小説《ディオニュソスの女たち》イ短調のプレリュード、モーリス・ラヴェル。連作/マイナス…世界の果ての恋愛小説① ブログ版
連作の次のパートは、物語としては《カローン、エリス、冥王星》を補完する形で、《フエ》の側から描かれていきます。
連作のクライマックスと言えばそう言えるのか。
そもそも、どこがクライマックスです、とは、決して言えない構成になっていると言えばそう言えるのか。
いずれにしても重要な部分ではあります。
マイナス、というのは、ギリシャ神話の、ディオニュソス信者の女狂信者たちのことです。《バッカイ》という有名な戯曲がありますが、…。
ディオニュソスによって狂わされた狂乱の女…といえば、なんというか、要するに男根主義的というか、そんな若干嫌気が差すイメージが伴うかもしれませんが(笑)、ディオニュソス神、というのは、両性具有の神さま、だそうです。
実際、絵画でもなんでも、丸みを帯びて描かれています…
ディオニュソスの女たち
《イ短調のプレリュード》、モーリス・ラヴェル。
Prelude in A minor, 1913, Joseph-Maurice Ravel
《in the sea of the puluto》連作:Ⅲ
Μαινάδη
マイナス
序
自分が体の下にした女の息遣いが耳元に聴こえる。
それはかならずしも聴こえるだけで、決して聴きとってはいない気がしていた。あるいは、それでも耳にふれ、事実、それは聴こえていて、その、それ。
かすかな音響を、それでも鮮明に聴き取っていたのだから、彼はそのかすかに聴こえている気がする音響を聴いてはいるに違いない。アンは自分の体の下の女がフエだということを、ふたたび
見出された
知覚する。
花々の色彩はただ
フエ、…その、自分の
重力におびえた。なぜなら
姉なる女。
根の下で虫たちがその身体をわななかせていたから
アンの体に
…なぜ?
疲労感が鮮明にあった。結局は、いつものように最後までいたったわけではないふたりの行為は、アンの、いまだにフエの体内につつまれたままのそれにあからさまな火照った発熱の気配を残し続けていながら、アンはもはや
…なぜ、おびえたの?
その行為を続けることはできない。そんな事は、姉だって知っているに
たかが
違いない。
数千億の線虫が野晒しの死体を曝していたというその
女たち。
事実に
アンは、姉が、彼が自分しか知らないのだと想い込んでいる事は知っている。それは彼女の自分勝手な矜持にさえ感じられ、ただ、うとましく、そして、その想い込みを壊して仕舞うことが容赦なく孕む残忍さをアンは嫌悪していた。軽蔑に近い、その、恐れるような
…なぜ?
嫌悪感はいつでも執拗だった。アンは、フエを一瞬たりとも傷付けることを求めない。いつも、自分に抱かれるときにはフエは、自分が赦されるすべさえない犠牲だったような顔をする。…いいのよ。
私は
…なぜ、おびえたの?
すでに終った人間だから。もう、とっくの昔に。だから、何をしても
あなたは
いいのよ。そんな、眼差しを自分に差し出すフエを、…違う。
たかが
と。
数万年の時間が一瞬で溶解し、過去もなければ現在もない救いようのない無残な
非議を
停滞に堕ちたその
訴えるのとは違う、どこかでやわらかな困惑が、その時、アンの
瞬間に
眼差しに拡がるしかない。私を求めたのは、…と。
あなたのほうだろう?そうアンは想って、そしてフエのために、その真実をは
…ほら
あえて口にしない。…こっちに
わたしはあなたを
来なさい、と、そして、その日、フエの眼差しは
見詰めていたのだ。その、宿命の日、あなたがついに
そう鮮明に語り、フエは、
自分で
…いいのよ。
彼女を
肯定し、…あなたの慾する事を、慾するがままに
屠殺した
なしなさい。赦す。彼女は。フエに一方的に
そのときに
赦されて彼は、つまりは求められたアンは、彼女が求めるままに彼女に
空は悲しみの中に
従うしかなかった。…ふれなさい。
沈黙し、その白濁した色彩をさえ
そして、
無残に痙攣させなければならない。なぜなら
…抱きなさい。あなたは
きみがあまりにも美しいかったから。その
あなたが心から求めているわたしを。自分が轢死させて仕舞ったホアも、まともに眼もあわせないフンも、あるいはハンさえもが、ふたりの行為に気付いていたことくらいは知っている。あるいは
もっと
羽撃いた
ダットさえも、親たち二人にとっては、それはあまりにも
容赦なく強い日差しが降り注げさえすれば
蝶たちは朝日の中を
繊細な
雨は降りしきるのだろうか。水星のひからびた海の痕跡に。巨大な
斜めの光の中に
問題すぎて、気付くということと、認識するということのあるかなきかの
太陽の
音も立てない
微細な
直射するその
羽音を私以外の
そのふたつのことの差異の
日差しの中に
誰かのために残して
あわいの中に放置されて、なかったことにされるまでもなく、ただ、想いつかれもしないままにそこに打ち棄てられていた。
そんな気配があった。ホアはもっとあからさまだった。妹もいないのに、実年齢以上にお姉さんらしく振舞いたがったホアは、ただ、姉のために彼女の幸福を祈り、姉に添う兄に容赦のない嫉妬を送って、自分の心の気ままな揺らめきに自分勝手に、むさぼるように淫しているに過ぎない、その眼差し。
根拠のない鮮明な非難とともに自分を見つめる眼差しは、あくまでアンが彼女の心の揺らめきを理解しようとする事をすでにあらがじめから拒否し、その、…孤独な、と。孤立した、と。みずから望んだ孤独と孤立にだけ淫して戯れていること、彼女は自分では知ろうとさえしない。そんな気が、アンにはした。
だれも
明日が姉の結婚式だという事は知っていた。その
ふれてはいけません。朝日の中に
前日の昼下がりに、フエを
しなだれかかった樹木の葉の朝露の
抱く気はなかった。不意に、その時、帰って来たアンが
あまりにも繊細な重さには
ふたつめの居間の中の淡い逆光の中に彼女を見い出して仕舞えば、
…こんにちは
それでも
あなたは
彼女を抱いてやる以外に、アンに
わたしを見ているのね?
できることは何もなかった。ごめんね、と。一瞬
…いま
交錯したフエの眼差しは鮮明に、アンに
陽光を背にした
侘びていた。…ごめんなさい。
逆光の中で
愛しているの。
わたしは
…ごめんね
彼のことを、と、その、いかにも
もう
傷付ける気はなかった
東アジア人種じみた、味の薄い押し付けがましい容姿を曝した
あなただけのものじゃない
わたしは
日本人の姿を指さしながら、微笑んだフエの眼差しが
わたしを
決して
一瞬
忘れられないあなたを
誰をも
憂いに翳るのを
拘束する気はない。けれど
傷付ける気はなかった。…風景
見ていた。
あなたは
あなたに見出された風景のすべてが
知っていた。すでに、
わたしを
あまりにも荒廃をだけ
アンは、
愛する以外の事などできはしない
無慈悲に曝していたとしても
姉に言われるまでもなく、フエがかつて自分をなど愛したことなど一度もないことくらいは。
体の下に、フエの体臭が匂い、フエの自分を見つめる嘆きを、静かに湛えてやわらく見開かれた眼差しが、…ほら。わたしだけを
かつてだれもが
愛しなさい。あなたがただ
あるいはつねに
望んでいるままに。…と。
鳥の羽撃きに
つぶやく。
憧れて空を見上げたわけではない
言葉もなく。知っている。彼女は、自分を彼に捧げることを選んだだけであって、…もっと。
美しいもの
と、眼差しはささやくのだった。かならずしも
もっと、容赦もなく
自分を、…私を
美しいものがほかに
愛していたわけではないと、と、アンは…もっと、
大量に存在していたから。すでに
好きなように。
眼にふれるもののすべてを見い出していた彼らの
思うがままに。
眼差しは
想う。知っている。アンは、フエに、愛されたことなど一度もない。にもかかわらず、…愛しなさい。
フエの眼差しはささやきかけてやまない。ふたりは愛し合っていた。
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