小説《カローン、エリス、冥王星 …破壊するもの》イ短調のプレリュード、モーリス・ラヴェル。連作/ザグレウス…世界の果ての恋愛小説⑭ブログ版







charon, eris, pluto

カローン、エリス、冥王星

…破壊するもの




《イ短調のプレリュード》、モーリス・ラヴェル。

Prelude in A minor, 1913, Joseph-Maurice Ravel


《in the sea of the pluto》連作:Ⅱ


Χάρων

ザグレウス









「なんで、6月20日にそのクーデターで人類が滅ばなきゃ鳴らないんだよ。」

「く姫の誕生日だからだよ。」やさしい眼差しのハオを、私は見つめ、ハオは、壁に背をもたれて、そして、…ばかばかしい。

言った。…ね?と、つぶやくように、「じゃない?」…知ってるでしょ?「ハナちゃんも、…」さ。…「ね?」

「何を?」…どれだけ、と。

「どれだけ…」そう、ハオがささやく。もはや、目に映るすべてが「ね?どれだけ俺が、…」彼を絶望させるのだと、ただ「愛してるか。」歎き果てて。

「く姫を。」

声を立てて笑う私を、ハオは諌めない。本気なの?と、言った私の声には答えもせずに、「…愛してる。」つぶやく。「俺は…」

「く姫を?」私が言った声を聴く。

ハオは、私を見つめたまま。

「そう。」

つぶやく。

「まさに、…」

歎く。

「そう。」と。そうつぶやいたハオは瞬く。想い出だす。葬儀の日、ヴーが彼の身を埋葬させられる墓地に連れ去られていった後に、残ったのは奇妙にしらけた、まるで、なにもかもすべてが終って仕舞ったような気配だった。私たちは、それぞれに、その気配に淫していた。あとに残った、フエと、タオと、マイと、そして私、あるいは、物言わないチャンも。

チャンの、ベッドに身を横たえた身体を私は見下ろした。その身体は、…あるいは、色づいて、なまめきだったまま誰にも触れられずにたたずむ肉体は、しずかに息遣い、そして、彼女の歯軋りはやまない。

執拗なまでに、空間の低い位置にその歯軋りの細かな騒音は鳴り続けたが、…眠った?

フエが耳打ちした。背後に、私に寄り添って、もはや私を後ろから抱きしめながらその回した手のひらに私の腹部から胸部までをなぞり、「…ねぇ、あなた。」

Anh

「眠ったの?」

耳元にささやいた彼女の声に、もの言わない歎きが鮮明に、

「…眠ったのよ。」

聞き取れた。チャンは、歯軋りをやめない。

チャンのベッドに、寄り添うように身を横たえて、私に媚びた眼差しを送るフエをチャンの傍らに残したまま階下に下りると、マイは姿を消していた。どこかに出かけて仕舞ったに違いない。ひとり残っていたタオが不意に訪れた客に、ビニール袋いっぱいに氷をよそってやり、男、その、まだ若い長身の男は金を払った。

まるで、年頃の女をくどくかのような戯言をその気もなくタオに投げかけて、微笑み、階段を下りてくる私に視線を投げながら。タオは、わずかな微笑みさえ投げかけはしない。…知らないわ。

「…あんた、だれ?」

そんな、気配を曝す。女じみるにはまだ、あからさまに幼く、その、幼い子供特有の、いかにも可愛らしく、愛して遣らなければ先験的な罪にさえあたるかに想われる、そんなあまやいだ体臭を体中に立てながら、タオはあくまでも見知った女たちを模倣した女じみた仕草を曝す。あくまでも、さまざまな子供らしい仕草をも擬態して見せながら。

無意識的な留保なき偽善のようなものさえ、私は不意に感じ取り、そして男がバイクに乗って、立ち去って行ったのをタオは見送った。

いまだに片付けられないままのテーブルの、椅子のひとつに私は座る。タオを見遣る。タオは私の眼差しに気付いている。この少女は、そして視線には気付いていない振りをする。

装われない、無意識の媚態を曝して、…愛しなさい。

と、そう、彼女の幼い体臭さえもが命じている。愛し、慈しみ、育ててあげなさい。教えてあげなさい。この世界には、悲しみなどありはしないのだと。やがて、と、想う。

私は。

私がこの、人類たちの生存形態を破壊して仕舞う時、彼女はどう想ったのだろう?私と添い遂げることをもはや選んで仕舞っていることを、いまだに鮮明には意識しないままに、その仕草さに執拗なまでに曝して。

歎いただろうか。人々が、自分も含めてやがて大量に死滅していかなければならない事実に。…花々。

気にしないで

ブーゲンビリアの花々が停滞する。

わたしのことなんか

いつものように。なんども繰り返しみた、その、花々。

見つめないで

匂う。

ただ、心の中でだけ

むらさきがかった紅の、その

想っていて

花々が匂い立ち、空間の無際限なまでの拡がりのなかに夥しくかさなり合って散乱する。

空中に浮んだそれらの花々を、例えば水面だとするならば、浪立ちさえしない花々の色彩に浮んだ少年を見つめる。肌を曝した、その、男らしいとは間違っても言獲ないにもかかわらず、女じみることなど一切許されない、さらには中性的なという表現にさえ容赦ない軽蔑をあたえていたその少年の身体は、死んだように動かないままに、彼がすべてを、…それら。

花々は

見出し獲るもののすべてを見つめ、むしろ

いつでも嘘をつく

歎き、声もないままに悲しんでいることなど知っている。

濡れてもいないのに

理沙。

ひとり朝焼けの中に

あるいは、その

ひとりでに潤った花弁を曝していた

少年の眼差しは瞬きさえしないままに、見つめ続けるすべてに対して、…涙。

私は彼が涙を流していることを知っている。その、潤んだまなざしに、にも拘らず涙などその気配さえも感じられないままに、…葉。

彼女は未だに見つめるのだろうか?その、病室の中の風景、代わり映えのしない、たぶん、十年くらいは視線に遊ばせ続けたかも知れない同じ風景。見出す。

彼女は思い出すのだろうか、未だに、なんども、飛び降りた、…あるいは、足を踏み外して失落したその堕ちていく風景。声もなく。

いまだに微笑をその口元に浮かべながら、…ねぇ。

こんにちは

そこにいたの?

世界さん

そんな、眼差しに私を捉え続けるままに、それら、そして、

あなたに壊されたときにだけ、わたしはあなたを存在させる

ブーゲンビリア。

むしろ、そっと

少年は身じろぎもせずに、

覗き見て

浮ぶ。花々の色彩のなか、匂いたった、花々の匂いに素肌をじかにふれさせて、ミー。

彼女が見い出した最期の風景の、いつかに雪が降るのを見た。

ミーは、その眼差しの中に、鳩の群れ。

飛び交い、群れを成した鳩の群れの在り得ない集団が低空を飛翔し、視界を埋め尽くし、

僕たちは聴いた

音響。

やさしい

それら、

君の残酷な

羽ばたきの、

ささやきを

もはや叫喚じみた音響を耳の中に木魂させながら、

眼を閉じて

響き渡る。

死者に鏡を見せてはいけない、と老婆が言った

音がわななき、連なり、連鎖。色彩。

生き返って仕舞うから

舞い散る羽の、白。

見たことあるの?

色彩。まるで、と、想う。

あなたは

ミーは。

すでに失われた死者が一度でも

雪のような、と、それら、

そのまぶたを開いたところを

色彩の散乱。

沈黙するブーゲンビリアは、恍惚をさえ曝さずに、ただ、停滞していた。…タオ。

雪が降ったのだった

彼女の最期の日に、私に首を締め付けられながら、そして、抗いもしない彼女は、理沙。

まつげの上に

飛ぶ。

君のやわらかいまつげの上に

堕ちる。葉は沈黙する。

そっと

真鍋に甘えることさえ出来ないで、もはや、深刻な脳障害に、そしてミーの最期の、…タオ。

話しかけないで

すき?

むしろ

その眼差しが

聞き耳を立てていて

言った。首を絞める私を見つめ返しながら、彼女にいまだに意識が逢ったその

僕の歎きの

最期の一瞬に、…ねぇ?

吐息に

「あなたは私を愛していますか?」

タオは、私を

すきじぇっか

見つめていた。微笑み、沈黙のうち、斜めに差した午前中の日差しの中で、そして、その傍らに通り抜けるバイクは当たり障りのない騒音をだけまいて、通り過ぎる。たぶん、と、私は想った。彼らはこれら、いまだに並べられたままの葬儀のテーブルを、私たちが片付けて仕舞うことを期待していたに違いない。

そうかもしれない。間違っているかも知れない。いずれにしても葬儀は終ったのだった。参列者が帰ってくるまで葬儀のテーブルを片付けてはいけないというしきたりがあるとは思えなかった。

タオの、私を見つめる潤んだ、…それ。その、鮮明に、それが何かを未だに明確には知りもしないままに、いかにしてか私を求めている眼差しに倦んで立ち上がった私がテーブルを片付け始めるのをタオは、諌めた。

いけません

声を立てて笑い、駆け寄って

駄目です

テーブルにかけた私の手を取り、…いいのいよ。

「いいです。」

いいでっ

…そんなことしなくても。

「しなくていいです。」

すないぃいでっ

…ね?眼差しがささやく。

私はまばたく。

至近距離の彼女の体臭がその髪の毛の匂いとあわせて、彼女の身体が身じろぎするたびに匂い立ち、執拗な、意志を持った体臭。…わたしを可愛がりなさい。

好きです

あなたがまともな生き物だったら、あなたは

あなたが

わたしを

好きです

精一杯可愛がらなければならない。ときに、自分の身を危機にさらし、自分を

春の日差しはいつでも暖かくなければならない。たとえ

滅ぼすことになったとしても。

あなたを失うときであっても

声を立てて笑った私に、その意味を悟らないままにタオは媚態を作ったが、「…ねぇ。」

私がそう、つぶやき始めるのを、タオは見つめていた。

「…なに?」

忍び笑いを我慢して、それでも頬と鼻をかすかに震わせて仕舞いながら、彼は、「…なんだよ?」

「最初から話してよ。」

言った瞬間に、声を立てて笑うハオを、私は見つめた。ハオは愉しそうだった。事実、愉しいのに違いなかった。…バカにでも分かるようにって?言う。

「小学生のぼくちんにでも、」笑い転げて、「なんとなく全部、」声を見出し、「分かるように、最初っから」好き放題に、「…って?」ハオはうつむく。

沈黙して、嘆かわしげな眼差しに私を見つめた後に。

うつむいたまま、そして、顔を上げたハオは、何事もなかったように微笑んでいて、美しい。

確かに、その微笑みは。

タオが、ひと目見た彼に惹かれて仕舞うことになるのも当たり前だと、私は想うのだった。自分の心の中でだけ。

「…軍隊、組織したんだよ。」タオは言った。邪気もなく、悪びれることなく素直に、そして、…知ってるだろ?

知らないよ、と言った私にハオは微笑み、…うそ。つぶやく。「…知ってる。」私は答える。

ハオは、しばしの沈黙をくれて、その間中ずっと微笑み、「…なんで?」

「シュレーディンガーの猫。…知ってる?」

「なにそれ?」

「俺は、すべて知ってる。けど、知るまで何も知らない。」…え?と言ったタオの、こぼれるような微笑に、私は瞬く。「箱の中の猫は死んでいるか生きているか、その二つに一つだ。だから、あけて見るまでどっちかは知らない。けれど、俺はもう猫が死んでいることを知っている。しかし、あけて見るまで、俺がそれを知る事はできない。」…ごめん。と、そう言ってハオは笑った。「何の話?」

「量子力学かなんかの話だよ。たとえ話。思考実験。もともとは、猫の死と生は重なり合って存在している、と。矛盾してるんだけど、素粒子の世界を喩えて言うとそう言うことだ、と。…ね。でも、記憶に関しては当たり前の原理だということがわかる。例えば、《わたしは記憶している》…と。けど、想い出さない限りはそれは記憶していないことに等しい。つまり、想起された瞬間に、それが記憶されていたことが照明されるし、記憶の存在は存在し獲る。とはいえ、想起されたものは、今私の意識が想像した現在の意識なので、かならずしもその記憶そのものとは一致できない。記憶と想起とは相当しない。…」

「なに、…それ。」

「記憶は存在と非在を、記憶されてあったことと今想ったことを、そのままかさね合わせて実存するしかない。」不意に、ハオは声を立てて笑った。

私に、単純な軽蔑を感じざるを獲なかったかのように、そして、ハオはまばたく。…ねぇ、と、…ハナちゃん、さ。

「そんな意味不明かつ小難しいこと考える人なの?」笑う私を、ハオは見つめた。「趣味なの。」言った私は、声を立てて笑っていて、…ねぇ。その、ハオの、「ハナちゃんって、…」声を聴く。

「…馬鹿?」…ひょっとして。

…と。ハオは、いつでも邪気もなく笑う。






Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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