《浜松中納言物語》⑱ 平安時代の夢と転生の物語 原文、および、現代語訳 巻乃三
浜松中納言物語
平安時代の夢と転生の物語
原文、および、現代語訳 ⑱
巻乃三
平安時代の、ある貴にして美しく稀なる人の夢と転生の物語。
三島由紀夫《豊饒の海》の原案。
現代語訳。
《現代語訳》
現代語訳にあたって、一応の行かえ等施してある。読みやすくするためである。原文はもちろん、行かえ等はほぼない。
原文を尊重したが、意訳にならざる得なかったところも多い。《あはれ》という極端に多義的な言葉に関しては、無理な意訳を施さずに、そのまま写してある。
濱松中納言物語
巻之三
十八、吉野の朝の月のこと、念佛聴こえず、歌の声を聴くこと。
まさにこれ、世にありふれたすきずきしい人の心には想いもよるまい。
世に例もなくあわれにこの世を過ごして仕舞われた、かの御親君らに先立たれた後には、かのような様にて日々をすごしていきましょうかとは、御君の御心におひとりで深く想っていらっしゃられてはいるものの、御母上の御心をお慰めして差し上げるべき事どもに追われて、想い留まって、常日頃の例のように、日々をすごしていらっしゃられるものの、御君は、心ばかりはこの山よりも深く、世に住み離れたく願ってばかり、あげくのはてには、魂はこの身をひきつれて唐土まで憧れ出でて彷徨ってしまったのだった。
ならばいっそこの山にてこの身を隠し、この現世への消息など残りなく断って仕舞いまおうかと、お想いになられておいでであらせられたが、いずれにしても、この御姫君の御有様の影に寄り添って、決して離れて仕舞うべきではないと、お付き添いさせていただかれなさられて、ふかまるばかりの心深くも哀れなる御物語に空はやがて暁を見た。
後夜(ごや)の御行いに、御母堂、聖ら御堂にお入りになられていかれたが、御君は、姫君に、このようなお住まいをなされられていらっしゃられるこの方をこのままに、容赦もないほどに山の陰に隠れ引き篭もって、だれの手も付かずに、あまりにも物遠いままにして仕舞うのはさすがに凄まじいものにお想いになられる。
これは誠にはしたなく、だれにも秘密にしておかねばなるまい。
なにかございましたら、なんでもすぐにお知らせくださいますようにとおっしゃっておいでなのであった。
明け行くままに、月はいよいよ澄み勝って、瀧の音も松風の響きも、ただこの場所にのみひとえに集まって仕舞ったかのような御心地なさられていらっしゃられるのに、かの姫君も御心に、もはや何の隔てもなくお感じになられていらっしゃられよう御心地なさられるがままに、このようなところに朝夕うち眺め、いかなるもの想いに耽っていらっしゃられるのであろうかとお想い遣りなさられられて、
ここに住み慣れたあなたは
いかにながめていらっしゃるのだろう
このような風景を、その日々に
たとえば、
ふかく身にしみる山の端のこの月を
住みなるゝ人はいかにかながむらむふかく身にしむ山の端の月
とおっしゃられる。御答えを、よろしくお聴かせ伝えさせていただくべきふさわしき人も周囲にいなくていらっしゃられれば、わりもなくつつましく想いわずらわれなさられて、琴にて、
おく山の木の間の月は見るまゝに心ぼそさのまさりこそすれ
奥山の木の間の月は
ただ見えるがままに見るほどに
心細さのみ勝らせて仕舞うものですよ
あざやかにかき鳴らされて、御君にお聴かせさせていただかれられれば、几帳の下から、御姫君はやおらその衣の裾を差し出して差し上げなさられるのだった。
唐国にてかの御后のお弾きになられられたのを二度聞かせていただいたほかには、耳慣れもしないがほどに優れたその御琴の音を、深き山の奥にて澄みきった月にほのかに聴いていらっしゃられるには、まさに世にも稀なる事にこそ想われて、感ぜられる美しさも極まれば、このまま命さえ尽きて仕舞いそうにさえお想いになられられて、かの国でかのときに、お聴かせいただかれられた御方の懐かしい御声などを、ほのかに耳にしたような御心地さえなさられて、なんとも悲しく胸騒ぎなさられるままに、なにもかも飽かずにお想いを馳せられておいでであらせられた。
おんみずから声を立てて歌うのもいかがなものかと想い煩われて、御姫君は、琴にてお返しになられられる。
御心同士のおふれあいは、山里に似合わずにおかしくて、こればかりでお弾きやめいただこうか。いや。
いまいちど声をお聴かせさせていただいてこそと、心もとなくも願われておいでであらせられたが、終に御姫君はその御声に歌われられることはなくていらっしゃって、かえすがえす心残りであらせられれば、琴を引き寄せていらっしゃり、常に弾き鳴らしたその人の、移り香など懐かしくも染みて、てずからに奏で調べられていらっしゃったとおりに掻きならして差し上げられなさりつつ、かの御后のお弾きになられられた折々をさえ御心に想い出されられるに月の光さえ掻き曇る御心地さえなさられて、もはや涙の留まるすべさえない。
唐国のきりふの丘の松風に
吹いたあのときに似た声を
わたしはいま、耳に聴いたのだ
唐国のきりふの岡の松風の吹きし似たる声をきくかな
この御声に、ものども皆感じ入りさせていただくばかりで、御堂からさえも念佛の声、終に聴こえてきはしないのだった。
《原文》
下記原文は戦前の発行らしい《日本文学大系》という書籍によっている。国会図書館のウェブからダウンロードしたものである。
なぜそんな古い書籍から引っ張り出してきたかと言うと、例えば三島が参照にしたのは、当時入手しやすかったはずのこれらの書籍だったはずだから、ということと、単に私が海外在住なので、ウェブで入手するしかなかったから、にすぎない。
濱松中納言物語
巻之三
世の人めき、すきずきしきかたは、な思しめしよらせ給ひそ。世になう哀れにし給ひし、おやに後れ奉りにし後、かゝる御さまにてすぐさじと、思ひとり侍りながら、母上の又慰め給ふべき類も侍らぬばかりを、思ひ給へとゞこほりて、例ざまにて、過すやうにも侍れど、心ばかりは、この山よりも深う、住み離れまほしう思ひくらし侍りて、さて唐土まであくがれまかりしが、今はこの山にてなむ、身をもかくし、跡をも絶えむと思ひ給へれば、いかなるさまにても、この御有様を離るべきにも侍らずと、つきすべうもあらず、心深う哀れなる御物語に、暁方にもなりぬ。ごやの御行ひに、御堂に入り給ひて、姫君にも、かゝる住ひなる人の、むげに引き入り、あまり物遠きやうなるも、すさまじきものぞ、人によりてぞ心もつかふ。これは誠におしなべて、いかになどすゞろはしう、思ひ聞ゆべき人にも物し給はざめり。物宣はば、御答へなど聞え給へと教えおい給ふ。明けゆくまゝに、月いよいよすみまさりて、瀧の音も松風の響きも、取り集めたる心地するに、何のへだてなく、人あるべしと思ひやらるゝ心地するに、かゝる所に朝夕うちながめ、いかに物思ひしられ給ふらむなど思ひやられて、
(中)住みなるゝ人はいかにかながむらむふかく身にしむ山の端の月
と宣ふ。御答えを、よろしう聞えつべき人もなし。わりなうつゝましう思しわづらひて、琴にて、
(尼女)おく山の木の間の月は見るまゝに心ぼそさのまさりこそすれ
いとやう聞えて掻きならし、几帳の下より、やをらつまをさし出でてやみぬ。唐国にて后の弾き給ひしを、二度聞きしより外は、をさをさ耳なれざりし物の声を、深き山の末にて、澄める月にほのかに聞きつけたるは、めづらしういみじきに、命もつきぬばかり思い出で、聞ゆる人の御声などを、ほのかに聞きつけ聞えたらむ心地して、いと悲しう胸騒ぎて、飽かずおぼゆ。さうじみの声聞かせむも、うたてありなど思ひ煩ひ、琴にて答へたまふ。思ひやりはやまがつめかず、心まさりしてをかしければ、これは只さてのみやは。今ひとかへりうけ給はり留めてこそと、度々心もとながり給へれど、それより外は音なければ、かへすがへす言ひ煩ひて、琴ひきよせたれば、常に弾きならし給ひける人の、移香なつかしう染みて、しらべられたりけるを、掻きまさぐりつゝ、后の弾き給ひし折々思ひ出づるに、月の光も掻き曇りぬる心地して、涙とゞむるかたなし。
(中)唐国のきりふの岡の松風の吹きし似たる声をきくかな
この御声に、御堂よりも、念佛とゞめて出で給ひぬるとぞ。
巻之二 了
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