《犯罪実話 或る嬰児殺し(昭和十年公刊)》【復刻】⑥ 刑事公判(京都地方裁判所)下 …燃え上る図書館
以下ハ、昭和十年ニ執筆及公刊サレタル京都ノ或弁護士ノ手ニ成ル公判記録也。
《国会図書館デジタル》ヨリ入手セル資料タル事茲ニ記ス。
京都地方裁判所々属
弁護士 杉原弁太郎著
犯罪実話 或る嬰児殺し
京都 柳屋書店
死体の処置
問 赤坊ヲ押入ノ中へ入レタノハ西洋手拭デ×ヤ××ヲ塞イデ後直チニ入レタノト違フカ。
答 左様デハアリマセヌ。私ガ只今申シマシタ通リ赤坊ガ死ンデカラデアリマス。
問 処ガ其ノ赤坊ノ死体ハ其ノ押入ノ中ノ長持ノ中ニ入レテアツタトノコトデハナイカ。
尚けいの住居、各室の間取、押入の位置、長持、柳行李の置場所につきては、先に掲げた検証の部の図面を参照して貰いたい。因に此図面は犯行発覚の当初、川端警察署で作成したもので、本件刑事記録に添付してあるものである。
序でではあるが、現行の裁判手続では犯罪事実の解明に可成り力を尽し更らに之に伴う証拠の蒐集にも亦常人の想像の出来ぬ苦心の存する処である。一般の刑事事件では、被告人が犯行の総てを自白したからとて、直ちに処罰することが出来ないと言うのが一つの原則になっている。此点は旧幕時代の裁判手続と大に趣を異にする処である。
近時、科学の進歩によって犯罪の捜査にも証拠の抽出にも夫々適確にして、有効な幾多の方法が案出されている。彼の指紋の対照方、電気の応用等数うれば限りない位だ。然し、科学の進歩は反面に犯罪の手段方法にも夫々応用せられ近時の犯罪が実に巧妙、精緻を極め、徒に検察当局を歎息せしむると言うことである。話は大分横道にそれた。
答 夫ハ私ガ同月五日午前四時頃家ヲ出ル時長持ノ中ニ入レテ出タノデアリマスガ夫レ迄ハ行李ノ中へ入レタ儘デアリマシタ。
問 臭気等ハセナカツタカ。
答 臭気ガアツタカモ分リマセヌガ私ニハ判リマセヌデシタ。
問 他ノ子供等ガ赤坊ノコトヲ尋ネナカツタカ。
答 尋ネマシタ。然モ私ハ赤坊ハ押入ノ中ニ寝カシテアルト申シテ居リマシタ。
検事廷でけいは検事の問に対し、
男ノ子ガ帰ツテ来テ赤坊ハ如何シタカト尋マシタノデ、余リ泣クカラ押入ニ入レテ置イタト云ヒマシタ。子供ハ何モ知ラズ出シテ遣リナサイト云ヒマシタガ私は寝ムツタ様ダカラト云フテ出シマセヌデシタ。其ノ後モ度々子供カラ同様ナ事ヲ尋ネラレ其ノ度ニ乳ヲ含マセテ押入ニ寝カセテアルト答へ、アルトキハ子供カラアマリ押入ニ入レテ置クト死ンデシマウ死ンダラ如何スルト云ハレ心デ泣イテ左様ナコトハナイト云フテ居リマシタ。
と答えている、尚けいが筆者に「私が亡夫富二男の子供から之を聞かれる毎に常に暗い気分になった。殊に長男の春男が『お母アさん何時迄も赤ン坊を押入れに入れておいて良い?若しもの事があったからと云って僕は知らんよ』と言われた時は、長男は私の大それた罪の総てを知って、知らぬ顔で言っているのではないかと実に冷水三斗の感じが致しました」と述べたことがある。
問 他ノ子供達ハ其ノ赤ン坊ヲ可愛イガツテ居タカ。
答 可愛イガツテ居リマシタ。殊ニ昭ハ度々抱カセテ呉レト迄云ツテ赤ン坊、赤ン坊ト云ツテ喜ンデ居リマシタ。
自殺の決意
問 其方ハ其赤ン坊ヲ殺シテ自分モ自殺スル心算デアツタノカ。
答 左様デアリマス。私ハ其ノ子供ヲ殺シテ自分モ死ヌ心算デアリマシタノデ其ノ子供ヲ殺シテ家出スル迄四日間ニ家ノ中ヲ片付ケテ私ガ死ンダ後デ家ノ中ガ乱レテ居ル様ナ事ガ無イ様ニ一段落ヲ付ケタノデアリマス。
ソウシテ私ハ自分ガ早ク親ニ死別致シマシテ精神上ニモ物質上ニモ随分悩ミガ多カツタノデ留子ノ将来ガ可愛相ダト思ヒ留子ダケハ私ノ道連レニシテ一緒ニ死ヌ心算デアツタノデス。
けいは一時自殺を決心していたことが確からしかった。長男の春男に琉水(京都市内を貫流する運河)の一番深い処はどの辺りなのかと、不用意に尋ねたので、春男から「ナゼそんな事を聞くのかい」と反問せられて吾身を振りかえったと言うことだ。又けいが当時自殺する事を口走っていたと見え、或る日、雑誌に見入っていた三男の昭が何を思ったか、突然「お母さんがいなくなったら僕等は孤児院に行くのかい?」と彼女に質問した、之を聞いたけいの心は、一時にさっと曇ったが「ナゼそんな事聞くの?」と言葉を装うたが、昭は「ナゼって此本に、お父ちゃんも、お母ちゃんも居らぬ様になったら孤児院に行くのだと書いてあるよ」と言って「母の私を見直していた子の姿が今でも思い出していじらしい気が致します」と筆者に述べた事があった。当時幼い子供等の口からでさえ、斯んな会話があった位であるから、母も子も全く無我夢中不安焦慮の中にあったものであろうと考えられる。
けいが赤ン坊を背負い、先ず長女の留子(当時四才)を琉水に投げこんでから自分も続いて入水する積りであったらしい、之についてけいは筆者に「けれ共留子は、其刹那、キヤツト大声を立てたなら、人にも見つけられ、自分も気後れして仕損じる恐れがあると思いましたので、赤ン坊を家で殺してから留子と一緒に抱き合って入水することに決心したのです」と語った事があった。
問 然ラバ五月五日ノ早朝家出ヲシタノハ自殺スル目的デアツタカ。
答 左様デアリマス。私ハ先程来申シマシタ様ナ次第デ他ノ子供等ガ気ニカゝリセメテハ昭ノ身ノ落付キヲ見テ死ニタカツタノデアリマス。ソレデ私ハ高田きんニ昭ヲ引取ツテ貰フベク依頼スル旨ノ手紙ヲ同月三日ニ書イテ居リマシタガ遂其手紙ヲ出シ損ジマシタ為メ同人宛ノ手紙ヲ持ツテ出テ、其手紙ヲ高田きん方ノ表戸ノ隙間カラ同家へホリ込ンデ置イテ私ガ日頃カラ心安クシテ居ル××町ノ戸崎政吉方へ行キマシタソウシテ私ハ同人ニ対シ自分ハ家出ヲシタガ後ニ残シタ昭ノ落付先ガ知リタイカラ見届ニ行ツテ呉レト云ツテ頼ミマシタ処同人ハ其晩私ニ今日昼御宅ノ方ニ行ツテ居リマシタガ晩方行ツテ見タラ親戚ノ小母サンガ来テ話ヲシテ居ラレタト云ツテ居リ、更ニ私ニ対シ家出サレタノハ何カ貴方ニ後ロ暗イコトガアルノデハナイカト云ツテ訊ネマシタガ私ハソンナ事ハ何モアリマセヌト云ツテ居リマシタ、処ガ其翌日又同人ガ同ジ事ヲ繰返シテ私ニ訊ネマシタノデ私ハ同人ニ自分ガ是迄ヤツタ事即チ私ガ大槻ト××シテ子供ヲ産ンデソノ子供ヲ殺シタコトヲ一切話シマシタ処、同人ハ驚イテ直グ私ノ兄毛××ヤ高田きん等ヲ呼ビ寄セマシタノデ私ハ又同人等ニ其ノ事情ヲ全部打チ明ケテ自分ノ罪ヲ謝シマシタ。ソウシテ自分ハ自殺スル考デアツタコトモスツカリ話シマシタ処、夫等ノ人カラ自首シテ出ル事ヲ勧メラレマシタノデ私ハ同月七日午前二時頃川端警察署へ自首シテ出タノデアリマス。
証拠
裁判長ハ証第一号ヲ示シ
問 其方ガ赤ン坊ノ×ヤ×ヲ塞グ為使ツタ西洋手拭ハ之カ。
答 左様相違アリマセヌ。
其ノ手拭へ綿ガ付イテ居ルノハ日頃カラ赤ン坊ガ泣イタ時ニハ脱脂綿ニ砂糖湯ヲ浸シテ赤ン坊ノ口ニ咥ヘサセテ居リマシタノデ、其ノ時モ其脱脂綿ヲ咥ヘテ居ル儘私ガ手拭デ×ツタ為メ綿ガ手拭ニ一緒ニ付イテ居ルノデアリマス。
裁判長ハ証拠第二号ヲ示シ
問 此ノ手紙ハ何ウカ。
答 御示シノ手紙ハ私ガ戸崎方へ行ク途中高田きん方へホリ込ンデ置イタ手紙デアリマス。
問 其ノ方トシテハ自殺ヲスル心算デ留子ヲ連レテ家出シタノデアルガ自殺ノ行為ハセナカツタ訳カ。
答 左様デアリマス。
問 其方ノ親兄弟ハ何ウカ。
答 私ノ両親ハ何レモ死亡シテアリマセヌ。又兄弟ハ兄カ一人ト姉カ一人アリマス、ソウシテ兄ハ京都ノ××××学校ノ教諭ヲシテ居リ、姉ハ朝鮮京城へ嫁入シテ居リマス、其ノ主人ハ朝鮮総督府ニ勤メテ居リマス、尚弟ハ大阪ノ×××会社ニ雇ハレテ居リマス。
問 夫レ等ノ兄姉弟等ト交際ハシテ居ルカ。
答 私ノ夫ノ存命中ハ始終文通モシテ居リマシタガ昨年八月頃カラ私ノ良心ニ咎メラレテ余リ文通モシテ居リマセヌ。
問 其方ガ大槻カラ借リタ金等ハ其ノ儘カ。
答 左様デアリマス。
私ハ是迄申シマシタ外ニ昨年八月頃ニ大槻カラ二十円借リテ居リマシタガ夫レ等ノ金ハ全部其ノ儘デ未ダ少シモ返済シテ居リマセヌ。昨年八月私ガ同人ト××ヲ断ツテカラモ同人ガ私方へ参リマシタノハ其ノ金ノ催促ニ来タノデアリマス、或時等ハ私ノ兄ガ来テ居リマシタ為メ催促スル事ヲ憚ツテカ紙片ニ金ヲ返セト云ウ事ヲ書イテ私ノ前へ投ツケタコトモアリマシタガ強イテ返セトハ申シテ居リマセヌ。
眼に見えるようだ。
問 其ノ方ハ子供ヲ分娩シテカラ身体ニ異状ハナイカ。
答 少シモ異状ハアリマセヌ。
裁判長ハ
証拠調ヲ為ス旨ヲ告ゲ
一、被告人ニ対スル予審訊問調書及司法警察官ノ訊問調書
一、大槻巳之助ニ対スル司法警察官ノ訊問調書
一、高田きん、戸崎政吉、大槻巳之助、橋××文ニ対スル予審訊問調書
一、窪井一二ニ対スル医師橋××文ノ検案書
一、被告人ノ自首調書
一、司法警察官ノ検証調書
ノ要旨ヲ告ゲ検証調書添付図面ハ之ヲ示シ其ノ都度意見弁解ノ有無ヲ問ヒ尚他ニ利益ノ証拠アリヤ否ヤヲ問ヒタルニ、
被告人ハ大槻巳之助ハ私以外ノ婦人トモ××関係ヲ結ンデ居ルトノコトデアリマスカラ其ノ点ニ付同人ヲ証人トシテ今一度御調べ願ヒ度シト述べタリ。
検事ハ
其ノ要ナシト意見ヲ陳述シタリ。
裁判長ハ
合議ノ上右被告人ノ請求ニ係ル証拠ハ之ヲ却下ストノ決定ヲ宣シ以テ事実及証拠調終了ノ旨告ゲタリ。
検事の論告と求刑
検事ハ
本件犯罪事実ハ被告人ノ当公廷ニ於ケル自供ニ依リ其ノ証拠十分ナレバ相当法条適用ノ上被告人ヲ懲役三年ニ処スルヲ相当トス。
ト述べタリ。
刑法第二十六章殺人の罪として其百九十九条を見ると、
人ヲ殺シタル者ハ死刑又ハ無期若シクハ三年以上ノ懲役ニ処ス。
とあって、検事の求刑は、右法条から見ると、寧ろ最低限の請求であって、決して不当でないことがわかる。然し、当時筆者の考えでは、けいの本件犯行の動機から考えると単に彼女のみを責むべきでないと信じた。
弁護人の弁護
弁護人ハ
本件犯罪事実ニ付イテハ被告人ノ認ムルトコロニシテ弁論ノ余地ナキモ被告人ノ諸般ノ情状酌量ノ上出来得ル限リ軽キ刑ヲ科セラレ上ノ執行猶予ノ恩典ニ浴セシメラレタシ。
ト延ベタリ。
調書の上では右の様に極めて簡単であった。尚控訴審に於ける弁護の要旨を参照せられたい。
裁判長ハ
被告人ニ対シ意見及最終陳述アリヤ否ヤ問ヒタルニ、
被告人ハ、
私ハ亡夫ニ対シテモ済マナク思ツテ居リマス只今ハ全ク後悔シテ居リマス何卒御寛大ニ願ヒマス。
ト述べタリ。
裁判長ハ
合議ノ上弁論ヲ終結シ来ル六月二十日午前九時判決ノ宣告ヲ為ス旨ヲ告ゲ訴訟関係人ニ各出頭ヲ命ジ閉廷シタリ。
昭和七年六月十三日
京都地方裁判所刑事部
裁判所書記 横×××郎㊞
裁判長判事 十×××助㊞
之れで、事実の審理が終った、判決は右のように同年六月二十日午前九時と裁判長から申渡があった。
思えば、五月一日の犯行後、けいは月余に亘る昏迷と焦慮、そして不安の生活を走馬灯のように追うて来たのだ、公判廷で、何も彼も打明けて了って久し振りで肩の荷を下ろしたような気分になったらしい「其夜は同じ監房に居った人達が羨む程グッスリ眠りました」と其後筆者に語ったことがあった。
判決の言渡
昭和七年六月二十日、遂に其の日が来たにだ、初夏の明るい光が法廷の窓から流れて来る。看守に曳かれてけいは静かに入廷して来た、彼女は収監された時に着用していた儘の服装で、やや面やつれした横顔は編笠の影に、それとなく見える、やがて、裁判長は二人の陪席判事、立会検事、係り書記と共に着席した、裁判長は静かに被告人を差し招いて厳として次ぎのような判決の全文を読み上げた。順序として先ず当日の公判調書を掲げ次に判決文を示そう。
第二回公判調書
被告人 窪井けい
右殺人被告事件ニ付昭和七年六月二十日京都地方裁判所刑事部法廷ニ於テ
裁判長判事 十×××助
判事 佐××臣
判事 菊×××郎
裁判所書記 横×××郎
列席ノ上検事幸××彦立会公判ヲ開廷ス
被告人ハ公判廷ニ於テ身体ノ拘束ヲ受ケス
弁護人 杉原弁太郎出頭
裁判長ハ判決ノ宣告ヲ為ス旨ヲ告ケ判決主文ヲ朗読シ同時ニ理由ノ要旨ヲ告ケ且上訴期間及上訴申立書ヲ差出スヘキ裁判所ヲ告知シタリ
同日於同応
裁判所書記 横×××郎㊞
裁判長判事 十×××助㊞
判決
本籍
兵庫県出石郡××町×番屋敷
住居
京都市左京区×××××町廿一番地
無職
窪井けい
明治廿四年一月十八日生
右者ニ対スル殺人被告事件ニ付当裁判所ハ検事向××雅関与審理ヲ遂ケ判決スルコト左ノ如シ
主文
被告人ヲ懲役三年ニ処ス
押収物件第一号西洋手拭ハ之ヲ没収ス
理由
被告人ハ××製作所技工亡窪井富二男ノ妻ニシテ其間ニ四男一女ヲ挙ケタルカ昭和五年十月二十日夫富二男ニ死別シ其後ハ二子ヲ親戚ニ預ケ同製作所ヨリ支給セラレタル扶助料等ニ依リ生活シ残レル三人ノ子女ヲ養育シ居タルカ昭和六年六月二十三日以降右富二男生存中ヨリ同家ニ出入セシ大槻巳之助ト私通シテ同人ノ胤ヲ宿シ昭和七年四月五日男児ヲ分娩スルニ至リタル処当時右扶助料等ハ既ニ全ク費ヒ果シテ生計頗ル困難ニ陥リ尚巳之助ノ態度モ極メテ冷淡ナリシヨリ其生活苦ト右不倫ノ所為ニ対スル自責ノ念トニ堪エ得ス遂ニ同男児ヲ殺害シタル上自殺センコトヲ決意シテ其機会ヲ窺ヒ同年五月一日午後三時頃家人ノ不在ヲ倖ヒ肩書居宅六畳ノ間ニ於テ西洋手拭(証第一号)ヲ以テ同男児ノ×及××ヲ覆ヒ且其上ヨリ掛布団ヲ被セテ呼吸ヲ塞キ同男児ヲシテ窒息死ニ致ラシメ殺害シタルモノナリ
証拠ヲ按スルニ以上ノ事実ハ総テ被告人カ当公廷ニ於テ之ト同趣旨ノ供述ヲ為スノミナラス証人医師橋××文ニ対スル予審訊問調書中其供述トシテ自分ハ昭和七年五月七日午前十時ヨリ川端警察署長ノ嘱託ヲ受ケ男児ノ死体ヲ検案シタルカ該児ハ発育営養普通ニシテ当時西洋手拭ニテ×ノ一部及×ノ×ヲ残シ他ノ顔面ノ部分ヲ全部覆フ様ニシテ其ノ上ニ被セ両端ヲ後方ニ廻シ後頭部中央ニテ一回結ヒ付ケアリタルカ他ニ外傷ナク罹病ノ箇所モナキニ内臓臓器ノ表面ニ溢血臓器ノ鬱血血液ノ流動性等窒息死ノ場合ノ病状アリタルニ徴シ右男児ノ死因ハ急性窒息ト認メタル旨ノ記載アルニ依リ之ヲ認ム。
以上ニヨリ本件ハ犯罪ノ証明アリタルモノトス
法律ニ照スニ被告人ノ判示行為ハ刑法第百九十九条ニ該当スルヲ以テ其所定刑中有期懲役刑ヲ選択シ其刑期範囲内ニ於テ被告人ヲ懲役三年ニ処シ押収ニ係ル西洋手拭(証第一号)ハ本件犯行ニ用ヒタル被告人所有ノ物ナルヲ以テ同法第十九条第一項第二号第二項ニ依リ之ヲ没収スヘキモノトス
之テ主文ノ如く判決ス
昭和七年六月二十日
京都地方裁判所刑事部
裁判長判事 十×××助㊞
判事 佐××臣㊞
判事 菊×××郎㊞
判決は検事の求刑通り三年であった。之では、執行猶予に浴することも出来ない(二年以下でなければ其恩典に浴する条件に入らない)元より検事の求刑が既に軽きに失する位だから此判決に不服など言うべき義理ではない。が、人間と云うものはそう諦めのつくものでない、弁護に立った筆者でさえ慾を云えば執行猶予にでもと云うような気持になっていた。
0コメント