを
沈黙のままに
してるの?
咎める、それ。眼差し。何が眼の前で起きているのか、それさえも鮮明には理解できないままに、素肌を至近距離にかさねた理沙が自分の傍らにはいないことの容赦もない認識に一瞬の、ながい戸惑いを曝した眼差しを、…知らないの。
つぶやく。
あなたは、まだ
微笑んで、私を
なにも
見あげたその
知らないの
理沙の、やさしいそれ。
…ね?
眼差しは。しずかに。言葉さえもなく。…私が見ている世界の事など、あなたはまだ何も知らないのよ。
なにも。
…と、そして…ふれてもいない。
あなたは
この
ただ
わたしの眼差しのその
ぼくを見つめて、そして
なかには、まだ
微笑み、ぼくは
いちどたりとも
つぶやく
あなたは
…好き?
…ね?すべては私を引き裂く。世界の、すべては
…俺のこと
ただ
ね
私を
好き?
引き裂くためにしか存在せずに、そして、私は世界に引き裂かれるためにしか存在しない。…なぜ?父は私を見い出していた。ただ、穢いものを見るような眼差しのうちに。…知ってる?
老いさらばえた
…と。きみは、
かつて
父は介護ベッドの
穢いんだよ。その、決して私を
いつか、父は
上で私に微笑みかけて
正面から
私に
…ほら
見つめようともしない眼差し、そして、
無言のままに
ここに、お前の
あるいは、ときに
容赦もない
愛する父親が
振り返ったときに
非議を
いるんだよ、と。ただ
背後に、
曝し、その
お前を
私を表情もなく
眼差し。記憶された
愛している、ただ
見つめていた
いつか
ひとりの
眼差し。
いくつかの
父親が…と
つぶやく。
死んだほうがいい
無言の
きみ、…と。
そうつぶやく
言葉もない
ね?…
それ
眼差し。ひたすら
「ん…」
もう、お前は
邪気もなく
だれ?
この世界に
微笑んで
そんな、そして、彼は
侘び
もう駄目だよ
知っていた。
謝罪して
…と。
すでに。私の
自分で
もう
肉体が、すでに
自分を
自分では
美紗子に愛されていたこと。
殺して仕舞え
歩けさえしない
常に。
お前はこの世界に
もう
いつでも。
生まれるべきではなかった
自分では
寄り添うように、
そんなことは
立ちあがれもしない。もう
自分が産み落としたものに過ぎないくせに。
お前以外の
すべて
自分に触れたいのなら、
すべての
おれは、もう、…ね?
自分の肌を、自分で
人々が知っている
終った存在なんだよ…
慰めてみればいいのに、と、自慰を
知っているか?
…と。
してみる。
お前は
もう、すでに
たわむれに。
そのまったき事実を
…と。
十四歳のときに。
知っているか?
やさしい微笑み
彼女の身体の上に、
…と
邪気もない
吐き出すのが嫌だったから。
つぶやく眼差しのその
笑い声
空っぽにしておきたくて。そして、
後で、いつか
愛すること、および
あるいは、
父は私の
愛されること以外のなにものをも
そんな事をしたところで、
頭にその
もはや
夜には
指先を
うけつけられもしない
すぐに、
ふれて
そんな
それが吐き出して仕舞うことなどすでに知っていながら、
そっと
笑み。…
自分を
ほのめかしたもの…愛
微笑み
慰めている。
その
笑い顔
…嘘をつくな、と、
私に
声
私は
ふれた
笑い声
想った。私の
指先が
障害を隠せない、いびつで、可笑しなそれ
指先は、
愛してるよ
自分どころか、他人を破壊し、穢そうというその欲望に、わなないているだけだ。かつて、と、私は、想い、だれも、かつて、すくなくとも、…と。想った。私は、わたしはすくなくとも、と、愛さなかった、…と、想い、私は、…せ?……なかった、せ、な、かった?…あるいは、そして、かつて、…と。いちども、私は私をなど愛いそうとも破壊しようとも想獲なかった。
あるいは
眼差しのさきに
雨に打たれる
しずかにただ、
ブーゲンビリアの
寝息を立てる、彼女
その花々の
フエの
匂いを
ままぶたは
嗅いだ
まばたきさえせずに
微笑んでもはや
とじられたまま
恍惚とさえして
つぶやく。「…行こう」
と。
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