《浜松中納言物語》⑯ 平安時代の夢と転生の物語 原文、および、現代語訳 巻乃三









浜松中納言物語









平安時代の夢と転生の物語

原文、および、現代語訳 ⑯









巻乃三









平安時代の、ある貴にして美しく稀なる人の夢と転生の物語。

三島由紀夫《豊饒の海》の原案。

現代語訳。









《現代語訳》

現代語訳にあたって、一応の行かえ等施してある。読みやすくするためである。原文はもちろん、行かえ等はほぼない。

原文を尊重したが、意訳にならざる得なかったところも多い。《あはれ》という極端に多義的な言葉に関しては、無理な意訳を施さずに、そのまま写してある。





濱松中納言物語

巻之三


十六、尼の姫君、慰められること、ふたたび吉野にもうでられること。


尼の姫君は、このように世を儚んで、悔いもなく世を棄てた身にあってさえ、このような御打ち明け話すらもうちとけて、お打ち明けになられていただいて、尊い御身に添わさせていただいて、御傍らにお聞かせさせていただくのもそもそもが在るまじく、見苦しきことにとこそ、お想いになられられていらっしゃられるけれども、とはいえ音みずからの身をかの人から引き離して仕舞うのはあまりに御みずかの心にさえも叶わなくて、ただ想い侘びてばかりいらっしゃられて、またあわれにも御君に、日々に懇ろにしていただいていらっしゃられるのを、無理にも御身から引き離れて、遁れて仕舞えばあまりにも傲慢な女よと、その振る舞いを人々は見苦しく見留めて仕舞うだろうと想われられていらっしゃられれば、なにもかも今の在り様の、在り獲ぬこととのみ想われておいでであらせらる。

わたしはともこうも、すでにそうなるより外に在り得ないと想っておりまする。

御君こそ心得もなさられずに、この身が想い歎いて仕舞うだろうとお想いであらせられますようにございますが、もとより住み離れているべきものが本当なのですから、いまさらそれがなにほどのことでございましょうかなどと、おっしゃっておいでであらせた。

なかなか世の常になきことであっても、もはやここには何を憚るべき事もなくて、ましてや今はなかなかに稀なる程の気品のうちに、おおどかに、あでやかに落ち着き払っていらっしゃられる、その御心のうちをこそあわれに想い遣られなされられて、猶つきもせずにさまざまに、唐土に渡って以来の事どもを万事残らずに御口になさられられるものの、かうやうけんの御后の御事のみ、残されておいででいらっしゃられる。

中将の乳母のお預かりさせていただいているかの若君の御ことをも、夢のようにかつてただ一度だけ見た人の許に、このような人があるのだとお聞かせさせていただくのに、あまりにも美しくて清らかでおいででいらっしゃられたので、お預かりして率いてこちらへ還ってきたのです。

さっそくにご紹介させていただこうとは想っていたものの、しばし異国の人と、人には気付かれないままにしておこうと想っていたので、いまは隠しおいているです、と、御君はその御若君を忍んでお見せさせていただかれられた。

その世にもかつて知られないほどにめでたき御有様を、いとおしくお想いになられられて、稚児の姫君をはともかくとして、世にも類がなきほどにめでられ、片時もお手放しになさらえないようであらせられれば、《入りぬる磯(注:1)》、切なささえつもる心地して、御心にもはや、常におそばにひき留めおいておきたくお想いであらせられたが、しばし人の出入の多くなろうことをおしゃって差し上げられれば、ほんのしばらくの間だけ、そのままにお預けしたままにしてさしあげていらっしゃられる。

唐国の御ことは忘れられる折りなどなくてあらせられて、常に日頃に吉野の山を御心にかけていらっしゃられるけれども、萬の煩事に煩わしきばかりのその御身の上であらせられれば、はるかなる山路、想いのままにも振り払いもできずにお想いつのられていらっしゃるがままに、八月十日宵のほどにご来訪差し上げられるのだった。

道すがら、あわれ、そもそもが誰の故にこのような山路を訪ね歩く事なのであったろうかと、風のつてにもせめてもその御消息のお聞かせ願えないものか、御方をお想いお慕いさせていただかれる御心のうち、やがては悲しくも奥深く分け入っていかれれば風の気色ももはや秋になっていた。

あわれは殊に眼差しに迫って見えるのに、千草のいろいろも、都よりもことにおもしろくて、哀れの御想い、いよいよ深く想い知らされていらっしゃられた。

聖らの住居に近づかれるがうちに、傍らに松風に添われられなさられて、いつか琴の音の空に響いて御耳に聴こえてくる、その冷えた大気は冴えて澄むのに、かうやうけんの菊を見た夕べ、ふと想い出されられて御涙もお留めになられられずに、立ち隠れて聴こうかとお想いになられられて、その屋敷の下に暫しやすらがれていらっしゃられた。

暮れ方に近くもなればその音も途絶え果てる。

飽かず口惜しく、このたびは見事に取り繕って直された、いまだに出家はせぬその人の心細き住みかと見えた。

お麗しき御方ではあらせられように、御姿お顕しになられなかったその頃においては、それならそれとそのままにあえてお棄ておきさせていただかれたものではあらせられたが、想うにあわれにもめでたきものであらせらようその御姿を、いまやいまやといまだに御心に、想い焦がれられていらっしゃられるかの唐土の御方の、その御片身の御有様ともお察しさせていただかれておられた秋の夕べ、かすかに霧の渡り拡がってしずかにつつんでたちずさむ中、言い知らずもめでたき清らかなそれらの気配のうちに、お立ち寄りして差し上げられるに、御方、御心惑いさえもなさっておいでであらせらるようにお見かけられになられられたのだった。


鳥の声も聴こえないこのような山の奥に

お待ちしてさしげさせていただいていたのは

いつか習った人の眼というもの、でしょうか?


鳥の音も聞えざりにし待たるゝはいつに習ひしひとめなるらむ


心ながらもすらすらと、怪しきがまでに御言葉、麗しくお聞かせさせていただかれることよとお感ぜ入りなさられて、御君は、


三吉野の山のかけちにいく千たび思ひおこするこゝろきつらむ


三吉野の山の険しい崖にでも

幾千たびでも想い起こしてたどりつく

そんな心がここに来たのですよ


などお聞かせさせていただかれられて、新たに作って足された廊にいらっしゃられる御君は、そこにしばしうちやすんでいらっしゃられる。



(注:1)《入りぬる磯》 拾遣集恋部、坂上郎女《しほみてば入りぬる磯の草なれや見らくすくなく恋ふらくのおほき》





《原文》

下記原文は戦前の発行らしい《日本文学大系》という書籍によっている。国会図書館のウェブからダウンロードしたものである。

なぜそんな古い書籍から引っ張り出してきたかと言うと、例えば三島が参照にしたのは、当時入手しやすかったはずのこれらの書籍だったはずだから、ということと、単に私が海外在住なので、ウェブで入手するしかなかったから、にすぎない。





濱松中納言物語

巻之三


女君、かゝる様の身にては、かう打ち添ひ聞えたる、あるまじう、おとききも見苦しき事と思へど、心にはかなき心地して思ひ侘び、又哀れに懇なる御心を、せめてもてはなれ、遁れやらむことも、さのみさかしきやうに、人々の思さむこともつゝましう、えあるまじき事にてこそあれ。我はともかうも、さるべき事と思ひ知りてありぬることかなと思せど、いかゞは宣はむ。などてか尋常ならむにてだにも、こゝに憚り給ふべき事にてもあらぬを、まいて今はなかなかあいなくこそと、おいらかにおほどきいらへ給へる、心のうちしも哀れに思ひやるに、猶つきもせず、隔てそめにし限りをのみ聞え給ひて、萬の事のこりなう語らひ聞えたまふを、かうやうけんの后の御事ばかりをぞ、猶のこい給へる事なる。中将の乳母の、あづかりの若君の事をも、夢のやうに唯一目見し人の許に、かゝる人なむあると聞きて見しに、らうたげなるさまのしたりしかば、取りはなちて率てまうで来しなり。やがて預け奉らむと思ひしかども、暫し外の世の人と、人に知られじと思ひ侍れば、隠し置きて侍るなりとて、忍びつゝ見せ奉り給ひけり。世に知らずめでたき御さまを、らうたうおぼして、姫君をば上のとりはなちて、片時も放ち聞え給はねば、入りぬる磯の心地するなぐさめに、常にあらせままほしう覚いたれど、暫し人繫う見せじと思ひ侍るなりとて、あからさまにのみぞ渡し聞え給ひける。唐国の御事は忘るゝ折なければ、芳野の山を心にかけ給へれど、萬に粉はしき御身なれば、遥かなる山路、思ひのままにふりはへ給はむ事を思しあまりて、八月十日よ日のほどにおはす。道すがら、あはれたれゆゑ、かゝる知らぬ山路を尋ね歩(あり)くぞと、風のつてにも、いみじう知られ奉らまほしう思ひ続け、いと物悲しう分け入り給へば、風の気色も秋にありけり。亜晴れはことに見ゆるに、千草の花のいろいろも、都より殊におもしろくて、哀れぞ深くしられける。近うなるまゝに、松風にそひて、琴の音の空に響きて聞えたる、すゞろに寒う心すごきに、かうやうけんの菊見給ひし夕、ふと思ひ出づる涙もとゞまらず、立ち隠れれ聞かむと思して、この下にやすらひ給ふ。末つ方になりければ、音もせずなりぬ。飽かず口をしう、この度はいとようつくろひなされて、尋常の人の心ぼそき住処と見えたり。よろしき人だに、見えぬものにならひたりし年比は、さるものゝ住所にて、哀れにめでたかりし御有様を、心にかけて思ひ出で給ひて、今や今やと、唐国の御かたみとも思ひ給ふに、いとゞしき秋のゆふべ、かすかに霧渡りたるほど、いひしらずめでたう清らかにて、立ち寄り給へるは、心まどひもせらるばかりぞ、見奉り給ひける。

 鳥の音も聞えざりにし待たるゝはいつに習ひしひとめなるらむ

心ながらもうちつけに、怪しきまでにこそと宣ふも、いとあはれにおぼして、

 三吉野の山のかけちにいく千たび思ひおこするこゝろきつらむ

など聞え給うて、今造り添へられたる廊におはしまして、うちやすみ給ふ。 







Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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