《浜松中納言物語》⑰ 平安時代の夢と転生の物語 原文、および、現代語訳 巻乃三









浜松中納言物語









平安時代の夢と転生の物語

原文、および、現代語訳 ⑰









巻乃三









平安時代の、ある貴にして美しく稀なる人の夢と転生の物語。

三島由紀夫《豊饒の海》の原案。

現代語訳。









《現代語訳》

現代語訳にあたって、一応の行かえ等施してある。読みやすくするためである。原文はもちろん、行かえ等はほぼない。

原文を尊重したが、意訳にならざる得なかったところも多い。《あはれ》という極端に多義的な言葉に関しては、無理な意訳を施さずに、そのまま写してある。





濱松中納言物語

巻之三


十七、御君、姫君にお語りかけになられること、姫君、惑われること。


吉野の御荘園にご伺候させていただく司(つかさ)どもも余すところなく行き届いてご馳走などご用意させていただいて、この度には川の水の流れも石のたたずまいも心をこめて取り繕い、見事にも、絵に描かれたかのように整備させていただいておれば、見所は勝って文句のつけようもなくて、言うに言われず月は明るく澄みわたり、そういえば今宵は十五夜であったことか。

あわれ、去年の今宵に、ひやうきやうの月の宴にも、いろいろに趣もふかく興もつきずにおもしろかった事どもよりも、かの御后の琴をお弾きだしなさられた御すがた有様、あるいはその琴の音の、只今に御眼の前に御覧になられたような御心地さえなさられて、常にもなくも、もはや涙に残りさえないだろうと想われるがほどにお泣きになられられて《しをりのほかの…》なんとも報われぬこの想い、この御契りである事かと、御君は想わず口ずさんで仕舞われなさるのだった。

想えば、心に耳に、いまや滲みかえって仕舞ったかの人のかの御声は、想えば山の鳥らでさえも恥じ入るばかりであったものなのだった。

今宵の見事な月の下、かの御血縁の方のお近く、かの美しい御声に似たその御声の近くに、ここにいて、いつにもまして涙を流し心を砕く折りも折り、ただひたすらに哀れに想われられなさられて、かの御姫君の許にお渡りになられられて戸の傍らに、昔今の御物語をお語りかけになられられるのにも、この度こそはこよなくもお互いに親しまれ、睦びあわれ獲るような御心地なさられて、語りかけられなさる御心には心の隔てさえもはやなく、昔よりのことども、余すところなくお語りになられながらも、生き永らえる侘しいときのなかに、後の世にてのみ再び逢いまみえられようとかの御方をのみお想い差し上げさせていただきながら、このよにうも世にも稀なる深く美しい山の奥に、なんの因果に尋ね彷徨いこんで仕舞ったものであったか。

なんともの憂い歎きばかりの多い御契りであったことかと、類もなきその御契りなどお聴かせさせていただかれられれば、姫君ももはやみずから忌々しいがまでに恥ずかしくさえ感じられるけれども、御君は、想いもかけず浅からず、ここにまで尋ね知らせた宿命のふかさをいまさらに、あらわに想い知らされられていらっしゃられれば、どうして心に隔てなどもうけてお語りあわれることなどおできになられられようか。

聖の問わず語りにも、御君の御身の上のことどもは、おのずからお耳に入れられていらっしゃられるようにも想える。

こうも憂きものに想って、ひと想いに儚んで、棄てて仕舞ったところでこの世に猶も想い棄て難いのは絆。

御子が、残された幼いその身を守り獲るがほどに強い人の身に添うているという安堵こそが、親でいる人がこの世にある甲斐であろうかとの考えであるが故にこそ、いまだ、俗世を断ち切りはしないで俗世に彷徨っている理由なのだけれども、ときを経ずしてやがては仏の道に立ち添うて仕舞おうならば、あなたの御母上の、その行方をさえ世には隠して流離われなさって、いまここに、このような奥山の苔の衣に身をお隠しになられ、松の葉に命を懸けていらっしゃられるその御身に倣って、雪のうちにのみうずもれ仕舞おうと、この世に生まれた人たるものの宿世、つたなくも又この儚い身などは、實にかの山の鳥などにおなじ事とさえ想っているのだが、いまだになにもかもが煩わしい俗世にもまれながら、想い残すことなく後の始末をつけて仕舞いたくも想ってはいるものの、この命には限りのある事であればなにごとも片付きもせずに、世を棄て立ち隠れてすごして仕舞うことへの、心残りばかりのあまりにも多いさまは世に類もないほどに感ぜられて、とはいえ、もはやなにものにも心を乱されることもなく、ひたぶるに仏道を願う成仏救済の道の光を想おうとのみ念じているに、想いもかけずにかのようにお立ち寄りさせていただき訪ねさせていただければ、これすなわち何も持たれもなさられずに、草の庵をお結びになられていらっしゃるその御住まいにお導きいただくように心に清く、ひとえに祈願差し上げた御佛の御しるしでこそあったのだろうとは心得て想っているのです、となど、お語り聴かせになられられるのだった。

この頃に月は涼しくて、わたくしもようやくにして心をしずめられて、仏をかたくななまでに念じているのです、と、言い続けられてお泣きになられられる御言葉は、御姫君に、耳に入れさせていただかれられるにも哀れに悲しくお感ぜられなさられて、さらに御君のお語りになられられるには、うちを閉めておいででいらっしゃられるのは、御身が、この身がおろかないたずら心に尋ねてきたものとお想いでいらっしゃられるからでしょう。

そうではなくて、委しい話をお明かしさせていただかなかったのも、それらの話しの山鳥の耳も驚かせるばかりに込み入った煩雑なる次第の故。

うちうちにここの皆のものが感じ取っているでしょうような、故もふかく限りもない心の故にこそ、ここまで尋ね入ってきたのです。

であれば何事も、露ばかりにも浅く推し量ってお想いになられられるべきにあらせられませぬ。

このような御住まいに、はかなくも心苦しくいらっしゃって、仏道への御想いのふかい御母上こそはこのような世を棄てた僻所にこそふさわしく、ここにこのままお住まいになられてもよろしかろうが、あなたはそうではいらっしゃられないでしょう。

お若くていらっしゃる方には、このような深い住まいなどいかに苦しみばかり多いことかと想いわずらって、せめてこれよりは世に近いところにお出ましになられられればよりしかろうにとは、最初にお申し上げさせていただいたとおり。

世におでましになられられるならば、心も及ばないほどの志の深さに任せて後見などさせていただきましょう。

かえすがえすもお申しあげさせていただきますが、その御事、露にも後ろめたくお想になられたりなどなさられなくてもよろしいのですよ、と、おっしゃられるのを御姫君は、その御語りかけになられられる御志の深さを、すこしは推し量られるようにもお想いになられられていらっしゃるけれども、猶も定めがたくも哀れに悲しく感ぜられてのみいらっしゃられるのだった。

このような浮き身の果てて尽きた残りの名残りのような身の上であれば、世の常の人のように、ありふれた俗の世界に生きるなど想いもかけられず、ただ、この御住まいに住まわせさせていただきながら、このまましずかに生きて行きましょうとおっしゃられるばかり、松風に砕けて失せ、雪の下にうずもれて消えたかのように、吹く風飛ぶ鳥にひとり語りかけられるばかりのつれなさにおっしゃられておられれば、人のように俗の世に生きようとは決して想えないのですと、繰り返しておっしゃっていらっしゃるのも御君は、ただ道理にお想いになられるしかなくて、なんともこの世にまたともなく稀なる人と想い遣られる御人がらかと、かさねて御君はお想いであらせられるのだった。





《原文》

下記原文は戦前の発行らしい《日本文学大系》という書籍によっている。国会図書館のウェブからダウンロードしたものである。

なぜそんな古い書籍から引っ張り出してきたかと言うと、例えば三島が参照にしたのは、当時入手しやすかったはずのこれらの書籍だったはずだから、ということと、単に私が海外在住なので、ウェブで入手するしかなかったから、にすぎない。





濱松中納言物語

巻之三


吉野の御庄の司ども、御まうけなどして、このたびは、水のながれも石のたゝずまひも、いたうつくろひないたれば、見所まさりて、絵に書いたるやうなるに、月いとあかう澄み渡りて、今宵は十五夜ぞかしな。あはれ去年(こぞ)の今宵、ひやうきうの月の宴に、いろいろにおもしろかりし事どもよりも、后の琴弾き給ひし御容貌有様、琴の音、只今見奉らむ心地して、常よりも涙残りあるまじう流れ出でて、しをりのほかのと、押し返しつゝ、ずんじ給ふ。しみかへり給へる御声の、山の鳥どももおどろかい給ふべし。今宵しもこゝにて、いつもよりもけに涙を流し心砕くも、折あはれに思ひしられて、此方に渡り給ひて、昔今の物語聞え給ふも、この度は互にこよなう、面(おも)なれ給へる心地して、心の隔てなく、昔よりの事ども、かきつくしながら侘びて、後の世をだにと思ひとり、いとかうなずらひならぬ山の奥に、尋ね入り侍りしよと、残りなううきめ見尽しける契りかなと、類なう聞かせ給はむも、忌々しう恥しう侍るべけれど、思ひかけず浅からず、尋ね知らせ給ふもさるべきにこそと、いとあらはに思ひしられ侍れば、何のことごとしき隔てかは残し聞えさせ侍らむ。聖の問はず語りにも、おのづから聞えさせ侍るやう侍りけむ。さばかり憂きものにこそ思ひ捨て侍りし世に、猶しも思ひ捨て難き絆、強き人の身にそひて侍るを、親と聞えし人、世にあるかひと思ふやうにこそ、物し給はざりしかど、あとはかなならぬ程にて、立ち添ひ給へりしに、その行方をだに、かたもなくさすらへ侍りにしを、今こゝに、かゝる奥山の苔の衣に身を隠し、松の葉に命をかけて侍る身にそひて、雪のうちにのみうづもれ侍りつゝ、おひたち侍る人の宿世、つたなう又かゝる身には、實にかゝる山の鳥などの、おなじ事と思ひ侍れば、何かいとほしかるべきに侍らねど、世に侍らむ事の、残りなう覚え侍るを、命はかぎり侍ることなれば、立ち隠れ過し侍らむことの、のこり多かるありさまは、いと世に類なう思ひやられ侍りて、さすがなるを、いかでかくだにつゆも心をわけて、一向(ひたぶる)に願ふ道の光をも思はむと念じ思ひ給うるに、思ひかけぬに、かう立ち寄り尋ねさせ給へば、さりとも何となう侍りなむ、草の庵の住処は尋ねさせ給へるなめりと、これこそは心きよう、ひとへに念じ奉る佛の、御しるべし給ふなめりと心え思ひ給ふが、この月比は涼しうて、今はなむ心をしづめて、佛を偏に念じ申し侍ると、言ひ続けてうち泣い給へる、聞くにいみじう哀れに悲しう、唯うちしめたらむは、うちつけに、おのづからあさはかなる心に任せて、尋ね聞えさするとぞ思しめすらむ。これはさに侍らず、委しき事明し申し侍らむも、山鳥の耳もおどろかしうくだくだしう侍るべし。うちうちに皆思ひ給うる、故深う限りなき心をしるべにてなむ、尋ね聞えさせ侍る。されば何事も、露ばかり浅う推し量り思し召すべきにはあらず。かゝる御住居に、はかなう心苦う承りしより、一所こそさまことに御思ひ深うて、さても過させ給はめ。若うおはしまさむ人は、いかでかはさる御すまひはと、心ひとつに思ひ給へ余りて、これより浅うは出でさせ給ひなむやと、初めも申し侍りしなり。つゆ世に廻らひ侍らむ限りは、心の及ばぬ程の、御志の深さに任せて、後見聞えさせ侍らむ。更にその御事、露にても後めたく、な今より後は、思ひ聞えさせ給ひそと宣ふを、尋ねさせ給へる御志の深さを、少しは推し量られて侍るにも、猶定め難う哀れに悲しうのみなむ。されもかう聞えさす人は、かばかりうき身の名残なれば、尋常びたる住居有様にてあれとは思ひにかけず、唯この御すまひながら、世にあると聞かせ給はむ限り、松風にくだけやうせにし、雪の下にや埋(うづも)れにしとばかり、吹く風飛ぶ鳥につけて、問はせ給はむばかりに侍れば、人めきて世にすぐせとも、思ひ給へ侍らずなと宣ふも、實に道理に、この世ならず思ひやらるゝ人の御有様なり。






Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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