《犯罪実話 或る嬰児殺し(昭和十年公刊)》【復刻】④ 刑事公判(京都地方裁判所)上 …燃え上る図書館
以下ハ、昭和十年ニ執筆及公刊サレタル京都ノ或弁護士ノ手ニ成ル公判記録也。
《国会図書館デジタル》ヨリ入手セル資料タル事茲ニ記ス。
京都地方裁判所々属
弁護士 杉原弁太郎著
犯罪実話 或る嬰児殺し
京都 柳屋書店
刑事公判(京都地方裁判所)
公判廷
公判調書
身分調べ-公訴事実-身分学歴、結婚、家庭-
夫の死後-情夫との関係-分娩-殺児-
死体の処置-自殺の決意-証拠-
検事の論告と求刑-弁護人の弁護
判決の言渡
第二回公判調書-判決
刑事公判
公判廷
けいの事案は予審より京都地方裁判所の公判に廻送せられた。本件の様な殺人事件は、通常陪審裁判が行われるのであるが、被告人のけいに於て、犯行を自白しているので、陪審手続きを省き、直に公判が、昭和七年六月十三日開始せられた。
裁かるる其日が来た、被告人けいは、自首した当時に着用していた衣類に編笠姿で看守に導かれて入廷して来た。やがて編笠を取った彼女は、女らしく質素に髪上げしてサッパリした容姿だった。裁判長として敏腕の名ある判事十×××助氏、検事向××雅氏、立会弁護人として官選せられた筆者が列席の上、厳かに開廷せられた。型の如く年齢、住所から訊問が始まった。傍聴席は婦人の見学団で鮨詰めだったがせきとして声がない。当日の調書を左に示して見よう。
公判調書
被告人 窪井けい
右殺人被告事件ニ付昭和七年六月十三日京都地方裁判所刑事部法廷ニ於テ
裁判長判事 十×××助
判事 佐××臣
判事 菊××郎
裁判所書記 横×××郎
列席ノ上検事向××雅立会公判ヲ開廷ス
被告人ハ公判廷ニ於テ身体ノ拘束ヲ受ケズ
弁護人 杉原弁太郎出頭ス
身分調べ
裁判長ハ被告人ニ対シ訊問スルコト左ノ如シ
問 氏名、年齢、職業、住居、本籍及ヒ生地ハ如何。
答 氏名ハ窪井けい。
年齢ハ当四十二年。
明治二十四年一月十八日生。
住居ハ京都市上京区××町二十一番地、本籍ハ兵庫県出石郡××町、出生地ハ京都府天田郡福知山町。
公訴事実
検事ハ予審終結決定書記載ノ犯罪事実ト同趣旨ノ公訴事実ヲ陳述シタリ裁判長ハ被告人ニ対シ右検事ガ陳述シタル被告事件ヲ告知シ
問 此ノ事件ニ付何カ陳述スベキコトガアルカ。
答 私ガ犯シマシタ罪ニ付イテハ予審終結決定ニ認メラレタ犯罪事実ノ通リ相違アリマセヌカラ何モ申上ゲル事ハアリマセヌ。
身分、学歴、結婚、家庭
問 是迄ニ刑事上ノ処分ヲ受ケタコトガアルカ。
答 私ハ是迄ニ刑事上ノ処分ヲ受ケタコトハ一度モアリマセヌ。
問 学校ハ何処マデ行ツタカ。
答 私ハ昔ノ高等小学校四年ヲ卒業後当時ノ補習科へ二年間行キマシタ。
問 其方ノ主人ハ窪井富二男ト云フ人デアツタカ。
答 左様デアリマス。
問 其方ガ同人ト結婚シタノハ何時頃カ。
答 ソレハ大正二年一月二十三日デ富二男ガ二十八歳デ私ガ二十三歳ノ時デシタ。
問 其処デ其方二人ノ間ニ子供ガ出来タノカ。
答 左様デアリマス私等夫婦ノ間ニ長男春男(当十八歳)次男兼男(当十五年)三男昭(当十二年)四男高(当九年)長女留子(当四年)ノ四男一女ヲ挙ゲマシタ。
問 其方ハ結婚スル迄ニ何ヲシテ居タカ。
答 私ハ補習科二年ヲ出マシテカラ十七歳ノ年京都府立病院へ看護婦見習トシテ雇ハレ勤メテ居リマシタガ其翌年十八歳ノ秋十月ニ病気ノ為看護婦ノ免状ハ貰ハズシテ福知山ノ生家へ帰リマシタ。其ノ後二十歳ノ時綾部町ノ××医院ニ雇ハレテ同医院ノ薬局ノ仕事ヤ看護婦ヲシテ居リマシタガ二十二歳ノ暮同医院ヲ罷メマシタ。ソシテ其ノ翌年二十三歳ノ正月夫富二男ト結婚シタノデアリマス。
問 其方ノ夫富二男ハ××製作所ニ勤メテ居タノカ。
答 左様デアリマス、私ノ夫富二男ハ××製作所ニ勤メ同工場ノ真鍮ノ技工ヲシテ居タノデアリマス。
問 処ガ富二男ハ昨年十月末頃死亡シタトノコトデハナイカ。
答 左様デアリマス、夫ハ昨年十月二十日肝臓ヲ患ヒ其為死亡致シマシタ。
問 夫ガ××製作所ニ勤メテ居タ頃ハ何ノ位ノ収入ガアツタカ。
答 夫ハ同製作所ニ永年勤メテ居リマシタ為メ給料ノ外ニ年功俸等デ月平均百五六十円ノ収入ガアリマシタ。
問 財産ハ。
答 財産ト申シマシテハ別ニ何モアリマセヌ。
問 貯ヘハ。
答 何分子供ガ沢山アリマスノデ貯金へ等少シモアリマセヌデシタ。
夫の死後
問 処ガ夫ガ死亡シテカラハ其方ハ後家ヲ立テテ女ノ手デ子供ヲ養育シテ居ツタ訳カ。
答 左様デアリマス。
其後五人ノ子供ハ皆私ノ許ニ連レテ居リマシタガ亡夫ノ四十九日ガ済ンデカラ親戚ノ者ガ皆寄合ツテ相談ノ結果女ノ手デ是丈沢山ノ子供ノ面倒ヲ見ルコトハ出来ヌト云フ談デ次男兼夫ハ亡夫ノ母ノ家ニ託シ四男高ハ私ノ兄ノ家へ預ケル事ニナリマシタノデ私ノ手許ニハ三人丈居リマシタ。ソウシテ長男春男ハ当時京都市立××××学校ニ通ツテ居リマシタノデ学資ハ親戚ガ出シテ引続キ通学サセル話デアリマシタガ春男ハ親戚カラ学校へ遣ツテ貰フコトヲ喜バズ遂ニ其翌年一月ニ自分カラ進ンデ退学致シマシタ、尚兼夫ハ目下高等二年デ昭及高ハ尋常小学校ニ各在学シテ居リマス。
問 夫ガ死亡シタ為メ××製作所カラ扶助料ヲ貰ツタカ。
答 左様デアリマス。
夫ガ死亡致シマシタ際私ハ××製作所カラ扶助料トシテ千二百円貰ヒマシタ尚其他製作所内ノ互助会カラ八百六十円健康保険カラ埋葬料トシテ百二十円貰ヒマシタ其他ノ人々カラ貰ツタ香料ガ三百円程アツタト思ヒマス。
然モ其ノ中互助会カラ貰ツタ八百六十円及健康保険カラ貰ツタ百二十円ハ一時ハ私ガ受ケ取リマシタ其ノ金ハ全部親戚ノ手ニ渡シ埋葬費ニ致シマシタ夫レデ結局私ガ暮シヲ立テテ行ク費用ハ扶助料トシテ貰ツタ千二百円ダケデアツタノデ何ウニカ其金デ喰継イデ居リマシタ。
夫死亡後の生活
問 其後其方一家ノ生活費ハ月何程カカツタカ。
答 何ウデモ斯フデモ一ヶ月最低七十円ハ要リマシタ私ハ夫ガ亡クナツテカラモ引続キ現在ノ家ニ居リマシタ為メ家賃モ月十円要シ其他金ガアル中ニ夫ノ御墓ヤ仏壇等モ拵へ様ト思ヒ夫レ等ヲ全部造リマシタノデ相当金モ要リ又親戚ニ託シタ子供ニモ月何程ト云フ様ニ定マツタ金ハ遣ツテ居リマセヌガ少シ宛ハ遣リ又子供ノ世話ニナツテ居ル家へ心付ケトシテ二円ヤ三円宛ハ其扶助料ノ中カラ遣ツテ居リマシタ。
問 其ノ後ハ自分ノ手デ何カ仕事ヲヤツテ居タノカ。
答 左様デアリマス、夫ガ死亡致シマシテカラハ最初暫クハ仕事モ落付イテ出来マセヌデシタガ其後近所ノ方ニ方々オ願ヒシテ編物ヲサセテ貰ツテ居リマシタ。
問 其レデ何程ノ収入ガアツタカ。
答 私ハ編物ニハ何ノ経験モナク遣ツテ居リマシタノデソウ甘ク出来上リマセヌノデ沢山ノ金ヲ頂ク事モ出来マセヌシ又自分トシテモ沢山頂カウトモ思ツテ居リマセヌノデホンノ少シ宛頂イテ居リマシタガ月々多イ時ニハ六円位ノ事モアリ少イ時ニハ三円位ノコトモアリマシタ。
問 長男ノ春男ハ学校ヲ罷メテカラ何カ仕事ヲシテ居タノカ。
答 春男ハ学校ヲ罷メテカラ新聞屋ニ寝泊リシテ新聞配達ヲシテ居リマシタガ自分ガ食ヘルダケデ私ノ足ニナル様ナ事ハアリマセヌデシタ。ソシテ春男ハ昨年十一月頃カラ新聞配達ヲシテ居リマシタガソレモ面白クナイト云ツテ本年二月カラハ罷メテ私ノ家へ帰ツテ居リマシタ。
問 借財ハアルカ。
答 私ハ知合其他ノ人カラ借財名義デ金ヲ借リタコトハアリマセヌガ家賃ガ昨年十一月カラ滞ツテ居リ電灯料ヲ二ヶ月支払ツテ居リマセヌ又其他近所ノ米屋ニ十円六十銭、魚屋ニ十六円、八百屋ニモ少シ許リ掛デ買ツタ代金ノ支払ガ出来テ居リマセヌ薪炭等ヲ買ツテ居リマシタガ春男ノ友達ノ家ノ同情ヲ受ケテ貰ツテ居リマシタ。
問 ××製作所カラ扶助料トシテ貰ツタ千二百円ハ何時頃マデアツタカ。
答 其ノ金ハ一時貯金ニシテ置イテ月々出シテ使ツテ居リマシタガ昨年七月頃私ガ墓詣リノ為メ郷里へ帰ツタ際全部ナクナリマシタ。
被告人のけいにしても、なぜもう少し早く反省しなかったろう、亡夫のお蔭で、勤先から貰った扶助料を、大切にして自ら懸命に働いて居たなら、僅々一年余りで決して無くなる筈ではなかったと思う。夫の在世中の生活の権勢で、俄かに経済を引き締めるわけには行かなかったにせよ、少なくとも彼女に性格的の欠点もあったらしい。それは警察の素行調査によって大略判るのだ。(筆者の所感)
其調査によると、
「美食ニ押レ金銭浪費ノ癖アリテ勤倹ノ風ナシ(中略)家事ノ取締華美ニ過ギ借財アリ。」
とあって彼女に取って余り芳しくない。
問 スルト昨年七月以後ハ其方ノ編物ヲシタ収入デ暮シヲ立テゝ居タ訳カ。
答 ソウデハアリマセヌ、夫ノ遺産トシテ××××五十円株ガ八株アリマシタノデ其ノ株券ヲ当時売却シテ八株デ二百十円金ヲ拵ヘマシタ為メ其ノ金ト私ガ編物ヲシテ貰ツタ金デ暮シテ居リマシタ然モ其ノ金モ本年一月ニハ全部無クナツテ仕舞ヒマシタ。
問 其後ハ何シテ暮シテ居タノカ。
答 ソレカラ私ハ先程申シマシタ通リ株券ヲ売ツタ金モ無クナリマシタ為メ生活ニ困リ親戚ニ相談致シマシタ処、親戚ノ方デハ前ニ互助会カラ貰ツタ八百六十円及健康保険カラ貰ツタ百二十円其ノ他貰ツタ香料デ葬式費用ヲ支払ツタ残金ヲ保管シテ居リマシタ為メ此ノ金ハ子供ノ為メニ残シテ置ク金デ決シテ其方ガ手ヲ付ケル金デハナイガソンナニ困ツテ居ルナラ此度ダケ百円出シテ遣ルガ後ハ出スコトハ出来ヌト云ツテ其ノ金ノ中カラ百円出シテ呉レマシタノデ其ノ金デ生活シテ居リマシタガ其金モ本年二月ニハ全ク費ヒ果シマシタ其後ハ主ニ自分ノ着物等ヲ次々ト売却致シマシテ食ベタリ食べナカツタリシテ日ヲ送ツテ居リマシタ。
「僅かばかりのご飯を子供と分けあって食べたり、私丈けが、朝食を食べなかったりしたことがあります。之を傍で眺めた三男昭は、心配して時々私に「僕は食べたくないからお母さん食べなさい」と優しく云って呉れた為に思わず涙が出ましたが「お母さんはお腹が痛いので食べたくないから昭さん食べなさい」と出る涙を押し隠してすすめた事も一再でありませんでした。
と涙ながらに語って筆者も貰い泣きしたことがあった。
情夫との関係
問 処ガ其方其後市内左京区××××町ノ洋服商ヲシテ居ル大槻巳之助ト××シテ同人ノ種ヲ宿シ本年四月五日遂ニ男児ヲ分娩シタトノ事デハナイカ。
答 左様間違ヒアリマセヌ。
其ノ大槻巳之助ト云フ人ハ私ノ夫ノ生前カラ私方へ出入シテ居タ洋服屋デアリマスガ、夫ガ死亡致シマシテカラハ暫ク来ナイ様ニナツテ居リマシタ、処ガ昨年四月頃長男春男ノ洋服ヲ同人ニ注文シタコトガアリマシタ、其後チヨコチヨコ同人ハ私方へ来マシテ私ニ××ヲ迫リマシタガ私ハ其都度同人ノ要求ヲ跳ネ付ケテ居リマシタ。其後同年六月二十三日同人ガ私方へ来マシテ私ニ××ヲ迫リマシタノデ私ハソンナ事ヲシテ若シモ世間ニ知レタラ困ルト云ツテ一時ハ断リマシタガソレデモ大槻ハソンナコトハ心配セナクトモ大丈夫ダ自分ハ白川ノ方ノ某大学ノ先生ノ奥サントモ××××××ト申シマシタノデ其ノ晩ハ子供モ夜店ニ行ツテ留守デアリマシタ為メ×××××××××ノデアリマス。
筆者が、未決監で彼女から聞きとりたる事実によると。
「当時、大槻が繁々言い寄って来ましたけれども、其都度態よく拒みました。六月二十三日の夜、又々大槻が出て来まして、又々私にいやらしいことを申しました。大槻は、自分が或大学の先生の家へ出入して居るが、其の先生が東京へ行っての留守中に、いつも奥さんから子供の洋服の裁方を教えて呉れと云うので、其家へ行く機会に××××いて、現に判らない位であるから、そんなに判るものではないからと執拗に申しますので、ツヒ拒む事も出来ず××××××ました。後になって自分の愚さ、実に軽率であった事など考えて、あの時なぜに峻拒することを忘れたのか?、亡夫にも、子供にも、世間にも全く面目がないことをしたと感付いて俄かに悔恨の涙が止めなく流れました」
と述べたことがあった。
問 其ノ時金ヲ貰フ約束デモシタノカ。
答 左様ナ話ハ何モシテ居リマセヌ。
然シ其後ハ生活ニ困ツテ居ルノナラ少シ位ノ金ハ融通スルト云フコトハ大槻モ云ツテ居リマシタ夫レデ私ハ貴方ニ金ヲ貰フトハ思ツテ居リマセヌガ何分生活ニ困ツテ居ルノデ金ヲ十円貸シテ貰ヒ度ヒト云ヒマシタラ大槻ハ十円ハ大変ダカラト云ツテ五円貸シテ呉レマシタ。
当時彼女は生活に困っていた矢先であるし、大槻が甘い言葉の一つも掛けて呉れたのがきっかけとなって、自らの貞操を、金銭化する気になったのではなかろうかとの疑念が、先ず誰にも起ることであって、筆者も此点につき大いに疑念を持ったものだった。然し段々調べて見ると、夫れは大なる誤りだった。只大槻の甘言が、少なくとも当時経済的に困窮していた彼女の家庭のマサカの時の相談相手になって貰える位しか考えていなかったらしい。溺るる者は藁をも掴むの諺の如く、いつしか取り返しのつかぬ破目に陥ったものだ。彼女は筆者に「全然金銭で貞操を売ったのではありません、大体大槻は極めて吝嗇家で金銭的に頗る執着が強い人間であります。ですから之を知っている私は最初からそんな醜い考えを以っていませんでした。で、今から考えて見ればナゼ斯んな破目になったのか自分でも全く見当がつかないのであります」と述べた事がある、彼女も矢はり弱い女だった。
問 其後モ其方ハ大槻ト××ヲ続ケテ居ツタノカ。
答 左様デアリマス。
然モ、其ノ後其ノ男ハ始終私方へ来テ居リマシタガ私ノ家ハ狭ク其ノ上子供モ沢山居リマスノデソウ度々ハ×××××××××××××又私ハ七月下旬ニ見ルベキ××ガアリマセヌデシタカラ病気デハナイカトモ思ヒマシタガ事実ハ懐妊シテ居リマシタノデ私ハ世間ニ対シテモ面目ナイト思ヒ八月ノカゝリカラ同人ト××ヲ断チマシタ其ノ間私ハ同人ト××位ハ××××タ様ニ思ヒマス。
暴君になった大槻は、爾来屡々彼女の家庭へ押しかけていたらしい。「近所へ来たからと云っては立寄り、暑いからと云っては訪れて来ました、又在時は私の止めるのも聞かずに子供等に活動写真を見に行って来いとお金を遣ったりして子供等を外へ遊びにやったりしていました」と彼女が筆者に語ったことがある。
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